あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

中古ポルシェのお値段

2016年01月07日 05時31分40秒 | 自動車・特種車両
蔵出し画像です。
世田谷区紅葉散歩からの歴史散歩の途中で、採取した画像。

販売店の外、露天にポルシェを並べて販売してました。
天下のポルシェとはいえ、中古の車ならたいした値段じゃなかろう?と。軽い気持ちで値札を見て驚愕。

見えますか?この中古のポルシェの価格は、9、990、000円(税込み10、223、500円)って読めるんだけど~?
取りあえず消費税8%で計算してないようですが、それにしても歩道に歩行者が普通に触れられる状態の中古車が1000万円超えとは…。
さすがはポルシェ様は普通じゃなかった!
車繋がりで同日、馬事公苑で採取した画像を。

これ、何の車だと思います?どうも馬を運ぶ専用の車のようです。

それが2台止まってました。車体に「トキツカゼ」と書いてあります。おそらく車の名前がトキツカゼ号でしょう。にしても、トキツカゼ?
何だかお相撲さんの名前みたい。つーかさ。馬事公苑ってJRAの持ち物だったのね。

引き続きましては同じ日に採取した世田谷区馬事公苑前の農大博物館に置いてあった巨大なニワトリの模型です。

大王鶏だから模型もでっかいのか?建物のガラスに反射して見えませんが、背後の建物が博物館で中に1/1サイズのキリンの模型が見えてます。
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面白蔵出し画像

2016年01月06日 05時49分40秒 | 雑記
今日は散歩途中で見かけた面白いと思った画像を紹介します。
まずトップ画像の細い建物

この建物は世田谷線上町駅側で採取。
敷地が狭い所でも無駄無く使う。日本らしい。面白ポインドを上げたのは、庭木もヒョロかったところです。

こちらの縦長のビルもトップ画像と同じく世田谷区上町駅側で採取。
この建物の面白ポイントを上げてるのは、外壁のペイントです。ちと分かりにくい画像になってしまったのは、1枚でヒョロいのと壁面の1/1ビルペイントを見せようとして失敗した。

3枚目は湘南、辻堂海浜公園の近くで採取。もっというと、『弱虫ペダル』のインターハイの部隊になった道で採取。
どこから生えてるの?ある意味ど根性な植物です。根性でここまで大きくなったのが尚凄い。サイズは隣にガードレールが写ってる所から察して下さい。

4枚目も世田谷区。世田谷城跡から世田谷線上町駅へ続く道で採取。
上の画像右奥へ伸びる細い路はかつて烏山川という川でした。世田谷区の歴史散歩の途中、八百屋を飾り付けるようにツルを伸ばしたあさがおが素敵でしょ?

こんな派手かっこいい駅前の情報掲示板。凄いでしょ?相模原市JR中央線相模湖駅前にあります。

最後は毛色を変えましてこんな面白画像を紹介。
昨年秋、田舎の義母が「新米をもらったのに、去年のお米がまだ残ってるんだよ。ほおろうか(捨てる)と思うけどもったいなくて~」と電話がかかってきたんですわ。そんな!お米を捨てるなんてとんでもない~~~~っ。
「私が食べます。送って下さい」と言ったら、米袋い直接ゆうパックの送り状を貼付けて届きました。
実際、ゆうパックは送料って縦×横×高さの合計がサイズの基準なんですよね。重さじゃないんです。更には結構受け付けてくれる荷物の形に柔軟性があると思います。感動した~。
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旧小原宿・甲州街道・相模湖散策ルート

2016年01月05日 05時02分08秒 | 紅葉散歩
JR中央線相模湖駅から始まった旧小原宿と紅葉の相模湖の記事。ついでなので散策ルートを駆け足で紹介します。

甲州街道20号線。旧小原宿から八王子方面に徒歩5分強のあったバス停です。このアングルでは上の画像の面白さをちっとも表現出来てないのですが、バス停自体が道路からはみ出て設置してあります。それはバス停ではあちがちなのですが。注目して欲しいのは画像の右端に写ってる白いガードレールです。実はこれ、ガードレールではなく橋の欄干です。橋ということはその部分地面が遠いって事で。どれだけ遠いかというと…。

谷です。つーか渓谷っぽい。つまりバス停は谷にせり出し空中に浮いてる訳。こんなバス停で待つ人がいるのか??
画像に美女谷温泉と書いてあります。美女って誰の事?と思いますよね。
この美女は実は照手姫の事でした。
バス停の側で説明板発見:照手姫は小仏峠の麓、美女谷で生まれたと伝えられています。北面の武士だった父とやさしい母から生まれた照手姫は美しい娘に成長し、美女谷川上流の七ツ淵で豊かな黒髪を梳くその姿は、まばゆいばかりの美しさを放ち、里の若者を魅了したと言われています。
しかし不幸にも両親が相次いでこの世を去り、いつしか照手姫の姿は美女谷から消えてしまいました。
その後、数奇な運命をたどった照手姫は相州藤原宿で小栗判官満茂と劇的な出会いをします。満茂は毒殺されてしまいます。姫の必死の思いが通じたのか、満茂は遊行上人という名前のお陰で蘇生し、日立の国の小栗城に帰り、照手姫を迎え、末永く幸せに暮らしたといいます。」だって。
ここでまさかの「遊行」の文字が登場です。昨年11月30日に藤沢の遊行寺の大イチョウを見に行きました。実は本堂の裏手の坂の上に所縁の地がありまして、そこに照手姫のお墓もあったと記憶しています。
え~、記事立てしてたハズ。探してみるか?
小栗判官の墓(2010年3月15日)の記事 こちらに小栗判官暗殺事件の詳細が載ってます。

そう言えば、旧小原宿散策ー小原宿本陣ー小原の郷(小原の郷は画像奥の建物です)。この場所は渓谷を埋めて平にした場所で、江戸時代の甲州街道は画面手前の道でここから左折れの渓谷を迂回するようにぐるりとまわって作られてました。
甲州街道は次第に道の少しづつ勾配が上がって行ってたのね。

更に甲州街道を八王子方面に少しだけ進んで相模川を撮影しました。おかしいでしょ?相模湖を見るために進んでるのに、見える風景は山なんだわ。この先で、小原宿を楽しむ散策コース・弁天島渓谷散策コースは甲州街道を外れ路地に。

上の画像にうつる畑に沿う様に続く道路が散策コースです。しかしこの後散策コースはダイナミックな渓谷美が楽しめるコースに続いてまして。

目印はここ。牛鞍神社さん。ここから下へ続く細い路。30秒進むと見えて来るのが相模川にかかる弁天橋。

これです。この後散策コースは上の画像に写る弁天橋まで一気に下らねばなりません。

弁天橋の上から見た相模川です。この後対岸に渡り今降りて来た高低差とほぼ同じだけ上がらねばなりません。

そしてこれは相模湖ダムの上から撮影しました。

画像眼下に見える水面は、相模川。

この高低差を一気に下って上がる。あ。ちなみに、降りる時はもっと高度のある場所からです。だってさ、甲州街道はここの上にあったからね。
もとは相模川の渓谷に作られたのが相模湖と相模湖ダム。だから相模湖大橋は吊り橋です。吊り橋の上にもバス停があり、ここでバス待ちをすると車が通る度に吊り橋が揺れるのを味わえます。ええ。マジで。

こんな感じです。

そして相模湖。

本日のメイン紅葉ポイントでしたが、既にヘロヘロ。楽しめるだけの体力が残ってないという…。

会えなく、撤収。JR中央線相模湖駅へ向ったのですよ。

JR中央線相模湖駅のホームです。
画像ででっかく主張してる橋。これは中央自動車道。去年の早春高尾梅郷梅散歩をした時、視界にちらちらと見えた中央道。ここ相模湖&旧小原宿散歩でもちらちらと視界に入ります。中央道の位置を散歩中に確認して、自分の歩いてる道の高低差を把握出来るという効果があります。
ちなみに、リアルタイムで相模湖の紅葉散歩を紹介したブログ記事はこちらです。
相模湖の紅葉21015.11.13現在(2015年11月14日)の記事

相模湖の紅葉2015.11.13現在その2(2015年11月15日)の記事
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小原宿本陣2

2016年01月04日 05時37分19秒 | レトロ建築
小原宿本陣の記事を2つに分けました。昨日の続きです。

小原宿本陣を利用出来たのは信州諏訪藩・高遠藩・飯田藩の大名と、甲府勤番の役人です。
建物の建築年代:19世紀初期
構造:4層兜作りの入母屋風の建物。
1階が生活空間と大名などを迎える座敷です。2階はお蚕さんを育てる部屋です。上がりましたがとても暗い部屋でした。かつてもこの暗さかな?3階以上は上がれなかったのでどう使っていたか聞くのを忘れました。でも本陣屋敷の2階でお蚕さんを育ててるのはだいぶん珍しいと思います。
この画像が屋根の兜の形が分かるかと。
規模:間口13間。

奥行き:7間。91坪。

部屋数:15畳が2間。12、5畳が1間。8畳が3間。6畳が3間。4畳が3間。2畳が1間。
見取図を撮影したけどピンぼけ画像になってしまいました。

この部屋は隣の部屋と比べて天井が高いです。よくあるのはこっちが格式が上の部屋って奴だけど。確かおじさんが「耐震補強した時に天井を少し上げました」とか言ってたような~??すみません。詳しく聞いたハズなのに忘れてしまいました。
 
生活道具や衣類(消防用)も展示してありました。

一通り奥内の見学が済んだので、土間に降りました。生活雑貨が展示してあると、在りし日の姿を想像し易くていいです。
ご飯を焚いていたかまど。お釜と蒸篭が乗ってます。
石臼ですね。何を曳いていたんだろうか?
餅をついていたのか?と思ったら、おじさんが「この辺りは米がほとんど作れませんでした。雑穀を育て主食としました。杵と木臼を使い雑穀をついていたようです。
かつては大きな庭がありましたが、現在面影はほとんど残ってません。
今や新しい住宅がすぐそばに見えてます。
裏山を借景に作られてと思われる庭も、今や想像がつかない。
江戸時代にあった高札場が再現されてました。
広い土間を見てると、よくある農家はここに馬が飼われてたりするんだよな。と思い「本陣屋敷ではどこに馬がいたのですが?」と聞いてみた。おじさんは苦笑い「それが分かってないんだよね」と帰って来た。広い本陣の敷地にはかつては他にも建物が建っていたハズ。今は在りし日を想像出来ません。

楽しくてうっかり1時間も滞在してしまいました~。今日は紅葉散歩で、歴史散歩はおまけだったハズ。いけません。次に向いましょう。
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小原宿本陣

2016年01月03日 05時25分10秒 | レトロ建築
甲州街道の宿場町、小原宿。大名や幕府の用心が宿泊するための建物本陣が、今も現存しています。
見学:無料。休館日:月曜日

旧小原宿を散策し、路地から出たら正面に本陣が見えた。
素敵でしょ?

早速古建築を眺める。幕に描かれた家紋は、本陣の清水家のもの。清水家は元々後北条家の家臣でした。
こちらは式台のある玄関ですが、見学はお勝手から入る。受付に見学者記入をしていると、おじさん登場。ラッキーにも説明して下さった。
残念な事に訪問したのは2015年11月13日。すぐに記事にしとけばよかったと山盛り後悔です。
ええ。せっかく解説してもらったのに、ほとんど忘れてしまいました。若い頃ならともかくオバさんの記憶力は全くアテにならない。穴だらけの記憶を浚いつつ書きます。

まずお勝手口を抜けると、目の前にドーンと大きな急階段が出迎えてくれる。見学コースもまずは2階へ。との事なので上がってみた。なんつーの?とりあえず暗い!かつて、照明がなかった頃はこうだったんだろうね。2階はまるごと蚕を飼っていたようです。縁を巡るように昔の道具が並んでました。いくつか撮影しましたが、実際暗過ぎて現場では何が何だかよく分かりませんでした。
たぶん蚕の繭から糸をつむぐ器具
江戸時代の籠。甲州街道は山がちなので時代劇に出て来る籠と形が違います。使用するには身分で厳格な取り決めがあったようです。

1階に降りてきました。左奥が大名や幕府の用心が使う玄関口。その奥が下の画像の部屋です。

控えの間の外に畳敷きの通路があります。

大名が使ったのは下の画像の襖の向こう側。床の間のある部屋です。

床の間のある部屋には今ではもう作れる人がほとんど残ってない指物細工の窓。よく見ると上部は清水家の家紋の井桁紋ですね。
そして便所。
更に風呂。本陣の建物は解説して下さったおじさんが確か昭和の後半まで清水家が実際に住んでいたとおっしゃってました。だからお風呂は大名が使ってたものからモデルチェンジしてる模様。
台所です。
あちこちで民家園を見学していますが、小原宿本陣は結構生活道具をたくさん展示してあります。分かる範囲で解説します。
ご飯のおひつと保温具。
豆とか雑穀の保管する入れ物。


いろり。私史上見学した古民家の屋内にあった囲炉裏の中で最大サイズ。

たぶん囲炉裏の薪。奥に蒸篭が見える。餅米をふかすのに田舎の義母が同じのを使ってたのを見たことあります。
こういうのも私が保育園児だった頃、オバちゃんが使ってた。昔のストーブみたいなの。でもさ、下にある格子が分からない。たぶん掘りごたつの古いタイプのものかと?違うかもしれない。
随分画像の数が増えてしまったので記事を分けます。続きは明日。
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旧小原宿散歩

2016年01月02日 05時29分52秒 | 歴史散歩
新年あけましておめでとうございます。
昨年秋は紅葉散歩でたくさんウォーキングしました。ブログ記事も「紅葉散歩」を優先しまして、散歩の途中で見た紅葉以外のあれこれは後回しになっています。年末にその帳尻を合わせるべく追い込みかけたのですが、納まり切らず。新年からしまりませんが、こぼれネタの記事です。
今日は2015年11月13日、相模湖&甲州街道旧小原宿紅葉散歩から、旧小原宿の宿場を紹介します。江戸は遠くなりました。でもなんとなく宿場に痕跡が残ってるようで。

10時46分、JR中央線相模湖駅到着。なんか鄙びた駅前ですね。上の画像の緑の三角屋根の建物は相模湖町観光協会です。まずは情報収集です。当日は相模湖の紅葉を見るのが一番の目的。ついでに旧小原宿本陣屋敷の見物です。しかし、事前に紅葉ポイントの情報が掴めなかったので、観光協会で聞いてみよう~!
小原宿散策ガイドと相模湖案内図をいただきました。散策ガイドにはおススメの散策ABCコースが載ってました。こりゃあ願ってもない!
あと、相模湖の紅葉写真アルバムもあった!これが素敵で!!見たい~~~っ!とテンション上げて散策開始。

まずは観光協会裏に見えたオブジェを見に行った。これは鮎?それともイワナ?空が晴れていれば、紅葉の里山を背景にもっといい画像がゲット出来たハズ。

20号線に出た。道の向こうに綺麗な赤。ここは北相中学校です。う~む。グランドの向こうの里山の紅葉が綺麗だ。トラックの向こうから鑑賞したけど学校なので無理だな。

20号線はなぜか上り坂。何でや~?どうも小さな峠だったのか、勾配が高くなってすぐに下がった。しかしね。右手の眺めが予想外なんだけど~??
画像奥に見えるのは相模湖ダムです。何が不吉って、今日のメインは相模湖の紅葉だからして、眼下に見えるということは…。
 
さて、まずは旧小原宿に到着です。
観光案内所でもらった小原宿散策ガイドには、小原宿の古民家散策コースってのがある。これに従いスタートです。

まずは永楽屋さん。甲州街道沿いに昔ながらの古民家が残ってます。

同じく伊勢屋さん。
散策ガイドはここで南の路地へ入れとある。

ガイドには機屋さんと書いてある。目に飛び込んできた土の建物。こりゃ何だ?
 
かつてはどこにでもあった建物のようで、今ではほとんど見かけない建物ね。

何となく嬉しくてつい枚数撮っちゃったわ。

いわゆる納屋かな?外壁にしっくいでも濡ればお蔵としても使えそう~。

しかしお蔵はちゃんと隣に建ってました。ここさ、何気にドラマ撮影出来そうな味のある建物空間です。

ね?いい感じでしょ?

こうね。昭和の子供等が飛び出てきそうな。

奥から昭和の子供がかけてきそうでしょ?

路地に入らないと気付かなかったなあ~。

路地を進むと、南側は田んぼがありました。ここさ、画像では分かりませんが、奥は急な崖になってます。相模川があるんです。

小原宿の歴史
小原宿は甲州街道中にある江戸から9番目の宿で、小仏峠を控えた重要な宿場町でした。小仏宿から来た人や荷物は与瀬宿を通り越して吉野宿まで継ぎ立て、反対に江戸方面には与瀬宿から小原宿を通り越して小仏宿へ継ぎ立てる片瀬の宿場として栄えました。江戸時代の旅籠は7軒あり、一般の旅人のほかに、富士請や身延講の旅人も多く利用していました。
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明けましておめでとうございます。

2016年01月01日 05時56分22秒 | 雑記
明けましておめでとうございます。
旧年中は私のブログをごらん頂きましてありがとうございました。
今年ものんびりと記事を掲載出来たらと思ってます。思い出したら気軽に見に来て下さいませ。
今年の一つ目の記事の画像に選んだのは、神奈川県藤沢市にある白旗神社さんの絵馬です。
白旗神社さんは源義経と弁慶所縁の場所です。



昨年11月30日に訪問しました。近くには義経首洗いの井戸もあります。奥州で義経が倒れた後、首は鎌倉に運ばれて腰越海岸で首を改めました。その後首は近くの川を遡り、白旗神社の近くに流れ着いたという言い伝えが残ってます。
源頼朝は立場上源平合戦で手柄を数々上げた義経を討つことになりましたが、首を海に打ち捨てて~というのは日本人の死生観に合わない気もして、後の人がまことしやかに話を作ったのだろうと思いつつ源氏物語歴史ファンには外せない場所です。鎌倉に源氏所縁の場所が殆ど現存していないせいかもしれませんが。
コメント (4)
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