’08/05/25の朝刊記事から
四川大地震 核の街 住民に不安
コンクリ1200トン搬入「何かが起きた」
中国・四川大地震の被災地で、核関連施設「821工場」がある四川省広元市三堆に24日までに入った。
「ここの取材は一切だめだ」と警官。
「地震で工場が壊れたと聞いた。その後、大量のコンクリートを運び込んだ。何か問題が起きたのは間違いない」と不安がる住民。
中国メディアの記者の姿もなく、ほかの被災地とは異質の緊張感が漂っていた。
三堆は成都から北東へ約300キロ。
高速道路を下り、山間部に約30キロ入った人口約3万4千人の辺鄙な街には「核工業技術学校」「四川核工業」など核関連施設の看板が目立つ。
「821」の標識のある入り口では、軍人と警官が道を封鎖していた。
理由を聞いても「安全に問題があり、誰も入れることはできない」と繰り返し、一切説明しなかった。
中国の軍事動向に詳しい民間軍事研究機関「漢和情報センター」(本部・カナダ)によると、「821」は主に大陸間弾道ミサイル「東風5号」などの核弾頭に使うプルトニウムの製造を行う施設だが、国際原子力機関(IAEA)に登録されていないという。
「地震発生の後、821工場に運び込んだコンクリートは1200トンに上る」。
まゆをひそめてこう語る付近の建材業の男性は、コンクリート搬入の手伝いをした。
工場の作業員も避難したという。
事実とすれば、コンクリートによる放射能漏れ封じ込めの作業が行われている可能性もある。
中国政府は被災地で核関連施設が壊れ、未回収の放射性物質が15個あることを認めているが、場所などは一切明らかにしておらず、三堆の住民にも不安が広がる。
街の建物被害は比較的軽度だが、警備だけが厳しい。
被災地一帯は中国の核研究・開発・貯蔵の基地でもあるが、中国政府は公表しておらず実態はベールに包まれている。
震災により、図らずもその一端が明らかになった。
中国筋によると、政府は地震発生当日の12日、四川省入りした温家宝首相に核の専門家を同行させ、ただちに安全確認を行った。
指導部は相当緊張したようだ。
中国は1960年代、故毛沢東が米国やソ連との戦争などに備え、重工業基地を沿岸部から内陸部に移す「三線建設」を行った。
この歴史的経緯から、核関連施設はいまも四川省などの辺鄙な地域に点在している。
広元市当局者は工場の放射能汚染などの可能性について「この地区は軍が管理しており、われわれは何も知らない」と話した。 (中国四川省広元市、共同)
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