司馬遼太郎
『街道をゆく
1 湖西の道、甲州街道、長州路 ほか』★★
司馬遼太郎だって!
意識し出したのはここ数年
初めてです。
歴史ものにはあまり興味がなく、、ならば紀行ものならと。
まだ読む前に記しているけど どきどき 長期戦
本書は1978年10月に刊行された朝日文庫の新装版
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「ああいう土地では、松杉を植える気にはなれませんよ」
水戸ッポ、土佐ッポ、薩摩ッポと幕末にいわれた、ッポというのが付くのは、利害をとびこえてなりふりかまわず突き進んでゆく性格の集団の場合にいうのだが、ついに長州ッポという印象がもたれないのは、怜悧さという他の集団にはみられないふしぎな属性が長州人にあったからなのだろう。
アリマスというのは長州独特の敬語で、これは奇兵隊から発展した日本陸軍にのこった。旧陸軍では、敬語としてデス、ゴザイマスは地方語として禁じられており、すべてアリマスであった。
島根県は、かつて二つの国にわかれていた。東が出雲国、西が石見国。
いまでもこの県では、
「出雲郡と石見郡」
といったふうに、県政の面でも県人の生活感覚の面も、そして県出身のひとたちも二つに分けてそういう。
「津和野とは、ツワブキの生える野」
幕末の長州の若者のなかで、吉田稔麿というのが好きである。
例の新撰組の池田屋事変のとき、沖田総司とたたかって死んだ。このため、新撰組をとりあつかった諸家の小説のなかに、たいてい吉田稔麿という名前が池田屋の箇所で出てくる。不幸なことに斬られる存在として出てくる。ときには被害者の名前が列挙されているリストのなかだけで出てくる。要するに吉田稔麿は、今後もなお池田屋事変を書くひとが出てきて、そのくだりに及ぶごとに斬られてゆくにちがいなく、斬られるだけの存在としてのみ人々の記憶の中にくりかえし記憶されているわけで、人間に霊があるとすれば、吉田稔麿というのはずいぶんつらい霊である。
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