鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

吉田城・最終章~炎の祭典に背を向けて

2019-07-27 | 城郭【続日本100名城】


平 成 3 0 年 ( 2 0 1 8 年 ) 9 月 8 日 ( 土 )

午 後 2 時 4 5 分

愛 知 県 豊 橋 市

豊 橋 公 園 ・ 吉 田 城 金 柑 丸





吉田城の本丸にある(くろがね)で城の歴史を学び、



続100名城スタンプをゲットできました。



本丸の東の出入口にあたる東御門跡から金柑丸へと退出し、引き続き城址を散策します。




本丸と金柑丸をつなぐ土橋

 

本丸と金柑丸を隔てる、見事な空堀です。
見づらいですが、本丸側には空堀の下部分にのみ腹巻石垣が施されています。
北向きの画では、豊川がわずかに見えていますね。
ここは現在でこそ空堀なのですが、往時は水濠であったそうです。


金柑丸へ。



現在は豊城神社の境内となっているようです。



社号標の横には、おそらく土塁でしょうか。



その土塁の隣りにはかつて堀があり、金柑丸と三の丸を隔てていたそうです。


・・・このあたりから耳に入ってくる、イベントの音響。


何のイベントを催しているのか突き止めるべく、この道をたどってそのまま吉田城址を出ました。




午 後 2 時 4 9 分

「 炎 の 祭 典 」 イ ベ ン ト 会 場




マイクの音声が響き渡る、豊橋公園の緑地。



地元のFM局のブースが立っています。



こちらのFM局は、公開生放送中?
ご当地アイドルも出演中。


この日は9月の第2土曜日。
「炎の祭典」の開催日だったのです!!!



「炎の祭典」は、豊橋の花火大会です。
豊橋は手筒花火の発祥の地で、花火師たちが花火の入った竹筒を抱えながら演舞する「炎の舞」が見どころとなっています。
昼間は模擬店などのブースが並び、また様々なイベントが開催されます。
平成8年(1996年)豊橋市の市制施行90周年を記念して始まり、以後は毎年9月の第2土曜日に開催されています。



残暑厳しいこの時節に、また熱そうな祭りとあっては、私もまいってしまいます。



ついつい出店のかき氷(500円)に手を伸ばしてしまいました。



かき氷、うまい!
かき氷を味わっているときに、隣り合わせた地元民から「炎の祭典」について耳にしたのでした。
炎舞の開始は午後5時すぎとのことでしたが・・・帰りの電車の都合上、祭りを見ることはできません。


かき氷を食べ終わると、「炎の祭典」を尻目に、豊橋公園を後にしました。




午 後 3 時 2 3 分

国 道 1 号 ・ 吉 田 大 橋


吉田城の登城、残るは・・・



恒例となってきた、スタンプの画角探しです。
絵柄は豊川越しの鉄櫓なので・・・



ここに行かなきゃいけないようですね。



豊川にかかる吉田大橋



吉田大橋の下流には、豊橋



吉田大橋のたもとには、吉田大橋記という碑文が置かれています。


東海道五十三次のひとつ・吉田宿
この地を流れる豊川に、人馬の往来にために1本の橋が架けられました。

戦国時代末期の元亀元年(1570年)吉田城主・酒井忠次は、現在の吉田大橋がある地点に土橋を架けました。
これが初代の吉田大橋です。

吉田城主が池田照政(輝政)に代わると、吉田城を拡張するために初代の吉田大橋を取り壊し、現在の豊橋のあるところに木橋を架けました。
これが2代目の吉田大橋です。
江戸幕府が成立すると、吉田大橋は幕府の管理下に置かれました。
吉田大橋は、吉田城の鉄櫓とともに浮世絵にもその姿が描かれています。
2代目の吉田大橋は明治期に架け替えられ、その名を豊橋(とよばし)に変わりました。

そして昭和34年(1959年)初代の吉田大橋のあった場所に新たに橋が架けられました。
これが現在の吉田大橋です。





豊川に臨む吉田城鉄櫓
イイ画ですなぁ。



その対岸は湿地帯・・・どこまで足を踏み入れることができるのか?!


橋詰脇の小道を進んでいくと、



小舟の船着場のような場所に出ました。

 

う~ん、角度にかなりズレがあるようですが・・・船着場の先からは道がないので、ここからってことにしよう、うん。






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