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あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

恩田川の桜2018.3.29

2018年04月15日 06時02分24秒 | 桜散歩
町田駅裏の自転車預所に自転車を預け、芹ケ谷公園から徒歩で恩田川の桜の出発点高瀬橋に11:43到着。

恩田川の桜は400本。川の両岸に、上流の高瀬橋から下流の吹上橋付近まで桜並木が続いてます。今回は上流から下流に向けて散策開始。
高瀬橋側だけ河原に降りれます。

降りたら、河原石の間に花びらが浮かんでました。まさかですが、既に散り始めに入ってます。そりゃあ、気温が上がりすぎで、半袖で歩いてますからさもあらん。ですが。それにしても早すぎるう〜〜。

川の下から桜を見上げてから上に戻る。で、川の右岸を下ります。



鹿島橋に弁天橋。川幅が狭いから両岸の桜がぐっと近づいてます。構図的にもいい感じ。

散策を楽しんでる人も記念撮影を楽しんでました。

あ〜、花筏があるうぅ〜〜〜。もうちょっと待ってほしいっ。まだ散らないでぇ〜〜。

さてと?確かこの先に城山公園に上がれる石段があったハズ。去年と逆コースなので、道順がいささか怪しいんです。
もう少し先まで行けば堂之坂公苑があるハズ。そこでお昼ご飯にしてもいいんですが。

石段を無事に見つける。12時35分、城山公園に到着しました。お昼ご飯を食べたい。ベンチが空いてるといいんだけどな〜。
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青空と芹ケ谷公園の桜2018.3.29

2018年04月14日 05時34分25秒 | 桜散歩
相模女子大の百年の桜→青柳寺→浄運寺→原町田5丁目交差点のしだれ桜→芹ケ谷公園今ここです。

満開っ!

そして青空っ!

んでもって気温がぐんぐん上昇中です。天気予報を信じて半袖タートルネックリブTシャツを着てます。まさかの!桜の!!3月の〜〜桜散歩で半袖の出番があるのでしょうか?

噴水に来たら半袖になってる人が結構いたわ〜〜。私もまずは長袖ブラウスを脱いで腰に巻きました。つまり今年の半袖デビューは3月29日!信じられない〜。
さて、去年東急つくしの駅→杉山神社→街路樹の桜→恩田川両岸の桜を楽しみ、高瀬橋で恩田川の桜並木のゴールとなった後、迷子になりさまよってしまいました。で、今年は逆コースで行くことに!芹ケ谷公園から高瀬橋までタイム計測。まさかのっ!!17分で到着出来たっ。

去年1時間以上迷子になって彷徨ってたよな。こんなに近かったんや〜。
恩田川の桜並木のゴール、もしくはスタート地点の高瀬橋の上でしばし黄昏てしまいました〜。
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町田駅周辺の3本のしだれ桜

2018年04月13日 05時11分29秒 | しだれ桜
2018.3.29、朝一で相模大野にある相模女子大の百年の桜を見物へ。毎年定点観測のごとく訪問してますが、今年はタイミングばっちり!満開&青空で大満足。10:16大学を後に。自転車を町田駅に走らせる。途中青柳寺のしだれ桜を見ようと自転車を止めた。トップ画像は駐車場そばの山門とソメイヨシノです。ソメイヨシノは満開でした。

でもしだれ桜は既に見頃過ぎでした〜。あ〜、ここのしだれ桜はソメイヨシノより先に咲くタイプだったか〜。毎年覚えておこうと思ってるけども、この桜が満開の姿を見たことないんだ〜。残念〜。滞在時間10:31-10:34
自転車をJR町田駅裏の自転車預かり所へ預ける。1日100円でとても便利です。
次のしだれ桜は原町田中央通りにある浄運寺さんです。
去年は橋本駅最寄の城山カタクリの里へ見物した時などによったら綺麗だったんだけどもね。

あはは〜。もう青葉出てんじゃんっ!!早すぎる〜。
ちなみに、本堂横のソメイヨシノは美しかったです。

本堂横の像もいい味出してました。

滞在時間10:50-10:54
原町田大通りを芹ケ谷公園へ。
原町田5丁目交差点角にもしだれ桜があるのです。

ダメだ〜。もうがっかりだよっ!

今年はな〜、本当に咲くの早いけども、見頃を過ぎるのも早すぎるっ。残念すぎるんじゃ!
撮影時刻 11:03-11:04。
信号を渡ると道幅が狭くなる。そして下り坂。

芹ケ谷公園に到着しました。到着時刻は11:10です。満開の桜でした。

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相模女子大百年の桜2018.3.29午前現在

2018年04月12日 05時15分56秒 | 桜散歩
2018.3.29 9:23-10:16訪問。女子大の前身、陸軍逓信学校時代からある桜です。毎年見学してますが、今年の訪問はタイミングばっちりでした。
百年の桜は正門から敷地の対角上にありますので、運動場の桜を眺めつつ例年通り奥へと進みます。
あれ?足が止まる。トップ画像をよくご覧ください。例年大きな桜の枝が運動場へ張り出しアーチになってるポイントです。同じ場所から撮影してるのだけれど?桜並木の奥の木が違うっ。

ソメイヨシノの老木は、おそらくこれまた陸軍逓信学校時代からあったと思う立派な木でした。しかし年を重ねるごとに弱ってきたなあ〜。と心配していました。何しろ大きなサルノコシカケ(きのこ)が出来てる木もありましたし。数本の桜を新しい若木に更新した模様。この桜が以前のように大きな枝になるのは10年単位かかる模様です。楽しみにしましょう。

例年といえば、運動場で日向ぼっこするヤギが今年も同じ場所にいました。数年前はまだ子ヤギでしたが、今では立派なヒゲがあります。

百年の桜と名づけられてるソメイヨシノは1本だけですが、周りには大きな桜が他にも数本あり、タイミングばっちりです。満開〜〜。しかも、見物客が私だけという贅沢っ。あ〜〜、こんなのもう二度とないかも?
見学可能時間は9:00~16:00です。見学を希望する方は、正門で訪問目的を申告し、訪問者カードを発行してもらう必要があります。

肝心の百年の桜がこちら。これまた枝の先まで花が咲いてる姿を見たのって数年ぶりです。しかも青空の下となると初めてかもしれない。嬉しいなあ〜。
百年の桜を一周してみる。

大きく枝を広げている百年の桜は、見る角度によって姿が変わります。

親子連れが花見にやってきた。たのしそうだねっ。そうでしょう。そうでしょう。

見上げる。

まさに満開でしょう?
百年の桜の近くに大島桜の大木もあります。ちなみに、白いテントは3月31日(土曜)・4月1日(日曜)の両日10:00~16:00に開催の花見会のもの。そういえば、運動場にもテントが準備してあったなあ。

上の画像には見頃の桜が数種類写ってます。今年は早咲きも中咲きも同時にも見頃になりました。
脇には畑もあります。

例年畑に何を植えてるのか、ついついチェックしちゃいます。

ビニールの中ではブロッコリーが育ってました。

上の画像の桃色ぎみなのは別の桜。何だろうか?ソメイヨシノより見頃が早かったようです。あ、上の画像下中央に写ってるのが百年の桜です。
百年の桜を堪能し、正門へ戻ります。来る時と別のルートです。

ここの桜はまだ更新前ですが、来年もこのままだろうか?大きな桜なので、1本更新しても景観が大分変わっちゃうんだよね。

最後に陸軍逓信学校時代、司官集会所だった建物の庭のフランス庭園のしだれ桜を見に行く。これまた例年のお約束なのですが、今年は見頃少し前でした。
でも幼稚園児が池の中に魚がいないか?と覗き込んでたので池に映るしだれ桜と共に撮影。

咲き進むしだれ桜の枝先を選んで撮影し、見学カードを返却。時刻は10時16分、自転車を町田駅へと走らせます。
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巨木探訪・五所神社の銀杏

2018年04月11日 05時36分47秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.3.11訪問。五所神社の樹齢850年の大クスの見物を終え、さあ帰るか?と駅の方を見たら、奥に大きな木が2本ありました。背の高い木は今にも折れそうな形だなあ。と思いつつ寄っていく。

近づくと、右の木も変わった形をしてる。

葉っぱはないけど、イチョウの木だよね?
ぐるりと木の周囲を巡ってると、木札が出ていた。
五所神社の銀杏 湯河原町指定天然記念物
樹高:25メートル
胸高周囲:8、8メートル
推定樹齢:800年
 平成9年5月1日指定

この木の奥にも新幹線が見えます。タイミングの問題か?大銀杏と新幹線を同じ構図に写せない〜。なぜなんだ〜。シャッターのタイミングの問題か?それとも木と白い新幹線の光量の差かな?

真下で見上げたら、樹齢100年以上の銀杏の古木に見られる乳頭が見える。しかも相当でかい。
1月に図書館から借りてきた巨樹・巨木の本で、銀杏は冬に撮影されたページが多かったのね。個性的な枝や幹や乳頭を撮影するなら、葉っぱのない冬がふさわしい。奇妙な形のこの銀杏も3月に訪問したからこそ幹やひこばえだらけで個性的な姿が見えたんだろうなあ。
でもさ、樹齢800年の銀杏の上部はどこへ行ったんだろうか?いつ、こんな姿になったのやら。毎週のように巨木探訪して、銀杏の巨木といえば市川の葛飾八幡宮の千本公孫樹になります。あの木ももとはひこばえだったものが千本に見えるようになったとか。イチョウってさ、燃えても復活する。雷が落ちても復元する強い木だからさ。樹齢800年のこの古木も今は無残な感じもするけど、もう50年100年すると、個性的は巨木になってるかも?まあその頃には私は生きてないけどな。この木の未来が楽しみだ。
さて、今度こそ帰ろう!と時計を確認。うわっ!16時10分だって!!湯河原から我が家まで2時間近くかかるんだ。早く帰らないと!

新幹線の高架をくぐると、不思議なものがあった。これ、何だ? 答え:温泉
せっかくなので湯に手を差し出したら、熱いっ!40〜50度あるよね?湯河原はその字のごとく温泉が湧く場所でした。
駅に着いたら丁度電車が入ってくるところだった。もう土産屋も覗く暇ないね。で、ホームに駆け上がり電車に飛び乗った。すぐに出発。時刻は午後16時27分→小田原着16時44分。小田急に乗り換えて17時8分発の急行へ。なんと、小田原から新松田までの車窓に富士山が見えた。影富士だった。そんなこんなで最寄りの小田急相模原駅には18時3分に到着。ヘロヘロです。最早幕山登山を挫折して登山路の途中でお昼ご飯を食べたのが遠い昔のようだ。などと黄昏てたらば!「新幹線は静岡ー浜松の区間で運転を見合わせてます」だの「東海道線は運転を見合わせてます」なんか、ギリギリで運良く動いてたのな。
さて、その2日後の早朝、寝てたらぎっくり腰になった。
あまりの痛さに目が覚めた。
敗因は私の寝相が悪いのか?それとも準備運動もクールダウン運動もしなかった幕山登山のせいか??ともかく腰に湿布を貼りつけた。

ってなことで、ブログ再開して4日かけて集中してブログ記事を書きました。今ね、3月23日の午後7時7分です。新MacBookは、やはり壊れる前と今では使用してるOSが違ってるためかあちこちにマイナーチェンジがあるようです。まだまだ書くのに時間かかるなあ〜。頑張るしかないんだ〜。頑張れ、私。
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巨木探訪・五所神社のクス

2018年04月10日 05時57分00秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.3.11訪問。
明神の大楠を見学後、道を渡り反対側の五所神社さんへ。
説明板発見:五所神社
所在地:神奈川県足柄下郡湯河原町宮下359−2
御祭神:天照大神 彦火火出見尊 素戔嗚尊 天忍穂耳尊 鸕がや草葦不合尊(うがやふきあえずのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 瓊瓊杵命(ににぎのみこと) 誉田別尊 伊弉冉尊(いざなみのみこと)
由緒:当社は、今からおよそ1300有余年前第38代天智天皇の御代加賀の住人二見加賀助重行らの手によってこの地方が開拓されたとき土肥郷の総鎮守として祀られ、治承4年(1180)8月、源頼朝伊豆より挙兵の時、この地の豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の館に導き、石橋山学研進発の前夜は、社前において盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。以来、土肥一族を始め藩主、領主、庶民の崇敬厚く、現在に至っております。明治6年7月20日旧足柄県司令により村社となり、大正4年11月神奈川県告示により神饌幣帛料進神社に指定、昭和19年7月22日神奈川県指令により郷社に昇格、昭和43年1月24日神奈川県神社庁より献幣使の参向する神社に指定さる」

大きさが伝わるでしょうか?巨木のそばに神奈川県の名木百選のプレートがありました。
五所神社のクスノキ かながわ名木百選
樹名:クスノキ(クスノキ科)
樹高:36メートル
胸高周囲:8.2メートル
樹齢:約850年(推定)

幹は太く高く伸びた堂々たる巨木で、上方の枝張りはやや少ないが樹勢は旺盛である。
クスノキは、南日本に広く見られる常緑高木で、神社、公園に植えられることが多い。木全体に芳香があり、樟脳がとれる。
樹高40メートル、胸高周囲24メートル、樹齢約1500年に達するものもあると言われている」
城願寺のビャクシンと産土八幡神社の楠を見物して湯河原駅駅前の通りを西へ進むと五所神社になります。湯河原は温泉地ですので、駅前はみやげ物屋さんが並んでました。そこにあったポスターがこれ。

五所神社のクスです。訪問した時も若い女性が手を合わせてました。

何しろ樹高36メートルです。あまりに高いのでどう写せば大きさが伝わるか?といい感じの構図を探す。

あ。いかんいかん。参拝するのを忘れていた。

五所神社さんの絵馬があった。

社殿は石段を二つあがったところにある。振り向いて大楠を撮影。

本当は上の画像を撮影した時にちょうど新幹線が横切った。うう、楠と新幹線の両方が映る構図なのですが、撮影に失敗しました。巨木と新幹線が1枚に収まる構図ってなかなか撮影できないんだけども。難しいなあ〜。ガラケーでは無理がありすぎたか〜。残念です。あ。でも路線バスが境内の外の道に写ってますね。大クスの大きさがほんのりわかればうれしい。

境内案内図。五所神社の大クスと、昨日紹介した明神のクスの所在も描かれてますので確認してみて。
  
境内には七福神の像が設置してあります。

気がむいたら回ってみるのもいいかも?
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巨木探訪・明神の大楠

2018年04月09日 05時24分29秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.3.11訪問。湯河原駅を素通りして、駅前の通りを西へ。五所神社の向かい、道路を挟んで明神のクスはある。
説明板発見:史蹟「明神の楠」
樹種:クスノキ(くすのき科)
根回り:15、6メートル
樹齢:800年以上

五所神社は、古くは五所大明神社、又は五所大明神と称し、今を去る約1300余年天智天皇の御代、加賀の国の住人二見加賀之助重行らの手によってこの地方が開拓されたとき土肥郷の総鎮守として天照大神をはじめ五柱の神霊が鎮座されたと伝えられております。
治承4年(1180)8月源頼朝伊豆より挙兵の時、この地の豪族土肥次郎実平は一族と共にこれを助けて頼朝の軍を土肥の館に導き、石橋山合戦進発の前夜は、柱前において盛大な戦勝祈願の護摩をたいたといわれています。この時、実平によって佩刀一口が奉納され、今なお社宝として保存されております。
以来、領主庶民の崇敬特に厚く、長寿長命の神湯の産土神として今日に至っております。
昔の神社の境内は広大幽邃で参拝者は前方の千歳川の清流で禊をおこない、この「明神の楠」の下を経て神社に参拝しておりました。
正保3年(1646)この樹下の参道をもって当時入谷村といわれたこの地方が宮下、宮上の両村にわかれました。
その頃の参道には数多くの楠の巨木が生い茂っておりましたが、世の移り変わりと共に、今はこの一樹のみが歴史の跡を物語っております。」昭和54年4月1日 湯河原町指定文化財

でかいのはともかく、画像背後の高架って何だと思いますか?角度でわかりにくいかな?上の画像右下奥です。
実はこれ、新幹線なんです。こうね、800年の歴史に思いを馳せていると、新幹線が西へ東へ猛スピードで走り過ぎていくんです。あっちは瞬く間に時間がすぎてく。対して悠久の年月をここに立つ大楠との対比が凄いよね。

根回り15、6メートルの大楠の周囲をぐるりと巡ってると、根元あたりに小さな鳥居を見つけました。
上の画像では写ってないけれど、鳥居の奥に光が見えた。何だろう?と目を凝らしたら、向こう側が見えた。大楠の幹に穴が開いてたのです。もうびっくりしました。

穴を頭において大楠の周囲を巡ると、根元辺りは随分樹が痛んでます。仰ぎ見ると大楠の葉はそこそこ茂ってて元気そうだけれど、根元が頼りないです。大風が来たら倒伏しかねないんじゃ?と思ったけども、新幹線の高架が海からの風を防いでくれるんじゃないかな?と思い直しました。

さて、道路を渡ろうか?そもそもは道路向こうの五所神社の大楠を見にきたのです。時刻は15時56分です。時間が経つのは早いなあ〜。
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巨木探訪・産土八幡神社のクス

2018年04月08日 05時27分26秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.3.11訪問。城願寺の樹齢800年の見事なビャクシンを見物。寺の参道の石段の上から大きな木が見えたので、予定外ですが訪ねてみることに。
15時23分到着。石段のしたから大楠を見上げる。

説明板発見:産土八幡神社
所在地:足柄下郡湯河原町城堀字城下321
御祭神:誉田別命(応神天皇)
由緒:創立1108年(天仁元年)と伝えられ、その他不詳。1873年(明治6)7月30日足柄県に於いて村社と定められ、1931年(昭和6)11月13日神饌幣帛料供進神社に指定された。
1947年(昭和22)神社制度の変革により宗教法人となり、1949年(昭和24)3月28日官有境内内271坪9勺無償譲与を受く。1964年(昭和39)駅下土地区画整理事業完成と新幹線開通に伴い町の発展目覚しく、氏子崇敬者数は急速に増加し、玉垣、社号標の建設を始め社務所を新築広く氏子住民の奉贄を得て、社頭の内容外観共に整備し、あまねく郷民の崇敬を集めている」

帰宅後調べたら「石段の途中にある大楠は、推定樹齢600年。産土八幡神社の楠として、1997年5月1日に湯河原町指定の天然記念物とされた。」とWIKIに書いてありました。
真下から大楠を見上げて見とれちゃいました。思い出して参拝。
ここさ、ちょっと見賽銭箱がないと思ったら、お社の正面階段を上がった床に賽銭箱が埋め込んでありました。

お社左の木も大きかったです。元は大きな木がいっぱいあったのかも?この樹種は何かしら?ニレっぽい。
さてと?次へ移動しよう!と振り向いた。

大楠は参道の石段の途中にあるのですが、十分でっかく見えた。巨木です。

境内の上から大楠の根元を見下ろす。見ようと思ってもなかなか撮影できないアングルで撮影できた。気づいてよかった。時計を確認。時刻は15時28分。いかん!先を急がねば〜。
湯河原駅を素通りして、駅前を西へ。湯河原といえば「温泉」の町ですから、駅前にはお土産物屋が立ち並んでます。

道そばにこんなポスターを見つけた。次の目的地の巨木です。何やら湯河原観光のスポットになってる模様です。
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巨木探訪・城願寺のビャクシン

2018年04月07日 05時19分30秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.3.11訪問。湯河原梅林こと幕山公園で観梅を堪能して公園から出てる臨時バスで湯河原駅へ戻ったら既に14時49分になっていた。予定より時間が遅くなってしまったけども、いざ!巨木探訪開始です。
駅前の細い道を東へ。東海道線をくぐると上り坂をしばし。すぐに城願寺参道の石柱があるので西の脇道へ向かう。

急な石段の先に山門。その奥に目的のビャクシンの大きな姿があった。

見とれるビャクシンの姿です。

城願寺のビャクシン
樹高:20メートル
幹回り:6メートル
推定樹齢800年(推定)
指定:国指定天然記念物


独特の幹のねじればすばらしい。
巨樹・巨木の本には「幹がねじれて古木らしい風貌の大きなビャクシンが立っていた。主幹はゆるく右に巻きながら直上し、何本かの大枝をのばしている。樹勢は盛んで、小枝もよく発達し、うっそうと茂る姿は堂々たるものである」とあります。
ちなみに、神奈川の名木百選にも選ばれてます。土肥実平お手植えの木だとか。

ちなみにこちらは願寺の絵馬です。ビャクシン一押しね。ビャクシンの左に描かれているのは七騎堂。

説明板発見:七騎堂
境内の七騎堂には、石橋山の合戦での敗戦後、源頼朝を追手の平家方から守り通した土肥実平等の木像が収められています。しかし、終始行動を共にしていた実平の長男遠平は伊豆山近くまで来ていた頼朝の妻政子に、頼朝の消息を伝えに行っていたのえ、七騎には含まれていません。このことは謡の「七騎落ち」では史劇的創作となっています。」
ちなみにそばにはこんな石も。

城願寺は鎌倉幕府創設の源頼朝を助けた土肥次郎実平等一族の菩提寺です。
背後の城山は35−30万年前に活動した箱根火山外輪山を構成する湯河原火山の噴出物で、その溶岩を採掘した文献に残る箱根火山最古の丁場がこの付近にありました。境内にある土肥一族墓所の墓石は、この外輪山溶岩の他、中央火口丘溶岩も使われているようです。
800年以上前にこの地の豪族、土肥実平が荒れ果てていた密教の寺院を一族の持仏寺とし、萬年山成願寺として再建しました。その後、室町時代初期に臨済宗として再興、更に15世紀曹洞宗の寺院として重興開山となり、城願寺と改名し、現在にいたっています」
説明板を読んで、土肥一族の墓を見に行くことに。

説明板発見:土肥一族の墓
城願寺本堂左方には、66基の墓石があり、土肥次郎実平一族の墓所となっています。正面五輪塔が実平、左が夫人で右が長男の遠平の墓と伝えられています。
土肥一読の墓所には嘉元2年(1304)7月の銘のある五層の鎌倉様式の重層塔や、永和元年(1375)6月の銘のある宝篋印塔をはじめ、塔身が球形をした五輪塔などの各種の墓型がそろっています。
このように一つの墓所でさまざまな墓型がみられるのは、関東地方では珍しく、神奈川県の指定文化財になっいます」
ちょっと見どこにでもある古い墓石にしか見えん。けども、これ、箱根の外輪山の溶岩製か〜。どこにでもない石なのか?画像では大きさがわかりませんが、五輪塔は小さめです。
さてと?次へと参道を振り返る。

画像奥の巨木がビャクシン。木の右に参道の石段がある。画像をよく見ると奥に太平洋がちらりと見えてます。時刻は早くも15時16分。次は五所神社なんだけども、参道からすぐそこに大きな木が見えてるの?あそこは??地図を確認すると、産土八幡らしい。見にいってみよう!

湯河原駅の広場にトップ画像の立像がある。像の脇に説明文
「由来:土肥実平公は中世日本市場に活躍した郷土の武将である。
治承4年(1180)、源頼朝公伊豆に興るや、いち早くこれを援け、石橋山合戦のは、土肥杉山にその危急を救い、鎌倉幕府草創に当たっては、軍監・追捕使・宿老として多くの功績を残した。
公はまた、領民を慰撫し、その敬慕を受けたことは、全国詰所に残る墳墓、伝説がこれを物語っている。
公の夫人は、尼や農民に姿を変えて敵を欺き、杉山に潜む頼朝主従に食糧を運び、消息を伝えるなど、その”心さかさかしき”(源平盛衰記)は、武人の妻の鏡として後世にまでたたえられている。
ここに、源頼朝旗揚げより800年を迎え、土肥会創設50周年を併せ、記念として公並びに夫人の遺徳を後人に伝えんため、土肥実平公銅像建立実行委員会を結成し、町内外融資の協賛を得て、この館跡、御庭平の地にこの銅像を建立したものである。」とありました。
歴史チェックしたいなら湯河原と土肥一族はセットで歩くといいかも?

今年の桜はパッと咲いてパッと散ってしまいました。具体的には2018年3月25日〜3月31日マデ。桜散歩で撮影した画像を使いフォトチャンネルを作成しました。よかったらご覧下さい。
桜めぐり2018
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天候回復後の湯河原梅林

2018年04月06日 05時51分16秒 | 梅散歩
2018.3.11訪問。幕山公園の梅林最高地点から見下ろす絶景のあまりの素晴らしさに、調子に乗って幕山山頂を目指して後悔。頂上は遠かった〜。山道の隙間から太平洋が見えた時は、ちょっと嬉しかったけど、上り坂はまだまだ続いている。やがて、真鶴半島を見下ろす頃には諦めが入った。
幕山山頂からハイキングが次々に降りてくる。年配の女性のハイキング客を呼び止める。だってさ、私より20歳は確実に上そうに見えるんだもの。体力だって、私とそう変わらないと思うだよね。
私「頂上まであとどれくらいありますか?」
年配のハイキング客A「まだまだ入口よ〜」
年配のちょっとふくよかな女性B「あと1時間くらいかしら?」
ポッキリ!
私「無理!諦める」
と?その年配のハイキンググループの方々が「そんなこと言わないで〜」「私の言葉で中止とか、心が痛むわ〜」「まだまだ時間あるから、ゆっくり行けば大丈夫」
挫折して登山中止しようとした私を、なぜにそないに継続させようとするのか?
それでも頑張りますとは答えられない私。だってここまで十分頑張ってきたのだ。私としては。
「もうちょっと頑張ってみます〜」と答えてグループと別れた。脳裏に中国の旅順の旅の現地ガイドさんに「なぜ日本の老人はこんなに元気なのか?」と驚愕されつつ尋ねられた事を思い出した。その時は「元気な老人が海外旅行に来てるから」とぐうの音も出ない完璧な回答をしたツアー仲間を思い出した。そう私は幕山山頂から降りてきた元気なお達者クラブのおばさま方に質問する愚をおかしていたのだ。
聞く人のチョイスを間違えた〜。ぼやきつつももうちょっと頑張る。道はやがて丸木の階段でなく、土と砂利の上り坂に変わった。登山路の左右の雑木が次第に低くなってきた。3月初めにつき、雑木は葉っぱがない。だから枝の間から太平洋と、川を挟んだ向かいの山と真鶴半島が見える。向かいの山の頂上を見上げなくともよくなってきた。
もう、いいじゃない〜。ふと気づく。視線の先に腰掛けるのにいい感じの岩がある。あそこが私のゴールです。岩にこしかけてお昼ご飯にする。
で、岩に腰掛けつつ撮影した登山路が今日のトップ画像です。
時刻は12時10分でした。さてと?降りるか。
土と砂利の登山路を、タウンシューズで降りるのは辛い。何が辛いって、足の指先と足裏が痛い。登山シューズが必要だ!
帰宅後、去年同人誌即売会でよくうちのスペースを見にきて下さる男性からのいただきものの山と渓谷社の「新・分県登山ガイド、神奈川県の山」を開いてみた。したら、幕山公園の標高は200メートル。幕山山頂は標高626メートルだった!最初から分かってたらそもそも山頂を目指してなかったわ!でもたぶん標高400〜500メートルの間にはたどり着いてたと思う。だって、向かいの見えてた城山の標高は563メートルだったんだもの。
で、梅林の最高地点まで戻ってきた。

絶景を見下ろしながらおやつです。

ゆっくり降りながら時折撮影。





気づけばすっかり青空になってました。気温も上がり暑くなって、コートを脱いでセーターをリュックへ入れた。本当はコートも脱いでしまいたいけれど、幕山公園内の登山路は急な坂もあるし、足元も不安定なところもあるので両手を開けておきたいので、暑いけどコートは元どおり着込む。

登る前に休憩したところに戻ってきた。ここの大岩は登りごたえないと思うけど、ボタリングしてる人がいる。ここはボタリングのメッカなの?大きな岩があちこちにあるからな〜。

白いシダレ梅を撮影してると、登頂したダンナが降りてきた。無事に合流できました。

ふと、強めの風が吹き抜けると、大量の白いものが視界をよぎっていく。
何かしら〜??デジカメを望遠にして、向かいの山が暗く見える橋を見下ろしてみたら、細かい白が舞っていた。
あれって、もしや花吹雪?
気づく。気温が上がったので、幕山の裾野の白梅が強めの風に花びらを飛ばしてるのだ。桜吹雪はみた事あるけど、梅吹雪は初めてみた!感動〜。しかし撮影した携帯画像に梅吹雪は写ってなかったわ。残念です〜。

さて、公園の入口に戻ってきた。時刻はちょうど14時です。ダンナがトイレに行きたいというので、トイレそばの道路の脇の枝垂れ梅を集合場所を決めて互いにトイレへ向かう。
5分後、集合場所に戻ったらダンナがいない。あれ?私の方が早かったか?10分15分。なぜにこないんだ〜〜〜!時間がかかるなら前もって言ってくれれば、売店かお休み処を集合場所にしたのに。
ようやくやってきた。バスは25分発なのである。急がねばならん!売店を冷やかすのを諦めてバス停に向かう。

登山路から見下ろした橋の上から幕山公園を見上る。「青梅梅郷なき後、一押しの梅林はどこだと思います?」と。ベトナム旅行の合間にツアーメンバーに聞いたらここをオススメされたんだよね。確かに素晴らしい。けどさ。
バス停に待ってる人がいなかった。不吉。25分発には間に合う時間で着いたんだけどな。25分発のバスは来なかった。どうも臨時バスは客が満杯になったら出発してるらしい。で、湯河原駅に着いたら14時49分だった!!
駅から遠すぎる。青梅梅郷は青梅線の駅から徒歩で行けたんだよな〜。ってか、帰りの臨時バスの本数が少な過ぎじゃないの?
で。ここからが巨木探訪ですよ。すでに大分疲れてますが、そもそも我が家から湯河原が遠いので、そう何度も訪問できません。ダンナ!もうちょっとガンバレッ!(だから幕山登頂諦めろって言ったのに〜〜。巨木探訪するって言ってたのに〜〜)
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湯河原町幕山公園の梅

2018年04月05日 06時09分03秒 | 梅散歩
2018.3.11初訪問。最寄りの小田急相模原駅7:57発。小田原でJR東海道線に乗換え、湯河原駅に9時24分に到着。梅まつり期間中は幕山公園直行の臨時バスが出る。9時45分発を待っていたら、客が多いので臨時バスの更に臨時便が到着した。9時35分発で幕山へ。運賃は260円。凡そ15分程度で幕山公園へ。公園入口で入園料200円支払い。見頃でした。
トップ画像撮影時間9時52分です。途中の車窓から山を見上げて、小田急から見える丹沢山系は頂上が雲の中でした。天気予報では午後から回復して気温が上がるという。期待しよう。
さて、幕山公園こと湯河原梅林は初訪問です。来て見てわかったけど、梅林全体が幕山の裾野にある。全面に斜面が!!

園内には遊歩道がたくさん。自然のままの道も多い。

適当な道を上る。
む?なんか大きな荷物を背負った集団がやってきた。

脇によけてやり過ごす。
んで?彼らはどこへ行くのだろうか?
追いかける。

道とも言えない自然の道をどんどん上がっていく。

振り返る。ダンナがのんびり上がってくる。

ほとんど自然のままの道だったので、降りれる道を探しつつ歩いてると?荷物を背負った人が大きな岩によっていく。

男たちはまっすぐ大岩の前に行き、抱きついた!
えっ??何やってんの??
しばらく観察を続けたけれど、次の展開まで時間がかかりそう〜。待てない。次へ行こう。

道なき道を、私の中の野生に期待して、ちょっとでも楽に降りれそうな遊歩道を探し、遊歩道へ出た。幕山公園の見取図に載ってる大岩を探しつつ進む。

これが大岩っぽい。あ!青空が見えてきた。天気予報通り晴れるといいなあ。

南の海方面に進むと、いい感じの撮影スポットがあった。
更に先に進むと、しだれ梅500本ゾーンに到着。

ベンチ発見。休憩する。

このそばにも大岩が。休憩後、桜のアーチを見つけたので撮影していると、観梅客がどんどん斜面を上っている。

だいぶん急な坂なんだよな〜。でも時間は充分あるし、ゆっくり上がればいいや。

なんか、すごいわ。いい感じに湿り気が残ってるのがまたいい。花は青空の下が最高だと思ってるけども、山の梅は風情が出ていいかも?

手前の苔むした岩に落ちた梅の花びらが、詩情的に見えた。どうです?一句詠みたくなりました?

え〜と?岩登りしてるようだ。ボタリングって奴だろうか?ということは、さっきの大岩に抱きついてた男たちも岩登りが目当てだったのね。すっきり〜。

あの岩に張り付いてる青と赤が気になるなあ。ってか、なかなか面白い画像がゲットできたよ。

面白いし、梅は綺麗なので急坂もサクサク登れる。

振り返ると随分標高が上がってた。幕山公園にタウンシューズで来たのをぼちぼち後悔し始める。ここへは登山用のシューズがいいかも?

面白い構図をゲット〜!!

で、幕山公園の梅林の最高ポイントが絶景でした。急坂を上るかいがある絶景でしょ?
で、楽しくてそのまま幕山山頂目指して山道を登り始めちゃった私。すぐに後悔する。だって、上っても上っても山頂に着かないんだもの〜〜。もう帰るう〜〜。
しかし、先行してるダンナはおりてこない。計画では山頂で太平洋を眺めつつお昼ご飯だったけども。無理そ〜。
ダンナは山頂目指して上がってく。もう!しょうがないなあ〜。おいかけるか。うををををを〜〜!!
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巨木探訪・秋葉のクロマツ

2018年04月04日 05時26分37秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
2018.3.3訪問。秋葉のクロマツは田園調布にある。あのバブル時代「田園調布に家が建つ」といギャグも生まれた高級住宅街です。そんな場所に本当に巨木なんてあるのか?だいたい1月に図書館から借りてきた巨樹・巨木の本に掲載されてる所在地は結構怪しいのだ。本が出版になった後に日本全土で市町村統廃合があったせいか、本に掲載されてる住所をWEB地図に入力して、何度「見つかりません」となったことか!?と。懐疑的なまま歩き出す。
しかしだね。高級住宅街の田園調布が、まさかの高低差!軽く坂を登ったあと、ど〜んと大きく坂を降りるで、すぐさま目の前にど〜んと上り坂になる。で、坂を上りきると再びすぐに下り坂。
え〜と?今時は土地造成するとある程度は坂を均すもんですが、田園調布を開発した時代は自然のままの勾配で土地に住宅をたててったのだろうか?
愚痴りつつも足は止めない。時刻は既に15時回っちゃいました。確か大倉山駅を出た時はまだ14時半くらいだったから、巨木探訪しよう!と気軽に決めたんだけども。こうなんども坂を上り下りしなきゃならんとは思いませんでした〜。
ぼやいてたら坂の奥に大きな木が見えた。

あれだ!あれが目的の秋葉のクロマツだっ。
喜び勇んで坂を降りる私。
ところが、どこにもあの木に行ける道がない。目の前に登れる石段はあるけども、それは個人のお家に続くもの。石段を上がると民家につながってるんですよ。マジか〜。
念の為にプリントアウトしてあった地図を取り出す。
もしや?細い道が途中で途切れてるけども、北側からなら行けるかも?予想を立てたものの、その道は降りた坂を一度上がらねばならない。でもって、行ってみないとわからない。
引き返し、坂を上り道が二股に分かれるポイントまで戻る。恐る恐るY字の右側を進む。
左折れ出来る道を見つけた。ってか、その道の先は急な下り坂になっていて。

これしかない道でした。細い。道ってか路地。これが田園調布か?奥深いわ〜。
あった!着いた!
見ればわかりますが、「秋葉のクロマツ」は都指定の天然記念物です。立派な巨木。これさ、先日紹介した日本一の善養寺さんの影向の松と同じクロマツなんだよね。でも秋葉のクロマツはすっくと立ってます。
「秋葉のクロマツ」の名前の由来は、根本に祀られた秋葉神社から。
巨樹・巨木の本によりますと、
秋葉のクロマツ
樹高15メートル
幹回り:3、9メートル
樹種:クロマツ
樹齢:不明
所在地:大田区田園調布5−3−19

照善寺の所有地に立っている。主幹は直立し、地上7メートルあたりで四方に枝を広げている。
松としては都内では江戸川区の「善養寺の影向の松」に次ぐ巨木」本より
この巨木とっても写しづらいです。

木は大きいんだけど、離れて撮影するスペースがない。隣は民家だし。本には照善寺の所有地って書いてあるけど、路地に寺がある雰囲気がない。あの急坂の馬坂を降りて坂の下へ行くとあるんだろうか?でもそんな体力の余力がない。大倉山の上り下りを何度も繰り返して削られてしまったのです。

路地をぎりぎりまで下がり民家を入れて撮影してみました。ちなみに、上の画像奥はもう下り坂で、ぎりぎりまで下がった路地の反対側が、逆の下り坂です。描写が下手でごめん。尾根道みたいなもの。で、てっぺんに松がある感じ?わかります?
さてと、帰ろう!田園調布駅へ引き返す。にしても、携帯電話は沈黙したまま。ねえダンナ電話1本入れろよ〜。なぜにかけて来ないのか?あ。スマフォはね、もってるの確認してあります。大倉山公園の梅林で、ピンクのしだれ桜を眺めていた時に「定期入れ落としたって、それスリにあったんじゃないの?」と聞いてみたら「スマフォはここに」って見せてくれたんだもの。
駅のホームでもう一度大倉山駅行きに乗るか迷った。しかし私には大倉山の急坂を上る体力が残ってなかった。迷ってると、大岡山行きの東急目黒線が入ってきた。
帰ろう〜。
大倉山で乗り換えの電車はなんと、田園調布線の長津田まで直行の急行だった。ラッキー。座れたし。で、楽々と帰宅したら、留守電が3件入っていた。
不吉。
数が不吉だ。
再生〜。
『1件目を再生します「大倉山記念館です。お探しの定期入れが届いております」時刻は15時4分です』
あ!あったんだ。
『2件目を再生します「あ〜連絡がとれないんですけどぉ〜え〜〜」時刻は15時26分です』
ダンナ、大倉山記念館へいけ!
しかし、なぜに連絡先を自宅の固定電話にしたのか?そんで、なぜに私の携帯にかけてこないのか?
訳がわからないよ〜。
『3件目を再生します「あの〜拾ってくれた人がいてありました。あ〜、ごめんなさい。今から帰ります」時刻は15時59分です』
なんとかなったようです。疲れたのでお風呂に入ろう。
で、帰宅したダンナに「なぜに私の携帯にかけてこなかったのか?」尋ねた所、番号を知らなかったらしい。うそ〜ん。だって、前はちょくちょくかけてきてたじゃん。おかしいでしょ!
で、さらに聞いたら、どうもau→ドコモ→ソフトバンクなどと渡り歩いてスマフォも新しくしたら電話番号とか載せ替えしなかった模様です。
なら、こっちにオマエの電話番号をオシエロ!とも思うけども。それは教えてくれない。
そんで、記念館の事務所に提出した落し物の書類にどうして自宅の電話番号を記入したのか?受け取る気ないよね?
で、晩ごはん時ですわ。
ダンナ「いや〜、何度も駅と記念館と梅林を往復しちゃったよ。あれ見つからないと帰れないだろ?」
ハア!?
で、落とした定期入れに東急ワンデーパスとパスモを入れてあり、しかも財布を持ってきてなかった事実が判明する。
なんだろか?呆れて物も言えんわ。
もうねこれは言っておかんといかん。言わせてもらうわ。
私「だいたい手提げ袋にあれもこれも入れとくからいかんのじゃ!」などと、怒らないように、喧嘩しないようにと穏やかに終わらせようとしてたのにっ。
私「手荷物は担ぐか身につけろ!手提げ鞄はダメ」と。どこの子供か!と母ちゃんみたいにやっちまった。
ネタはゲットしたけどな。あ〜あ。
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大倉山記念館見学

2018年04月03日 06時05分27秒 | レトロ建築
2018.3.3訪問。大倉山公園梅林の梅を楽しんでたらダンナが「定期入れ落としたっ!」とパニクってどこかへ消えた。斜面を数回上り下りでパスケースを探したけどみつからないので、ダンナが落ち着いて戻るのを待つことにし、大倉山公園にあるレトロ建築、大倉山記念館へ移動した。(定期入れの話は昨日の記事に詳しくかいてあります)

あるのは知ってたけども、こんなに大きいとは思いませんでした。まずは入館。

見上げつつ入館。正面の破風下に鳳凰と鏡の彫刻があります。

正面玄関。ぐるりとロゼットのデザイン
鉄筋コンクリート造。上から石を貼り付けてあるのでしょうが、すごいな〜。どこの石を使ってるんだろか?
さて、正面玄関を入ったところが2階です。左手のロビー前のホールにパンフレットがあるのでまずは情報収集。

横浜市大倉山記念館
概要:この建物は、1932年(昭和7)に大倉精神文化研究所の本館として竣工しました。一見すると石造りの神殿のようですが、鉄骨・鉄筋コンクリート造です。建物を造らせたのは実業家の大倉邦彦、設計は長野字平治です。
1981年(昭和56z)に横浜市が研究所から寄贈を受け、市民利用施設として改修を施しましたが、ほぼ原形をとどめています。横浜市大倉山記念館として、1984年(昭和59)10月27日にオープンしました。
近代建築史上に重要な位置を占める建物として、1991年(平成3)に横浜市指定有形文化財に指定されました。
基本データー:
標高:約150尺(45.5メートル)の丘の上
構造:鉄骨・鉄筋コンクリート造3階だて。書庫には5層架構鋼鉄製書架を設置
延べ床面積:819坪699(2709㎡)
建物の高さ:84尺(25、45メートル)
吹き抜けの高さ:約21メートル
建築様式:プレ・ヘレニック様式
施主:大倉邦彦
設計:長野字平治・荒木孝平
施工:竹中工務店
建設費用:45万9356円18銭(現在に換算すると数十億円)
石材:石川県小松産千歳石
吹き抜けの彫刻:水谷鐡也制作のテラコッタ」以上パンフレットより。
パンフレットには館内の見どころも掲載されてます。しかし、各集会室・ホールは通常時見学不可。残念〜。
でも設計者長野氏命名のプレ・ヘレニック様式(ギリシア以前という意味)のデザインを館内で探しました。

まずはエントランスホールから3階ホールに続く階段。

階段を上がり3階ホール入り口かrさ2階の正面玄関を振り返り撮影

3階のホールの吹き抜けの回廊

エントランス吹き抜けを天井を見上げて撮影。テラコッタ製のライオンの彫刻がぐるりと並び見下ろしています。



階段の彫刻

1階階段裏にある留魂礎碑
訪問した3月3日には、2階ギャラリーで横浜市港北区の区民作品展が開催されてました。ぐるりと見物。
正面玄関ホールでぼ〜っと天井の彫刻などを見上げてると、後ろにダンナがいた。
私「定期入れ見つかった?」
ダンナ「みつからない。ここの事務室がどこにあるか知ってる?」
私「パンフレットによると1階にあるよ」
ダンナ「1階?ここ1階じゃ〜」
私「ここは2階。1階は階段を降りたところ」
ダンナ「階段ってどこにあるの?」
私「目の前にあるじゃん!エントランス奥に突き当たって振り向いてみな。降りる階段あるからさ」
って!振り向いたらダンナが消えていた。またか〜。ホウレンソウって知ってる??
って愚痴ってみても既に姿のないダンナには聞こえてない。仕方ないので待つ。
戻らない。ので、トイレへ行っておこう。ってトイレは〜?あ。1階か。私も階段を降りる。
で、おそらくこの時にダンナとすれ違った模様。
トイレを済ませてまた2階の正面玄関前に戻ったのですが、ダンナが来ない。
〜〜〜〜〜!!
帰ろう!もう知らんっ!!
電話くらい入れろよっ!
けっ!

プリプリしながら大倉山記念館の外をゆっくりみてまわる。私は派手なビビットオレンジのゴアテックスの帽子をかぶってるから、近くにいたら気づくと思う。そんなこんなで急坂をゆっくり降りて大倉山駅へ戻る。時計を確認したら、既に14時半になっている。むむ〜〜!!結構時間経ってるじゃん!もう帰るっ!!
ダンナも東急ワンデー切符を持ってるし、問題ないハズっ。ってか中途半端な時間だなあ。この後東急沿線巨木探訪するつもりだったけど、予定変更。1個だけ、田園調布にある巨木、秋葉のクロマツを見にいこう!
で。私は連絡の全くないダンナを見捨てて帰ったんだけども、まさかダンナが落とした定期入れに東急ワンデー切符を入れてあり、しかも会社通いのパスモも入れてあり、更に現在財布を持たずにいたなんてことは夢にも思わなかったんです。ってことで、ここからダンナの悲劇は本格化。だって彼は落とした定期入れを見つけないと、大倉山から動けないのですよ。ホウレンソウは大事だよな〜。
私といえば、この時どこにいるかくらい電話を入れろ!なんで携帯にかけて来ないの??と。私はプリプリしつつ東横線に乗っちゃいました〜。
どうなる!ダンナ!!続きは明日
 大倉山記念館スタンプです。ちなみに掲載したのは開設30周年記念のスタンプですが、別に通常バージョンのスタンプもありました。
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大倉山公園の梅林でパニック

2018年04月02日 05時25分57秒 | 梅散歩
2018.3.3訪問。多摩川駅そばの多摩川浅間神社にダンナを案内後、東急ワンデーパスで東横線大倉山へ。大倉山公園の梅林を目指します。駅を出てびっくり!駅のそばに大倉山公園はこちらの案内があって嬉しかったけども。すごい急坂です。む〜〜ん。行くほかない〜〜。上り坂で1度足を止め休憩。改めて上がった所でトップ画像の公園見取り図を発見。見取り図に左下に伸びる道が、大倉山駅に続く道。で、目的の梅林はまだまだ先です。行ってみよう!

到着!ってか、ゼーハー坂を登ってきたのに、梅林は斜面の下。ってか、斜面に広がってます。

梅林見取り図。上の画像の右端から撮影したのが一つ上の画像です。つまり、見取り図右が斜面で一番高く、左へ下っていく形。
時刻は午後1時。まずはお昼ご飯を食べたい。

梅林は梅まつり開催中で、観梅客が多いです。ベンチもテーブルも用意されてます。

梅を見ながらパンと熱いお茶でお昼ごはん〜。
お腹がくちくなったので、移動です。ええ、梅林の坂を降ります。

大倉山公園の梅林の一番人気の梅は坂の下にある。
あ。説明板発見:大倉山公園梅林の由来
東横線開通後、旧梅林敷地約3hectareを東急が乗客の誘致を目的として幼稚を買収して整備し、昭和6年梅林として公開したのが始まりです。
昔からこの辺りは太尾と呼ばれ、梅林も太尾公園と呼ばれていましたが、昭和9年に東横線の駅名が太尾駅から大倉山駅に改名されたのを機に大倉山公園となりました。
最盛期の昭和12年ごろには白梅を中心に14種1000本を越える一大梅林があったとされますが、第二次大戦中は燃料用のたきぎを取るため伐採されたり食料不足のためイモ畑化するなど荒廃しました。戦後、昭和25年頃から復活し昭和40年代までは梅まつりなども行われ大いに賑わいました。しかしその後は施設の老朽化や梅の木の衰退が目立ってきました。
そこで昭和62年に現在の梅林の大部分を横浜市が東急から買収したのを機に、四阿や池、園路整備、梅の補植などを行い現在は1、1ヘクタールの敷地に紅梅白梅合わせて約20種150本となり、草花やほかの花木も植えて四季を通して楽しめる公園となりました。平成元年2月 横浜市緑政局」

このピンクのしだれ梅が一番人気なんだって。

見頃でした。みんな撮影したいよね〜。スマフォ掲げて撮影する人々に混じって私もガラケーを掲げる。

ここから梅林の斜面を見上げて撮影。

ここの梅林は散策路と梅が咲いてる所が分けてあり、梅のそばには近づけないようになってます。
機嫌よく撮影していたら、ダンナが消えた。
あれ?どこへ行ったの??さっき私の隣でピンクのしだれ梅を撮影してたよね?
と。なぜか梅林の奥から俯き加減でやってきた。
なんか様子が変。
私「どうした?梅をバックに私の写真撮って欲しいんだけど?」
ダンナ「大変だっ。定期入れ落としたっ!!」
それを聞いてまず思ったのは、この斜面を上り下りして探すの??
私「お昼ご飯食べる時、手提げ鞄を出し入れしたからその時じゃないの?」
ダンナ「俺もそう思ったから、今見てきた!なかった!!」
私「もし私がここで定期入れを拾ったら、出店に預けるよ。聞いてみた?」
ダンナ「まだ!」
私「聞いてくるわ」
定期入れの大きさ・色などをダンナに聞いて出店へ聞きに行く。
結果、定期入れは届いてなかった。ついでに落し物の受付場所を訪ねたら、大倉山公園の事務所を教えてくれた。事務所は坂の上の、大倉山記念館と梅林の途中、公衆トイレの隣にあるそうな。
え〜〜??それはないんじゃないかな?振り返ると、ダンナが地面に視線を落とし定期入れを探してた。
私「トイレとかみた?行ってない?」
ダンナ「見てくる」
待つ間に私もお昼を食べた上の園路を往復する。観梅客が多いからさ。もう拾われた後かも?
観梅を楽しんでる場合じゃないわ。
で、探してたらダンナが消えた。
待ちがてら、ダンナを探しがてら、梅林を上り下り。疲れた〜。ダンナは消えたままだし、定期入れがみつからないことにはダンナのパニックは収まらないだろうし。何かあれば携帯電話にかけてくるだろうし。
待つ間、いつかみたいと思っていたレトロ建築の大倉山記念館を見に行こうと思う。駅から梅林の途中、道の左手の坂の上に白い建物があった。あれだと思う。
ちなみに、私はダンナの携帯番号を知りません。だからこっちから電話はできないの。
彼はちょくちょくauからドコモからソフトバンクへ契約を取り替え引っ換えしててね。都度に電話番号が変わるのだ。あんまり頻繁で、電話かけて繋がらないことがあって、確認したらすでに解約済みだったことも都度にあり、現在は知らないのだ。
去年の3月、最近壊れたMacBookを買いにくから〜と現金握りしめて出かけてった彼は、私のMacBookを中古で購入し、浮かせた予算で最新のスマフォを自分用に購入したらしい。(今回Macが壊れて修理に出した時に中古品だったことが発覚したの)で、突っ込むと喧嘩しそうだからさ。新しいスマフォでどこの電話会社と契約してるのかも聞いてない。いわんや電話番号をや。
これがこの後の悲劇の始まりでした。あ。悲劇は彼にとっての悲劇です。(明日に続く)
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砧公園の桜2018.3.28午後

2018年04月01日 10時03分47秒 | 桜散歩
2018.3.28東急ワンデーオープンチケット(¥660)を利用。こどもの国砧公園今ここで、用賀駅から歩き午後2時5分に到着です。
砧公園は小田急成城学園前駅から徒歩で訪問は何度かあるのですが、用賀駅から順路がわかるかな?と少し不安だったのですが、駅を出て歩道に刻んだ百人一首を追いかけていくと、砧公園正面前の信号まで案内してくれるという親切仕様になってました。

砧公園の桜は大きくて、地面まで張り出す枝と花が特徴です。

こんな感じで頭のすぐ上で咲く桜を愛でつつ花見弁当を広げるのが砧公園のお花見スタンダードスタイル。

撮影する方もそれを期待しての砧公園の桜の撮影です。

ここは広い砧公園の西側になります。小田急成城学園前から徒歩でくると最初にある桜ポイントです。

公園案内図は桜が描かれていて、桜の絵を目印に散策します。見取り図の左の斜めに桜と広場が広がっている場所が私の一押しでもあるこの場所です。

さてと?他の桜ポイントに移動しましょう。
振り返って最後の1枚。すでに午後の日差しなので西に携帯を向けると逆光になっちゃいました。
案内図の公園の中央左寄りに斜めに小川が走ってまして、真ん中あたりの橋を渡り右側へ向かいます。

橋の手前の木は既に若葉の萌黄色。まだ3月28日なんですがね。季節の移り変わりのスピードの速さについてけない。散歩中「開花してすぐ雪ふったじゃん?で、今半袖!おかしいダロ」と。正気を疑うセリフですが、全くの本当。話盛ってません。私も名も知らぬおじさんに完全同意するよっ!

橋を渡ると次の桜ポイントが目に飛び込んでくる。中央の大きな桜の塊目指して歩こう!

公園中央の芝生広場の桜で大人気ポイントです。公園に到着したら、世田谷美術館の所在案内板があちこちにあるので、美術館目指して進むと芝生広場は美術館の西側だからわかりやすいです。近くまで行けば桜がこっちこっちと招いてくれるしね。

で、これぞ砧公園の桜という構図で撮影する。
ちなみに壁のような桜を裏側から撮影すると?

お花見弁当を広げるのは桜の屋根になる内側でするのも素敵。

私はこどもの国でお昼ご飯を済ませてるので、いつもの荻田のあられでおやつ休憩です。実家で作ってるあられが一杯届いたので、お花見のお供にしてせっせと消費中です。
さてと、お散歩再開。

おまけ:最近巨樹・巨木探訪をしてまして、ついつい見事な枝ぶりの木があると自然足を止めてしまいます。

説明板発見:シマサルスベリ 落葉高木 ミソハギ科
別名:タイワンサルスベリ
花期:8−9月
分布:沖縄・屋久島・台湾に自生
見分け方:シマサルスベリは1)幹が直立、2)樹皮がはげ落ちた後は灰白色。3)白色の小花が密生し、芳香がある。
サルスベリは中(⚪️⚪️⚪️〜)説明板が剥げてて解読不能
1)幹が傾斜しやすい。
2)樹皮が剥げ落ちた後は白い
3)紅・白・紫色の大きな花
で見分けがつきます。

訪問した3月28日は葉っぱもなく花もないので、見慣れたサルスベリとどれほど違うのか想像し難かったです。ちなみに、目視で樹高が8〜10メートル程の木が4〜6本ほどまとまってありました。どの木も根元から少し上で花束のようんパ〜っと広がってます。

あとこれ。冬は葉っぱがないので枝ぶりがよく観察できるよな〜。なんか、ベトナムでよくある感じの垂れ下がる枝?ツル?があちこちにある木です。何の木だろうか?南の方の木に見えるんだけども。
ってな事で、砧公園には14時44分撮影分がラスト。正門から再び地面の百人一首を追いかけて用賀駅に戻りました。
で、改札を抜けたところでしばし考える。
渋谷方面に向かい池尻大橋駅で降りて目黒川の桜を追いかけて中目黒駅までコースにするか?
それとも中央林間方面に向かい、明日の桜散歩のため体力温存して帰宅するか?

帰ります。大人しく!
明日(3/29)は今日(3/28)以上に歩かねばならんのじゃ!なにせ我が家から自転車を使い町田駅に預けて恩田川沿いに花見の予定だからさ。
ってな事で、皆さんの桜のお花見散歩の参考になればと1日2〜3本の桜散歩記事を連日更新してきましたが、我が家の周辺の桜は今日現在(4/1)既に見頃の盛りを過ぎてしまいました。もう私が皆さんへ見頃の記事をアップしても皆さんが実際に出かけてもそこに桜がない!という悲しい事態になってしまった〜ので、地道に連載してる巨樹・巨木と観梅散歩が終わり次第、桜散歩の様子を紹介します。来年の桜散歩の参考にしてください。
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