札幌から小樽へ向かい、さらに西側へ。日本海側にある余市町は、海と山と川がある自然の恵み豊かな街。
日本のウイスキーの父とも称されるニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝さんは、この自然の中でこそ素晴らしいウイスキーを育むことができると考え、1934年、余市に蒸留所を作ったそうです。
冷涼で湿潤な気候。きれいな水と空気。吹く風には森の香りと、海からの潮の香り。
ウイスキーは長期間、樽で熟成されるので、その土地の自然、気候、風土はウイスキーに個性を与えます。
だから、ウイスキーを作る上で必要なものがたくさんある余市は、ウイスキーづくりのまさに理想郷。
ウイスキーづくりの理想郷は………
すなわち酒呑みの理想郷でもあります(笑)
そんな訳で、行って参りました。ニッカウヰスキー余市蒸留所。
余市町は札幌からも比較的近く、いつか行きたいと思いつつ行っていなかったんですが…
次のNHKの朝ドラ『マッサン』の舞台になると聞き、それであれば「あまちゃん」のような朝ドラ効果が出る前に行かなければと思いまして。
さらには先日、サイト「トリップアドバイザー」で発表された「行ってよかった工場見学&社会科見学ランキング」でも、堂々の1位に輝いたそうで、今頃は既に混みあってるかもしれません。
余市蒸留所の工場見学が1位になったというのは、これはもう確かに納得できる話。実際に行ってみて、その内容もおもてなしも素晴らしいと感じました。
では。
いざ、ウイスキーの理想郷へ。
余市は札幌からは列車で一時間ほど。
余市駅から歩いて程なくすると…
蒸留所の正門が現れます。徒歩数分、本当に余市駅前と言えるような近さです。
近くで見るとその存在感は圧巻。石造りの重厚さは、ヨーロッパのお城のよう。
入り口には受付があり、ガイド付きの見学コースを申し込みました。三十分おきにあって予約無しで大丈夫。もちろん、自由に見学することも可能です。そしていずれも無料。
待合室で待機していると、併設された売店では限定品のチョコや甘納豆などが売られていました。ウイスキーやブランデーの風味がついた、いかにもお酒に合いそうな品々。
…たまらず早速買いました(笑)。
そして壁にはウイスキーの製造行程や、歴史などの解説が一面に。
ふむふむと眺めていると時間になり、女性のガイドさんが登場。
朝一番のガイド付き見学コースだったので、参加者は僕と若いカップルの三名。逆にじっくり見学できます。
約一時間でウイスキーを学び…最後にはウイスキーを飲みます(笑)。
まずは、待合室の壁にあったウイスキーの製造行程の資料で、ガイドさんから大まかな説明を受けます。久しぶりの学校気分。この時点で既に楽しい。
このガイドさん、当然ではありますがウイスキーの説明にかけてはスペシャリスト。
その美しき笑顔には自信がみなぎり、風格すら感じます。実にかっこいい。
明るくハキハキと丁寧に説明してくださいました。とても清々しい応対に、ニッカのウイスキーがさらに好きになりました。
ちなみに。
前段の話は当然、ガイドのお姉さんの受け売りです。
(^_^;)
それはさておき。
基礎知識を学んだところで、いよいよ蒸留所内の各施設へ。
蒸留所自体がヨーロッパの雰囲気。スコットランドに実際にこんな街がありそうです。
ちなみに一枚目の写真は、ピート(草炭)を燃やした煙で麦芽を乾燥させ、その薫りをつけるキルン塔という施設。最初に案内されたのですが、入り口のすぐ前にあります。これも趣のある建物でした。
その後の糖化(乾燥させた麦芽を粉砕して温水を加え「麦汁」にする)や、醗酵(麦汁に酵母を加えて糖をアルコールに変える)などの行程ごとにそれぞれ建物が別れてました。
そしてウイスキーづくりの象徴とも言える…
蒸留棟へ。醗酵液を熱してアルコールや薫りの成分を取り出します。醗酵液は蒸留前はビールのような感じなんですが、この蒸留という行程によりウイスキーの「原酒」を取り出すわけです。
その蒸留を行うのが、この「ポットスチル」とよばれるもの。
ポットスチルにはしめ縄が。造り酒屋の出身だった竹鶴政孝さんは、日本酒の酒蔵の風習に倣ってポットスチルにもしめ縄をつけたとか。そもそも、ウイスキーも神聖なものと考えたんでしょうね。
運良く、丁度蒸留の作業をしている最中でした。
余市蒸留所の特徴のひとつですが、石炭を焚いて直火で蒸留していました。世界的にも珍しいようです。ニッカのウイスキーの骨太さは、この力強い石炭の火力が産んでいるのかもしれませんね。
建物に入ったとたん、出来立てのウイスキーの薫りが。何とも甘美な薫りです。これだけで酔いそうです。
樽に詰められる前の、いわばウイスキーの赤ちゃんが目の前で産まれているわけです。そう思うと、何とも初々しい、愛おしさすら感じる香りでした。
お酒が苦手な人にはキツいだけかもしれませんが。
(^_^;)
蒸留は二回行われ、原酒はその後オーク材の樽に詰められ熟成されます。
そして長い期間、余市で眠り続けて美味しいウイスキーとなるわけです。
こちらが創業者、竹鶴政孝さんとリタ夫人です。
リタ夫人は朝ドラ「マッサン」の主人公ですね。ご主人を呼ぶ際に「まさたかさん」がいつしか「マッサン」になったとか。
竹鶴さんは、留学先のスコットランドで彼女と出会い、夫婦になるわけですが、当時は今のように国際結婚が一般的ではなかった世の中。ご苦労が絶えなかったようです。
竹鶴さん自身は、リタ夫人を全く馴染みのない異国である日本へ連れていくのは酷だと考えたようで、自分がそのままスコットランドに留まる考えをリタ夫人に告げたそうです。
でも、竹鶴さんは日本でウイスキーを作るために単身海外に渡り、その夢を果たすために勉強をし続けた訳で、その情熱を知るリタ夫人は、竹鶴さんに日本に戻りウイスキーを作るべきだと告げ、そのために自分も日本に渡るとその決意を彼に伝えたそうです。
つまり。
リタ夫人のこの決意がなければ、今のように質の高いウイスキーが日本で作られることは無かったかもしれないわけで、その意味ではまさに彼女は日本のウイスキーの母ですよね。
ご夫婦が暮らした家です。
リタ夫人は日本の文化に溶け込もうと努力を重ね、その風習を身につけ、日本料理を作り、漬物やイカの塩辛なども手作りしたとか。
竹鶴さんはそんな彼女を、日本人以上に日本人らしいと誉め称えたそうです。
竹鶴さんの銅像を眺めつつ、リタ夫人が居たからこそこの地でウイスキーづくりが根付いたんだなぁ…としみじみ。
ちなみに、ニッカウヰスキーの「ニッカ」は、当初の社名である「大日本果汁株式会社」の略。ウイスキー好きなら常識かもしれませんが。
(^_^;)
ウイスキーが市販できるようになるには、樽での熟成期間が終わるのを待つ必要があったので、最初はリンゴジュースなどを作って販売していたそうです。
その意味でも、リンゴの産地であった余市は都合がよかったわけですね。
今では、リンゴの発泡酒「シードル」もニッカから売られてますが、僕はこれも好きです。
そんなことも踏まえつつ。
後編へ。
日本のウイスキーの父とも称されるニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝さんは、この自然の中でこそ素晴らしいウイスキーを育むことができると考え、1934年、余市に蒸留所を作ったそうです。
冷涼で湿潤な気候。きれいな水と空気。吹く風には森の香りと、海からの潮の香り。
ウイスキーは長期間、樽で熟成されるので、その土地の自然、気候、風土はウイスキーに個性を与えます。
だから、ウイスキーを作る上で必要なものがたくさんある余市は、ウイスキーづくりのまさに理想郷。
ウイスキーづくりの理想郷は………
すなわち酒呑みの理想郷でもあります(笑)
そんな訳で、行って参りました。ニッカウヰスキー余市蒸留所。
余市町は札幌からも比較的近く、いつか行きたいと思いつつ行っていなかったんですが…
次のNHKの朝ドラ『マッサン』の舞台になると聞き、それであれば「あまちゃん」のような朝ドラ効果が出る前に行かなければと思いまして。
さらには先日、サイト「トリップアドバイザー」で発表された「行ってよかった工場見学&社会科見学ランキング」でも、堂々の1位に輝いたそうで、今頃は既に混みあってるかもしれません。
余市蒸留所の工場見学が1位になったというのは、これはもう確かに納得できる話。実際に行ってみて、その内容もおもてなしも素晴らしいと感じました。
では。
いざ、ウイスキーの理想郷へ。
余市は札幌からは列車で一時間ほど。
余市駅から歩いて程なくすると…
蒸留所の正門が現れます。徒歩数分、本当に余市駅前と言えるような近さです。
近くで見るとその存在感は圧巻。石造りの重厚さは、ヨーロッパのお城のよう。
入り口には受付があり、ガイド付きの見学コースを申し込みました。三十分おきにあって予約無しで大丈夫。もちろん、自由に見学することも可能です。そしていずれも無料。
待合室で待機していると、併設された売店では限定品のチョコや甘納豆などが売られていました。ウイスキーやブランデーの風味がついた、いかにもお酒に合いそうな品々。
…たまらず早速買いました(笑)。
そして壁にはウイスキーの製造行程や、歴史などの解説が一面に。
ふむふむと眺めていると時間になり、女性のガイドさんが登場。
朝一番のガイド付き見学コースだったので、参加者は僕と若いカップルの三名。逆にじっくり見学できます。
約一時間でウイスキーを学び…最後にはウイスキーを飲みます(笑)。
まずは、待合室の壁にあったウイスキーの製造行程の資料で、ガイドさんから大まかな説明を受けます。久しぶりの学校気分。この時点で既に楽しい。
このガイドさん、当然ではありますがウイスキーの説明にかけてはスペシャリスト。
その美しき笑顔には自信がみなぎり、風格すら感じます。実にかっこいい。
明るくハキハキと丁寧に説明してくださいました。とても清々しい応対に、ニッカのウイスキーがさらに好きになりました。
ちなみに。
前段の話は当然、ガイドのお姉さんの受け売りです。
(^_^;)
それはさておき。
基礎知識を学んだところで、いよいよ蒸留所内の各施設へ。
蒸留所自体がヨーロッパの雰囲気。スコットランドに実際にこんな街がありそうです。
ちなみに一枚目の写真は、ピート(草炭)を燃やした煙で麦芽を乾燥させ、その薫りをつけるキルン塔という施設。最初に案内されたのですが、入り口のすぐ前にあります。これも趣のある建物でした。
その後の糖化(乾燥させた麦芽を粉砕して温水を加え「麦汁」にする)や、醗酵(麦汁に酵母を加えて糖をアルコールに変える)などの行程ごとにそれぞれ建物が別れてました。
そしてウイスキーづくりの象徴とも言える…
蒸留棟へ。醗酵液を熱してアルコールや薫りの成分を取り出します。醗酵液は蒸留前はビールのような感じなんですが、この蒸留という行程によりウイスキーの「原酒」を取り出すわけです。
その蒸留を行うのが、この「ポットスチル」とよばれるもの。
ポットスチルにはしめ縄が。造り酒屋の出身だった竹鶴政孝さんは、日本酒の酒蔵の風習に倣ってポットスチルにもしめ縄をつけたとか。そもそも、ウイスキーも神聖なものと考えたんでしょうね。
運良く、丁度蒸留の作業をしている最中でした。
余市蒸留所の特徴のひとつですが、石炭を焚いて直火で蒸留していました。世界的にも珍しいようです。ニッカのウイスキーの骨太さは、この力強い石炭の火力が産んでいるのかもしれませんね。
建物に入ったとたん、出来立てのウイスキーの薫りが。何とも甘美な薫りです。これだけで酔いそうです。
樽に詰められる前の、いわばウイスキーの赤ちゃんが目の前で産まれているわけです。そう思うと、何とも初々しい、愛おしさすら感じる香りでした。
お酒が苦手な人にはキツいだけかもしれませんが。
(^_^;)
蒸留は二回行われ、原酒はその後オーク材の樽に詰められ熟成されます。
そして長い期間、余市で眠り続けて美味しいウイスキーとなるわけです。
こちらが創業者、竹鶴政孝さんとリタ夫人です。
リタ夫人は朝ドラ「マッサン」の主人公ですね。ご主人を呼ぶ際に「まさたかさん」がいつしか「マッサン」になったとか。
竹鶴さんは、留学先のスコットランドで彼女と出会い、夫婦になるわけですが、当時は今のように国際結婚が一般的ではなかった世の中。ご苦労が絶えなかったようです。
竹鶴さん自身は、リタ夫人を全く馴染みのない異国である日本へ連れていくのは酷だと考えたようで、自分がそのままスコットランドに留まる考えをリタ夫人に告げたそうです。
でも、竹鶴さんは日本でウイスキーを作るために単身海外に渡り、その夢を果たすために勉強をし続けた訳で、その情熱を知るリタ夫人は、竹鶴さんに日本に戻りウイスキーを作るべきだと告げ、そのために自分も日本に渡るとその決意を彼に伝えたそうです。
つまり。
リタ夫人のこの決意がなければ、今のように質の高いウイスキーが日本で作られることは無かったかもしれないわけで、その意味ではまさに彼女は日本のウイスキーの母ですよね。
ご夫婦が暮らした家です。
リタ夫人は日本の文化に溶け込もうと努力を重ね、その風習を身につけ、日本料理を作り、漬物やイカの塩辛なども手作りしたとか。
竹鶴さんはそんな彼女を、日本人以上に日本人らしいと誉め称えたそうです。
竹鶴さんの銅像を眺めつつ、リタ夫人が居たからこそこの地でウイスキーづくりが根付いたんだなぁ…としみじみ。
ちなみに、ニッカウヰスキーの「ニッカ」は、当初の社名である「大日本果汁株式会社」の略。ウイスキー好きなら常識かもしれませんが。
(^_^;)
ウイスキーが市販できるようになるには、樽での熟成期間が終わるのを待つ必要があったので、最初はリンゴジュースなどを作って販売していたそうです。
その意味でも、リンゴの産地であった余市は都合がよかったわけですね。
今では、リンゴの発泡酒「シードル」もニッカから売られてますが、僕はこれも好きです。
そんなことも踏まえつつ。
後編へ。