あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

横浜は燃えているか?

2002年01月12日 | ボクシング
横浜の興行が多いですね。
畑山の活躍、星野や新井田の王座奪取、元王者達の地元でのジム設立、
そして関係者同士の横の繋がり・・・。

※数年前、畑山のOPBF戦を見に行った時、地元出場選手の持ち寄りから
 元王者会長のエキジビジョン参加から連携の良さは感じた。
 水面下では色々あるだろうし、あのとき一番ハシャイでいたのは当時の
 京浜川崎ジムの会長だから、手放しで好印象と言う訳にはいかないが、
 派閥だ何だとまとまりがつかない東京よりは良いだろう

それが起因しているのだろう。結構盛り上がってる気がする。

横浜カップも、仲里の豪快な逆転KOもあって好評と聞く。入場者数には
恵まれなかったようだが、次回も好カードであればゼヒ出掛けたい。

今の人気(?)を一過性にしない為にも、好試合の連発を期待したいものだ。
それがファンを呼び、しいてはスポンサーを繋ぎとめる最大の要素なのだから。

※東京の大手ジムは、後援者と会長の義理にて入場者が確保されているから
 好カードに期待できない。大手ジムシンパには「古い付合いのある会長の
 ところの選手」を応援しに行くだけであって「ボクシングを見る」ファンは
 少ないのではないだろうか?

まずはラクバ拳士vs松信、星野vsガンボアⅡに注目したい。

思い出の好試合:三船元vs東條達也Ⅱ

2002年01月12日 | ボクシング
1996年10月13日 東京体育館

私が国内試合にアパシーなのは、セミファイナルでの日本ランカー対決の
激減も一因にあるです。
ここ数年 日本ランカーの勝率は高い。しかし それは噛ませ東洋人を相手に
星を稼いでいるに過ぎないのであって、国内選手同士で鎬を削り合う
「勝負の面白さ」は そこには無い。

よって黒星が多いながら、それを糧として地力を蓄えた野島嘉章や田中正人、
ジャッカル丸山、渡辺陸奥雄、勝間和雄、串木野純也のような味のある存在も
少ない。

この三船vs東條は、噛ませカード全盛の1996年の10月、
チェvs三谷第三戦のセミファイナルとして行われた。

大昔、JBHのBBSに書かせて貰ったが、噛ませ試合の横行する この時期に
ランカー同士で ぶつかり合った東條や原田好昭、三船元たちの熱戦は本当に
素晴らしかった(全部見てる訳ではありませんが)。

東條の一勝(新人王間所の獲得後第1戦)を受けての再戦となった この試合、
やはり体力に優る三船(Jフェザー級6位)が攻め東條が受ける展開となった。
予想外だったのは足もある東條がロープを背負って完全な迎え撃ちに回った事。

以前の試合で、東條に星野や横田広明に通じる技巧派の臭いを感じていた私は
少々戸惑ったが、東條には他の技巧派には無い強打があった。

手数で負けながらも重いパンチで反撃、ダメージは三船の方が受けている様にも
見えた。しかし見栄えが悪い。
しかも馬力のある三船の攻勢を完全には はぐらかせない東條、中盤に消耗の色が
見え始める。

なまじパンチがあるからか、力の拮抗した相手との連戦で自分の距離感に自信を
失っていたのか、東條は なおもロープを背負い続ける。

「これはダウンでも奪わないと攻勢点で負けにされるな」日本の採点基準へ
絶望に近い気持ちを持つ私が そう思ったところでレフェリーが試合を中断。

8Rに切った東條の左目をチェック(計3度目)、試合は第9ラウンド負傷判定と
なった。

採点は いずれも三船。
東條の連勝(1月に原田好昭に6RKO負け。7月に北野健雄に7RKO勝ち。
いずれも両者力を振り絞った好試合だった)は成らなかった。

「勝ってたぞー、東條!」花道を引き上げながら、ファンの声に「いや、負けだよ」と
ばかりに手を横に振る東條・・・。

――その後
日本王座挑戦への道を模索する東條と相模原ヨネクラ。
元王者の新井泰をダウン応酬の大激戦の末KO、天翔をKOし復帰。

私は もうタイトル挑戦が実現するだけでいいと考え始めていた
(最初は真部豊なら勝てると思っていたのだが)。

しかし、あと1歩で挑戦と言う時、東條は殆ど無名の若者にKOされた。

張り詰めた物が完全に切れたのか、彼が その後リングに上がる事は無かった。
東條を倒した若者の名は佐藤修。
専属トレーナーは後に語った「もちろん勝てると踏んで申し込みましたよ」。

見事に一本釣りされてしまった訳だ。
東條ファンには酷な言葉だが、そこは彼等もプロだ。さすがは協栄としか
言いようが無い。
「なにより自信になったのは、初めてランキングボクサーに勝った試合ですね」と
言う若者の言葉が何よりの慰めとなった。

佐藤が世界戦で善戦した時、勝った時、東條は何を思っただろうか?