あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

ジョー・コッカー死去

2014年12月26日 | 洋楽
年末に訃報が続くなぁ・・・。

個性派ヴォーカリストのジョー・コッカーが、2014年12月22日に
コロラド州クロフォードで肺がんのため亡くなっていました。
享年70歳。残念です。



ダミ声の魅力で言えば、この人でした。
ソングライターではなかったが、他人の曲でもコノ人の声で歌われれば
納得するしかない存在感が凄かったですよ。

出世作からして、ビートルズの
「ウィズ・ア・リトルヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」だし。

「愛と青春の旅立ち」テーマでの歌唱で、米国人と思われてるが。
れっきとした英国人で、やはり私は英国時代の方が好きだったなぁ。
※「愛と・・・」の時は酒で荒れて干されてたコッカー。ダメ元で
 声が掛かっただけとか。



1944年5月20日、イングランド・シェフィールドで生まれたジョン・
ロバート・コッカー。
学校を中退して配管工として働きながら10代半ばにしてパブで音楽
活動を始めた。

グリース・バンドとともにライヴ活動を行い、ブルー・アイド・ソウル
的な唱法やライヴ・パフォーマンスが評判を呼んで、
1968年「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の
カバーが全英チャート1位の大ヒット、さらに欧州や米大陸でも脚光を
浴びる。

1969年にはウッドストック・フェスティバルに出演。公開された映画に
登場し、もがきながら歌うようなパフォーマンスと圧倒的にパワフルな
歌唱、絞り染めのTシャツ、ウエーブかかった長髪にモミアゲという風貌で、
全世界の鑑賞者に強烈な印象を与えた。

ここでも「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の
吠えるような歌唱は圧巻で、私はオリジナルのビートルズよりコッカーの
バージョンの方がスキです。

両腕を激しく振りながら歌った彼のスタイルが、何も知らない聴衆からは
「神経系に異常があるのでは?」と思われた・・・なんて話もあるが
ザ・フーの「アイ・キャント・エクスプレイン」じゃないけど、有り余る
表現欲が自身の凄まじい歌唱でさえ、もどかしく感じさせていたのでは
・・・と、私みたいな只の鑑賞者は推察してしまうのです。



レオン・ラッセルの元制作された2枚目のシングル「Delta Lady」も
全英10位を記録。
続くアメリカ・ツアーは、これまたレオン・ラッセルが仕掛け人となり、
そのレビュー形態のツアーが話題となった。

「マッド・ドッグス&イングリッシュメン」と名付けられた、そのツアーは
商業的には成功に至らなかったが、フィルモア・イースト公演を収めた
ライヴ盤は後に名盤と呼ばれるようになった。

ただし、ツアーに疲れたコッカーは1972年に滞在先のオーストラリアで
大麻所持容疑で逮捕されてしまい、
活動停止を余儀なくされた挙句フル・アルバムを制作出来たのは、その
2年後だった。

しかし、ここで しぶとさを発揮するのがジョー・コッカー。
1975年にはシングル「ユー・アー・ソー・ビューティフル」がビルボードで
5位になり第一線に復帰。
同曲もビリー・プレストンのカバーなんだから、「人の歌を自分の物にして
聴く者のハートを鷲掴みにする」能力は凄いとしか言いようがありません。
ロマンチックなバラードであろうと、例のダミ声で魅せてしまうんだから
エライもんです。



その後、長年の薬物中毒とアルコール依存からの脱却をはかり、80年に
なって例の「愛と青春の旅立ち」主題歌が全米1位の大ヒット。

正直、サビに魅力が偏った楽曲だと思うが、そのサビをスケール豊かに
歌うコッカーは、以降大衆的な歌手として完全に認知され、様々なタイプの
歌を歌う事になった。

元フリーのアンディ・フレーザーが作った曲も歌ってたが、これはもう
フレーザーが(R・パーマーの「愛しき人々」のような)カリプソ風味の
曲を書くようになってからだから、いまいちピンと来なかったなぁ・・・。

コッカーの死を公表した代理人のマーシャル氏は
「間違いなく英国から生まれ出た最も偉大なロック&ソウルボイスだ」と
述べ、コッカー氏の死を悼んだとの事。

「カヴァーは原曲を越えられない」なんて言葉もあるが、コッカーには
当て嵌まらない。
コッカーが歌ったカバーで、印象深い曲を並べてみたいと思う。



「With A Little Help From My Friends」=邦題は「心の友」

「Feelin' Alright」=トラフィックのカバー。実のトコロこの曲のメイン
 シンガーはD・メイスンなので、コッカーの歌唱は原曲以上にソウルフルに
 響いている。

「Just Like A Woman」=原曲はボブ・ディラン。邦題は「女の如く」

「Don't Let Me Be Misunderstood」=邦題は「悲しき願い」。
 アニマルズや尾藤イサオもカヴァー。

「I Shall Be Released」=原曲はザ・バンド。コッカーのダミ声が染みる。

「A Whiter Shade of Pale」=邦題は「青い影」。プロコル・ハルムの
 デビュー曲にして英国ロックの金字塔的なプログレッシブ・ポップ・
 ソング。

「Unchain my heart」=原曲はレイ・チャールズ。
 コッカーの歌唱も本家と別な魅力あって凄い。

「Honky Tonk Women」=原曲はストーンズ。
 コッカーの堂々とした歌いっぷりは、さすが。

「The Letter」=邦題は「あの娘のレター」。

「Delta Lady」=これは逆カバーでレオン・ラッセルがヒットさせた。
 勿論コッカー版もヒット。

アルバムで言えば、最初の「With A Little Help From My Friends」かなぁ。
コッカーの声も若々しいし、バックにジミー・ペイジやS・ウィンウッドが
いるし、グリース・バンドも参加しているし。

ウッドストックの音源も発掘されたんだよな。
しばらくは それを聴いて過ごすかなぁ・・・。

ながらく名唱を有難うございました。
ジョー・コッカーよ永遠に。

今週の「題名のない音楽会」はバイオリン特集でした

2014年12月26日 | 生活
葉加瀬太郎、古澤巌、高嶋ちさ子という3人のバイオリニストが、
「バイオリンが使われてるのはクラシックだけではありません」と
言いつつ、各国の民族衣装に早替わりして
「世界中の音楽にバイオリンは用いられている」という趣旨で
「ヴァイオリン世界旅行メドレー(編曲・伊賀拓郎)」を
演奏した。

ブルース・バイオリンが無いのにはチョッピリ不満だったが、
それでも非常に興味深く、面白いメドレーでした。

雅楽の「越天楽」に始まり、「リンゴ追分(米山正夫)」、
「オー・シャンゼリゼ」「ラ・クンパルシータ」「蘇州夜曲」
「ガラム・マサラ」などを演奏。

特にアイリッシュ民謡の「トス・ザ・ファザーズ」はダンス・
チューンらしいテンポとアイルランド音階が最高に気持ちイイ
楽曲で、むかし六本木のアイリッシュ・バーに生演奏を聴きに
言った事を思い出したもんです。

そういや、「ロック・バイオリニスト」を色々と書いた時、
なにか足りない気がしたが、アイリッシュ・フィドラーが
抜けてたな。

しかし、名フィドラー的存在の名前が頭に浮かぶかというと
そうでもないんだな。
それぞれのグループで弾くプレイヤーは普通に花形だし、
普通に皆さん上手い。



ドーナル・ナニーさんのグループの奏者は全員が達者だし、
(ライヴも見たけど)皆がフィドルやティン・ホィッスル、
バウローン・ドラムをオールラウンドに奏でるもんだから
民族に根付いた音楽の強さには脱帽するしかありません。

そもそも一般人からして現地のパブで盛り上がった時、
「じゃあ踊るか?」って場合、「誰かフィドルできるか?」
「ああ、オレやるよ」で打楽器や笛と一緒に演奏が始まる・・・そんな
感じらしいもんね。

沖縄に似ている気がするな。
音楽が根付いてるし、一族や仲間が集まれば直ぐに宴が始まり
普通に楽器できる者が居る・・・。

ある意味、そういう人が皆、名プレイヤーとも言える。

アイルランド出身で成功したグループといえば、4人兄妹で
結成されたポップ・バンド=ザ・コアーズが頭に浮かぶ。

90年代、ケルト・ミュージックのブームに乗って、アイリッシュ・
音楽のエッセンスとロック・ポップスの要素を合わせた楽曲は
世界中で絶賛を浴び、1stアルバムはベストセラーとなった。



そのコアーズがステージ上では「トス・ザ・フェザーズ」を
軽快に演奏し、喝采を浴びてる映像もあり。
それを見てアイリッシュ・トラッドの根強い力を感じた次第で
あります。

まぁ、ドレスの似合うお姉さんがフィドルを弾く姿は
カッコよくもあったし、よい広報役として活躍された印象が
大きいかな。

葉加瀬太郎、古澤巌、高嶋ちさ子の御三方に関しては、
「アイリッシュのフィドルとクラシックのバイオリンは別物」
「独特のリズム感など、むしろクラシックの教育を受けた者の方が
(そのフィーリングの習得は)難しい」なんて言われてるのに、
よくぞアイリッシュ曲を演奏されたもんだなぁ・・・と、改めて
感じ入ったのでありました。