あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

イアン・マクレガン死去

2014年12月14日 | 英国ロック
「スーツの並木」の話をしたばっかりなのに
元祖モッズ・バンドのキーボーディストの死去を知る事に
なろうとは・・・。

スモール・フェイセス、フェイセズのキーボード・プレイヤー
イアン・マクレガンが12月3日に亡くなった。
米テキサス州オースティンで家族や友人に看取られる中での
永眠だったという。
脳卒中による合併症だったとの事。69歳だった。

マクレガンは1965年にスモール・フェイセスに加入。
その後、ロッド・スチュワート、ロニー・ウッド、
ケニー・ジョーンズ、ロニー・レーンとフェイセズを結成。
一部のトラックでは作曲にも参加している。



フェイセズの解散後は、ローリング・ストーンズの
サイドマンとしてレコーディングやツアーに参加していた事もあった。

セッションマンとしては、爪弾くピアノもグルーヴィーなキーボードも
こなせたから、チャック・ベリー、ボブ・ディラン、ジャクソン・
ブラウン、ジョー・コッカーなど多くのミュージシャンとプレイしている。

マクレガンはフェイセズの再結成を望んでおり、
「2015年にやれそうだ」と話していたばかりだったという。



噂だけは上がってたのに、ロッドが参加するフェイセズ再結成は
ならないままマクレガンは逝去。
まさに「ぐずぐずするなよ」な事になってしまった・・・。

ロッド抜きのフェイセズとしては、2011年のフジ・ロックに登場し、
ロニー・ウッド、ケニー・ジョーンズというオリジナル・メンバーに加え、
元シンプリー・レッドのミック・ハックネルがヴォーカルが務め、
元セックス・ピストルズのグレン・マトロックがベースで参加。
もちろんマクレガンも鍵盤を弾いてファンを喜ばせた。

ボビー・キーズに続いてマクレガンも失ったストーンズ・・・というか
友人を立て続けに失ったロニーが心配だ。

粋なキーボード・プレイヤーが、また一人この世を去った。
本当に残念だ。

イアン・マクレガンよ、安らかに・・・。

ボビー・キーズ、死去

2014年12月14日 | 洋楽
12月2日、ボビー・キーズが亡くなった。
ザ・ローリング・ストーンズのサックス奏者として知られたボビー。

ストーンズからすると、ニッキー・ホプキンス(p)、イアン・
スチュアート(p)に続くサイドマンの死去にあたる。

死因は肝硬変だったとのこと。
最期は米テネシー州の自宅で迎えたと伝えられている。70歳。

10代半ばで演奏家のキャリアを積み出したボビー。
ストーンズとは1964年に出会い、レコーディングやツアーで一緒に
プレイするようになる。

中でもヒット曲「Brown Sugar」のエンディング近くのサックスソロや
アルバム『Exile On Main Street』の演奏は有名。
メンバーとはプライベートでも仲が良く、実質的な準メンバーとも
言える存在だった。

ザ・ローリング・ストーンズは声明で
「とても大切な友人でサクソフォーン奏者のレジェンド、ボビー・キーズを
 失い、打ちのめされている」とコメント。

さらに「ボビーは60年代からバンドにユニークな音楽的貢献を
してくれた。とても寂しくなる」と追悼の言葉を寄せた。



キーズは、2013年ストーンズのツアーでプレイしたが、同年10月の
ニュージーランド~オーストラリア・ツアーは体調不良のため
参加していなかったそうな。

知らなかったよ。ショックだよ。

でも、ストーンズのドーム公演でキーズの勇姿は拝めたから
それが私にとっては救いになってるよ。
※そりゃもっとサックスソロを弾くボビーを見たかったが・・・

東京ドーム公演。
メンバー紹介で拍手しながら「ボビー!」と声を張り上げたよ。
ドームのスタンドや3階席にもそんなファンが大勢いて、
メンバー並みの声援を受けたボビーは嬉しそうだったよ。
キースたちも「お、人気あるじゃんボビー」とばかりに笑顔だったよ。

我々日本人ファンは、ボビーがどれだけストーンズ全盛期の
アルバムに貢献しているか知っていたのだ。
誇らしい思い出だ。

最も記憶に残るのは「Can't You Hear Me Knocking」だなぁ。
スティッキー・フィンガーズに収録された同曲は、後半まるで
ジャズ・セッションのような展開になるのだが、
そこでボビーが奏でるサックスソロは最高で、エンディングを
盛り上げる強烈な導火線となっている。

この曲を生で、しかもボビーの演奏で聴けたのは嬉しかったし
とてもハッピーだった。

ありがとう、ボビー。
ボビー・キーズよ、安らかに。

具志堅用高とビセンテ・サルディバル

2014年12月14日 | ボクシング
両者の話が出て来たトコロで

ちょっと前に動画サイトで「サルディバルvsラモス」を見ましてな。
世界フェザー級タイトルマッチの王座交代劇。(1964年9月26日)

日本の関係者からすると、いくら減量苦があるとはいえ“あの”
シュガー・ラモスがTKO負けで王座陥落するなんて・・・と、
相当の衝撃があったでしょうね。

そもそも、ラモスが王座を奪取した相手は、高山一夫を降して防衛を
果たしたデービー・ムーアだったし。

ラモス自身も来日して東洋無敵だった関光徳を痛烈にKOして強さを
見せつけているし。



その強打者ラモスがメキシコの若者(21才)にストップ負け。
※実際は11R終了時にラモスが棄権。

挑戦者がスラッガーのラモスを降した戦法は、「徹底的な連打だった」
とも言われ、それは後に「メキシコの赤い鷹」と言われたサルディバルの
代名詞になった。

豊富なスタミナと猛烈な連打、そして静かに燃やした闘志と勇敢さを
持って攻め続け、数多くの強豪をマットに沈めた・・・と言われる、
サルディバルだけに
「さぞや攻めっ放し打ちっ放しの圧力でラモスを追い詰めたんだろう」と
考えていたら
予想以上に間合いやリズム、攻めるタイミングを有効に使うサルディバルの姿がありました。

パンチあるが基本的にコンビネーションで攻めるスタイル。
連打でも大振りしないからバランスを崩さない。
やや前傾の構えで、身体の軸が安定している。
ファイターだがフットワークのリズム、リードパンチでの間合いの
計り方がイイ。

挑戦者らしい攻めのボクシングだが、しっかりと機会を見計らって
相手の危険な強打を食わずに連打を仕掛けている。
そして当たったら執拗にコンビネーションを繰り返す。
ロープに詰めてストレート、フック、アッパーと多彩なパンチを
相手に浴びせ続ける。

強打型の王者をサウスポーの連打型チャレンジャーが攻める姿を見て
既視感を覚えた。

そうだ、「具志堅vsグスマン」だ!



リトル・フォアマンと言われたハード・パンチャーを勇敢な先手攻撃で
KOした具志堅のボクシングは、ビセンテ・サルディバルのそれに
通じるモノがあった。

最初にダメージを与えた右フックも連打の中で放った一発だったし、
その後のダウンもコンビネーションで奪ったモノだった。

この時期の具志堅はボディパンチャーではないし、そういった要素では
サルディバルとは異なるが、「攻めるサウスポー」の原点を見た気がする。

しかし、こんな「伝説の試合」が容易に見られるようになったんだから
世の中イイ時代になったもんですなぁ~。