ナラとクヌギのドングリの種をプランターにまいておいたのが発芽して、2~3年経ちます。それで、もう移植できるくらいに大きくなったので、一度にはできないし、どこに植えたらよいか算段するのにも時間を取りたいと思って、段差的に移植しています。
しかし、どちらの木もゴボウのように根がまっすぐ下に長くながく伸びるので、掘り起こすのが大変です。それなのでプランターにまいておいたのですが、ところがプランターの水を落とす底の小さな穴を通して根っこが土中に伸びてしまっていました。これを、シャベルで掘り起こしプランターを土から放したのですが、さてその小さな網目のような穴を広げて根を無事に取り外すのに大変苦労をしてしまいました。
まあ、とにかく少しずつ立ち木と立ち木との間隔を見て、その合間に新しい苗を植えるようにしています。植えても、夏の間にツタにからまれて枯れてしまうものもあります。
本当はツタを刈り切る作業をすると良いのですが、夏はスズメバチの巣があるといけませんから、一切山仕事はしないようにしています。ですので、苗が生長できるか出来ないかは運まかせです。
茨城県の南のほうに牛久沼(うしくぬま)と言うところがあります。この畔を国道6号が通っており、鰻専門のレストランが何軒かありますが、それは牛久沼のほんの一角であり、あまりそのほかのところはおなじみではありません。
そんなこともあり、今日は、もう少し沼のほとりを見てみようと急に思い立って出かけました。この畔の団地 - と言っても今となってはけっこう古くなった団地ですが - はご存知、寅さんの「男はつらいよ 寅次郎真実一路」 のロケ地になったことがあります。大原麗子の扮する妻とその夫の役、米倉 斉加年がこの牛久沼のほとりの団地に住んでいるという想定でした。 今日はそこにはいきませんでしたが・・・、
河童の絵をよく描いた明治~昭和中期にかけての小川芋銭(うせん)という画家の暮らしていた所に寄ってみました。「私の絵は芋が買えるくらいの銭にはなるかな」ということで芋銭という号にしたのだとか。
彼は牛久藩士の子として明治元年に東京で生まれたのだそうですが、明治四年に廃藩置県が実施されたために牛久に移ってきたのだそうです。
なるほど、牛久沼はこんな風であったのかと、ほぼ半分くらいのその様子が分かりました。
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