昨日は、フルート教室から帰る途中、県立図書館に立ち寄った話をしましたが、言うなれば一つのことがひとつだけで終わるのでは無くて、新しい行為を生み出したという話です。
きのうは、たまたま新しい行為が一つだったのですが、それはちょっと大げさな言い方をしますと、末広がりになる可能性があります。 行為のみならず、行為を起こさせる元は 考え ですから、一つのことを行う過程において、他のヒントとなることが数多くあるということになります。
今朝の残月
それは、引き起こされた物事自体が、そこからまたまた新たなことを引き起こすということにもなります。それがどのようになるか。本人は一度に数多くのことはできないし、ひとつ時に複数の場に存在することはできないので、どれかを選択しなければならなくなります。さて、その選択したものに依(因)り、どう運命が分かれていくのか。それは知る由もありませんが、もし知ることができたら、その違いの大きさに驚かされることと思います。
「 あ~、あの時はあれをしておけばよかったのだが 」 という悔いは、そのようなことからも起こるわけです。
朝はたいへん寒くて着替えをするのがたいへんつらくなりました。若い頃は、どんなに寒くても出勤する服に着替えるまでは素足のままでいられたのですが、この頃はそのような緊張感はないので、そういうことは絶対にできなくなりました。
上空を通る飛行機を画面の真ん中にいれて撮るのは、とても難しいです。飛行機は速くてすぐにファインダーの外に出てしまうし、再び出てしまうと、また画面に入れるのに時間が経ってしまい、そのうちに良い角度で取れなくなって仕舞います。また、こちらも上を見ながらですから、体がぐらつくし。
でもまあ、うまく撮れた時にはそれだけ 「 やったー 」 という気持ちになり、感動も大きいものです。
フィルムを使っていたときには大変でした。出来上がりは現像・焼き付けをしてみなければ分かりません。うっかり 「 良いものだけ焼iいてください 」 と言うのを忘れてしまうと、全部焼かれてしまい、かなりの出費となります。あげくの果てに、満足のいく物は一つも無かったなんてこともありました。
少々理屈っぽいことになってしまいました。
カメラマンとか記者などは、特別な道具を使ってカメラにとりつけて、フィルムもかなり長いのを切って36枚以上の長さにして撮っていたようです。
それと、今は無駄撮りができますが、昔は個人は財布に影響しますので、いくらでも撮れるという訳では無かったですね。
当地ではまだ初氷は見られません。
来襲の寒波でいよいよでしょう。
そちらは、菜の花がいち早く咲く地域ですから、こちらから比べたらそうとう暖かいはずです。
こちらから、その花を見に行く人が多くいますからね。
寒波が来るという話で、嫌だなあと思っています。