鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

意宇六社めぐり・第1章~八重垣神社で縁を占う

2021-07-23 | 神社


令 和 元 年 神 在 月 廿 弐 日 ( 即 位 礼 正 殿 の 儀 )

午 前 七 時 参 拾 九 分

松 江 ア ー バ ン ホ テ ル レ ー ク イ ン





松江のビジネスホテル、2日目の朝食をいただきます。
だいたい前日と似たラインナップですね、お肉料理がちょっと変わったぐらいです。
この日もご飯をおかわりし、己の腹に十分な養分をため込みます。

朝食とともに写っている、青いキーホルダの自転車の鍵。
こちらのホテルは、なんと宿泊者にレンタサイクルを無料で貸与してくれるのです。
というわけで「縁結びのたび」5日目は、こちらのレンタサイクルで松江市内を回っていきます。

この日はまず、意宇(おう)六社という松江市内の6つの神社を参拝します。
そして、この旅最大の目的といえる松江城【国指定史跡】へ。
さらに、旅立ちの前にお勧めされた月照寺【国指定史跡】にも訪れていきます。


意宇六社は、出雲国意宇郡、現在の松江市内にある6つの神社をいいます。
意宇郡は、出雲大社の宮司を代々務めた出雲国造(くにのみやつこ)家ゆかりの地。
そして6つの社も、出雲大社にゆかりのある神社ということになります。

 ・熊野大社【旧国幣大社・出雲國一宮】
 ・眞名井神社【旧村社】
 ・揖夜(いや)神社【旧県社】
 ・六所神社【旧県社・出雲國総社】
 ・八重垣神社【旧県社】
 ・神魂(かもす)神社【旧県社】

この6社を、自転車で巡って参ります。



ルートは、国道432号線を南に進み、途中で島根県道246号・八重垣神社線に入ります。


その道中、国道432号沿いには、元内閣総理大臣 若槻禮次郎生誕地の石柱が立っています。
なんの変哲もない、家賃の安そうなアパートの前にぽつんと立つ石柱。

若槻禮次郎は大正15年(1925年)から昭和2年(1926年)までと、昭和6年(1931年)の2度にわたって内閣総理大臣を務めました。
外務大臣には幣原(しではら)喜重郎を起用し、対外協調外交を基本とする「幣原外交」を展開。
昭和6年の第2次内閣のときには、満州事変が勃発したことがきっかけとなり、総辞職に追い込まれました。

戦前の政治をリードし、日本史の教科書に必ず載っている宰相の石碑にしては、あまりにも唐突な場所にあったため、写真を撮ることすら忘れてしまいました。






午 前 八 時 拾 七 分

八 重 垣 神 社 に 到 着




「意宇六社」・最初の神社は、八重垣神社でございます。


高天原を追放された素戔嗚尊(スサノオノミコト)は、斐伊川(ひいがわ)に降臨され、その上流へと足を運ばれました。
すると、脚摩乳(アシナヅチ)手摩乳(テナヅチ)老夫妻が、ひとりの娘・奇稲田姫(クシイナダヒメ)とともに泣いています。
素戔嗚尊が事情をお尋になると、老夫妻には8人の娘がいたが、毎年八岐大蛇(ヤマタノオロチ)にひとりずつ食われ、いま最後の娘も食い殺されようとしているのだというのです。
八岐大蛇は、ひとつの胴体から8つの頭、8つの尾が生えている巨大な怪物。
素戔嗚尊は、奇稲田姫との婚姻を条件に、八岐大蛇の退治を申し出られます。

老夫妻がこれを了承すると、素戔嗚尊は奇稲田姫を櫛に変えられ、自らの頭髪にお挿しになって姫を守られました。
そして老夫妻に強い酒を用意させ、また8つの門をこしらえた垣根にそれぞれ8瓶の酒を据え置かせました。

怪物・八岐大蛇登場。
8門の垣根に至ると、8つの首をそれぞれの門から入れ、それらにあった酒を飲み始めました。
酒を飲み干した八岐大蛇は、その酔いから眠りこけてしまいます。
そこで素戔嗚尊は剣を抜かれ、八岐大蛇の首や尾を切り落とされました。
大蛇の尻尾を切りつけたときに剣が弾かれたので、中を切り裂いてみると、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が出てきました。
素戔嗚尊は、のちにこの天叢雲剣を姉の天照大神に献上されています。

八岐大蛇を退治された素戔嗚尊は、出雲の地をお気に召し、宮殿を造ることにしました。
宮殿を造る際に雲が立ち上がり、この様子をご覧になった素戔嗚尊は、

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を


と詠まれました。
この歌は、日本で初めて詠まれた和歌とされています。



お二人がお住まいになった宮殿が、現在の八重垣神社となりました・・・というわけではありません。
宮殿は「須賀宮」といい、これが八重垣神社の起源といわれています。
なお現在では須我神社(雲南市大東町)となっています。


『出雲国風土記』によると、素戔嗚尊の御子のひとりといわれる青幡佐草日古命(アオハタサクサヒコノミコト)がこの地に坐したといい、はじめは佐久佐神社が鎮座していたといいます。
しかし時代が下ると、八重垣神社は須賀の地から佐久佐神社の境内に遷座したのだそうです。
明治11年(1878年)に佐久佐神社から八重垣神社に改称し、現在に至っています。





神社の境内に入る前に、道路を挟んで向かい側・・・



連理の玉椿です。

奇稲田姫が2本の椿の枝をお立てになると、そこから芽吹いた椿の木はあたかも1本の木のように立っていきました。
椿の木が枯れてからも、境内には二股の椿が生えてくるようになったといいます。
以来、八重垣神社の椿の木は愛の象徴とされています。
この八重垣神社の椿の木が、化粧品会社・資生堂のマークのもとになったともいいます。




あらためまして、境内へ。



早速ながら、正面に拝殿が構えられています。
ここは当然ながら、縁結びを祈願いたしましょう。
こちらの参拝作法は、多くの神社と同じく二礼二拍手一礼
出雲大社に関わりある神社ですが、二礼四拍手一礼ではないようです。

 

拝殿の後ろに構える本殿
大社造という形式で、内部の空間は正方形、屋根は傾斜がきつめになっています。


拝殿の脇にある社務所にて、御朱印を頂戴しましょう。
300円支払って、御朱印帳を預けていきます。
それから・・・



100円支払って、和紙を1枚いただきます。




八重垣神社の境内はそれほど広くはないのですが、本殿に向かって左脇から佐久佐女(さくさめ)の森へと続いています。


八岐大蛇との戦いの前に、奇稲田姫の安全をどのように確保するか。
これには別の神話があり、大蛇との戦前に構えたのは8重の垣根で、この中の佐久佐女の森に奇稲田姫を避難させたといいます。





境内にある夫婦椿のひとつ・乙女椿



その先にある木戸から境内を下って小路を渡ると、佐久佐女の森へと進むことができます。




佐久佐女の森に入ると、まず立っている子宝椿
八重垣神社にある3本(6本?)の夫婦椿は、すべて拝見したことになります。



立派な一本の杉の木。
こちらのご神木なのだろうと思っていたのですが、どうも夫婦杉の一本のようです。
そして森の一番奥にある池が、鏡の池です。
池の画はないんですけどね。

鏡の池は、奇稲田姫が八岐大蛇から難を逃れていたおりに、日々の飲み水として、また化粧する際の鏡として用いられたといいます。
こんこんと湧き出る清水は、かつての姫のお姿を彷彿とさせる・・・かどうかはわかりませんが、現在は縁結び占いの池とされています。



社務所にて100円で購入した和紙。
この真ん中に10円または100円を載せて、池に浮かべます。
このとき、15分以内に沈むと良縁が早く30分以上かかってしまうと縁結びは遠いといいます。
また、近くで沈むと身近な人と結ばれ離れたところで沈むと遠方の人と結ばれるのだそうです。






午 前 八 時 参 拾 弐 分

縁 結 び 占 い 開 始




私としては、どうしても早く、そして近くで沈んでもらわなきゃ困るんだ!!
・・・というわけで、比較的質量のある100円玉を載せることにしました。

和紙を水につけると、文字が浮かび上がってきました。
「東と北 吉」ですか・・・千葉の柏から西の出雲国にやってきた私に、ちょっとばかり冷や水を浴びせるような言葉ですなぁ。
今回のたびも東北地方にすればよかったのか?!

このとき鏡の池で占っていたのは、私ともう一人の女性。
その方は、私よりも先に和紙を浮かべていたようですが・・・二人そろって、和紙が沈む気配なし。






午 前 八 時 参 拾 参 分

瑞 祥 現 る ? !


和紙に埋もれた池の底から、なにやら黒い生物が姿を現しました。



イモリです。
トカゲのような姿をしていますが、カエルと同じ両生類で、サンショウウオの仲間です。
背面は黒いのですが、腹面はオレンジ色ないし赤。
漢字で書くと「井守」、つまりは井戸を守る生き物とされています。

八重垣神社では、イモリは奇稲田姫の使いと考えられています。
鏡の池でイモリが現れるのは、なんという瑞兆・・・!
そして、浮かべた和紙にイモリが触れると、さらに幸運がもたらされるのだそうです。

イモリさんは、私の和紙には興味を示されなかったのですが・・・
それでも、今回の占いには期待できそうですね。


ちなみにイモリさん、じつはフグ毒(テトラキシン)をもっているのだそうです。






午 前 八 時 参 拾 七 分

新 た な 道 、 開 け る ? !


和紙を浮かべてから、約5分。



イモリさんの神通力か、和紙の中央が浸水し始めました!
そして・・・



午前8時38分、和紙は池の底へと沈んでいきました。
そして沈んだ場所は、池の端。
私にとっては、なんという理想的な占い結果なのでしょうか!・・・これで胸を張って柏に戻ることができますなぁ。

一方・・・先客の女性の和紙は、いまだに沈む気配なし。
ちょっとばかり気まずい感じを覚えつつ、鏡の池を後にしたのでした。





奉拝、八重垣神社!

和紙を買った社務所に戻り、預けていた御朱印帳を受け取って、八重垣神社を後にしました。






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