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📚読書備忘録📚
(自己評価★★★★★)+泣ける物語
たまに山ブログ
         

S

2017-08-30 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
『対訳 21世紀に生きる君たちへ』★★★
監修・ 翻訳 ドナルド・キーン
翻訳 ロバート・ミンツァー

『関ヶ原』を見終わってかるくお茶して別れた。
そのまま歩いて丸善へ。
夕方の風が涼しくてもぅ秋に近づいている感
日本橋の街並みよいなぁ

さて勢いで『関ヶ原』を買って読もうかと司馬遼太郎コーナーへ。
リアルタイムだしね。
でもでもまだ歴史本は早いと思いとどまり・・
そこで見つけたのがこの本

小学校用教科書のために書き下ろした作品

何だか将来の若者に託した遺書のよう
だって21世紀を見ることは出来ないと思うけれど・・なんて。
ちょっとうるっときてしまった。
感化されまくってるねー(笑)


今は 『街道をゆく 27 因幡・伯耆のみち、檮原街道』読む読む。
亀井茲矩のエピソードがおもしろい。
まだまだ知らない戦国時代
色々な人が活躍してる。
でも最後はほとんど戦死しているという現実・・
切腹とか想像出来ない。
そうかんたんに殺されてたまるか!って意気込んでても殺される・・






























セクシーポーズ?にほっこり「かわいいヤツ」

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『関ヶ原』

2017-08-29 | 司馬遼太郎


原作 司馬遼太郎




ひとりで平日映画 in日本橋~と半意気込んで前売り券GET
5年も近くに住んでいながら今回初
初日から3日目 意外や集客多し半数が高齢者

さて『関ヶ原』・・あっと言う間の3時間弱
ここ最近司馬遼太郎にハマっているのみでまだ『街道をゆく』一巡目
ただ年表上名前を知っていただけの歴史がこんなにおもしろいんだと教えてくれた。
「歴史興味なし 地理の方が好き」
今はそこにある人物像やら背景やら色々思案して楽しんでる。
やっぱり惹かれるのは戦国時代
そこに『街道をゆく 24 近江散歩』を読んだばかりでピンポイントに関ヶ原!





しかし岡田くんの石田三成・・カッコよ過ぎ(笑)
でもその逃亡と死に様をどう描くかに興味があった。
まぁキレイに終わらせている。
諸説があるけど最期「命を惜しむは、ひとえに我が志を達せんと思うがゆえなり」
さてこの映画で光っていたのはこれも名言で言われる
「三成に過ぎたるものが二つある」
その一つの島左近(平岳大)!!これぞ武士って感じでステキ・・
この人なくこの映画は成立しない。うん。
あと目を奪われたのは大谷刑部(大場泰正)かな。

徳川家康(役所光司)のおなかに圧倒
よく描いていると思う。
七将の滑稽さも中々・・(笑)
特に福島正則(音尾琢真)よい味出てた。


もう一度みるとしたら会話をしっかり聞き取りたいと思う。
正直字幕がほしい?
映画だからかもしれないけど生半可な時代劇じゃない。
正直おコさまには向かない 言葉として大人な映画



石田三成の家紋
大一大万大吉
「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」という意








自分にとっての本当に必要なものって何なのか?
考えさせられた(深い)

と言いつつ新宿のおでん屋さんでこれが現実よねって。
久々に逢って言うことないの?

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S

2017-08-27 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 26 嵯峨散歩、仙台・石巻』★★

http://publications.asahi.com/kaidou/26/index.shtml

司馬遼太郎仙台をベタ褒め・・(笑)
久々に仙台を歩いてみたくなった(時代がちがうけど)

合間に江國香織の文庫本と春樹のハードカバーを読んだからか、
このワイド版の文字の大きさ「大き過ぎる・・」慣れってこわい。

11月久々に京都予定
嵯峨野から奥へ行ったことがないからこの機会に巡るのもよいかな なんて。
どうかしら?



---



こんにち、桃山風の建築に接したければ仙台へゆけといいたいほどである。



---



客をもてなすのも、情義である。その情も義も奥州人においては激烈なものといっていい。



---



王朝のころ、宮城野のひろさ、その上にうかぶ白い雲、野や原に咲きみだれる萩、こぼれる花、ゆたかな川の流れ、気品のある青に染まるやまなみ、すべてが大宮人のあこがれであった。



---



私は、正岡子規が好きなように、魯迅が好きである。魯迅が、清末、他にも留学先があるのに、とくに日本をえらび、それが明治期の日本だったことも、よかった。かつ江戸期の篤実な人間の心がなお生きていた仙台であったことは、天の配剤だったような感じが私にはする。明治と、大藩の旧城下町という条件なら、当然、藤野厳九郎教授のようなひとが、かれの前にあらわれ得るのである。
藤野先生は、篤実な教師であった。



---




























沖縄からクラブ触っていない・・(反省)
たまにはお勉強を ね。
    結構みたなぁ



ゴルフって、好きになったもん勝ち。

「気楽にちゃんと真っすぐ飛ばしてほしい」(笑)

高濃度酸素リキッド WOX

「沖縄の風重い・・」

あわよくばホールインワン☆

運命のイーグルパット!!

打ち上げ「スイングを変えるわけではなくホント目線」右肩が下がらないよう。

「上手い人ほどシンプル」

ルーティーン

「自信満々で 結果はどうであれ」

「ゴルフ場にきたら自分がスターだから!」

「経験値がマイナスになることもある」

「数字に気を取られちゃダメよ。私が150って言ったら150」

イメージを持つだけで変わる。

アドレスでミスしない。

「前上がりだとフックが出やすい。
 前下がりだとスライスが出やすい」

アゲインストが強い場合はティーを低めにして風に負けない強い球を打つ。

北海道は洋芝 むずかしい。

インパクトから前を意識する。

グリップを短く握ることで距離を合わせ インパクトが緩まないようしっかり振る。








一番の贅沢は何もしないこと。

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M

2017-08-25 | 村上春樹




村上春樹
『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』★★★


夏休み読書としてryoさんから借りた。
どっしりハードカバー
相変わらず一辺倒ってところを感じたけど安心して読める。
古株だね。

「あらないよ」がよい味出してる。

今週末は後半戦を読んで静かに過ごそう。
そう詐欺確定・・ってことで落ち込んでる凹
知らない人に騙されるのと、
知っている人に騙されるのはどうなんだろう?
見知らぬ他人と見知った知人
顔が見える人と顔が見えない人

何かあるのかな・・
意味を見出そうとしたけど、それは意味がないと分かっている。
どうにか折り合いをつけて教訓として刻むしかない。

上手く消化出来ますよう・・

どうしようかな?
同じ商品を買うか買うまいか・・あ~ぁ

駅前交番の室内
小さな蚊がぶんぶん飛び回ってた「よくゴルフやるんですか?」
座って間もなく定期入れを落としたと学生さんが紛失届
お次は道案内
その次も道案内かと思いきや「この近くの耳鼻科教えて下さい」と老夫婦
ネット検索でそのまま予約!と言ってもこれが現実
最終的に「警察署に行って下さい」だって・・交番じゃ判断つかず・・



遅い帰りでもいつもやってるご近所の歯医者さん
夜9時予約はさすがに初★



---



「もしこのまま別れても、友だちのままでいてくれる?」



---



おれはどうかしている、と私は鏡の中の自分自身を見つめながら思った。小さく声にも出してみた。頭がいくらかおかしくなってしまっているみたいだ。このまま誰にも近づかない方がいい。少なくともしばらくのあいだは。



---



私の視野にはきっと何か生まれつきの盲点のようなものがあるに違いない。私はいつだって何かを見逃しているみたいだ。そしてその何かは常にもっとも大事なことなのだ。



--------







私はそのままプジョーを運転して東北地方を横断し、東京まで戻るつもりだったが、国道六号線のいわき市の手前でついに車の寿命が尽きた。

「悪いことは言わない。このまま安楽死させた方がいい」








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部屋の中はとてもしんとしていた。沈黙が空気の中に、微かな重みを与えていた。まるで一人きりで海の底に座っているみたいだ。



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「あなたはものごとを納得するのに、普通の人より時間がかかるタイプのようです。でも長い目で見れば、たぶん時間はあなたの側についてくれます」



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四十歳という年齢は人にとってひとつの分水嶺なのだ。そこを越えたら、人はもう前と同じではいられない。



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あとになって振り返ってみると、我々の人生はずいぶん不可思議なものに思える。それは信じがたいほど突飛な偶然と、予測不能な屈折した展開に満ちている。しかしそれらが実際に持ち上がっている時点では、多くの場合いくら注意深くあたりを見回しても、そこには不思議な要素なんて何ひとつ見当たらないかもしれない。



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読書家が本の中の気に入った文章を、ノート一字一句違わず丁寧に書き写すように。



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コレわたし! (笑)



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目の前にそういう流れがあるのなら、いったん流されてみればいい。



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顔はある意味では手相に似ている。もって生まれたものというよりむしろ、歳月の流れの中で、またそれぞれの環境の中で徐々に形作られてきたものであり、同一のものはひとつとしてない。



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「あなたもご存知のように、ものの価格というのはあくまで相対的なものです。需要と供給のバランスによって価格が自然に決定されます。それが市場原理です。もし私が何かを買いたいと言って、あなたがそれを売りたくないと言えば、価格は上がります。その逆であれば、当然ながら下がります」



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「人は時として大きく化けるものです」

「私は思うのですが、大胆な転換が必要とされる時期が、おそらく誰の人生にもあります。そういうポイントがやってきたら、素速くその尻尾を掴まなくてはなりません。しっかりと堅く握って、二度と離してはならない。」



---



「ちなみに私は左利きです」

「何かの役に立つかどうかわかりませんが、それも私という人間に関する情報のひとつになるかもしれない。右か左かどちらかに行けと言われたら、いつも左をとるようにしています。それが習慣になっています」


テラスに出ると風はなく、そこにある空気はゼリーのように濃密で冷ややかに感じられた。雨の予感がした。



---



僕らは高く繁った緑の草をかき分けて、言葉もなく彼女に会いに行くべきなのだ。私は脈絡もなくそう思った。もし本当にそうできたら、どんなに素敵だろう。



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「比較的良い一日だった」、私は自分に向かってそう言った。



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「目に見えることだけが現実だとは限らない。そうじゃありませんか?」



朝の早い時間に、まだ何も描かれていない真っ白なキャンバスをただじっと眺めるのが昔らか好きだった。私はそれを個人的に「キャンバス禅」と名付けていた。まだ何も描かれていないけれど、そこにあるのは決して空白ではない。その真っ白な画面には、来たるべきものがひっそり姿を隠している。目を凝らすといくつもの可能性がそこにあり、それらがやがてひとつの有効な手がかりへと集約されていく。そのような瞬間が好きだった。存在と非存在が混じり合っていく瞬間だ。



「あたしは夢なんかじゃあらないよ、もちろん」と騎士団長はやはり私の心を読み取ったように言った。「というか、あたしはむしろ覚醒に近い存在だ」



ポニーテイルの青年が、私たちのグラスに赤ワインを注いでくれた。一時間ほど前にボトルを開け、デキャンターに移しておいたのだと免色は言った。
「空気がうまく入って、ちょうど飲み頃になっているはずです」
空気のことはよくわからないが、ずいぶん味わいの深いワインだった。最初に舌に触れたときと、口の中にしっかり含んだときと、それを飲み下したときの味がすべてそれぞれに違う。まるで角度や光線によって美しさの傾向が違って見えるミステリアスな女性のように。そして後味が心地よく残る。
「ボルドーです」と免色は言った。「能書きは省きます。ただのボルドーです」
「しかしいったん能書きを並べ始めると、ずいぶん長くなりそうなワインですね」
免色は笑みを浮かべた。目の脇に心地よく皺が寄った。「おっしゃるとおりです。能書きを並べ始めると、ずいぶん長くなりそうだ。でもワインの能書きを並べるのが、私はあまり好きじゃありません。何によらず効能書きみたいなものが苦手です。ただのおいしいワイン――それでいいじゃないですか」
もちろん私に異存はなかった。



「そうです。私は揺らぎのない真実よりはむしろ、揺らぎの余地のある可能性を選択します。その揺らぎに我が身を委ねることを選びます。あなたはそれを不自然なことだと思いますか?」



「そう、そういうことだ。ファーストオファーはまず断るというのがビジネスの基本的鉄則だ。覚えておいて損はあらない」と言って騎士団長はまたくすくす笑った。



「わたしもわたしのことを理解できればと思う」とまりえは言った。
「ぼくもそう思う」と私は同意した。「ぼくもぼくのことが理解できればと思う。でもそれは簡単なことじゃない。」



「私はね、昔からハンサムな人にとても弱いの。顔立ちもきれいな男の人を前にすると、理性みたいなものがうまく働かなくなってしまう。問題があるとわかっていても抵抗がきかない。どうしても治らないの。それが私のいちばんの弱点かもしれない」
「宿痾」と私は言った。
彼女は肯いた。「そうね、そういうことかもしれない。治しようもないろくでもない疾患。宿痾」


宿痾、と私は思った。治療の見込みのないろくでもない病。理屈の通用しない体質的傾向。








---




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ミニトマト(フラガール、ぷよっぴー)

2017-08-24 | ガーデニング+家庭菜園







       



    










もぅ終わりだね ♪~



最終収穫かしら?
先週末フラとぷよから数個いただきっ










お隣のおじさまから実家で収穫してきたとまとちゃんをいただいた。
プロは全然ちがう!!!
この色艶・・うっとり。



昨日収穫後放置していたフラとぷよを揚げてみた。










あの一瞬にして前方不注意なぐらいの豪雨とWの雷
どーーーんとマンションにまで響く雷鳴に思わずわんこの反応を見るも、
平気な顔しているのを見て「強いな・・」
多摩川の花火大会むりむりむり。
こういう異常気象も日常になってゆく。


































詐欺に合ったみたい・・あ~ぁ
警察に被害届出


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モリンガ

2017-08-21 | ガーデニング+家庭菜園





生命力みなぎるモリンガちゃん










新しい芽がーーー!










芽が 芽がーーー!
(ムスカ?)

ちょっとピントボケ・・





























リピートしている曲 https://www.youtube.com/watch?v=nfs8NYg7yQM
どこに行っても流れてる。
遠い街のコンビニでも、はたまたカウンセリング中に流れたのにはウケた「ここまで浸透?」

あとこれかな https://www.youtube.com/watch?v=ozv4q2ov3Mk

これも https://www.youtube.com/watch?v=yPQfcG-eimk
右側のコからなぜか目が離せなくなった。

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E

2017-08-20 | 江國香織


江國香織
『つめたいよるに』★★

短編集

デューク
夏の少し前
僕はジャングルに住みたい
桃子
草之丞の話
鬼ばばあ
夜の子どもたち
いつか、ずっと昔
スイート・ラバーズ
朱塗りの三段重
ラプンツェルたち
子供たちの晩餐
晴れた空の下で
さくらんぽパイ
藤島さんの来る日
緑色のギンガムクロス
南ヶ原団地A号棟
ねぎを刻む
コスモスの咲く庭
冬に日、防衛庁にて
とくべつな早朝



緑色のギンガムクロス








晴れた空の下で




































お盆休み最後は伊豆下田へ。
都内と違って曇り晴れ「当てたね~」 

(行き)伊豆中央道~修善寺道路
(帰り)熱海ビーチライン~真鶴道路~
東名の渋滞を回避したいがためDHCを出たのが10時
今回は左手運転チャレンジ☆びゅんびゅん雨の中
全ての料金所ETCにしたらよいのに・・未だに現金って・・




























--------



「ノーというのは簡単だ。イエスというから難しい」
世界を肯定的にとらえるのは本当に難しい。
好きなものを持っているのは楽しい。好きな人がいるのはうれしい。しかし、その喜びはいずれ悲しみに変る。好きなもの、好きな人はいずれ消えてしまうのだから。だから、好きなものをたくさん持っている人ほど、悲しみもふえる。



運命を変えることはできませんが、挑むことは出来ます。

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S

2017-08-19 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 25 中国・閩の道』★★

http://publications.asahi.com/kaidou/25/index.shtml

都内19日連続の雨。。
「暑い夏は嫌い」って言ったこと撤回!
晴れた青空に入道雲な暑い夏が恋しい。
来週から晴れるとは言っているけど・・



さてまた中国
福建省・・と言えば烏龍茶



---



福建省というのは、中国でもいわば田舎のような省である。ながく、「閩」という地域名でよばれてきた。 というコトバの意味はわからないが、華北や華中の先進地帯からみればどこか草深くて異風なイメージを帯びていた。孔子(紀元前五五一~四七九)の時代には、中華のなかに入っておらず、後漢のときにできた辞書『説文解字』にも、 とは「東南越」とあって、いわゆる百越のあつかいになっている。おそらく、揚子江からインドシナ半島にまでおよぶ「インドシナ諸族」の一派の住むところだったのであろう。



---



「日本人というのは、変だなあ。なぜシルクロードが好きなんですか」
と、中国人からきかれたことがある。


「中国人にとって、どういうイメージがありますか」
「単に田舎です」


“シルクロード”の時代、むろん英語は地球上の小さな部分で使われていることばにすぎなかった。「絹の道」といえば事足りるその歴史的概念を、わざわざ英国のコトバでいう必要もないのだが、そういう言い方が国語として定着するあたりにも、日本人の好みがひそんでいるtごいえなくない。


私どもは東西文明の交渉史を詩的に感ずる気分がつよい。その「気分」に適合させるためにも、名前は外国語であるほうがいいということであるらしい。



---



私は、樟を見るのが、胸が痛むほどすきである。つややかな皮革質の葉に陽が照るとき、光が葉ごとに踊ってこぼれているようで、見ていると心まであかるくなる。暖地を好むため日本では九州に多く、西日本がこれに次ぐが、東日本はすくない。ただ、東京だけは例外である。宮城前広場には、自生ではないながら――冬は幹に保温用の縄が巻かれるという保護をうけつつ――さかんな樹勢を保っている。



---



家が低湿地にある場合、狭い小庭であっても、そこに小さな池を深めに掘る。そうすれば、池のまわりの土がかわき、家の中の湿気も払うことができるのである。



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都市というのは、その市民が多少は背のびをしているようでなければ、都市文化は向上しないのである。日本でいえば東京や京都にいい意味の気どりがあり、大阪にはそれがすくない。仙台、金沢にはあるが、名古屋や広島はどうだろう。神戸には別趣の都市気分がある。

――上海人の都会人的な気どりは、上海の半植民地時代の名残りにすぎない。



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焼畑というのは、原始農業である。
日本でも縄文末期の粗放な農耕時代には一般におこなわれてきたとされるし、いまでも東南アジアではごくふつうにおこなわれていて、さかんに森林を破壊している。
まことにたけだけしいもので、原野や山林に火を放つ。草も木も焼きはらい、その灰だけを肥料に、ヒエやソバ、アワ、大豆、麦、ときに陸稲をまく。施肥もせず、土壌づくりをすることもない。大地は数年で地力がおとろえ、稔らなくなる。
ひとびとは、他へ移り、そこを焼く。数年もしくは十数年経ってもとの地力が回復すると、もどってきて、また焼く。大地から奪うのみで、土壌を育てることをしないという点で、典型的な略奪農業である。
さらには、火を用いるということで、原始的ながらも、工学的な農業といえなくもない。
私どもの遠い先祖の自然とのかかわり方は、破壊して奪うということだった。その昔は、人は少なく、自然は豊富だったから、このように地を火攻めにするようなことをしてもかまわなかった。ただ、人間が自然に対し、知恵という牙をむいて大規模に食いちらかすという、他の動物にはない本性があらわれるのは、焼畑の段階からだったともいえる。
焼畑には、当然ながら弊害が多い。山が森をうしなって保水能力がなくなり、洪水や山くずれの原因の一つになる。むろん、山火事のおそれも大きい。
これをくりかえすと、大地は荒廃して、ついには草も生えなくなるという。



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風景画に川か湖沼があれば心がなごむように、水景というのはわれわれの原始的な感情につよいかかわりを持っているようだった。



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福建省は山狭の多い省だけに、名だたる茶どころなのである。



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そうそう!



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天目はまことに華麗である。
私は、かつて藤田美術館でみた「曜変天目」のうつくしさがわすれられない。曜変だけでなく、油滴も美しく、べっこうのぬめりと光沢をもつ玳皮盞(たいひさん)もよく、灰被の天目もいい。それらの実物もいいが、しかし私どもが多く接するのは写真版である。茶碗は写真でみると拍子ぬけするものだが、曜変や油滴だけはむしろ写真のほうが映える。

「曜変や油滴のいいものはみな日本にあります」

曜変というのは希少なものなのである。もともと曜変(燿変)は窯変とも書かれるように偶然の火のいたずらによってできるもので、意図してつくられることはなかったし、できもしなかった。
偶然それができれば、窯の管理者は、
「これは日本にゆくのだ」
と、いったはずである。すべて日本に輸出された。



---

アツク語る天目について見てみたくなった↓
































またまた中華街へ・・(笑)









景徳鎮かと思いきやちがうみたい・・
四川じゃなかったのかな?

路地裏の緑 2F 黒い坦々麺

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S

2017-08-17 | 司馬遼太郎


司馬遼太郎
【ワイド版】
『街道をゆく 24 近江散歩、奈良散歩』★★★

http://publications.asahi.com/kaidou/24/index.shtml

都内17日連続の雨。。
さすがにこのじめじめさに嫌気

夏じゃない夏読書は司馬遼太郎



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近江の人

このシリーズは、十四年前、近江からはじまった。
「もう一度、近江にゆきましょう」
というと、須田画伯が、小首をかしげた。といって、口に出すほどの異論もないらしく、だまっている。
が、押しきってしまった。私はどうにも近江が好きである。



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24冊目にして14年・・

連載・週刊朝日 1984年1月20日号~7月20日号



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関ヶ原で西軍は四散し、三成は行方不明になったが、かれの佐和山城は健在だった。といっても非戦闘員に近い老人や女子、あるいは視卒の家族が留守をしていたにすぎない。三成の父正継、兄正澄、その子朝成、三成の子重家、三成の妻の父宇多頼忠、その子頼重らで、城は東軍一万五千にかこまれた。家康は佐和山攻めをいそいでいた。かれはできるだけ早く大板に入り、主権者である秀頼を制する一方、便宜上これを擁し、天下の体制を徳川体制に組みかえるという政治的魔術を施さねばならなかった。このため、佐和山城の踏みつぶしに手間どってはならない。殲滅しようとすれば、時間がかかる。
――開城せよ。
という旨、家臣船越五郎左衛門をして申し入れさせた。船越は、三成はすでに討たれた、とあざむいた。さらに、家康の意である、として「三成の一族の主たる者は切腹せよ、士卒は降参する者はこれをゆるす」と申しのべた。
三成の城だけに、城内のひとびとは家康という人間を老獪という一点でとらえていた。たしかに、この時代、政治家らしい政治家は、家康以外に、九州に黒田如水がいた程度であった。正継たちは論議したが、結局、士卒にかわって一族が切腹しようということになった。
ただ、家康は船越のことばどおり士卒の生命をたすけるだろうか。そのことを家康自身から確信を得ようとし、答礼使として一族の津田仙庵父子が城門を出た。が、事情を知らない脇坂安治の兵のために討たれてしまった。
このため、城中は、はたして家康にあざむかれた、とし、この上は奮戦して死のう、ということになったが、三成の父正継や兄正澄らはそのことを士卒に強制せず、死を共にしようとする者のみ残るべし、と触れた。
この間、城をぬけだしたのは、大坂の秀頼のもとから援兵としてきていた長谷川守友という者が水ノ手口からのがれて、寄せ手の小早川勢に奔ったぐらいで、城中男女二千数百がことごとく城にこもり、二日間激闘し、討死もしくは自害した。この一事でも、三成がいかに士心を得ていたかがわかる。ついでながら、三成の家中はほとんどが近江人であった。



---

井伊直政 石田三成



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戦国末期、織田信長の出現とその勢力の急成長は、やや退嬰の気味のあった旧勢力にとって意外でもあり、迷惑でもあった。旧勢力が一睡しているあいだに、まわりの景色がかわった。
同時に、信長の妹婿である浅井長政ですら、吹き荒れる嵐のように諸方を斬りとってゆく織田家のすさまじい回転についてゆけぬ思いがしたのにちがいない。長政といえども、旧勢力である。信長などよりはるかにおっとりしている。
その上、
――浅井の家と織田家は、対等である。
と、おもっている。が、織田家が急成長してゆくために、力の差異ができすぎ、家来のようになってしまった。浅井長政の気位の高さは、信長の同盟者である徳川家康のようにはなりたくないというところにあったろう。家康は独立した大名でありながら、信長に あご でつかわれ、部将のようになっているではないか。



---

うんうん。そしてこう続く(そう一乗谷!)



---



長政はむしろ古い同盟者の越前の国主朝倉義景のほうに、同階級の意識や仲間意識をもっていたはずである。
越前一乗谷を居城とする朝倉氏は、古い素性といえば成りあがりの戦国大名ではあったが、「守護」という、すでに形骸化したとはいえ、室町体制におけるきらびやかな権威を、実力で入手していた家でもあった。
とくに、浅井家の隠居の久政は、朝倉氏に権威を感ずる感覚のもちぬしであったらしい。久政からみれば尾張の織田家などは出来星の成りあがりにすぎない。



---

ははは 思わず笑ってしまった。

朝倉家の一乗谷文化について
公家的貴族意識の強かったことに対して熱弁していたカレを再び思い出す。
それがなかったらこんなに興味を持つことも司馬遼太郎を手に取ることもなかったかも?



---



姉川合戦の年、両軍の年齢は、以下のとおりである。

浅井長政 26
朝倉義景 38
織田信長 37
徳川家康 29



---

浅井家の家臣 遠藤喜右衛門尉直経
信長に接し、
いずれは浅井氏など、信長の利用価値がなくなったとき、攻めつぶされてしまうと確信したそう。
こわいこわい 戦国こわい!

信長がかなり魅力的に感じてしまう・・

結局喜右衛門の予想どおりになったわけで・・



---






























さて司馬遼太郎 『関ヶ原』 映画化
上記の通り 石田三成 うーんどう描かれているかみたい。
もうスグ封切りってことで・・平日ひとりで行っちゃおうかな♪♪
http://wwwsp.sekigahara-movie.com/
その反面原作を読んでからみるのもありかな?当分先になるけど・・




























「希望ってまやかしだと思わないか?人間が自分で自分をごまかすための」
「悪魔の思うつぼね」


運命を呪いたくなった。

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モリンガ

2017-08-16 | ガーデニング+家庭菜園


あの青々しく育ったモリンガちゃん

先日の植え替え&迷走台風5号&日照不足のせいであられもない姿に(泣)

そう全部葉が落ちてしまった・・

「でも茎はしっかりしてるのよ」
確かに死んではいない模様・・



トンボちゃん・・もぅそんな季節??









お盆中落ちた葉以外も弱々しいものは全て剪定してスッキリと。





どうにか持ち直してがむばって!!
としか言えない・・




























大量のじゃがいも
どうにか消費しようとじゃがいも料理を作りまくる。
しかし美味しく感じないのはなぜ?「美味しかったよ」って言われても半信半疑
ピーラーで自分の皮まで ピッ








料理に関して不安になる。
この現状・・
ラストカウンセリングでもきかっけとしてその話題に。
「中畠さんありがとうございました」
高額な保険 得られた安心 もしかしての夢物語

現実を見据えてこれから生きてゆきます。

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