八重垣神社で縁結び占いをし、満足のいく結果が得られた私。
国道432号を南下し、目的地たる神社への案内看板が現れました。
「神の魂の神社」という、なんとも光厳な社号。
世に「雀魂」なるゲームがありますが、それにならって「かみたまじんじゃ」・・・ではなく「かもすじんじゃ」と読みます。
「神」=「かも」はともかく、「魂」=「す」なんて読めねえよ・・・PCでもスマホでも漢字変換ができないくらいです。
国道から離れて約500メートルほど進み、
神魂神社に到着しました。
【八重垣神社→神魂神社 のルート】
八重垣神社 8時45分発
島根県道246号八重垣神社線・島根県道247号八重垣神社竹矢線・国道432号線・島根県道248号神魂神社線経由
神魂神社 9時03分着
*移動距離 3.1km
*所要時間 18分 (平均の速さ 10.3km/h)
これより参道を上っていきます。
灯籠の脇にある、苔むした手水鉢。
ここから右への急な石段が男坂、そのまま前進するなだらかな坂道が女坂というそうです。
男坂を上っていくと、ダイレクトに神魂神社 拝殿の方へ。
神魂神社は、
天穂日命は葦原中原平定(国譲り)において
国譲りが成った後も大国主神に仕えることとなり、出雲
以上が伝承ですが、奈良時代の出雲地方の地誌『出雲国風土記』や、平安時代初頭の全国神社リスト『延喜式神名帳』にその記述がなく、はじめて文献に現れるのが承元2年(1208年)に記された鎌倉将軍の
神々の母・
意宇六社・2番目の神社は、神魂神社でございます。
拝殿の後ろに鎮座する神魂神社 本殿【国宝】。
天正11年(1583年)に再建されたものが現存しているものと考えられています。
大社造という社殿の建築様式では、現存最古のものとされています。
大社造は出雲国(島根県東部)のみに見られ、その特徴は・・・
まず、掘立柱で建っていることが挙げられます。
土地を掘って穴を造り、柱はその穴に立てられて、掘り出した土で周りを固められます。
まぁ、この画からではわかりませんね。
屋根の構造が切妻屋根であることも大きな特徴です。
屋根の頂の棟から地上に向かって2つの斜面が、〈 ←本を伏せたかのような山の形をした屋根をいいます。
そして大社造では、切妻屋根が 〈 ではなく 人 ・・・
つまりはゆるやかな曲線になっています。
本殿内部への出入口は妻入り、すなわち屋根の棟と垂直な面(妻)に出入口が設けられています。
もっと簡単に表すならば、人 の見える面に出入口があるということです。
そして出入口は、妻の中央より右側に設けられている場合が多いそうです。
ところで、神魂神社の境内は・・・
拝殿&本殿に向かって左に末社が5社、右には末社が4社、そして社務所があるだけ。
国宝を擁する神社の割には境内自体もそれほど広くなく、そして余計な案内看板がない、観光地化されていないように感じられました。
参拝客は朝の時間帯ながら20名ほどとそれなりにいましたが、それでも境内はおごそかな雰囲気を微塵も損なっておりませんでした。
私も新鮮な心持ちで、朝のお詣りをしていきます。
本殿に向かって左側の末社、画像左から武勇社、蛭子社、荒神社、外山社・・・
本殿の脇に貴布祢稲荷両神社 本殿【国指定重要文化財】。
9時10分、お詣りはひと通り終了。
国宝に重要文化財を有する神社にしては、ほんとうに小ぢんまりとしています。
拝殿の脇にある社務所で、御朱印を頂戴しようと思っていましたが、社務所が開いていません。
すでに数名の参拝客が前で待っていましたが、社務所の中に人の気配はありません。
10分ほど待ちましたが、社務所が開く様子もありません。
この日はあと4ヶ所の神社をお詣りするなど、予定が目白押しだったので、神魂神社の御朱印はあきらめることとしました。
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