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平岡あみ・短歌
穂村弘・解説
宇野亜喜良・絵
『ともだちは実はひとりだけなんです』★★★
若き詩人
すれてて魅力的
「五日間メール返し忘れたいらっとさせてごめんねりさちゃん」
ドキッッ☆
村上春樹
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』★★★★
文庫本発売にて再読
今のわたしにぴったり。
ちょっと驚き。
心理状態でこんなに理解出来るなんてね。。
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当時の彼は夢ひとつ見なかった。もし見たとしても、それは浮かぶ端から、手がかりのないつるりとした意識の斜面を虚無の領域に向けて滑り落ちていった。
「大事なのは勝とうという意志そのものなんだ」
「実際の人生で、おれたちはずっと勝ち続けることなんてできない。勝つこともあれば、負けることもある」
「とりたてて破綻がない」
自分自身の価値を追及することは、単位を持たない物質を計量するのに似ていた。針が かちん と音を立ててひとつの場所に収まることがない。
「限定された目的は人生を簡潔にする」
彼はまだ若く、世の中の成り立ちについて多くを知らなかった。また東京という新しい場所は、それまで彼が生活を送っていた環境とは、いろんなことがあまりに違っていた。その違いは彼が前もって予測した以上のものだった。規模が大きすぎたし、その内容も桁違いに多様だった。何をするにも選択肢が多すぎたし、人々は奇妙な話し方をしたし、時間の進み方も速すぎた。だから自分とまわりの世界とのバランスがうまくつかめなかった。
「それで今のあなたはどうなの?あなた自身とまわりの世界とのバランスはうまくつかめている?」
その夜はうまく眠れなかった。気が高ぶり、いろんな多くの思いが頭を去来した。しかし結局のところそれらは、いろんな形状をとったひとつの思いに過ぎなかった。
「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それらがもたらした歴史を消すことはできない」。
「それだけは覚えておいた方がいいわ。歴史を消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという存在を殺すのと同じだから」
嫉妬とは――
世界で最も絶望的な牢獄だった。なぜならそれは囚人が自らを閉じ込めた牢獄であるからだ。誰かに力尽くで入れられたわけではない。自らそこに入り、内側から鍵をかけ、その鍵を自ら鉄格子の外に投げ捨てたのだ。そして彼がそこに幽閉されていることを知る者は、世界に誰一人いない。もちろん出ていこうと本人が決心さえすれば、そこから出ていける。その牢獄は彼の心の中にあるのだから。しかしその決心ができない。彼の心は石壁のように硬くなっている。それこそがまさに嫉妬の本質なのだ。
「限定して興味を持てる対象がこの人生でひとつでも見つかれば、それはもう立派な達成じゃないですか」
三人以上の人間が居合わせる場所では、いつも自分が実際には存在しないものとして扱われることを好んだ。
「『コックはウェイターを憎み、どちらもが客を憎む』」
「アーノルド・ウェスカーの『調理場』という戯曲に出てくる言葉です。自由を奪われた人間は必ず誰かを憎むようになります。そう思いませんか?僕はそういう生き方はしたくない」
「束縛されない状況にいつも身を置いて、自分の頭で自由にものを考える――それが君の望んでいることなんだね?」
「そのとおりです」
「どんなことにも必ず枠というものがあります。思考についても同じです。枠をいちいち恐れることはないけど、枠を壊すことを恐れてもならない。人が自由になるためには、それが何より大事になります。枠に対する敬意と憎悪。人生における重要なものごとというのは常に二義的なものです。僕に言えるのはそれくらいです」
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折れた85P
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「どんな穏やかに整合性に見える人生にも、どこかで必ず大きな破綻の時期があるようです。狂うための期間、と言っていいかもしれません。人間にはきっとそいう節目みたいなものが必要なのでしょう」
「仮説というものは先に行けば行くほど脆くなり、出される結論はあてにならないものになっていきます」
「人の肉体はかくのごとく脆いものだ。そいつはおそろしく複雑なシステムとして成り立っているし、些細なことでしばしば損なわれる。そして損なわれてしまえば、多くの場合修復がむずかしい。」
「人間にはみんなそれぞれに色がついているんだが、そのことは知っていたかい?」
「いいえ、知りません」
「じゃあ教えてあげよう。人間は一人ひとり自分の色というものを持っていて、そいつが身体の輪郭に沿ってほんのり光って浮かんでいるんだよ。後光みたいに。」
「考えても知りようのないことは、また知っても確かめようのないことは、考えるだけ無駄というものだ。そんなものは所詮、君の言う仮説のあぶなっかしい延長に過ぎない」
「前にも言ったけど、僕としてはその出来事をできることならそっくり忘れてしまいたいんだ。そのときに受けた傷を少しずつ塞いできたし、自分なりに痛みを克服してきた。そこには時間もかかった。せっかく塞がった傷跡をここでまた開きたくはない」
「でも、どうかしら。それはただ表面的に塞がっているように見えるだけかもしれないわよ」
「内側では、血はまだ静かに流れ続けているかもしれない。そんな風に考えたことはない?」
「でもあなたはたぶん心の問題のようなものを抱えている」
「そう。あなたは何かしら問題を心に抱えている。それは自分で考えているより、もっと根の深いものかもしれない。でもあなたがその気になりさえすれば、きっと解決できる問題だと思うの。」
「過去と正面から向き合わなくてはいけない。自分が見たいものを見るのではなく、見なくてはならないものを見るのよ。そうしないとあなたはその重い荷物を抱えたまま、これから先の人生を送ることになる。」
「つまりあなたは十年間にわたって、それほど真剣には心を惹かれなかった女の人たちと、わりに長く真剣につきあっていたということ?」
「そういうことになると思う」
「だから心を全開にしなくても済む女性としか交際しなかった」
「誰かを真剣に愛するようになり、必要とするようになり、そのあげくある日突然、何の前置きもなくその相手がどこかに姿を消して、一人であとに取り残されることを僕は怯えていたのかもしれない」
「だからあなたはいつも意識的にせよ無意識的にせよ、相手のあいだに適当な距離を置くようにしていた。あるいは適当な距離を置くことのできる女性を選んでいた。自分が傷つかずに済むように。そういうこと?」
灰色は白と黒を混ぜて作り出される。そして濃さを変え、様々な段階の闇の中に容易に溶け込むことができる。
彼らはある日、出し抜けに姿を消してしまう。説明もなく、まともな別れの挨拶さえなく、温かい血の通っている、まだ静かに脈を打っている絆を、鋭い無音の大鉈ですっぱり断ち切るみたいに。
二人が知り合って八か月後のことだった。
彼は性交をしているあいだ、彼女と彼女の肉体のことだけを考えるように努めた。その作業に集中し、想像力のスイッチを切り、そこにはないすべてのものごとをできるだけ遠い場所に追いやった。
「私たちは基本的に無関心の時代に生きていながら、これほど大量の、よその人々についての情報に囲まれている。その気になれば、それらの情報を簡単に取り込むことができる。それでなお、私たちは人々について本当にほとんど何も知らない」
できることならこのまましばらく彼女と一緒にいたかった。もっとゆっくり時間をかけて二人で話をしたかった。しかしもちろん彼女には彼女の生活がある。そして言うまでもなく、彼女の生活のほとんどの部分は、彼の知らない場所で送られ、彼とは関わりのないものごとで成り立っている。
「人生は順調に運んでいる」
「順調かどうかはともかく、少なくとも着実に前に進んでいる。言い換えれば、後戻りはできなくなっている」
「レクサスって、いったいどういう意味なんだ?」
「よく人にきかれるんだが、意味はまったくない。ただの造語だよ。ニューヨークの広告代理店がトヨタの依頼を受けてこしらえたんだ。いかにも高級そうで、意味ありげで、響きの良い言葉ということで。」
おれはあいつのやっていることがどうしても好きになれないんだ、
「彼女はおれの心にとても深い穴をひとつ開けていったし、その穴はまだ埋められていない」
「ねえ、なにも急ぐことはないのよ。ゆっくり時間をかければいい。私がいちばん知りたいのは、私とこれからも長くつきあってくれる気持ちがあなたにあるかどうかってこと」
それでも――どうしてだろう――いざとなるとことは順調に運ばない。何かが現れて流れを阻害することになる。「ゆっくり時間をかければいい。私は待てるから」
でも話はそれほど簡単ではないはずだ。人は日々移動を続け、日々その立つ位置を変えている。次にどんなことが持ち上がるか、それは誰にもわからない。
「フィンランドにいったい何があるんだ?」
「シベリウス、アキ・カウリスマキの映画、マリメッコ、ノキア、ムーミン」
「『スター・ウォーズ』は見たことある?」
「子供の頃に」
「フォースと共に歩みなさい」
夕暮れの光に染まった通りの風景を眺めていた。彼の前を通り過ぎていく人々の多くは、男女のカップルだった。彼らはいかにも幸福そうに見えた。みんなどこか特別な場所に向かって、何か楽しいことが待ち受けている場所に向かって、歩を運んでいるようだった。人々のそんな姿は彼の心をますます静謐な、動きのないものにしていった。風のない冬の夜の、凍りついた樹木のようにひっそりした心持ちだ。しかしそこには痛みはほとんど含まれていない。
痛みがある方がまだいいのだ、彼はそう考えようとした。本当にまずいのは痛みさえ感じられないことだ。
胸の疼きが再び蘇ってきた。激しい痛みではない。あくまで激しい痛みの記憶だ。
それでも人々は時としてささやかな記念品を後に残していく。
「誰だって重い荷物は好きじゃないさ。でも気づいたときは重い荷物だらけだ。それが人生だ。セラヴィ」
人の心は夜の鳥なのだ。それは静かに何かを待ち受け、時が来れば一直線にそちらに向けて飛んでいく。
人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついてるのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。
突堤に繋がれた小型ボートがかたかたと鳴る音
どれほど正直に心を割っても、口に出してはならないものごとはある。
「私たちが私たちであったことは決して無駄ではなかったんだよ。」
「悪いこびとたちにつかまらないように」
正しい言葉はなぜかいつも遅れてあとからやってくる。
二人はそれぞれの定められた場所で、それぞれの道を前に歩みつづけることだろう。
もう後戻りできない のだ。そう考えると悲しみが、どこかからの水のように音もなく押し寄せてきた。それはかたちを持たない、透き通った悲しみだった。彼自身の悲しみでありながら、手の届かない遠い場所にある悲しみだった。胸がえぐられるように痛み、息苦しくなった。
「でも単純な生き方のほうが僕の性格に合っているのも確かだよ。とくに人間関係に関しては、これまで何度か傷ついてきた。できればこれ以上そういう思いはしたくないんだ」
それはただのバランスの問題に過ぎない。自分の抱える重みを支点の左右に、習慣的にうまく振り分けているだけだ。他人の目には涼しげに映るかもしれない。でもそれは決して簡単な作業ではない。見た目よりは手間がかかる。そして均等がうまくとれているからといって、支点にかかる総重量が僅かでも軽くなるわけではないのだ。
秋野ひとみ
『ミモザの庭でつかまえて』
1991年3月5日 第1版発行
「世の中には、あたしの知らないことが、いっぱいいっぱいあるみたいね」
あたしは心の中で、何度も「どうして? どうして?」と叫んでいた。
どうして?
どうしてなの?
どうして、あなたは、そんなことをしたの?
全くもって遅い情報網にグサッとくるわ←
心臓を貫かれる
あぁふとした瞬間に思い出しつらくなる。
「継続しちゃおうかな。もし出来たらの話だけど上書きするの」
「?どういう意味?」
「だって言わなきゃカレは存在するわけで」
「そういう意味ね」
「説明がめんどくさい」
よく次から次へと・・・
林真理子
『失恋カレンダー』★★
新装版
だからか読んだら半分バブリーで(笑)
まだケータイがなかった時代
そうそう家電(いえでん)だったよねー。
一年 365日
イベントごとはついて回る。
若いってすばらしい。
この歳だとどうしようもない。
失恋と言えなくもない別れ
だからこそそれに浸ろうと思う。
次の失恋話は?
ニューヨークの時差と、明るい三枚目と、お医者さまと、、、
今のわたしには支えが必要なのです。
しかし続々出てくるね(笑)
本当はとなりにいるはずだったのに・・・
帰りのバスの席でわたしのとなりだけぽっかり席が空いていたのを目にし実感
http://www.3tours.jp/
独りで観戦しちゃった!
余裕 ゴルフって「お静かに」が基本だからね。
他のスポーツ 野球やサッカーや最近流行りのラグビーもわーわーきゃーきゃーでしょ?
よしもとばなな
『ハゴロモ』★★★★
再読の再読?
今のわたしにぴったりかと。
あぁしっくりきて救われた感
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ものごとはきれいな面だけではない。
仲のいい両親の子供は世界を疑うことを知らないで育つことが多い。私のように。
そういう無駄なやりとりがえんえん続いた。でも結局だだをこねているのは自分だけという状況に追い詰められた。ひとりで質問し、ひとりで答え、ひとりで文句を言っているようなものだった。
つらいなぁ、と私は妙に心静かに思った。それはもう相談ですらないじゃないか、決定じゃないかと
もう少しどろどろもめたり、迷ったり、時間をかけようよ、と思っていた。でも、彼がそう決めてしまったんなら、何も言うことがなかった。
本当は自分が何か大切なものを刻一刻とすり減らしているのはわかっていた。自分の時間、自分の考え方、そういうようなもの。
受け身、受け身の日々だった。
ぴりっとする冷たい風の中には、かすかに、木の燃えた後のような香ばしい冬特有のいい匂いが混じっていた。
人の、感じる心の芯のところは、決して変わることがないようだ。
人と人との間には本当には言葉はない、ただ、全体の感じがあるだけだ。
外は冷たそうな風がごうごう吹いていたが、部屋の中は暖かかった。ヒーターがちょうどよい熱を放っていた。窓はかすかに曇り、その向こうには枯れた木の枝が模様のようにきれいに見えた。
人の、意図しない優しさは、さりげない言葉の数々は、羽衣なのだと私は思った。
いつのまにかふわっと包まれ、今までは自分をしばっていた重く苦しい重力からふいに解き放たれ、魂が宙に気持ちよく浮いている。
東京では考えられないくらいの、きれいな空気だった。それが私を今という時間にひゅっと引き戻した。
東京と違うなあ、と私は思った。だいたいちゃんと空が黒い。東京ではたいてい、夜の空はぼんやりとグレーに明るかったのだ。
この世にはいろいろな苦しみがあり、時間が過ぎていく。自分だけの狭い世界から、少しだけ頭を出して、人の苦しみを思った。
「まじめなおつきあいよ。だって、私の人生、うわついたことをしているひまなんてないもん。本当はもう少しうわついたことをあれこれしたかったくらい、確実に進んできてしまったわ。やっぱりそれは環境の反動ね。」
甘かった、と私は思った。いい意味で、しっかりとそう思ったのだ。
彼はしばらく黙って、遠い、雪山を思っていた。それは、私にも伝わってきた。その憧れ、その渇望。
「私も、経験あるけれど、あれは中毒だと思う。朝、起きてまずTVをつけてしまうと、あっという間に一日がたってしまうの。」
恋愛はすばらしい。でも、この世の中は、もっともっと大きなことでできているんだ、と私はまた実感した。
そうこうしているうちに、私は、だんだん忘れてきた。
時々発作のように思い出が襲ってきて足元をすくわれることはあったが、回数は目に見えて減っていった。
時間というもののおそろしい力を、私は実感した。
青春と呼べる時期に私が考えていたことと言えば、食べ物とセックスのことぐらいだった。
私も私の内面を掘り下げていくことだろう、どこにいても。そして幻の外に一歩踏み出せるかもしれないし、それはまた別の幻に移行するだけなのかもしれない。一生続く、勝ち目のなさそうな戦いだ。
こうやって、ばっさり切られた傷が治っていくように、ほんとうに少しずつ、新しい細胞が生まれてくる。そして、いつのまにか傷があった時とは、決して同じように考えれらなくなってくる。体が勝手に今現在の自分に焦点を合わせてきて、どんなすばらしい過去であろとぼんやりとしてくる。
彼はいろんなことを全然急いでいない、何も急いでいないのだ。
重力から解き放たれ、一瞬、きれいな高みから世界を見おろす。
何かの残り香を求めていたのに、あるのはただ「これまでとは違う」という現実だけだった。
彼はこうと決めたことを、それが私と別れるということであれ、実行できたのだろうう。後追いの未練の電話もなく、急な訪問もなく。
「だって、あの朝に運命がわかれてしまったんだもの。後を追っても、もう、追いつかないわ。」
私は、時間をかけて、自分がちゃんと流れ着くようなところへ行こう。
そのためには、もう少し時間をかけなくては、と思った。
あれ?あんなにふさいでいたのに夕方になったら、もう、気分が変わっていた。
西の方から何かきれいな光がどんどん押し寄せてきて、いつのまにかそれにさらされて気分が変わっていた、だとか、寝て起きたら、全く違う雰囲気に包まれていた。
自然との感応はまるでいいセックスのようなものだ。
「一回泣くごとに、元気になっていくという感じ」
私たちはもうすっかり大人で、実際には簡単に寝ることができた。
弱っているときにじんわりしみてくる気がする。
まさにそんなお話☆
司馬遼太郎
『街道をゆく
3 陸奥のみち、肥薩のみち ほか』★★★
本書は1978年11月に刊行された朝日文庫の新装版
http://publications.asahi.com/kaidou/03/index.shtml
朝の東西線、帰りの東西線と新宿線で司馬遼太郎
このながらがよくて集中
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Hさんのいう音羽ノ滝が旨いということは、茶にうるさい京都人ならばたいてい知っている。清水の山のなかで濾過された水が滝口にたどりつくまでのあいだに揉まれてくたびれている。水はくたびれるとまるくてやわらかくなるというのが京都人がよくいう説で、清水の音羽ノ滝というのは単に美観のためのみで保存されているのではなくそれで茶を点てるという目的のためにも大切にされているのである。自然を手間かずかけて飼いならすというのはそういうことであろう。
梵語学
(サンスクリツト)
「高貴寺はどうゆけばいいのですか」
ときいても、たいていの通行人は首をかしげるだけである。寺そのものが、その麓の町にひとびとから忘れられてしまっているようであった。
その理由はあとで知った。現住職が律院の性格をよくまもり、世間にはなるべく寺の存在を知られぬように努力し、たとえば近鉄電車が「沿線の観光資源としてパンフットに寺の名前を印刷したい」といってもいっさい許さずにきているのである。
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こんな結末になるなんて ね。
どこかでは分かっていたんじゃない?
過去を振り返るべき履歴を見たら、吹っ切れるのに半年かかっている。
そう きちんと向き合えたのはこの三ヵ月だった(今更)
あの「考えさせて下さい」と告白+
放っておく。
あの時の感情を止められなかったことは後悔していない。
「カッとしてはいけない」あれからぐるぐる回る。その通り(笑)
ただ逢いに行くべきだったとは思う。
電話とメールで済ませてた日々
めずらしく食欲がない。
しばらく独りで考えてみることを考えるけど、それはわたしには向かない。
ただ明日は独りで観戦しに行ってみようかとは思ったり。
町田康
『猫のよびごえ』★★★
みんなが生きていたこと、その時間
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したことろ、一般に、猫と女性は呼んだら来ない。呼ばないときに来る。
生きているといろいろなことがある。いろんなことを経験する。思いも寄らぬことを体験する。
え、マジ? Reaiiy? と思うようなこともあるかも知れない。
つい最近まで、大手町のサラリーマンをやっていたのに、なぜかいまはドバイで寿司を握っている。なんて人があるかと思えば、富豪に求婚されたが、恋人がいたので断ったところ、その直後に恋人には別の本命がいたのが発覚、富豪のところに行き、「やっぱり結婚したい」と言ったが、富豪は別の人と結婚した直後で後悔の臍を噛む人があり、また、笛吹童子に攫われて無理矢理に悪と闘わされる人がある。
これを称して昔の人が、一寸先は闇、と言ったのは実にうまいこと言ったものだと思う。
一寸すなわち約三・〇三センチメートル先のこともわからぬ、つまり、人生においては次の瞬間のことも予測がつかないということで、従来を歩いていたら、なんという名前の花かは知らんが綺麗な花が咲いていた。「あら、綺麗なお花」としゃがみこんで、これを愛でていたところ、頭上から建築資材が落下してきて押し潰されて死ぬ、なんつうことが普通に起こる、と言うのである。
剣呑だなあ、嫌だなあ、と思うが事実そうなのだから仕方ない。
空気が澄んで空がいつもより青く高く感じられる冬の寒い日。その青い空を部屋の内側から見上げてつくづく思うのは、人間というものはなににでも慣れるのもだなあ、ということである、
然り。人間というものは、ものに慣れる、という性質を有している。
新入社員の頃は毎日が地獄のように大変で、こんなことを一ヵ月も続けていたら死んでしまうのではないか、と本気で思う。ところが半年後にふと気がついてみると、大変には違いないが、最初の頃ほどではなくなっている。そうこうするうち三年も経てば、多くの先輩と同じように淡々と業務をこなせるようになる。
これすなわち、慣れ、である。むずかしくいうと、馴致、というのかも知れない。
まあ、そんなことで人間は。ものに慣れるのであるが、その、慣れ、そのものはどういう仕組みになっているのかというと、段取り・手順と力の入れどころと抜きどころがわかってくるということだろう。
なに仕事によらず、段取り・手順というのは大事で、段取り八分、という言葉があるくらいである。つまり、段取りができればその仕事は八割方は終わったも同然、というのである。
あはははは、あほほほほ、って感じでいきましょうか。
偶然に偶然が重なったところにさらに偶然が偶然に訪れたような偶然の出会いが偶然にあったような偶然の出会いだった。
もしオリンピックに、「六頭の猫のうち五頭を一室に、一頭をもう一室に隔て、それぞれに桶に盛った飯を食べさせる」という競技があれば、私は間違いなく金メダルを獲得できるはずである。
先日からハマっているPV このコが売れているワケが分かる。うん。
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=I%27ll+Show+You&aq=-1&oq=&ei=UTF-8