あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

『この世界の片隅に』ロケ地の場所を見よう会」(江波編)

2018年09月09日 | アニメ・特撮
亀城プラザ。

開始時間少し前に到着。『呉編』が行われたのと同じ場所。



1階にはグラーフ・ツェッペリン伯号の模型。

今回はじっくりと見てみる。



裏に回ると、骨組みも見れる。

思った以上に精巧。



搭乗部も再現されてます。

しゃがんで覗きこんだりする。



「映画版『この世界の片隅に』ロケ地の場所を見よう会」
(江波編)です。

会場は前回より大きなスペース。



映画館からそのまま観客がスライドして来たかのような盛況!
(片渕監督も参加ですから)

主催のブリンキーさんが本日の主旨を説明。
(一般の方なので画像では目に墨を入れさせていただきます)

「この世界の片隅に」すずさんの故郷、江波。



このセカ探検隊を3回やってる。「ロケ地見よう会」は関東では
呉に続いての開催。

ロケ地は2015年より前、映画化の話が出始めたあたりで回ってる。

挙手コーナー。「江波に行ったことある人は?」…半分くらい。



例によって事前に地図配布あり。
それを見ながらの説明。波の兎を描いた場所、埋立地。

すずさんが荷物を背負って船に乗る場所。民家があって画面と同じ
樹があったが今は切られている。何があるかというとパラソル。

映画と漫画では画面の横サイズが違うので左側を調べなければなら
なかった。(竿の様なものが刺してある)


…川沿いを歩く。

地元に古い町並みの記録を残す活動をしている人がいて、アルバム
などを見せてくれた。

川の対岸に広島刑務所。脱獄事件があったので塀の高さが分かった。
坂の多い呉に比べて平坦な道。参加者はノンビリ歩いてらっしゃる。

マイマイ新子探検隊のリピーターがいらっしゃる。余裕?



5月だったが暑かったとの事。
脇には山があり陸軍の射撃場の的場があった。浦野家の裏にある山。

片方が禿山みたいになってるのは砲弾?撃ち込まれたから。
風や空襲のせいではない。



片渕監督が殆どダッシュ+スライディングして建物下を覗き込む。
埋立地との境になる場所に建てられた証拠があると。

マイマイの時も野っ原で急に走り出したりの行動があったというので
誰も驚きません(笑)。



細い路地に入る。昔はドブ川だったところを埋め立てた。そういう
場所は多い。

江波小学校、松下商店…。学校が火事になったとか、松下商店の手前
には「サンブン」という料亭があったとか。

名物料亭だったが娘さんを亡くした店主が消沈され、戦後なくなって
しまった。


写真もないので、姉妹で走るシーンでは影だけ。

原爆では沢山の人が江波へ逃げてきた。亡くなった人は江波で弔った。
「はだしのゲン」では江波で冷たくされてたが、中沢先生個人の体験
だったんだろうなぁ。

案内の中川さんによる原爆の記憶。



爆風で散ったガラスで怪我した。

お兄さんは学徒動員で亡くなった。御自身は当時3才で殆ど記憶はない。

しかし、畳が浮き上がる程の爆風で畳下にたくさんのガラス破片があった。



ここらで休憩あり。キャラメルと金平糖が配られました。
(呉編では熱中症防止で塩飴が配布されましたねェ…)

再開後、江波の古い話が。
真水が汲めたので約1,000年くらい前から人が住んでいた。



すずさんは実家が海苔を辞めたあと貝を売ってた。貝は採れた。
売るときは、むき身にして調理しやすくした。
鰯を売りに行く人もおり、鮮度が落ちる前に刺身にしていた。

などなど、興味深い説明は尽きませんでした。

ブリンキーさんがPCの動画ファイルを捌き、監督が説明するシーンもあり。
「あ、そこ少し巻き戻して」なんて阿吽の呼吸も見れました。



ゲストの片渕監督がファイル捌きするシーンもあり、「おおっ!」っとなる
光景もあって「これは『ここまで調べた』の拡大版ではないか!!」と私は
密かに歓喜したものです。

最後、江波の手締めがありました。
色んな行事があるが、その度に手締めで締めてるそうです。
でも、けっこう難しい。「よよよい」みたいな感じだっけ?(もう曖昧)



そして、監督の挨拶、ブリンキーさん挨拶。
土浦セントラルシネマズさんへの感謝。映画館で映画を観る意義。
ゼロと1では全く違う。映画館に行きましょう…と!

12月に公開予定の「さらにいくつもの」特報予告の動画再生。
そして片渕須直監督の撮影タイム。

「オレを撮っても…」とばかりに監督は苦笑。
…というか見事な「あちゃ~顔」。皆でバシバシ撮影。



ブリンキーさん、ありがとうございました。
片渕監督、お疲れ様でした。

終了後は出口で会費を払って撤収。
出口付近では物販もあって後ろ髪引かれましたが、モノは増やせないと
断念しましたよ。



たいやき「ともえ庵」さんの出張販売もあって、すずさんラムネは買い
たかったけど、我が家から阿佐ヶ谷は遠くないから、また行けるし。

行列も凄かったからイイか…と。

ただし、片渕監督の知人の方が作られた鮮やかなグラスには目が行き
ましたけどね。機会があったら…という事で。



1階に降りて、もう一度ツェッペリン号の模型を確認。

やっぱエエわ。
次やっぱりツェッペリン号が降り立った場所の記念碑とか見たいわ。



帰りは駅で「ねば~る君なっとう煎餅」を購入。
これをもって我が家へのおみやげとする。
(あんがいコレが旨かった!)

早朝から夕方までのイベント。

皆様お疲れ様でした!

土浦散策・亀城公園

2018年09月09日 | 生活
亀城プラザに行く途中の亀城公園に土浦城跡がある。

~というか、土浦城跡イコール亀城公園だ。



今日は快晴ゆえ、足を踏み入れてみた。

※前回は台風の日だったもんなぁ…。



周囲に堀を巡らした城跡。

ただし、本丸は現存していない。



表門の櫓門、裏門の霞門、東西の櫓などが
残っている形だ。



東櫓の上は小さな資料館になってるが有料。

セコイ私は無料エリアだけを散策。



土浦城の築城は永享年間(1429~40)とされる。

城郭への整備が進められ、唯一の建物遺構は太鼓櫓。
慶安の築造だそうです。



この辺ひたすら受け売りなので良く分かっていない
ワタクシで御座います。

城は平屋で、何重もの堀に囲まれた様が、水に浮かぶ
亀のようだという事で亀城と呼ばれたという。



大阪城や熊本城などの天守閣があって威圧的な城とは
イメージが異なった(言い方は変だが)ノンビリした
お城だ。



明治になって廃城になるも、1650年代以降に改築された
櫓門、復元された櫓あり。

~とは言え全体的にはやっぱり城跡の公園という印象で。
平和なポカポカ陽気を楽しめました。

土浦散策・ツェッペリン伯号展示館

2018年09月09日 | 生活
喫茶蔵横の「土浦ツェッペリン伯号展示館」。

模型+パネル+昔の記事。 濃い。



~というか、どんだけデカイんだ、ツェッペリン伯号!

大きい=単純に「凄い」。畏敬の念しか湧かない。



大和といい、大きなものは人を引き寄せるよ...。

そもそも何でこんな大きな飛行船が土浦に飛んできたか
調べたら…



まず1920年(大正9年)霞ヶ浦海軍航空隊が設置されて
いるんですね。

そんで巨大飛行船の格納庫が設置されてたんですね。



日本は第一次世界大戦では、英・仏・米国側におり、
“戦勝国”として、ドイツから戦勝品の大型飛行船用
格納庫を霞ヶ浦に移築していたという話。



ただし、ドイツ人捕虜の扱いは手厚かったという事で
日独間の感情は悪くなかった模様。

そして1929(昭和4)年、ドイツのツェッペリン伯号
(LZ127)が世界一周の途中に飛来。

その着船に件の格納庫が利用されたとの事。
アジアで霞ヶ浦が唯一の場所だったそうだ。



その巨大さは評判となり、4日間の駐留期間で茨城県内
および東京都から約30万人もの見学者が押し寄せたという。

「君はツェッペリンを見たか?」

大正時代から昭和へと霞ケ浦航空隊の歴史は続き、今は
予科練平和記念館や慰霊碑が残っているそうです。



土浦セントラルシネマズの社長さん、霞ヶ浦航空隊や
予科練のことも話されていましたね。

ツェッペリン飛来記念の碑もあったらしいが、縮小され
現在は自衛隊の敷地内にひっそり佇んでいるとの事。

行きたかったけど、意外と遠いし諦めました。



飛行船の父ツェッペリン伯爵は言うまでもなく貴族です。

後の子孫は英国のハードロックバンドに「野蛮な音を出す
連中が名乗るのは許さない!」と怒っておられたとか。



ツェッペリン号の飛来写真(1929年)、資料写真。

実物の縮小模型「GRAF ZEPPELIN LZ 127」も吊るされて
おります。乗員となった日本人の写真もあります。

ツェッペリン末裔の方々が記念碑を来訪され、うやうやしい
出迎えを受けられる写真もあります。



さらに1931年(昭和6年)にはリンドバーグ夫妻が世界一周の
途中に霞ヶ浦を訪れていて、これまたビックリ。

こちらの写真も展示されており、この地の航空基地としての
印象を深めてくれてますね。



土浦は「飛行船の町」としての再興を目指し「ツェッペリン
クラブ」プロジェクトを勧め、LZ127より小規模とはいえ充分な
大きさのツェッペリンNT飛来イベントを2005年に実現。

「NZでこれだけの大きさならLZ127はどれ程の衝撃だった事か」



そのきっかけになった20分の1のツェッペリンLZ127模型は亀城
プラザで展示されている。

全長約12メートルの模型は、ドイツから設計図を取り寄せて
精巧に作られたもの。



お披露目でそれを見た当時の日本飛行船社の関係者から、同社の
ツェッペリン社最新の飛行船「ツェッペリンNT」を土浦へ…と
いう話が持ち掛けられ、ツェッペリン倶楽部はドイツまで出向く
事になったそうです。



定期回航の話も出たそうだが、バブル崩壊で断念。
しかし、ロマンある素晴らしい計画だったと思いますよ…。

喫茶室「蔵」のレトロな空間と合わせ、大変有意義な時間を過ごす
事が出来ました。



ツェッペリンLZ127飛来時、土浦側が乗員に振舞ったというカレー。
(当時はレンコンは使っていなかったろうが)それを名物として
メニューに加えた喫茶店「蔵」。

ぜひまた訪れたいと思いました。

土浦散策・ツェッペリンカレー

2018年09月09日 | 生活
海軍カレーといえば呉が有名ですが。
土浦もそれを打ち出してるんですね。

イギリス海軍をお手本として組織された当時の海軍は、英海軍が
毎週金曜日に海軍食としてカレーを食べる習慣も取り入れたという。



これまた有名な話だが、長い洋上航海で曜日感覚を失わないよう、
毎週金曜日に乗員の人気メニュー=カレーが出されたとの事。

そして、それは今でも毎週金曜日はカレーの日という伝統が海上
自衛隊に脈々と受け継がれているそうな。



また、80年前に世界一周飛行の途中で霞ヶ浦に停泊した巨大飛行船
ツェッペリン伯号(全長236.6m)のクルーにもカレーが振舞われて
やはり土浦のカレーは名物にせずにはおれなかったのです。



そんで喫茶「蔵」で食べた土浦ツェッペリン・カレーですが。

普通に美味しかったです。塩っ気も中々あったし。
(地元醸造の醤油が使われてるとか…。それは私好みな訳だ!)

レンコンも意外とあってたし、ゴハンの形も飛行船してます。



食べ終わったら隣のギャラリーへ。

ツェッペリン到来の歴史的資料は展示されてます。
ゆかりの場所の地図からツェッペリン伯の肖像まで。



当時の海外ポスターも。

比較対象が自由の女神や太陽の塔…そして、シロナガスクジラ(笑)。



必ずしも大きいからエエとは言えないのだが、やはりデカイ乗り物は
男子の憧れ。

暫く室内で飛行船と土浦の歴史を眺める…。

土浦散策・喫茶店「蔵」

2018年09月09日 | 生活
「この世界の片隅に」土浦セントラルシネマズ上映会を終え、
次は、「ロケ地を見よう会(江波編)」なのだが。

間がちょうど1時間少々開いているし、お腹も減ったしで。
次の会場に移動する間で食事を摂る事にした。



「らあ麺レッチリ」にも興味をそそられたが、やっぱここは
「ツェッペリン・カレー」が食べたいな…と思ったのだ。

※道中のBGMはレッド・ツェッペリンで御座います。



※1stアルバムのジャケットは縁起が悪いから表示しません 

「ツェッペリン資料館」併設の喫茶店で食べられる事は調査
済みゆえ、そこに向かう。



経路で行くと、ちょうど映画館と亀城プラザの真ん中あたり
なのだ。

途中、川越小江戸的な路地があったので入って覗いてたら…
ありましたよ。



古い蔵を改装して、飛行船の資料を展示している喫茶店「蔵」。

通り沿いにはメニューの表示もあり。



コーヒーやスイーツもオススメとなっておりますが。

やっぱり目玉は土浦ツェッペリン・カレーです。



まぁ、前も書いたけど

1929年(昭和4年)、当時世界最大級のドイツの大型飛行船=
ツェッペリン伯号が世界一周の途中、土浦に飛来した史実あり。



その際、飛行船の乗組員に土浦ならではの食材を使ったカレーを
振る舞い歓迎したという。



それにちなみ、平成16年「食のまちづくり検討委員会」組織を
立ち上げ、市内飲食店等の協力を得てカレーによる食のまちづくりが
スタートした。  



このカレーによるまちづくりでは、日本一の生産量を誇る地元食材=
レンコンを活用したオリジナルカレーが開発され、土浦ツェッペリン
カレーとして地元店舗やレトルトで販売されるようになったそうな。

土浦セントラルシネマズへ(この世界の片隅に)

2018年09月09日 | 芸能
今日は常磐線に乗って土浦へ!

平野を駆け抜け列車は走る。急行じゃなくても速い。



今日は土浦セントラルシネマズに「この世界の片隅に」を
見に行くのです。

特別イベントあって、朝早くからの移動です。



道中のBGMは冨田勲特撮音楽集!
※もうすぐ冨田勲映像コンサートですから…

そうこうしてるうちに土浦駅到着。列車のドアは押し
ボタンで開ける。



こういうの久々。で、田舎なのかと言うとそうじゃない。

駅前は開けており、都会だ。以前の「この世界ロケ地」
イベントで体験済み。

そして歩くこと約10分。



すぐに分かった土浦セントラルシネマズ。

しかし、やっぱり入口で迷う(笑)。
※ちょっと駐車場の方に言ってしまったよ。



スポーツセンターと同じエレベーターを使うのね。

すでに「この世界の片隅に」のポスターが並んでいるから
大体は分かっちゃいたが



日焼けして色が抜けた感じのポスター・・・

「この世界の片隅に」を同映画館が掛け続けている事の
証拠でもあるのだ。



そもそも今回のイベント上映は

驚異のロングランを続けている名作アニメーション映画=
「この世界の片隅に」の記録を支えた映画館を称えるモノ。



休まず上映を続けた土浦セントラルシネマに感謝を示す・・・
そんなイベントなのだ。

もちろん片渕須直監督も仕掛け人の一人。



観客が一人でも上映を続けてくれた映画館、その土浦
セントラルシネマズさんを「みなで満員にしようじゃないか」

片渕監督の舞台挨拶も当然ある。サイン会も。



そうしてファンが集まったのだ。
ツイッターで御馴染みの方が続々と集結している。

朝の8時台ですよ。私だって7時起きで向かってますよ。



2台中1台は調子悪い券売機でチケット購入!

しかも万札入れると調子悪くなるってんで、ちょうどの
現金を事前に準備するというファンからの心遣い情報あり。



ロビーに入ると人がいっぱい。花もいっぱい。
ファン一同様が贈った花も!

※ロビーを撮影する人も多かったよ。



全席自由席ゆえ先に荷物を置いてロビーに戻った。
※結構前を確保できましたよ!

ロビーの展示物を眺めようと視界を一周させると…



「水口マネージャー」と「真木プロデューサー」が、劇場の人と
お話されてるじゃないか!

旧知の仲みたいな人々も集まってらっしゃるし、濃い空間ですわ。



ロビーにはファンらが持ち寄った映画「ロケ地」の広島市と
呉市マップ、様々なグッズが飾られている。

壁面いっぱいに貼ってあります。見ごたえ充分です。



~で、やっぱり水口さんイラスト。

そして、こうの史代さんの原作マンガ、広島や呉の聖地巡礼記事が
載っている「昭和の鉄道旅」などの関連書籍も。



~で、やっぱり水口さんイラスト。つか、作品展。

のんちゃんを「あまちゃん」時代から応援、ドラマ内の水口琢磨
マネージャーのような風貌で知られる人物。



「この世界の片隅に」登場人物などを色鉛筆で温かい筆致で描いた
イラストはファンからの支持も厚い。

片渕監督からの信頼も絶大です。



映画のロングランが続く中、映画館や催しなど各地で、延べ150
回以上鑑賞。

当然のんちゃん登場のイベントにも出没。



準備から手伝い、イベントではフライヤーを配る裏方ぶり。

声掛けしても「マネージャーですから」と言って小さく微笑む。
エライ人です。



そして…こうの史代さんから贈られた花カゴ。
遠い地から見守ってくれてるようです。

そして、水口マネージャーの「667日目!!」という色紙。



テーブルには冊子などの資料も置いてある。持ち帰りOKで
手にする人も多い。

朝日新聞の「知る原爆」も。(こちらは私もいただきました)
北海道胆振地震への義捐金BOXも設置してあった。
※ささやかな金額ですが協力させていただきましたよ…



結局、約250席は満席、補助席も出た。
複数ファンが並んで座れるよう、場所を譲る優しい男性もいらした。

開始ブザーが鳴って・・・上映開始。

「うちゃあ、ようボーっとしとると言われる」の声。



のんちゃんによる、いつものOP。

冷房の調子が悪いのか館内は暑かったが私は寧ろ良かった。
長い映画です。
冷えるとトイレに行きたくなるので、逆に助かりましたよ…。



上映終わり、ファンからは大きな拍手が。
暗転中、私は例によって涙をハンカチで拭き拭き…。

マイクを持った地元(?)映画関係者が司会となってトークが始まる。



片渕須直監督、そしてMAPPA代表でもある真木プロデューサー。

大きな拍手で迎えられ、今回の趣旨が語られた。
土浦セントラルシネマズ感謝上映でもあるが、他にも「9月9日」に
なった理由がある…と。



今日は映画の“2歳の誕生祝い”だそうです。

おととしの9月9日、東京都内で「この世界の片隅に」のゼロ号完成
披露試写会が行われた。



劇場公開は2016年11月12日だったが、「誕生」は9月9日だったとか。
その時のフィルムは「純粋に言うとまだ未完成の状態」。

「スタッフが1回も見ておらず、僕は編集で1回見た」くらい。
それでも丸山正雄プロデューサーはオンオン声を上げて号泣して…



「もう、うるさいよ」って感じだったそうです(笑)。
その後、無事に初日を向かえ、全国各地の映画館にって断続的な
上映が続いて、連続上映記録を打ち立て。

とうとう「ウエストサイドストーリー」を抜いた(!)。

特に「土浦セントラルシネマズ」は、他の地域の上映館が少なく
なっても上映を継続。



そこに感謝を込めて片渕監督はこの日の舞台挨拶に来ることを決定、
全国のファンに「土浦セントラルシネマズを満席に」と呼びかけた。

結果、客席は満席となり、片渕監督も劇場支配人も社長も感激する
結果となったのでした。(嬉しいねェ…)



恒例の「初めて見たという方!?」質問に挙手したのは十数人。
「初めて土浦に来た方は!?」という問いかけには多くの観客が
手を上げた。

さらに土浦セントラルシネマズの寺内社長も登壇。
この暑いのにスーツにネクタイです。さすが年配者です!



片渕監督への謝意を述べ、花束と「映画への」誕生ケーキが贈られた。
※客席からの「ハッピーバースデー」合唱も!

なんと社長のお孫さんも登場し花束贈呈に参加。
心温まる光景に監督も真木Pもファンも頬は弛みっ放し。



拍手は続く。
社長挨拶で「最初から上映したかったがシネコンに先を越され…」等と
語られると、監督と真木Pが笑顔で同時に司会者を指さすシーンあり、
場内は爆笑。
※司会の人は「いや~スイマセン!!」と大汗(笑)



まさに「あいつのせいです」と言わんばかりの暴露でありました。
※いまや「お仲間」ですが。基本、競争相手ですからねぇ。

片渕監督個人としては「自分の実家が映画館だった」として満員の
映画館を喜ばしく感じておられる様子。
映画は映画館で観て貰ってナンボ。真木Pからも感謝の言葉あり。



全盛時は満員立ち見も当然だった映画館。
普段は寒い(笑)セントラルシネマズ。今日は冷房が故障してるが、
昔は普通にこれくらい熱気あった。

後ろのバーだって立ち見の人のための物ですから…と。
※私も「嗚呼!花の応援団」を満員立ち見で鑑賞しましたよ。



DCP以外にフィルムの映写機もあって、支配人も今は変わって味気が
ないと仰ってるそうだ。

ゼロ号試写会、お客さんとマスコミに観て貰った。
関係者+のんちゃんも。



のんちゃんは監督が近くに呼んで、こうのさん~監督の真ん中に座った。
緊張してたが、その後目を見開いてしまって「私は今何をしてしまった
のだろうと」いう顔をしてた。

映画関係者に観てもらって、ありがたい事に中森明夫さんに翌日には記事
に書いてくれた。



その後マスコミ試写があったが、もう人が入り切らなくて…。
関係者の社長さんとかも帰しちゃった。そして色んな人が広めてくれて…。
そもそもの始まりが日は9月9日なんです…と。

土浦との関連で言えば、海軍と航空隊があって…。霞ヶ浦は適した場所
だった。※社長によると「そういう関係で花街も発展した」。



セントラルシネマズで上映できることになったが、監督は常にツイッター
発信を続け、上映も中々やめられず。
長尺版まで土浦の上映は続けるという話に。

長尺版上映時は冷房も効かせ、真っ先に舞台挨拶上映を(客席から拍手が)。



土浦亀城プラザの1階に飛行船ツェッペリン号の大きな模型があるが、
日本を訪れたのが霞ヶ浦だった。

※そして、このあと行われる「ロケ地を見よう会」の紹介あり。



その後はサイン会。長蛇の列となったが片渕監督は、一人一人に丁寧に
サインをし、言葉をかけていた。

「土浦セントラルシネマズならば、『この世界の片隅に』が見られる」
との話が口コミで広がり、同館は既に「聖地」として注目されるように
なっている。今後もそれは続くでしょう。



さて、私は以前サインは貰ってるし、「ロケ地を見よう会」までの時間で
昼食を摂るとしましょうか。

やっぱ、土浦名物ツェッペリン・カレーかな!