北方謙三
『楠木正成(上)』★★★
先日ブログで偶然にも同じ本を読んでいる方が。
わたしも読んでます!
(またまた部長席からの拝借本)
六波羅探題の時代まで読むようになったかと感慨深い。
題名の如く楠木正成
どの時代に生きた人なのか、誰なのか?
前情報としては、司馬遼太郎の『街道をゆく』の本郷編の楠
そうそれだけ。
他は名前を聞いたことがあるぐらいで何も知らない。
誰かにいきなり「楠木正成のイメージは?」と聞いてみたくなった。
こちら上下巻
(現時点で下巻は未読・・だって終わりがよろしくなさそうで)
ハードボイルド歴史小説
みんな出てくる人出てくる人かっこよし!
北方さんの写真もやはり渋い。
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「二人で野宿するのは、それなりの心得があるからだ。数を恃むな。貧しい者を襲うな。兵に守られた、沿う円の年貢米を襲う。それぐらいでなければ、生きている意味もあるまい。精魂をこめて耕した、田畠を捨てた甲斐もあるまい。なにがおまえたちに田畠を捨てさせたのか、よく考え、それに立ちむかうのだ。その時はじめて、おまえたちは悪党になる」
正成は、倒れた男の上体を起こすと、活を入れ、蘇生させた。
「俺たちは、確かに流浪の民になった。家族も、飢えで死んだり、殺されたりしたからだ。だが、流浪しても、なにをやればいいのかわからねえ。だから、こうして、盗賊を働いてるのよ」
喋っている男は、落ち着いていた。死ぬ気になれば、こういう落ち着きは出てくる。
「なあ、教えてくれよ。俺たちゃ、なにをやればいいんだ」
「自分で考えろ、貧しい者、弱い者は襲うな、とだけ言っておこう」
「あんたの名は?」
「河内の国の住人、楠木正成」
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しびれるわ~
かっこえええ(笑)
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病むことなく、父は死んだ。まず、そう思った。死ぬ時は、人はたやすく死ぬ。
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わたしは生きている。
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「それでよい。愉しまなければ、見えるものも見えてこない、という気がする」
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人生愉しんだもの勝ち!よく言うけど。
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「悪党らしく生きる。それはどういう生き方なのだろうか、楠木殿?」
「闘って散る。寺田方念のごとく」
「それは死に方だな。生き方ではない」
「だから、私は待っています」
「なにを?」
「それがよくわからないところが、私の悩みですな」
正成が笑うと、円心も口もとを綻ばせた。
「人には、秋(とき)というものがある。その秋を得るまでは、待つのが賢明でしょう、楠木殿」
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誤解がある「悪党」
この時代の悪党とは、周縁領主に対抗する地頭や非御家人の新興の武士達のことを指す。
読んでみないことには伝わらないかな(是非どうそ)
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いつか秋を得る。それがほんとうにあることなのか。悪党は、所詮悪党として生き、滅びるしかないのか。
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「商いは、最後は勘だ。測るものをすべて測り尽くしても、まだ見えないものがある。それを勘で補って、動くのだ」
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「悪党が、拠って立つ場所がある。それは見えていたが、そこが地獄かもしれぬという思いを、いままで拭いきれなかった」
「いまは?」
「地獄なら、そこを歩いてみよう。そう思っている」
「楠木一党で歩く地獄ならば、それもよいかもしれません。悪党はみんな、どうしようもない不安を抱えています。小さな蜂起が頻発するのは、そのせいでしょう。いまのところわれらは、六波羅の眼からうまく逃れていますが、いつという不安はたえずありました」
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悪党なぞワード(お江戸に続き)
・菌(しとねと読)
座るときや寝るときに下に敷く物。しきもの。 ふとん。