レパード玉熊vsヘスス・ロハス
1990年12月6日 青森県総合運動公園体育館
WBA世界フライ級タイトルマッチ
同年獲得した王座の初防衛戦、相手は元王者のへスス・ロハス。
奪取した試合が、相手の失速もあって玉熊の真の評価には繋がらなかったが
実力者ロハス相手の技巧派対決は、王者玉熊の真価を問われる1戦と言えた。
1R左ストレートを突き刺して好調をアピールする玉熊、右の引っ掛けも有効。
2Rはロハス、長身サウスポー攻略を意識してか猛然と接近。
左フックで玉熊の上体を前のめらせ、私に悲鳴を上げさせる(笑)。
そこからはペース争い。
玉熊をロープに詰めてボディから上に左フックを狙うロハス、アッパー・フックで
迎え撃つ玉熊。
ロハスの柔らかい上体は玉熊のストレートを吸収するものの、密着戦ではクロス・
アームのブロックを掻い潜って玉熊は連打をヒット。
一方玉熊のブロッキングの隙間をぬってロハスもアッパー、フック、ボディブロー
(ローブローも多かったが、玉熊は一向に効いた素振りを見せず)をヒット。
一進一退の中盤を経て、慣れない接近戦で疲れたか、ロハスがペースダウン。
玉熊が得意のショート連打で攻めこむ。
しかし、ロハスも曲者。ときにロープを掴み、身体を入れ替えて集中打を許さない。
そして、玉熊得意の相手の首を引っ掛けて回す動きも、腕を差込んでさせず。
この技巧派同士の駆け引きも見応え充分だった。
さらに玉熊は苦手だったミドル~ロングレンジでも堂々と応戦、ジャブ・ストレートの
突き合いで1歩も遅れを取らない!
新人王獲得後、中途半端なアウトボクシングを攻略され連敗。
中堅の正木高浩に足を踏まれてダウン、
喜友名のスピードに完敗(唯一のストップ負け)、
終いにゃ減量苦もあって横沢健二にも苦杯を喫した「あの」頼りないボクサーが・・・。
接近戦に活路を見出し、自分の特性を伸ばし(パワー、スピード、距離カンに恵まれ
なかったが、芯に食わない防御カンとショート連打は利いた)
自信を付け遂には世界レベルの技巧派と1歩も劣らぬボクシングを展開するまでに
なったのだ!!
(この時点で私は感動の絶頂で涙が出かかっていた)!
踊るようなフットワークこそ無いものの、軽量級らしい手数の応酬のまま最終ラウンド終了。
際どいものの玉熊、小差の判定防衛かと思わせたが、結果はドロー!!
玉熊は、金容江戦と同じく「消極的、ロープに詰まり過ぎ」と酷評されたのであった。
しかし、その後も長くトップ選手として戦ったロハスの戦績を見れば、中南米の技巧派と
1歩も譲らぬ戦いを見せた玉熊の技量が推し量れよう。
実際、渡久地や大場、飯田がロハスの技巧に苦杯を喫する度に、玉熊の偉大さがクローズ
アップされたものである。
川島郭志が戦ったブエノやサラサールも技巧で鳴らした選手だが、私にはナマクラの臭いも
感じられた。
私にとって、近年 中南米トップボクサーと技巧で互角以上に戦った選手として最初に名前が
上がるのはレパード玉熊、その人である。
1990年12月6日 青森県総合運動公園体育館
WBA世界フライ級タイトルマッチ
同年獲得した王座の初防衛戦、相手は元王者のへスス・ロハス。
奪取した試合が、相手の失速もあって玉熊の真の評価には繋がらなかったが
実力者ロハス相手の技巧派対決は、王者玉熊の真価を問われる1戦と言えた。
1R左ストレートを突き刺して好調をアピールする玉熊、右の引っ掛けも有効。
2Rはロハス、長身サウスポー攻略を意識してか猛然と接近。
左フックで玉熊の上体を前のめらせ、私に悲鳴を上げさせる(笑)。
そこからはペース争い。
玉熊をロープに詰めてボディから上に左フックを狙うロハス、アッパー・フックで
迎え撃つ玉熊。
ロハスの柔らかい上体は玉熊のストレートを吸収するものの、密着戦ではクロス・
アームのブロックを掻い潜って玉熊は連打をヒット。
一方玉熊のブロッキングの隙間をぬってロハスもアッパー、フック、ボディブロー
(ローブローも多かったが、玉熊は一向に効いた素振りを見せず)をヒット。
一進一退の中盤を経て、慣れない接近戦で疲れたか、ロハスがペースダウン。
玉熊が得意のショート連打で攻めこむ。
しかし、ロハスも曲者。ときにロープを掴み、身体を入れ替えて集中打を許さない。
そして、玉熊得意の相手の首を引っ掛けて回す動きも、腕を差込んでさせず。
この技巧派同士の駆け引きも見応え充分だった。
さらに玉熊は苦手だったミドル~ロングレンジでも堂々と応戦、ジャブ・ストレートの
突き合いで1歩も遅れを取らない!
新人王獲得後、中途半端なアウトボクシングを攻略され連敗。
中堅の正木高浩に足を踏まれてダウン、
喜友名のスピードに完敗(唯一のストップ負け)、
終いにゃ減量苦もあって横沢健二にも苦杯を喫した「あの」頼りないボクサーが・・・。
接近戦に活路を見出し、自分の特性を伸ばし(パワー、スピード、距離カンに恵まれ
なかったが、芯に食わない防御カンとショート連打は利いた)
自信を付け遂には世界レベルの技巧派と1歩も劣らぬボクシングを展開するまでに
なったのだ!!
(この時点で私は感動の絶頂で涙が出かかっていた)!
踊るようなフットワークこそ無いものの、軽量級らしい手数の応酬のまま最終ラウンド終了。
際どいものの玉熊、小差の判定防衛かと思わせたが、結果はドロー!!
玉熊は、金容江戦と同じく「消極的、ロープに詰まり過ぎ」と酷評されたのであった。
しかし、その後も長くトップ選手として戦ったロハスの戦績を見れば、中南米の技巧派と
1歩も譲らぬ戦いを見せた玉熊の技量が推し量れよう。
実際、渡久地や大場、飯田がロハスの技巧に苦杯を喫する度に、玉熊の偉大さがクローズ
アップされたものである。
川島郭志が戦ったブエノやサラサールも技巧で鳴らした選手だが、私にはナマクラの臭いも
感じられた。
私にとって、近年 中南米トップボクサーと技巧で互角以上に戦った選手として最初に名前が
上がるのはレパード玉熊、その人である。