紀伊徳川家の威光を示す巨城である和歌山城は、
和歌山市の中心部に位置する標高48.9mの
虎伏山(とらふすやま)に立つ和歌山市のシンボル。
現在、城跡として現存しているのは、
最盛期の4分の1ほどの面積とか。
1935年国宝に指定されましたが、
1945年7月9日の和歌山大空襲で焼失。
戦後市民からの要望もあり、
1958年に鉄筋コンクリート造に復元され、
連立式天守群が甦りました。
紀伊を平定した羽柴秀吉に命じられ、
弟の秀長が築城を開始したのが1585年。
翌年秀長の城代桑山重晴が入城し、
関ヶ原合戦には浅野幸長が入り、城は大拡張。
1619年徳川家康の十男頼宣が入封し、
御三家の格式にかなう大城郭へと拡張します。
時代によって石の種類や石垣の積み方などが異なり、
野面積・打込接・切込接へと変化しています。
豊臣・浅野時代の石垣には刻印された
石垣石があるのも特徴です。
別名:竹垣城、虎伏城
種別:平山城
築城年:1585年、1600年、1619年
天守構造:層塔型 三重三階 鉄筋コンクリート造
築城者:羽柴(豊臣)秀長、浅野幸長、徳川頼宣
和歌山県和歌山市一番丁3
2008.4.29