'07/10/14の朝刊記事から
金大中事件 KCIAが暗殺計画
元要員が証言 暴力団に依頼検討
【ソウル13日共同】1973年8月に韓国の野党指導者、金大中(キムデジュン)氏(後に大統領)が東京のホテルで拉致された「金大中事件」で拉致に関与した韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)の元要員が、拉致前にKCIA内部で金氏の殺害を日本の暴力団に依頼することが検討されていたと証言していたことが13日、分かった。
韓国政府筋が明らかにした。
元要員は、歴代政権下の人権弾圧などを調べる国家情報院の「過去事件の真相究明委員会」で証言。
同委員会は調査を終え、この証言も盛り込んだ報告書を近く公表する。
公表されれば、朴正熙(パクチョンヒ)大統領(当時)政権下で金氏の暗殺計画があったことを政府として初めて認める形になる。
委員会は、拉致が李厚洛(イフラク)KCIA部長(当時)の指示で20数人が参加して実行されたことを確認した。
このうち、拉致の実行にかかわった元要員が「当時KCIA内には(金氏を)殺害する意図があった。(日本の)やくざへの殺害依頼が検討されたが、難しいと判断、韓国に連れ戻すことにした」と話した。
拉致の目的については、海外での金氏の反政府活動を押さえ込むこととしており、ほかの元要員は、拉致後に殺害する計画はなかったと供述したという。
金氏は拉致後に船に乗せられ、海に投げ込まれかけたと証言し、殺人未遂だったと主張してきた。
委員会は少なくとも拉致事件前に金氏の暗殺が検討されたと判断したが、拉致が殺害を目的としたものかどうかは結論を出せず、金氏や事件関与者の証言の併記にとどめるとみられる。
一方、朴大統領の指示に関しては、元側近らは否定している。
李氏が高齢で認知症が進み供述が取れなかったため、委員会としては確認できなかった。
国家情報院に事件に関する資料が残されておらず、調査は関係者の証言に頼るしかなかったという。
核心部分 未解明のまま
【ソウル13日共同】日韓両政府が隠蔽してきた金大中事件について、韓国国家情報院の「過去事件の真相究明委員会」が、情報機関の犯行であり、事件前には金氏の暗殺も計画されていたとする報告書を発表する。
公になれば、盧武鉉(ノムヒョン)政権による「歴史清算」の努力が、事件の概要を浮かび上がらせることになる。
しかし①拉致が殺害目的だったのか②朴正熙大統領(当時)の指示があったのか-という核心部分は、資料が既にすべて処分されているため未解明に終わる見通しだ。
軍人出身政権と民主化運動の流れをくむ勢力の間で思想的な衝突が続く韓国社会で、現代史の闇を解明することの難しさも浮き彫りになった。
事件は1973年8月の発生直後から韓国中央情報部(KCIA)の関与が発覚。
朴大統領の指示なしにKCIAが動くことはあり得ないとの見方が強かった。
生還した金氏は監禁中に殺害されかけたと証言した。
だが、日韓政府は二度の「政治決着」で真相解明を行わないことで合意。
後に大統領になった金氏も、自分が政争の焦点になることを避けるため在任中に解明の努力をしなかった。
これに対し過去の政権の不正検証に積極的に取り組む盧政権は調査機関を設け、KCIAの関与の確認と残る疑惑の解明に取り組んだ。
しかし記録が消された後に、軍人出身政権の“一部”だった事件関与者が疑惑の核心に答えることはなかった。
金大中事件
1973年8月8日、韓国野党指導者として朴正熙政権を批判していた金大中氏(前大統領)が東京のホテルで拉致され、5日後にソウルで解放された。
拉致現場から在日韓国大使館の一等書記官の指紋が見つかり韓国中央情報部(KCIA、現在の国家情報院)の犯行の疑いが強まったため、「主権侵害」と日本の世論は硬化。
同年11月、韓国政府は一等書記官の免職を決定、金鍾泌(キムジョンピル)首相が訪日して陳謝し、第1次政治決着が図られた。
75年には事件に関する口上書を韓国が出し、第2次政治決着が図られた。
国家情報院は2004年「過去事件の真相究明委員会」を設け調査してきた。 (ソウル共同)