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📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
たまに山ブログ
         

I

2016-03-15 | 糸井重里


糸井重里
ほぼ日刊イトイ新聞
『できることをしよう。
 ぼくらが震災後に考えたこと』★★★+

今朝NHKでの番組で糸井さんの気仙沼事務所が出てて、
!!!
そう この本を読むのを失念していた。。

早速読む2
震災本でもやわらかい文体に糸井さんらしさが出てるね。


その番組には箭内さんも出ていた。


深夜には鶴瓶と寛平ちゃんが新地町に来てて、ホントNHKだけだわ 311特番組んでるのって。
これが現実よね。



---



この本のなかにいるのは、あなたかもしれない。



糸井 「自分が元気じゃないと他人を元気づけられない」



糸井 気仙沼っていうのは、すごく革新的ですよね。ぼくらもいま、やりとりをしている気仙沼の人が多いんですが、「無から有を生じせしめる」みたいな、気迫があるんですよ、みなさんに。



糸井 プロフェッショナルに何かをやり続ければ、「体がその形になってくんだ」という言い方をぼくはよくするんです。つまり、そういうことですよね。



まるでシナプスのように。



糸井 うちの会社に社訓はないんですけど、「ぼくらの仕事は、あたためることだ」っていう言い方をよくするんです。



糸井 ぼくは脳のシナプスが活動している様子を顕微鏡で見せてもらったことがあるんですけど、シナプスはでたらめに手を伸ばすんです。互いにでたらめなんだけど、くっつくように動いてる。あてがないのに探り出すんですよ。あれには感動しました。








「構造構成主義」



糸井 暗闇で「光」を見つけたときに「明るくなった」って言う人と「眩しい」って言う人と、両方いるでしょう?あらゆる場面でネガティブに形容する人はいるんですが、ポジティブに考えたほうが、緊急時の生存率は、あがると思うんです。



西條 ぼくらは「人が人を支援する」という考えかたを基本にしています。人間は「忘れてしまう動物」ですけれど、人と人との間に縁が生まれればそれが絆となって、「忘れる」ことには、ならない。



西條 実現可能性のないものは「方法」として意味がありませんから。目的を達成する手段が「方法」ですから、目標を達成できなかったら、どんなにきれいでも、それは、まったく意味をなさないんです。



西條 そもそも「エネルギー」とは。「原動力」のことですから、モノである必要も、お金である必要も、じつは、ないんですよね。被災地を何とかしたいという思いこそが、とても重要だと思います。

糸井 その思いは、冷ましちゃいけないね。



「ふんばろう」



被災者が生活者に戻るとき。



「五%は仕方ない」








和枝 気仙沼の沖には世界三大漁場のひとつ、三陸漁場がありましてね。

ほぼ日 え、三陸海岸って「世界の三大漁場」なんですか、知りませんでした。ちなみに、他のふたつは?

和枝 アメリカの東海岸と、ノルウェーのほうみたいですけど。



純夫 カツオ船なんか、気仙沼の船というのは一艘しかないんです。もう、百何艘とあるなかで、一艘だけ。

ほぼ日 じゃあ、九九%以上が他県船。

和枝 はい。そういう意味では、気仙沼って他県船で成り立ってきた町なんです。私たち廻船問屋というのは、そうした他県からの船のお世話をする仕事です。正式には船主代行業というんですけど。



聞けば、気仙沼の漁師さんの世界って「親分!」とか、「姉さん」とか、「うちの若けぇ衆が・・・・・・」とかとか、威勢のいい声の飛び交うまるで仁侠映画のような世界なんだとか。








河野 陸前高田は文字通り「壊滅」しました。そういう表現をされているがために、ご支援いただいている部分は、少なからずあると思っていますし。

糸井 なるほど、なるほど。

河野 その意味でいうと「すべてが、きれいに残ってる」のに何もできない、福島のつらさ。

糸井 はい。

河野 あれは、つらいと思います。 

糸井 ぼくも、知らないうちに原発がらみの本がどんどん溜まってきました。テレビの録画も、原発関連の番組ばかりで。

河野 そうですか。

糸井 やはり「知っておかなきゃ」と思うと、そうなっちゃうんです。








『マグニチュード7クラスの直下型地震が東京で発生する確立は三十年以内で約七〇%――』



◆災害に備えてお風呂の水を溜めておくことは重要。


これはうちの母がしつこいぐらい言っていたこと。








なにか力になりたいと思うけれど、
なにができるか、よくわからない。
福島をめぐる状況は、複雑です。



「ぼくは、ふだんから、人生に起こることはぜんぶ意味がある。それは必然的なことなんだって言ってます。」



自分の家に入れない人たちがいる。さまざまなものが、いまも置き去りになっている。荷物を段ボールにきちんと詰めて引っ越したわけではない。それらは、ぜんぶ、そのまんまになっている。



そう、この震災のもっとも哀しい側面のひとつは、人々が、きちんと別れも告げずに離ればなれになったことじゃないだろうか。友だちや、家や、風景や、思い出と。



全国四十七都道府県のうち、福島県の面積は北海道と岩手県に続く三番目の広さで、だいたい東京の六倍くらいある。東西にも、南北にも、たっぷり距離がある。



糸井重里ががつてこんなことを言っていた。
「人が人とお別れするときには儀式が必要なんだ。お葬式という『区切り』があるからこそ、人はつぎの日からきちんと生活ができる」



ものごとには、近づいたぶんだけ、なにか見てくるものがある。



福島をめぐるこの取材は、さまざまな「簡単にはいえないこと」に出会い続ける日々だった。いちいち判断を迫られたわけではないものの、どうするのがいいだろうかと折に触れ、考えさせられてばかりだった。



誰もいない街に、蔦は這い、葉は茂る。まるで人がいなくなったことでできた街の隙間を埋めようとしているかのようだ。



「たのしい」がコアにないものは、たいてい、弱いか、続かないか、どちらかだ。








糸井 「茫然とできるっていうことは、自分がやらなくても、代わりに誰かが何かをやってくれると思ってるからなんですよね。



糸井 熱量を上げると、後で下がるんですよね。人間だから、くたびれるんです。



東京は「元気」です。



糸井 ぼくらのような人のできることは、「忘れないこと」だけなんだけど、これは実はかなり大きなことなんです。

   「忘れないってことと、来てくれるっていうことはイコールなんですよ。だから何でも嬉しいです」って。



糸井 被災地っていうのは生きている人と死んでいる人の場所で、道は死者の側からありますよということを、現地の人が教えてくれたんです。



視線があるから、助かる



「全部が偶然です」



勉強することがたくさんある。








http://www.1101.com/books/dekirukoto/

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I

2015-10-04 | 糸井重里


糸井重里
『ぼくの好きなコロッケ』★★★

2014年の「小さいことば」


お使い途中で靴を衝動買い
ストレス発散 気分も上がる。


---


たしかに、どんな人だって、心のなかに、
たくさんのことばが詰まっている。
無口な人の心のなかも、実はことばで満たされている。



あらゆることについてしゃべるのは、へんだ。
まったく興味がないということもある。
嫌いだし考えたくないということもある。
よく知らないので語れないということもある。
なんについてでも語るといいうのは、逆におかしい。
語れぬことがあり、黙っていることがあるのは
あたりまえのことだ。



「ひとりでいる」という時間を、
ちゃんと持っているかどうかは、
ものすごく大事なことだと、強く思っています。
「ひとりでいる」時間、
その時間にこそ出会うじぶん自身という他人。








あったら、バランスがとれるもの。そういうものって、なんだか大事なんですね。ほんとうは「ない」ものだとしても、あったほうがバランスがとれると
思うと、人はそれを、無理やりにでも存在させちゃいます。



過去のなかには、現在が薄く含まれていたし、現在のなかには、すでに未来が練り込まれているし、現在が目に見えるようになるためには、未来という距離に立つしかない・・・・・・っていうことですよね。



ネット検索って、たまにするだけでいいと思うんだよね。



じぶんが変わることは、たのしみのひとつだお思うのです。



人間は、実はリズムに合わせて生きている。太陽と地球と月との回転周期という前に、なによりも、心臓が鼓動しているし、呼吸がリズムを刻んでいる。自由な心臓なんてものがないかぎり、人間のまるっきりの自由なんてものは、不快であるのだ。
リズムというのは、生命であるということでもある。



ららら~、人生なんて、紙一重なのよ~ららら~。








「漫然とやってちゃダメだぞ」



濃く本気なものが薄い興味の人たちにも支持されたら勝ち。








「ダサいかダサくないか」って、
そんな大事なことじゃないだろう?
ダサいかどうかなんてことを超えた価値を、
見つけてきたはずじゃなかったのか?








「馬場とロック」








「好きになってもらう方法」について考えはじめたら、
それはもう、えんえん救われない道に迷いこむと思うんだ。



「貫禄がついたね」



人の一生ってけっこう短いです。できるだけ自由に、好きなことをやりたいものですねー。








人間のこころって、まぁ、
ほんとにグロテスクでもあり、
ものすごく色とりどりなものだと思います。



「じゃ、愛しましょう」というわけにはいかない。
沸きあがってきた感情を「愛」と呼んでるだけですから。














---



吉本隆明さんが、最晩年に
いちばんくり返し言ったのは
「沈黙」ということばではなかったか。

とにかく、「ことばの幹と根は沈黙なんです」と、
何度も何度も聞いた。
そして、「沈黙」というのは
「自己門答なんじゃないでしょうか」と。

じぶんがじぶんに問いかけ、じぶんがじぶんを疑い、
じぶんがじぶんに教えられ、じぶんがじぶんをたしなめ、
じぶんがじぶんを励まし、じぶんがじぶんと交わる。
門答の材料は、他人から受け取ってきたものもあるだろう。
聞きかじりも、読みたての知恵や知識もあるだろうが、
それを、ひとり、自己門答することで、
じぶんの考えが生まれてくる。
ぼくはそんなふうに受け取っていた。

矛盾が矛盾のままであることも、いくらでもある。
解決や正解といったものから離れていってしまうことも、
いまはあえて棚上げにしていることもあるし、
さらなる熟成を待たねばならないこともある。
じぶんのこころのなかで、さんざんやりとりされる門答。
それが無言のうちにこころのなかで行われている。

自己門答があったか、つまり沈黙の時間はあったか、
そこを経ている考えかどうかで、ことばの根がわかる。
ぼくが、よく人のことばにうたれるときに、
「あの人、それについてさんざん考えてきたんだよ」
と思うことが多い。
たっぷりの沈黙を根に抱えていることばは、生きている。

少なく語って、少なく力になれたら、強くなると思うよ。



---




























恋をしている人が、
ひさびさに恋人に会うときみたいに、
少し心臓の鼓動を速くして、
顔から前に進んでいく。









年上の人に会うというのは、
なにかしら運のいることだと思うのです。
同い年だとか、年下の人たちと会うのは、
じぶんの意思がおおいに働きます。
しかし、年上の人に会うのは、
その相手の「いいよ」という許しがいるように思います。








人間というものは、「一喜一憂」したいのです。
「一喜一憂」が、好きなのです。








とっさの「じぶん」が、じぶんの育てた「じぶん」だよな。







基本的に、「もとめるものは2番目に置け」なんだよ。








「ぜんぶは無理だ」は、ぼくのため、君のためのことばです。








「いままでなかったけど、こんなのがあったらなぁ」という理想が見えること、それこそが大事なんです。
ほんとうの「理想論」って、現実を動かすと思うんです。



「なんとなく、わかる」

「嫌じゃない程度に」



「いろんな種類の忙しさ」








「よく見えてないことに少し気づく」


つまり、それは「じぶんが見えていること」よりも、
じぶんに「見えてないこと」のほうが
大きくて豊かだ。
と知ることでもあります。








「たいしたことない」ことは、なかなかたいしたことだぜ。」







じぶんを失っていないなら、なにがなんでも大丈夫。








恋人たちよ、握りあった手を離して、
それぞれの場所に出かけたまえ、
そしてまた、帰ってきて手をつなげばよいだろう。




























---


近づいてくる それは一瞬 
キスをされて不快に思うことってあるんだ。
ごしごしと唇を拭う。
そして今愛しい人が浮かび「そうなんだ」

くると思ってた?一週間ぶりに声を聞く。

線引き///




























あ 誕生日・・・
「おめでとう」
興味がないらしいけどね。
去年は笹塚のイタリアンでお祝いした。雨の日だった。




種を蒔く。ひとり引っかかった。

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I

2015-09-18 | 糸井重里


糸井重里
『ふたつめのボールのようなことば。』★★

糸井さんの1年分の心に残ることばを集めた、「小さいことばシリーズ」。

ササササッと読み飛ばす。

吉本さんの言葉がやっぱりグッとくる。




























ねぇねぇこの先どうなるのかな?

「カレシなの?」「カノジョなの?」

「お友達と毎日おはようただいまメールする?」
「いや しないでしょう~」

なんなのこの立ち位置

明日なんらかのアクション起こす!



今夜も新宿三丁目★

memo:古地図忘れずに。

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I H

2015-04-12 | 糸井重里


糸井重里 早野龍五
     (東京大学大学院 理学系研究科教授)
『知ろうとすること。』★★★★

文庫オリジナル

原発事故後の情報が錯綜する中で、ただ事実を冷静に分析し発信し続けた物理学者早野さん。
その姿勢を尊敬し、自らの指針とした糸井さん。
「科学的に考える力の大切さ」
そして「こころのありよう」

放射能の影響とは?

地元ながらわたしも色々調べ考えた。
今さらながら向き合えるようになった。

マイナスからプラスへ。








明日は♪厨子へ♪
晴れた日の海が見たい。
手土産はハラダのラスクと赤ワイン。

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I

2014-11-20 | 糸井重里


糸井重里
『ぽてんしゃる。』★★

日記帳を忘れたこともあるし、
気づいてくれるかな?って試みでLINE


---



ぎゅっと集中も大事でしょうが、ぼわっと漠然も大事だぜ。



なめるな。



「いいこと考えた!」と言えるのは、
「いいこと考えた」ときだけです。



「じぶんのリーダーは、じぶんです。」



昔の人は、もっと「ユーザー」を信じてたんじゃない?



昭和生まれの大人ってね、皆ブイサインが好きなんだよ。


---

!!!
この時点で糸井さんってわかるのがスゴイ(笑)


---
↓↓

旅って、たくさんの天井を見ることさ。



土地の記憶って、
「天気と人と食べもの」だって気がする。
あなたの地方は、どうでしょう。



じぶんの馬鹿らしさを眠らせたい。そしてその眠る馬鹿らしさに添い寝してうとうとしたい。



パクリだ、盗作だ、罪だ、罰だ、ドストエフスキーだ。



るるるるる。



あたし、「あ行」って、好き!



「そんなものに、どうして腹を立てるのか?」



観念は無敵だもの。



想像力を想え、いつも。



終わりこそはじまりの母だ。
ぼくは、「はじまりを、はじめよう」と言っていく。



せんちめんたる。








前に、「いい会社とは?」という質問に対して、
吉本隆明さんが、こう答えてくれたことがありました。
「いい場所にいい建物があって、日当たりがよくてさ、近所にお茶を飲んだりで
きるところがあったら、毎日来てもいいやって思いますね」
そのときは、わぁ、そう来たかと思いましたが、
「そうか、そうしよう」と実践してきました。








「半分かまう」



ぬすみぎき。



「あそこでいいか」という言われ方をした店は、あんがい何度も行くようになる。



楽しいむだな時間を過ごそう。



---


あややお付き合いありがとう。



元々の出逢いは『羊どろぼう。』だったかな。


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