頭の体操の時間です。なんでもかんでもすぐWikpediaで調べるのはいかんと思い、たまにこういうことを考えます。
それで「なぜ1970年から1985年か」というと、私が小学校に入学したのが1970年、1985年はというと大学4年だったのでこれはほぼ学生だった頃の期間となります。小1なら既に物心はついてたし、学生の間ならまだ流行歌は追いかけていたのではないかと。
ということで、多分に曖昧な記憶ではありますが私が思い付いたのは以下の通りです。
1970年 菅原洋一/今日でお別れ (自信なし。この人レコード大賞獲ったっけ?)
1971年 尾崎紀世彦/また逢う日まで (もしやこれが70年???)
1972年 ちあきなおみ/喝采 (多分間違いなし)
1973年 五木ひろし/夜空 (これが74年かもしれないと思ったり。)
1974年 森進一/襟裳岬 (同じくこれが73年だったかも。)
1975年 布施明/シクラメンのかほり (間違いなし)
1976年 都はるみ/北の宿から (間違いなし)
1977年 沢田研二/勝手にしやがれ (間違いなし)
1978年 ピンクレディー/UFO (多分間違いなし)
1979年 ジュディオング/魅せられて (間違いなし)
1980年 八代亜紀/雨の慕情 (ちょっと怪しい)
1981年 寺尾聡/ルビーの指環 (間違いなし)
1982年 細川たかし/北酒場 (違ったかも)
1983年 わからず 五木ひろしか細川たかしか
1984年 わからず 細川たかしか五木ひろしか
1985年 中森明菜/ミ・アモーレ (多分間違いなし)
並べてみるとこの16年間で絶対自信があるのが5回だけ。曲は間違いなく受賞したけど開催年がわからないのが6回。記憶によると五木ひろしが「長良川艶歌」で獲ったような気がするのですが、それがこの期間なのか80年代後半なのかがわからず。
別に知らなくても日常生活には困らないのでいちいち答え合わせはしませんが、70年代中期はしっかり見ていたのがわかります。というのも、1976年は昭和51年であって私の年代だとそこが中1になります。
昭和51年=中1、52年=中2、53年=中3という並びなのでわかりやすいです。なので、結局小学校の高学年から中学生くらいが一番真剣に見てたということでしょう。あとはよっぽどの大ヒットなら忘れないということで1981年の「寺尾聡/ルビーの指環」は間違いようがありません。
ただ、小学生の頃は一番レコードが売れた曲がレコード大賞を獲るものだと思ってて、そうでないとわかったのが1975年。下馬評では布施明の「シクラメンのかほり」か、ジュリーの「時の過ぎゆくままに」か、と言われてたのがジュリーが暴力事件を起こしたら「ちょっとやめとこうかという雰囲気になった」という芸能ニュースを聞いて、「へ? そんなの関係あるの?」と驚きました。
ただ、そもそもレコード大賞には審査員がいるし、レコードの売り上げだけで決めるならデータのみで決まりますから投票なんていりませんし。
そして私の場合は推しの歌手がほとんど絡んでないのがレコード大賞。キャンディーズは新人賞には入らず、「年下の男の子」や「春一番」がヒットした時もたしか金賞には入ってません。
石川ひとみさんも新人賞には入らず、その年には強力なライバルが多かったから仕方ないとして、「まちぶせ」でもまったく絡まなかったのが残念。結局レコード大賞に今一つ関心を持てないところはそういうところです。甲斐バンドはくれるっていっても「HERO」の頃ならまず授賞式に出なかっただろうし。
以前、佐藤剛さんの「「黄昏のビギン」の物語 奇跡のジャパニーズ・スタンダードはいかにして生まれたか」という本で、日本作曲家協会がレコード大賞を立ち上げた時の話を読みました。その時は「ふむふむ、そもそもそういう賞だったのか。」と思ったのですが、今一度国民的行事に復活する方法があるのかどうか。
個人的には賞のあり方に拘るのではなく、授賞式自体を番組としてエンターテイメントにしてしまえば存在価値もあるとは思ったりしてます。が、さすがにグラミー賞みたいにはなりませんわね。普段テレビに出ない人も「あそこのステージに立ってみたい」と思うような会になればというのは難しいでしょうが。
以上、今日はネットでは何も調べずに書きました。レコード大賞受賞曲の答え合わせもしてませんが、そんなに気にならないのがそもそも問題でしょう。
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