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苗木城【国指定史跡】の入口部分といえる、足軽長屋跡地。
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ここから見える、異形の本丸。
目指すは、あの本丸の頂です。
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おおぅ、この苗木城周辺にも困った御方がいらっしゃるようです。
とはいえこの日の苗木城はお盆休みまっただ中とあって人出は多く、森の困ったさんに出くわすことはなさそうに思えました。
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登城路に面した石垣と巨岩。
苗木城が築かれていた城山には巨岩が多く、苗木一帯を治めていた苗木遠山氏はこの巨岩をそのまま利用して、城の一部となしたわけですね。
巨岩がごろごろ転がっているような山なので、石垣の材料となる石材には事欠くことはなかったようです。
しかし苗木藩の石高は1万石と、財政力は到底高いとは言えず、藩政が発足して以来ず~っと火の車。
ということで巨岩を動かすことに労力すなわち財力を費やすことはせず、巨岩を抱き込むようにして城を築いていったんですね。
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風吹門の跡地にたどり着きました。
正規の登城路(大手道)にあったので「大手門」とも呼ばれていたそうです。
外部と三の丸を隔てていた櫓門で、2階には馬の飼葉が収納されていたそうです。
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三の丸に入って左を振り返ると、巨岩を抱きかかえた石垣造りの構造物が構えられています。
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苗木城最大の櫓・大矢倉の櫓台です。
大矢倉が築かれたのが17世紀中頃ということで、石垣の石積みは隙間のない切込接ぎとなっています。
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大矢倉の北側(画像右側)では、小さめの石で隙間を埋め込む打込接ぎが用いられていますね。
切込接ぎの石垣の方は、長方形に近い石が規則正しく積まれている布積みです。
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大矢倉の櫓台を登っています。
櫓台の頂となるこちらの石垣は、打込接ぎで構成されています。
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櫓台の頂に立ちました。
三の丸は炎天下の下で絶賛工事中のようです。
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大矢倉からの本丸。
北側は巨岩があまり見えず、端整な石垣が造成されています。
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苗木城の一大名物・大矢倉跡を下りました。
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重機が作業している馳門跡で、こちらは裏口にあたります。
城の崖下を流れる木曽川の川原から始まる搦め手の登城路は、四十八曲りと呼ばれる山道を経て、この馳門に至ります。
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三の丸を通過し、二の丸へと入ります。
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両郭の境目といえる大門の跡地。
その名のとおり、苗木城で一番大きな城門でした。
2階建ての城門で、2階部分は物置として用いられていたようです。
城主の江戸参勤の出立など、大きな行事のときに限って門扉が開け放たれていたようで、普段は脇のくぐり戸が通行に用いられていました。
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巨岩と石垣に囲まれている空間。
二の丸に入って最初の建物・御朱印蔵の跡地です。
ここには将軍家から与えられた領地目録や、朱印状などの重要な文書、また刀剣類なども納められていました。
御朱印蔵の収蔵品は、虫干しが年1回必ず行われていました。
蔵に上るための階段はなく、はしごをかけて出入りをしていたそうです。
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別角度からの御朱印蔵跡。
巨岩が見事に一体となっていますね。
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二の丸の散策は後回しにして、さらに上へ。
本丸への坂道にあった城門、最初は綿蔵門。
こちらも2階建てで、中には年貢の真綿が納められていました。
この門は門限があり、夕刻七つ時(午後4時)以降は閉じられ、本丸への進入は禁じられていました。
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綿蔵門跡の壁面。
先のヘアピンカーブからの上り坂は石垣で固められています。
そのむこうには巨岩がそびえています。
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綿蔵門跡から二の丸を見下ろすと、崖っぷちに礎石が残っています。
苗木城の御殿はこちらにありました。
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木曽川にかかる赤いトラス橋・城山大橋が見えてきました。
苗木城の登城はさらに上へ・・・眺望もまた愉しみです。
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綿蔵門の先にあるヘアピンカーブを曲がったところに構えられていた坂下門。
坂の下にあるから坂下門、まぁそのまんまですね。
3代藩主・遠山友貞の正室の実家・久世家の支援で改修されていることから「久世門」とも呼ばれているそうです。
門跡にある石段は、門が存在していた当時のものが現存しています。
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本丸までの坂道は続き、
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三の丸の大矢倉の石垣が望めるようになってきました。
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第二のヘアピンカーブの直前にあった菱櫓門。
本丸まではあと少し。
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櫓台のような石垣と井戸が現れたら、二の丸の終点です。
本丸への入口・本丸口門が、通路に構えられていました。
(本丸口門の跡地は、撮影し忘れていしまいました)
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その直前にあった井戸は千石井戸で、苗木城の井戸で最も高所にあります。
強烈な日照りのときにも水涸れしなかったといい、千人の飲み水となるということから「千石井戸」と名付けられています。
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現在も水をたたえる千石井戸。
私も手持ちのお茶を飲んで、苗木城の本丸へと足を踏み入れます。
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