ボクシング雑誌の増刊号などで日本ボクシング史を
読むと必ず登場するのが「野口ジム」。

創立は1950年。
元日本ウェルター級王者のライオン野口氏が立ち上げた。
東京・目黒のジムには、「親分・進氏」を慕って多くの
弟子が集まったという。

現会長は、創始者の孫にあたる野口まさる氏(3代目)。
ジムも北千住ビルの1階に移っている。
雰囲気もヒップホップ調に一転。
米国のジムみたいだ。
トイレには90年代以降の海外試合の切り抜きが貼られ、
最近のR&BアルバムからJBのアポロLIVEのレコード・
ジャケットが飾られていましたよ。

世界王者の輩出こそないが、協栄ジム初代会長の金平
正紀氏や三迫ジム初代会長の三迫仁志氏ら後のプロ・
ボクシング界の大物が現役選手時代に所属した事でも
知られる。
三迫氏は選手としても東洋フライ級王者として活躍。
白井義男が失った世界タイトルを日本に奪還すべく、
進会長とともに一途に王者を追ったという。
※そして辣腕マネに苦渋を飲まされた挙句引退…

進氏の次男・恭氏は日本フライ級王者となり、親子
2代の日本王者を達成。
厳しかった進氏だが、これには歓喜。病床の身で
ありながら禁止されていた酒を飲み、それが原因で
亡くなってしまったと言われている。
創始者の長男である野口修氏はキックボクシングの開祖。
「目黒ジム」を興してスーパースターの沢村忠を育て、
大ブームの立役者となった。

野口ジムの2代目は恭氏が引継ぎ、人気選手の龍反町を
育て、東洋ウェルター級王者に就かせた。
反町は輪島功一の世界Jミドル級王座に挑み、ラスベガス
ではカルロス・パロミノの世界ウェルター級王座にも挑戦。
「ホラ吹き」で人気を得た柏葉守人も東洋Jライト級王座を
奪取。ベン・ビラフロアやリカルド・アルレドンドの世界
タイトルにも挑戦。
特に柏葉vsアルレドンドは、世界ヘビー級王者ジョージ・
フォアマンの初防衛戦と一緒に行なわれ、我が国初のダブル
タイトルマッチとして歴史に残る興行となった。
読むと必ず登場するのが「野口ジム」。

創立は1950年。
元日本ウェルター級王者のライオン野口氏が立ち上げた。
東京・目黒のジムには、「親分・進氏」を慕って多くの
弟子が集まったという。

現会長は、創始者の孫にあたる野口まさる氏(3代目)。
ジムも北千住ビルの1階に移っている。
雰囲気もヒップホップ調に一転。
米国のジムみたいだ。
トイレには90年代以降の海外試合の切り抜きが貼られ、
最近のR&BアルバムからJBのアポロLIVEのレコード・
ジャケットが飾られていましたよ。

世界王者の輩出こそないが、協栄ジム初代会長の金平
正紀氏や三迫ジム初代会長の三迫仁志氏ら後のプロ・
ボクシング界の大物が現役選手時代に所属した事でも
知られる。
三迫氏は選手としても東洋フライ級王者として活躍。
白井義男が失った世界タイトルを日本に奪還すべく、
進会長とともに一途に王者を追ったという。
※そして辣腕マネに苦渋を飲まされた挙句引退…

進氏の次男・恭氏は日本フライ級王者となり、親子
2代の日本王者を達成。
厳しかった進氏だが、これには歓喜。病床の身で
ありながら禁止されていた酒を飲み、それが原因で
亡くなってしまったと言われている。
創始者の長男である野口修氏はキックボクシングの開祖。
「目黒ジム」を興してスーパースターの沢村忠を育て、
大ブームの立役者となった。

野口ジムの2代目は恭氏が引継ぎ、人気選手の龍反町を
育て、東洋ウェルター級王者に就かせた。
反町は輪島功一の世界Jミドル級王座に挑み、ラスベガス
ではカルロス・パロミノの世界ウェルター級王座にも挑戦。
「ホラ吹き」で人気を得た柏葉守人も東洋Jライト級王座を
奪取。ベン・ビラフロアやリカルド・アルレドンドの世界
タイトルにも挑戦。
特に柏葉vsアルレドンドは、世界ヘビー級王者ジョージ・
フォアマンの初防衛戦と一緒に行なわれ、我が国初のダブル
タイトルマッチとして歴史に残る興行となった。