あるBOX(改)

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思い出のKO:早山進vs喜友名朝博

2002年01月07日 | ボクシング
東京 後楽園ホール 1989年1月23日  
日本Jフライ級タイトルマッチ

ナオトvsマーク大激戦の日、「今日は盛り上がったけど、明日は
田中正人だもんなぁ」と言われたカード。

喜友名は柳明佑挑戦に敗れて再起ロード中、大橋とのサバイバル戦も
落としていたが、国内トップの実力者。
8勝11敗の早山に負ける訳が無いと思われていた。

実際に2度手合わせして喜友名の2勝1KO勝ち。ミスマッチの声もあった。
しかし田中正人は ただの噛ませでは無かった。アマ選手からプロ入りし、
キャリアの中でも強敵との手合わせも多く(玉熊に1敗、大橋とも2度対戦2KO負け)、
強打とテクニックには定評があった。

脆いアゴとボディが大成を阻んでいたが、一時のブランク後は好調。
キャリアの浅い相手を連続KO。
改名とトレーナー経験が彼をリフレッシュさせていたようだ。

第1R
上体をゆっくりと動かしながら、ややスラッギングスタイルへの変化を
感じさせる早山、喜友名のジャブを外して左右フックを狙う。
喜友名の動きに精彩が無い。身体にも張りが感じられない。

2R、早々に波乱は起った。
喜友名のジャブの帰り際、捻じ込むような早山の右フックが痛烈にヒット、
喜友名がダウン!
会場が騒然とする中、早山は落ち着いて追撃、またも狙いすましたスリークォーターの
右を撃ち込む!
喜友名は足を揃えてロープ際に背中から2度目のダウン!

後に「角度からヒネリから研究を重ねた会心のパンチ」と自身で語った最高のパンチ
(私もああいう右を放つ日本人は殆ど見た事が無かった)。

なんとか立った喜友名だったが、詰めを狙う早山の攻勢の中、激しく出血。
このラウンドは持ちこたえたが、次の第3RでTKO、大番狂わせの王座交代劇となった。

国内トップながら世界には届かない宙ぶらりんの喜友名、吹っ切れたような早山。
両者の精神状態が番狂わせを生んだと言えるだろう。

この夜の早山こと田中正人には、酸いも甘いも知り尽くしたベテランの凄みがあった。

串木野純也や勝間和雄のように、強い王者と化けるかとも期待されたが、初防衛の
平野公夫戦であっさりと倒され引退。

ボディでKOされた早山を見て知人は「やっぱり根性が無いんだよ、田中は!」と
吐き捨てたが、僕はまたそれも田中らしいなと思った。