小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

京都の道 その3 一条通りー2

2010-12-22 00:51:10 | 旅行
京都の道 その3 一条通りー2

3日間続く節分の間は、参拝客目当ての屋台がずらりと並びます。ヨーロッパのクリスマスマーケットに負けない。おそらく日本でも五本に指にはいるくらいの屋台マーケットと思います。規模もそうですが、そのお店の個性といいましょうか、色々皆さん考えて新種の商売を展開するところが面白くて、五本の指といいました。



この女の子、もう完全にメルヘンの世界で、お姉さんと向き合っています。子供目線のお店がいっぱいあります。



あめ細工はかわらぬ人気。外国の方はおもわず買ってしまいます。これはキャラクターあめ細工。あめ細工も進化しています。



金魚すくいのいろいろな変形の一つ。子供には楽しそうな世界。元祖の金魚すくいもあります。



射的の人気復活で、射的のお店が3、4軒ありました。おとうさんも夢中。なんとか子供にいいところを見せようというところですか。



ダーツもあります。



コリントゲームもきれいな板をつかっています。一時は、骨董品のような板でしたが、人気復活なのか。



金平糖も進化しました。

キリなく、楽しそうなお店が続きます。



いちご大福屋さんも2軒。人気です。



昔懐かし<給食の揚げパン>ときました。若い人に結構人気。



たい焼きはやっぱり一番人気。そのバラエティーは拡大の一途をたどっています。



プチ且つチョコレートとなると、単なる魚型お菓子ともいえる。



ここは相当種類があります。つぶあん、カスタード、抹茶、チョコ、チョコカスタード、生クリーム等など。ディスプレイも結構。



<肉巻きおにぎり>は初めて出会います。九州から広まったと言われています。

珍しい中国のお菓子、龍の髭とか、アユ焼きとか、アラブ系の方が頑張っているシシカバブ―も数件、むろん一般的、たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、焼き鳥、じゃがバター、鳥唐揚げ、ハンバーグetc あるはあるは。


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京都の道 その3 一条通りー1

2010-12-20 23:04:53 | 旅行
南イタリアの写真も大半整理されたし、旅の話を書こうと思えば書けるのですが、やっぱりゆっくり書きたい。半分以上は、自分の思い出の為に書いているのだから。ゆっくり思い出しながら書きたい。

しばらくは、ディープに京都に入りこみましょう。

京都道シリーズ3-一条通り

三条,四条,五条通りに比べると一条通りは、ひっそりとした通りのような印象があります。確かに、一条通りの東は東一条といって、とくに目立った観光スポットがありません。東一条は御苑にぶつかって中断されます。御苑の西側からまた一条通りが始まりますが、細い道が続きます。この通りは昔のままの道幅ですという説明看板が立っています。このあたりは本来の御所があった所で、地下に、その跡が眠っている、ロマンあふれる場所なのですが、今は何もありません。さらに西に行くと一条通りは本来の姿を現して、光ったスポットが次々に出現するのです。皆さんは一条通りを、連続性をもって眺めたことは無いと思います。この試みはきっと面白いですよ。



2010年2月3日
吉田神社
一条通りは吉田神社が東の起点です。いつも静かな吉田神社が、一年に一度だけ、一番寒い時節である2月3日のそれも真夜中に大混雑となるのです。考えてみると、相当変わった神社ということになります。
京都では節分に「四方参り」と云って北東の吉田神社、南西の壬生寺、南東の伏見稲荷大社、北西の北野天満宮の4か所へお参りする風習があったので、これらのお寺は今でも、お参りの人が多い。特に表鬼門の吉田神社、裏鬼門の壬生寺が人気。この2か所はいつも静かなところであるから、普段と節分の混雑の格差がダントツに大きい。
吉田神社の2月3日夜中11時は火炉祭(カロサイ)というイベントがあるのです。一年間、家に祭ってあった、お札とか、だるまとかを皆が神社に納め、写真のように大きな塊にして燃やすのです。



きっちりと枠をつくって、納められた札を入れ物ごと、内部にどんどん放り込んでゆきます。上部には金網天井をつくって、火の粉の飛び散りを抑えています。周囲には消防の方が待機、ホースから水をかけて、過剰な炎上をおさえながら燃やします。かなりスリリングなイベントです。



神主さんが祝詞を上げて、巫女さんが鈴を鳴らしながら一周して、いよいよ点火です。周りを取り囲む沢山の観客はかたずをのんで待ちます。







さあ、始まりました。





後は、まあ、火事場の野次馬的楽しみといいましょうか。







燃え始めてから10から15分もすれば、このイベントは終了。







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京都の道 その2 東大路ー12

2010-12-19 20:35:52 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー12



道々陶器の店がいくつかあります。そういえばこのあたりに陶工の窯があった記憶があります。いずれのお店も日曜でお休みでした。なにか女性好みの焼き物が多い地区という印象を受けます。焼き物に興味をもつのは若い女性が数的には多いので、柔らかい作品が受けます。着物の柄と同じです。とすると女性の陶芸家の作品が多くお店を飾るようになるのでしょう。将来当方が自然から模様を起こす時があったら、ユーザーの好みを意識するのか、あくまで自分の感覚に従うのか、難しい問題です。買っていただかないと商売にならないわけで。



当方は新しいデザインを否定するわけではないし、芸術は常に新しいものを求めてゆかねば芸術ではないと思っているのですが、なかなか、心を動かす新しい作品にはお目にかかりません。



東大路にでると、このあたり、七条通りより南の地区は、とってもレトロです。今熊野商店街と書いてあります。中心街からはずれて、変化が止まっているような。お腹がへったので、昼はおばんざいめし屋、夜は居酒屋という、当方のもっとも好みなところでお昼をたべました。好きなおばんざいを3点とって700円というお昼メニューです。サンマの焼いたの、竹の子の煮物、だし巻き卵をとりました。満足です。
 われわれはこのあと京都駅を経由して三千院の万灯会に向かったのです。


 東大路の最後のおまけに、五条、茶碗坂にある陶器の近藤悠三(ゆうぞう)記念館をご紹介して、東大路を終ります。近藤悠三記念館よりむしろ炎の陶工、河合寛次郎記念館の方が東大路に近いところにあるので、こちらの方がご紹介には適切とおもいますが、すでに京都の道シリーズ-1-花見小路で河合寛次郎記念館をたっぷり御紹介していますので、今回は近藤悠三記念館にしておきます。この記念館は訪れる人も多くない静かな記念館です。近藤悠三は人間国宝に選ばれています。清水の陶芸からいったら、当然記念館を作らねばならない人です。清水焼で評価された近代の最高峰の一人です。内部は勿論撮影禁止、たまたま売っていた三代展という本を買って、そこからコピーした写真をのせます。近藤悠三には全く基礎知識がなかったのですが、この本のおかげでいろいろなことがわかりました。まずびっくりしたのは、三代展とは親子三代にわたる陶芸家の作品を一堂に会した展覧会の本ということです。近藤悠三の息子の近藤濶(ひろし)、さらにその息子の近藤高弘(たかひろ)の三代の作品で、見て頂ければわかりますが、それぞれすぐれた陶芸家であることがわかります。技法はいずれも染付、すなわち原則、白地に青を筆で絵を描き、うわぐすりをかけて焼くという手法です。近藤悠三は途中から金や赤を多く使作品を手掛けるようになりました。もう一つ知ったことは、近藤悠三が濱田庄司、河合寛次郎を出発点として、富本憲吉に多くを学んだということです。自身いっているように自然から模様を起こすことを生涯追及した人でした。富本憲吉自体、ウイリアム・モリスの影響を受けて自然から模様を起こすことで、人間国宝となった方です。さて、前置きはこれくらいにして、作品を見ましょう。



<近藤悠三:三代展よりコピー>



<近藤悠三:三代展よりコピー>

晩年、富士山にいどんで、金色、赤を多く使うようになりました。金をつかうとなにか隠れていた富本憲吉の流れが解り易く露出してきたように思えてしまいます。



<近藤悠三:三代展よりコピー>
本来染付はこういう白青の世界です。筆のタッチを重要視していることは共感が持てます。



<近藤悠三:三代展よりコピー>



<近藤 濶:三代展よりコピー>
さて、その息子さんの濶(ひろし)は全く率直な自然からの模様起しで、当方には大変共感するものがあります。陶器の商売を行いながらの創作活動というハンデを乗り越えて、現在大変評価されているそうです。



<近藤 濶:三代展よりコピー>



<近藤 濶:三代展よりコピー>

当方にとっては、近藤修三が底辺で富本憲吉の影響を受けていたのに、濶になって、その影響が消えて、自然からの贈り物を純粋に表現しているように思えます。本には悠三の凝縮した模様から、濶は広がりをもった世界にはいっていったという表現がされています。



<近藤 濶:三代展よりコピー>



<近藤 濶:三代展よりコピー>
とても、共感してしまいます。濶の作品がでていたので、高いのにこの本を買いました。おかげて、近藤三代の意味を理解することができました。



<近藤高弘:三代展よりコピー>

三代目になると、原点であった自然からの模様起こしを忘れてしまったようです。祖父のいった<模様から模様は作らない>という考えから、模様から模様を作る世界に入ってしまったようです。若い方は高弘に共感するかもしれませんが。若い方の多くは自然を見つめることが少なくなって、作られた人間社会そのものが彼らにとっての自然となっているのでしょう。



<近藤高弘:三代展よりコピー>



<近藤高弘:三代展よりコピー>


人間国宝とは最高の芸術品を作る人という意味なのでしょうか、後世に残すべき高度な技を持った人という意味なのでしょうか。

最高の芸術品とは、作家が自我を超えた解脱の瞬間を持っていなければならないと思っています。当方は京文化に<生臭さ>というのをよく感じます。<生臭さ>即ち、<作品を見る観客の目の意識>、それをすっかり通り越して、何か作家が自身の持つ、純粋な世界、宇宙、自然、と融合する瞬間の作品に到達しなければならないと思うのです。違う言い方をすると、明日は死のうと思っているヒトに、いや、生きていることはいいことなのだと思わせる何者ものかを持っているかということです。お金持ちの道楽で、これは素晴らしいと言わしめる作品がいいか、明日は命を断とうとしているヒトに生きる勇気を与える作品がいいか。当方もぎりぎりのところで毎日をすごしております。この状態で見ると芸術品、民芸品の持つ真の姿が見えてきます。これはぎりぎりの中でこそ得られる贈り物でしょう。





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京都の道 その2 東大路ー11

2010-12-18 22:37:03 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー11

さて、次は泉涌寺に向かいます。東福寺から泉涌寺に続く道を東福寺の方に聞くと、丁寧に教えてくれました。しかし、歩いてゆくことをあまり勧めない様子でした。歩いてみて、なるほどと思う道でした。地図で見るとすぐのようですが、暑い日差しの中をなんの変哲もない車が通る坂道を20分ほどてくてく歩きます。さらに、問題なのは道案内がほとんどない。車道から突然、山道に向かって泉涌寺という立て札が立っていました。本当かいなと思っていると、上から下りてくる人達がいます。彼らは東福寺へ、我々は泉涌寺へ、互いに道がわかりました。この山道で泉涌寺の裏に出ました。
泉涌寺は由緒ある寺ですが、当方のこのむパターンが無いことは経験ずみで、申し訳ありませんが、いまのところそれほど興味ある寺ではありません。それならなんで苦労して訪ねたのかとお思いでしょう。実はJRの広告で、東福寺の次に泉涌寺が登場したのですが、その写真をみて、当方が持っていた長い間の疑問が解けたのです。



今回撮った泉涌寺の入口からの風景です。このアングルから仏殿を撮った写真がJRの広告に載っていたのです。広告の写真はもう少し前から撮影して、空には満月が出ています。中秋の名月と泉涌寺ということですか。プロの写真家は一枚の写真の為に、多くの時間とエネルギーをかけているに違いありません。そうやすやすと満月がいい位置に、雲もなく撮影できるとは思えません。



この写真は、だいぶ以前に撮った、気に入っている写真で、当方は東福寺の本堂を撮ったとばかり信じていたのです。当方のブログの初期のころに書いた東福寺の紹介にこの写真を使っています。ところがその後、東福寺を訪れた時に、この写真のアングルで本堂をとれる場所がどうやっても見つからないのです。おかしい、おかしいとおもっていたら、JRの広告の写真を見て、やっとなぞがとけたのです。なんだ、東福寺と泉涌寺を間違えていたのだ。その確認のためだけに泉涌寺を訪れたのです。入場料をケチって、入口から写真をとって、中には入りませんでした。でもせっかく来たのだから、どこか見ようと、ふと見ると泉涌寺の別院、雲龍院という立て札が立っています。京都のお菓子の雲龍は父がすきで、よくお土産に買っていったものです。別にこのお寺とは関係ないと思いますが、見てみようとおもった理由にはなります。
このお寺は、気に入りました。苦労して歩いた山の中の、小さな、静かなお寺です。大きな、緊張感のある東福寺と対象的な、癒しのお寺です。



優しさが感じられる入口です。



こまやかなセンスが感じられる脇道です。



静かなホッとするお庭です。抹茶をいただきながら、いつまでもボーっとしていられる場所です。



素朴な草花が、控え目に咲いています。



桔梗も控えめに咲いています。



モミジはポツポツと赤い葉を見せ始めています。



ただ静かな空間は心地よく。なぜこうまでも心地さを与えることができるのでしょうか。





こんな山の中で、こんな静かな空間で若い女性が何人も一心に写経をしている風景は、予想もしなかったのですが、何の違和感もなく納得してしまいます。



悟りの窓と迷いの窓が並んで存在しています。こちらは悟りの窓。



こちらは迷いの窓。





偶然おとずれた雲龍院ですが、何かよい見つけ物をしたような満足した気分でこのお寺を後にしました。きれいに整えられた、泉涌寺の参道を東大路まで戻ります。最初からこの参道を通って泉涌寺に行くべきでした。



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京都の道 その2 東大路ー10

2010-12-17 23:41:06 | 旅行
京都の道 その2 東大路ー10



通天橋。紅葉のシーズンにはこんな誰もいない通天橋の写真はとても撮れません。



ここも本堂の裾野にあることが感じられます。



少しずつ色付くモミジが美しさと恐怖の時期の到来を予感させます。恐怖、恐怖と書いてなんだか分からない方もいるでしょう、紅葉の季節は1日で何万の人がここの紅葉を見に集まるのです。今の静けさから考えると恐怖に思えるのです。





経堂(経蔵)とモミジ





通天橋を渡って開山堂への道が続きます。





開山堂の前の庭もモダンです。

さて、この時期はめずらしく三門が公開されていました。この三門は日本最古(約600年前に再建)最大の門で、国宝です。JRの広告に今年は東福寺が取り上げられています。通常は見られない三門からの光景が広告に使われているので、ちょっと気になります。広告の写真はどこから撮ったのですかと、記念品売り場のおばさんに聞くと、とてもうれしそうに、あそこの三門の上からこういう方向でとったのです。と教えてくれました。



三門の楼上に上がって、広告の写真と同じように京都市内の方向を撮ってみました。当方は広告の写真というより、瓦屋根のおもしろいフォルムに引きつけられました。



あいかわらず、本堂がオーラを放っています。
この階には如来像を中心に多くの仏像が安置されているすごい空間があるのです。これは撮影禁止で残念です。元は極彩色の空間であることを、薄れゆく彩色が想像させます。このような公開によって、彩色がさらに失われてゆくことを心配しながら、それでも公開していただけることに感謝しなければなりません。



<東福寺のHPよりコピー>



東福寺の空間は様々な視点に感動を与えてくれるとても奥の深い空間なのです。







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