'06/12/18の朝刊記事から
日本の「第三の開国」
非核アジアの推進役に
元駐日韓国大使 崔 相龍(チェ サンヨン)
最近、日本では第三の開国(改革)に対する論議が盛んだ。
第一の開国は明治維新で、第二の開国は戦後の米国による占領改革だ。
それならば、日本が志向する第三の開国とは何か。
明治維新は日本の伝統的な存在である天皇に権力と権威を独占させ、その天皇制を中心に日本の近代化を成就させたものである。
その点で、明治維新は日本自らの選択であり、非西欧国家の近代化のモデルとして歴史に記録されている。
ところが、占領政策は戦勝国、米国によってもたらされたものだ。
明治維新が日本の伝統を制度化したものであるなら、占領政策は外圧による民主主義の移植ということができる。
占領改革に対する評価は日本の針路をはかるバロメーターになる。
再三の改革を論議する人々はおおむね、与えられた戦後日本の民主主義を受け入れながら、明治維新の伝統を継承しようと試みているようである。
彼らは占領の「非自主性」を強調し、現行憲法改正の必要性を説く。
脱亜なら孤立
こうした第三の開国に対する論議は、少なくとも次のような二つの点を深く考えておかなかればならない。
第一には明治維新と戦後占領は、連続性よりは変化の観点で把握しなければならない
ということだ。
明治維新の延長線上で展開された日本の帝国主義、軍国主義が結局、日本の敗亡の原因になったことを考えれば、米国による占領政策は明治維新の否定的要素の改革過程といえる。
従って明治維新の伝統と米占領下の民主改革の連続性を無批判的に受け入れてはならない。
第二に、今後展開される日本の第三の開国の方向はアジアとの関係を明確に設定する必要がある。
明治維新が選択した「脱亜入欧」の政策は日本の近代化には成功したが、その推進過程で朝鮮と中国に対してぬぐいがたい傷跡を残した。
戦後日本は明治以来の「脱亜入欧」の代わりに「脱亜入米」に近い路線を歩んできて、アジアとの友好的な関係の確立を渋ってきた。
今や、日本は言うまでもなく世界第二の経済大国であり、政治制度としての民主主義も130年の学習を通じて日本の伝統に深く根を下ろした。
そして、日中韓の経済力を合わせると世界の国内総生産(GDP)の約2割に達し、これら三国の経済的な相互依存関係は日増しに深まっている。
今後、日本が欧米、特に米国一辺倒に向かい北東アジア地域から「脱亜」の道を歩むなら、外交的孤立を自ら招くことになるだろう。
今や、日本はどの地域や国家に対しても「脱」とか「入」の立場を取るのではなく、欧米はもちろん特にアジアとの共生関係の道を歩まねばならないだろう。
米中韓と協力
ここで私は日本の友人の1人として一つの提言をしたい。
それはほかでもない日本が第三の開国の出発点として、非核イニシアチブを取ることだ。
日本は核を持たない先進国であり、人類の歴史上、最初の被爆国だ。
そして、最近のNHKの世論調査によると、日本国民の67%が核を持ってはだめだと言っている。
経済大国、日本が核を持つことはこの地域最大の恐怖である。
逆に、驚くべき潜在力にもかかわらず核を持たない日本の存在は、それ自体が魅力的なソフトパワーである。
韓日両国は、核をつくることができる十分な能力があるにもかかわらず、持っていない。
この両国の協力は六カ国協議でも説得力があり、中国を含めた北東アジア三国の地域協力の新たな出発にもなる。
さらに、日本の自主外交の象徴ということができる日朝の平壌宣言は非核、国交正常化、経済支援を内容にしているために、この宣言が履行されれば、北東アジアの平和達成に決定的な役割を果たすだろう。
従って、日本政府は六カ国協議で核と拉致問題をセットで提起するのではなく、核問題は米中韓と手を結び、拉致問題は北朝鮮と二国間対話で解決するという高難度のリーダーシップを発揮することを望む。
この道こそが、長い間の脱亜の誘惑から抜け出し、アジアとの共生への新たな開国へとつながるだろう。