晴れました。あけみ蝶さん のお話では、琵琶湖方面では雨のようです。しかし、こちらは晴れてとても良い日です。西が雨の時には東は次の日に雨になることがよくありますから、明日は天気がくずれるかもしれませんね。
今日は、母が亡くなってからほぼ一年になるので、一年祭を行いました。命日の前に行うのだそうです。わが家では神式なので、神主さんにきてもらい、祭をおこないました。そのあとで料亭に移動して直会(なおらい)をしました。
この一週間は、そのために何かと大きな準備、小さな準備があって気ぜわしかったです。でも、親類の人たちにきてもらい、おたがい楽しくお話ができたので、ホッとしました。天気に恵まれて助かりました。
奥さんなんか、夢の中でリハーサルをやってしまったとか。なんか知らない人がたくさん来ていたそうですよ。おかしいなと思ったらしいです。
私はのんびり屋なので、夢はいつもどこかを旅している場面ですね。どこか分からないのです。そして、よくトイレを探している場面になります。トイレは見つかったけどドアが開かないとか、やっと開いたかと思ったらそこはデパートの売り場だったとか。そこじゃ用を足せないじゃないかと思ったら目がさめたりします。
昨日話題にあげたエシャロットですが、あけみ蝶さんが紹介してくれたサイト http://home.tokyo-gas.co.jp/shoku110/shokuzai/310.html によりますと、英語ではシャロット shallot と言うのだそうです。フランス語では e が付くんですね。辞書で調べてみたら e'chalote ( ’は e の上につきます)とありました。化粧するのはオシャレです。 ット が付かないんですね。私が言うのはダジャレです。
エシャレットというのは商品名のようです。まぎらわしい。エレクトーンも商品名。ホッチキスも商品名。ユンボも商品名。一等一億円は賞品名。そんなに当たったらどうしようと、寶くじを買いもしないのに心配している私、小心者。そこには蚊がいます。場蚊。
たぶん一週間くらい前の写真です。このもみじは家のすぐ前にあるものですが、とてもきれいに紅葉しました。ちょうど月が上に来たので、撮ってみました。
これだけ葉が多いと、落ち葉になったときにも、それなりに量が多くなりますから、他の木もあることだし、裏山からも飛ばされてくる枯れ葉がありますので、掃き掃除も手間がかかります。でも運動だと思えば大変だという気持ちも起きません。
ビワが好きなんです。あるとき種をまいたら大きくなり、実がなったのですが、とても邪魔なので剪定したら実が生らなくなってしまいました。それで、苗を買ってきました。どこに植えたか忘れてしまい。冬になって、菊だの芙蓉だのを刈り取ったら出てきました。そのときの言葉。「私、芙蓉の蔭で、もう不要なのかと思っていたよ。」「忘れちゃってた。ゴメン。」と謝りました。ビワと私の対話でした。なごやかな対話だったので、いちおう美話?。
ビワは好きなのですが、買うと損をした気になります。どうしてかと言いますと、中がほとんど種なので、種を買ってくるような気になるからです。「種はいらなかったね。」「ビワだっ種」← 木久翁並みですね。
ビワが話題となりましたので、こんなのはどうでしょうか。
枇杷黄にして医者忙(せわ)しく、橘黄にして医者蔵(かく)る
ビワがきいろくなる頃(梅雨のころ)には病人が増えて、医者がいそがしくなり、みかん(柑橘類)が黄色くなる頃は病人が減り、医者が暇になるという意味だそうです。
「リンゴが赤くなると医者が青くなる。」という西洋の言葉もありましたっけ。「柿が赤くなると医者が青くなる。」というのがこちらにあります。互いに似たような言い方があるものですね。「病人」という言葉を出さないところは鵜が踊る(鵜舞い=うまい)。
12月は師走と言いますが、実際は旧暦では今日はまだ11月6日です。師走になっていませんけど、忙しいです。日曜日は全部、あれやこれやでつぶれてしまいました。毎日が日曜日とは言えども、日曜日は日曜日なので、全部つぶれると圧迫感のようなものを感じて、少々つらいです。顔がゆがんで 皺 簾(しわす=皺がスダレのように)になっちゃったりして、、 、。
まあ、そういうこともあるんでしょうと、ストレスを吐く息と一緒に出してしまうことの如く、空中に 雲 消 霧 散 させようとしています。だんだんそういう業が得意になってきています。運 散 夢 消 では困りますけど、植木等ということで気楽にいきます。つまり「そのうちなんとかな~るだろ~お~ 」のこころです。押せば命の泉湧く。
歌は一種の 言 霊(ことだま)の役割を果たすのでしょうか。元気づけられることがあります。植木等の歌は、ストレス分散消滅型ですかね。
どっちのマルチがラッキョウで、エシャロットなのか、分からなくなってしまいました。たぶん右がエシャロットかなと思っているのですが、いずれにしてもラッキョウ族でしょうから。丈夫に育ってくれりゃ、それで良いと思っています。
追肥しました。マルチの上にしたって何にもならないので、穴の中に肥料を入れました。めんどうな作業でしたが、そういうことをするのが、面倒を見ると言うのでしょうか。
ラッキョウと言えば、宇都宮に餃子を食べに行った時のこと。ある所に「猿怒る」という餃子がありました。何だろうと思ったら、ラッキョウ入りと言うことでした。なるほど。外人が「何で?」と聞いていましたっけ。「意味わかんねーや」と「外人怒る」餃子ですね。
今日も大根ですよ。また漬け物です。もう、私の腹の中は大根と白菜でいっぱいなんですから。白いものばかりなので、私の腹は黒くなんかなりません。腹黒でなくて腹白です。潔白です。大 魂 です。大きな心を持って生きていきます。豪語している割りに生活は みみっちいな なんて言われそう。
里芋はこんな風に伏せてあります。藁を穴のヘリに出して、ここが伏せてある所だよと、穴の輪郭が分かるようにしてあります。トラクターで耕してしまうおそれがありますからね。そういうのは得意なんですよ。ショウガなんか二度もやってしまったんですから。全く、しょうがないんですから。
これはハウスの中に入れません。暖かくなりすぎて、穴の中で芽が出ちゃうんですよ。それに、やっぱり湿り気があった方がいいですからね。里芋は湿気が好きなんですね。
落葉しぐれ 三浦洸一
旅の落葉が しぐれに濡れて
流れ果てない ギター弾き
望みも夢も はかなく消えて
唄もなみだの 渡り鳥
(雰囲気はちと違いますがメロディはこちら)
そんなわけで、今は師走(四わす)でごわす(五わす)。
昨日は午前中が雨でした。寒くていられないので、何もできないから、いっそのことと思って毛布をかぶって読書していたのがいけなかった。気が付いたらというより、目が覚めたらぐっすりと熟睡していたではないか。雨で裏山の仕事はストップです。私の腰の休養のために雨が降ってくれたものと解釈しています。
4時に起きてしまったのと、連日の寝不足のために眠りに陥ってしまったのです。明治維新の前夜というところを読んでいたのですが、社会情勢が入り組んでいるところなので、ちと読む方も面倒くさいという感じがしているところです。睡眠薬には最高の内容でした。
そしてお昼休み。これもまた寒くてしかたがないので、さっきの毛布と本を、、、。そこで牛になってしまいました。食べてすぐに寝てしまいましたからね。モー眠くてたまらない。そしてまた寝てしまいました。それで、やっと睡眠時間が8時間くらいと挽回できたわけです。読んでいた本はさっきの続きです。一日に二度睡眠薬を服用してしまったということでした。この睡眠薬は副作用がないので、まったく安全な薬です。
冬のキャベツはこれくらいになりました。寒いのに育つというのですから、すごい の一言。
キャベツってどういう意味なのか、調べてみたらキャベツという意味でした。辞書の限界。ところが、語源はどうかと思って見ていったら、古いフランス語で「頭」という意味かも知れないと書いてあります。んーなるほど。どうりで数えるときには正式には a head of cabbage とか two heads of cabbage と言いなさいと教わりましたっけ。これをしつこいようですが、語源に遡って直訳すると「頭一つの頭」という意味になってしまうのです。
そんなこと食べる分にはどうでも良いのですが、そろそろ鳥の害がでてくるかも知れませんので、隣のタマネギにかけて置いた不織布をキャベツに移動。鳥のために作ってやっているボランティアでもないですのでね。
とめるのに、ハンガーをペンチでペチンペチンと切り取って、それを刺しました。一つのハンガーから3本取れます。短かったら2本にします。ハンガーは、クリーニング店からワイシャツを取ってくるたびに付いてきますから、ものすごい数があります。
大根の漬け物です。何というのか、千枚漬け系統ですね。べったら漬けといったら良いのか分かりません。大根と昆布が交互に漬けてあります。もちろんおいしいですよ。
雨が止んでからは働きましたよ。寒さを押しての庭掃除です。
庭の落ち葉があちこちに
積もりつもって黄金山(こがねやま)
この木の下の宝物
掃いて捨てるは金持ちに
成ったつもりの 俄成金
と、良い気分になって惜しげもなく、それを掃きにはいて、運びにはこび、積みにつみました。そしたら、村の若いし(若い衆)がひとり来て、この町内が村であった頃のこまかい小字(こあざ)名の書いてある地図を何種類も持ってきてくれました。
「これをコピーしたらよがっぺ。」というので、ありがたく借りてコピーすることに。今まで屋号だと思っていたところが字名だったりと、いろいろと判明。しかし、読めない地名もあるし、漢字にできずにカタカナで書いてある地名もありました。もちろん、意味など分かるわけがない。それにしても、こういう地図を見るのは面白いものです。勉強に協力してくれる若いしがいるのも嬉しいです。
高砂(たかさご)の松が年老いてゆくように、誰も年をとるのは避けられません。齢(よわい)870です、なんていう人がいたらおめでたいですけど、反面気持ち悪いでしょうね。どんな顔になっているのか。ミイラみたいな風貌になるかも、、、。
誰が介護をするのでしょうか。21代目の人が面倒見ています。なんちゃって。そんなバカなことを考えています。でも、誰でも「もしも」と思うことがあると思いますが。ピアノが弾けたなら、なんてね。
NHK水戸放送局が神社にある絵馬を撮影したいので、立ち会ってくれと言われました。
村(と言った方がふさわしい私の町内)の関係者が、記者にいろいろと説明しています。それをこんな感じで撮影。しているのを私がデジカメで撮影。
大根をかつらむきにして花の形にしていく、「大根むき花」という伝統の技術が私の村には伝わっています。それを絵馬にしたのが、神社に奉納されているわけで、放送の取材に来たわけです。
その大根むき花については、 http://www.inetcci.or.jp/~mito/110iitoko/shizen/23daikon.html とか http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20071203/CK2007120302069303.html
に出ていますので、ご覧ください。
これがその絵馬です。これを見ると明治21年に奉納されたと書いてありますので、119年前ということになります。ので、むき花はもっと前からあったものと考えられます。一つには、写真は一般的でないので、絵にして記録したいという希望もあったのかなと思います。
絵の他に、謡曲「高砂(たかさご)」の中の一部が書いてあります。なかなか読めないのですが、
所は高砂の 尾上の松も年ふりて
老いの波も寄りくるや
木の下蔭の落ち葉かくなるまで
命ながらへて なほいつまでか
生きの松 それも久しき名所かな
それも久しき名所かな
という文句です。改行は原文の通りではありません。
大根と言えばこんなのが出来ました。
ものには程度ということがあるのを、この大根は分からないんですね。こんなに太くなったら聖護院みたいになってしまいますよ。スが入っていないから立派です。
作った奥さんもびっくり仰天玉手箱、浦島さんは竜宮城。亀の甲より年の功。お肌はとっくに曲がり角。曲がって二軒目豆腐屋さん。豆腐のようなお肌にと、毎日食べたは良いけれど。顔も四角になったとさ。四角が五角、六角堂には何がある、、、、。 切りがない。
それで奥さんは「私の足みたい」と思ったかどうかは知りませんが、、。
「高砂」と言うと、
高砂や 此浦舟に帆をあげて
此浦舟に帆をあげて
月もろともに出で汐の
波の淡路の島影や
遠く鳴尾の沖すぎてはや
住吉(すみのえ)に着きにけり
はや住吉につきにけり
という所が有名です。映画で結婚式の場面で謡われているのを見たことがあります。
兵庫県の高砂の浦にある松だそうです。松の名所とか。
なんか、まだ暗いですね。雨です。昼寝日よりです。
12月はやっぱり気ぜわしい月です。どうしてこうなっちゃうんでしょうか。何やら蟹やら鮪やら、日曜日は全部ふさがってしまいました。こういう暮れだの正月だの盆だのと特別日程になってしまうのは、子どもの頃から大嫌いでした。毎日が、塩ビ管のように節目がなくて、のっぺりとしていた方が私は好きです。
人生、ところどころに節目があることが大事なんだよ。ということは知ってはいますが、ありすぎるような気がします。節目は二ヶ月に一度あるくらいで良いと思います。それも大きな節目ではなくて、小さなものを良しとしたいです。こういう節目の日は伏し目になっちゃいそう。
ターサイはこれくらいなのですが、ひしめき合っていますね。寒さのせいでしょうか、すこし変色して枯れている部分もあります。私はどういう風にして食べるのか分からないので奥さん任せです。
こんな風にして、藁で白菜を一株ずつ束ねてみました。要らない外葉を保温材にするわけなんですが、仕事が雑ですね。それなりに数が多かったからね。← 良いわけ。まちがい、言い訳。
外の葉を3~4枚取って、頭に雨除けとして帽子のように乗せてあります。葉っぱは、しなっていて、風に飛ばされにくいです。
まあこんな感じで並んでいます。手前の方は取ったので、無くなっています。かなり取りました。それぞれ白菜に太さがあるので、藁は先端を向かい合わせて縛り、ほぼ倍の長さにして縛りました。
よく出来たのでお多福顔になります 。食べきれないのに、、、
。まあ、いいか。「多い」と言ったら「おおい」と応えるは山びこ。気にせぬ、あきれ蛙の頬かむり。チョンチョン。
若い頃から、中味が薄くて形式だけ派手なセレモニーが大嫌いでした。我慢してきましたけど、嫌いなものは嫌いですね。特に、次からつぎへと来賓たちが、中味のない挨拶を繰り返したりするのは、時間の浪費と思っていました。
誰も「挨拶はおもしろくないもの」と、小学生のうちから頭にインプリント(焼き込み)されてしまっているんですね。だから聞かない・聞きたくない・聞くことをしない・聞けない・聞こうとしない、なんて少しおかしいですが五段活用みたい。
それを腹をたてて「何で聞かないんだ。失礼じゃないか。」なんて怒る人がいますが、それは挨拶する側に責任があると言うもの。挨拶は面白くなければ。それもお笑いの面白さではなく(少しはあっても良いですが)、聞かないで損をしてしまったと思わせるような挨拶ですね。だから、挨拶はむずかしいですよ。
なんか、挨拶のことになって行っちゃいました。
今日も良い日であって欲しいですね。
ときどき、ライバルの新聞販売店から勧誘がきて、新聞を取ってくれと、しつこく粘っていくことがあります。山芋とろろ以上の粘りです。でも私は、いま読んでいる新聞を読みたいので、つまり少し古くなりますがセブン・イレブンのCM風に言いますと、「今の新聞・良い気分」という感じなので、ガンとして要求をはねのけています。ここで世界遺産は岩見銀山、見せちゃならねー弱み銀山。
あまりしつこいと、借金の取り立て人にでも似てくるような感じがして、気持ちはわかりますが「ツェッペリンかい?」という気分になります。こちらは時間が惜しい。サービス品など要らない。
池には氷がはって、完全に冬の風景です。でも、これも午前中には溶けてしまいます。昨日は水を多めに入れて、多少は排水させました。腐った水にならないように、少しずつ入れ替えです。悪い水になったら見ないようにします。見ず。
メダカはどこかで冬眠しているんでしょうか。さっぱりみかけませんね。冬眠・安眠。歌がうまいのはユーミン。私は農民。今は市民で昔は村民。金魚は色が目立つので、底の方にいてもすぐに分かります。シラサギに、この池が見つからないようにと思っています。
キヌサヤはこれくらいです。昨年は大きくなりすぎて、そこに強い寒さがきたので葉の一部が凍ってしまって、先端が枯れてしまい大きくなっても、ろくに生りませんでした。
それで、今年は遅く蒔いたので、あまり育っていません。これくらいが冬を越えるのには良いかなと思っています。そういう所が私には難しいところです。
これが小判だったらなぁと ため息の朝(あした)かな
瓶坊
田舎では これが昼間のイルミネーションなのだ
万両
もうスズメバチは大丈夫かなと思って、山仕事を再開しました。刈り払い機では切れないくらいの太さの名前も分からない雑木が邪魔です。
しかたないので、非能率的ですがノコギリを持っていって、先ずはそれを切り倒さなければなりません。頬っぺたを細木に叩かれ、篠になでられ、タラの木に手を刺され、ツタに足をとられながらの作業です。おつた主税(ちから)の心意気(湯島の白梅)なんて歌っていられませんよ。
見方を変えてみると、私は悪いこともしていないのに、どうしてこんな目に会うのですかという感じです。新聞の勧誘をはねのけたからかでしょうか? しかし、だんだんきれいになっていくのを見ると、良い気分になります。一種の達成感でしょうか。
補) ツェッペリンかい? → 浮かんでいるかい?
→ 浮遊かい? → 不愉快
湯島の白梅
湯島通れば 思い出す
お蔦主税の 心意気
知るや白梅 玉垣に(湯島天神の玉垣)
残る二人の 影法師
私は馬頭町(今は那珂川町)の回し者ではありませんが、栃木県の那須に行く際には、往復とも通る町なので、少しは知っています。
今回は、案内したのはその三カ所だけでしたが、その他には いわむらかずお絵本の丘 と同じ並びの山というか丘に、大きくはありませんが馬頭温泉郷という温泉街があります。
その他には、小砂焼き(こいさごやき)という陶器の集落もあります。この小砂の土は、江戸時代に那珂川を下り、その河口にある那珂湊(なかみなと)という所に運ばれて、反射炉という一種の溶鉱炉を作るための材料にされたとか。
隣県は比較的近いので、ときどきあちこち行って荒らしてくることがあります。埼玉の加須(かぞ)なんてところはうどんの町で、そこまではるばる食べに行ったり。川越でサツマイモを食べたり。種類はキタイン←喜多院。おっとそんな種類は無かった。千葉の銚子に行って魚を食べたり、栃木の佐野にはラーメンを食べに行ったり。福島県の、、。おっと、いけない食べることばかり。ばれてしまった。
茨城県にはスキー場が一カ所もないので、栃木とか福島、あるいは山形県のスキー場には若い頃(今でも若いつもり)はよく行きましたね。もう、おっくうでスキーは好きーでなくなりました。おなじすきなら焼く方がいいです。それなら米沢(米沢牛のすき焼き)。白河ラーメン、喜多方ラーメン。ああ、食べたいのだ。また食べることになってしまった。
霜の朝です。今の畑はこんな具合で、ガラガラ空いています。これはちょっと心配なんです。春に強風が吹いて、よい土をわずかずつですが、持って行かれてしまうからです。
でも、よく見ると点々と油がこぼれて、いや間違い、アブラナの種がこぼれて小さい苗になっていますので、それが大きくなって風よけの役目をしてくれれば、多少なりともその被害を防いでくれるかなと思っています。
アブラナは完全に雑草化しています。これも強い野菜ですねー。そこらじゅうにあるので、抜いては鶏に与えています。鶏は「またアブラナ~~ 」とも言わず、突っついていますね。
アブラナカダブラ ナンデモクエートット タマゴウメートット なんて呪文を唱えながら与えているので、それに引っかかってしまっているのかも知れません。単純ですね。
奥さんがやきもちではなくて、お菓子を焼いてくれました。名前は分かりませんが、ビスケットとか、スコーンなんているものの一種なのかなと思っています。おいしいので、たとえ タクアンの味噌漬け なんていう名前だって何だってかわまないです。
左にある黒っぽい塊は、自家製のブルーベリージャムです。これを大量に作って、冷凍保存してありますので、かなり長い間食べていられます。
もっと焼いてくださいと言いたいのですが、忙しいので遠慮して、まだ言っていません。
4回シリーズの歴史講座に出ています。今回は、友達が講師でした。江戸末期あたりの水戸の豪商の話でしたが、そのころの、例えば組頭にはどういう種類があったかなど、社会の組織なども説明してくるので、仕組みが分かって面白かったです。
終わってから、控え室に押しかけて行って、あることで調べものが行き詰まっているので、それを解決する方法を相談に、、。それで、結果的に彼に課題を与えてしまいました。
外部の者には公開していない、歴史館にある古文書を調べてもらうことになりました。講座も収穫がありましたが、依頼した方の収穫があれば、こっちの方が大きくなりそうです。
いわむらかずお絵本の丘というのは、那珂川を見下ろす丘の雑木林の中にありますが、その雑木林が良いんですよ。その いわむらかずお さんは、近くの町に住んでいるそうですので、あの雑木林の丘で絵本のヒントを得ているのかなと思ったりしています。
ガサゴゾと小道に落ちた枯れ葉を踏んで、絵本の美術館まで行くだけでも、「ああいいなぁ」という気持ちになりますね。雑木林は、わが家の裏山にもありますが、違うのは丘の上ひなげしの花が~、、、。これはアグネスチャンの子どもの頃のうた。でなくて、丘の上にあることでした。
わが家が丘の上にあったなら、「おんせん(spa)ていしゅ雑草の丘」 なんて名前が付きそうです。
おっと、話が変な方向に行きそうなので、これまでにします。
ごくごく、たま~~~にですが、ブログに関して知らない方からメールをいただくことがあります。すべてがコメントをいただいたことがない方からで、大別すると激励の範疇に入るものです。ありがたいです。
本当はプロフィールに、自分のことを紹介したいのですが、思いも寄らぬ嫌なことに出くわす可能性があるというので、歯がゆいですが、ぼかして紹介しています。写真もぼかしてあります。元もと、自分のことをボケ気味かなと思っているので、それはよいのですけど、、、。
おかしなコメントは来ますけどね。そういうのは全て削除です。
今朝もまだボケている頭でブログをはじめています。どうせ読む方だって、、、。いえいえ、そんなこと絶対にない。湿原、いや、失言です。
友達と、栃木県の旧・馬頭町(今は那珂川町)に行ってきました。そこには、浮世絵の安藤(歌川)広重の美術館があります。
関西の方から町が広重の浮世絵をたくさん寄贈されたので、美術館を作ったのだそうです。
隣に、郷土資料館があったので、そこも見ました。どうして 馬頭(ばとう) という、少し変わった地名なのかを解けというのが、私が私自身にあたえた課題です。
館員の方に聞くと、良く分からないといいます。馬頭観音はあるのかと聞いたら、馬頭院というお寺があるとか。徳川光圀(水戸黄門)が、この町にある地蔵院を調査し、それを脇寺にして馬頭院と改名したとか。
この地は江戸期はは水戸藩の領地でした。武茂(むも)領と言っていたとか。ムモってどういう意味ですかと聞くと、これも不明。本当に分からないんでしょうね。「何をやっているんだっ 」と興奮して罵倒はしませんでした。
セーヌ川の遊覧船の発着所があるのは、バトー・ムシュー。関係ないか。でも、昔はこの町の良質の土が河口にある町まで運ばれ、そこで反射炉という一種の溶鉱炉を作る材料になったとか。船の運航は盛んだったらしいです。日本のバトー・ムシューだ。かなり大げさですね。
美術館ではもちろん広重の浮世絵が展示されていて、ほかに川上澄夫展もやっていました。
それから、ソバを食べて、「いわむらかずお絵本の丘美術館」へ。
このような絵なのですが、画像はぼかしてあります。
入り口 逆光です
外から
那珂川を一望
雑木林の丘の上にあります。那珂川が長い時間をかけて、平らな土地を削って、ゆるやかな谷を作ったのかなと思いました。下流には私の住む水戸があります。
きれいな夕日
充実した一日でした。
てなことで、たまにはこんなこともしています。
昨日の空っ風の余韻がまだあります。また下手なのを少々。
札(さつ)とばされ あとに残るはコインだけ
元気出せ 大判だって一種のコイン
大きさも輝きもちとちがうけど
十円も 持ってりゃ江戸期は大金持ち
ベートーベンやモーツアルトなどと言う人は、次からつぎへと作品を作れたようで、その作品を生み出す力は、決して涸れない泉のようであったのではないかと思います。
正真正銘の天才なんでしょうね。ライバルは天災だと思っていたことでしょう。作品を生み出せず苦しむ人は、人のを転載してしまったり、、、。昔の大学は天才の集まるところ。甘いのは甜菜。天才も、そこら中には居ません。あちこち散らばって点在してます。
自然の恵みもすばらしいです。天に向かって天才だとは言えませんけど、天の才は尽きることが無く、夏も冬もいろいろな食べ物をもたらしてくれます。ただ、少し我々に苦労をさせるようには出来ているようです。
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さてと、大晦日・正月にかけて、もうカウントダウンが始まっているんですね。立った霜柱などつま先でチョンチョンつぶしたりして遊んでいて、さっぱりそのような雰囲気がないのですけど。田舎だからですね。そういえば、団地や分譲地などでは家の植木などで、チカチカと点滅するイルミネーションを架けているところがあります。
あれは確かにきれいなのですが、何故かものすごく寂しさを感じます。その家の人は誰もみていない。それを立ち止まって見ている人もいない。いたら泥棒と思われそう。そして、暗い寒空に寒い風が福中(吹くなか)をチカチカと点滅。やっぱり寂しい。田舎の家では、ほとんどそういうことはやらないですね。なぜだろう。昼間ッからどうせ寂しいからね。
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下仁田ネギはまだこれくらいあります。まだまだ食べられますね。これは味を「しめたネギ」です。これからも作り続けようかと思います。作り忘れたら「しもうたネギ」です。
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普通のネギはこれくらいあります。両方あわせると、たぶん食べきれないかも知れません食べ切れネーギ。おいしいとは言っても、そんなにネギばかり食べるわけではないので、まあこれくらいで良いかなとおもっています。これは苗を「もらいネギ」です。「良くできてね。」乞い願ったので、祈ぎ(ねぎ)です。
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点妻、いや甜菜、いや天才に作品を生みださせるのは天です。やめさせるのも天です。モーツアルトもベートーベンも天命が尽きて生み出すのをやめましたからね。神様が「もういいよ。」と言ったのでしょう。旦那が亡くなるとき「もう歌わなくて良いよ。」と言ったのでやめた女性歌手がいましたっけ。惜しい。
ほかの分野だってそうですね。天才は命尽きるまで生みだし続けるんですね。今日はなぜか朝から感心しています。自分は何も才がなく取れるものは歳(さい)ばかり。さいふの中はいつも空っ風。
吹く風に財布の中も空っ風 丼才
空っ風飛んで行ったは札ばかり 丼才
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ごく平凡な人間で、「てんで(全く)才がない」ので、そのおかげで波瀾万丈の生活ではなくて、天才には送ることのできなかった平凡な生活を送ることができます。でも、天才はあこがれですね。
あさ起きてすぐに隣の部屋のパソコンに向かいます。どうせ暗くて何も仕事ができませんから。すると、猫のミーちゃんが外で、中に入れろとニャンニャン鳴きます。
ブログは、それからはじめますが、その前にコメントを見て返事を書いて、メールをみて迷惑メールを削除して、という作業があります。
「今日は何の話題にしようかな~。」なんて30分も考えるなんてことは無いんです。「暗いなぁ。寒いなぁ。おっとストーブがあるじゃぁないか。いくら石油の値上げと言ったって、この寒さの中、少しは暖まったってそれが罪になるだろうか?」なんて考えているうちに、指も暖まって動き出します。
目の周りは眠さの為に、なんとなく渋ーーい感じがします。ミーちゃんは足下でじっと私がこの部屋からお勝手に移動するのを待っています。立ち上がったら最後、腹を減らしていますから、ご飯ちょうだいと、ギャーギャー鳴き出します。
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ブログは下火かということで、皆さんからいろいろと意見をいただきましたが、たぶん爆発的に増えたのが自然に整理されて、落ち着いてきたと考えればよいのかなと思うようになりました。コメントをいただいたり、書き込んだりした人たちが、この世界から消えて行くのは寂しいです。
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畑を歩いていたら見つけました。二十日大根です。取り忘れていたのですが、富士の白雪が朝日に溶けて三島に流れ、そこの女郎衆は化粧が長くてなんて、なんていうようにとろけないでしっかりと育っていました。
追加)何を意味しているのか分からないですね。補強します。
その富士の白雪のように溶けて消え去ることがなくて、
いままで畑で徹底的に無視されて生きてきたのです。
とても食べられないだろうと思って、そのままにしてしまいましたが、これでは二十日大根どころか、百日大根になってしまいました。
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こんなに食べられるわけないのですが、いちおうは一部を取って陰干ししています。これだけ干してあれば、そうとうな魔除けになるはず。
とにかく、曲がりなりにも蒔けば育つ、植えれば実が生る、ということは本当にありがたいことです。それも、生りすぎとか出来すぎということもよくあることですから、なおありがたいなぁと思いますね。天と地の恵みですよ。
これはたぶんあまり能力は無いですね。あれば隠すでしょうから。
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蒔いても植えても育たない地域が世界にたくさんあるそうです。緑地が草原に変わり、草原が砂漠に変わって行き、内乱が起こり、罪もない人が何十万人も殺されていく。たまらないですね。
そういうことのないように、ぜひしていかなければなりません。幸い私たちの住むところは、多いくらいの雨に恵まれていますから緑は多いです。作物も育ちますねー。
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朝から考え込んでしまいましたよ。さてと、ドレミファ空も白んできたので、始動(シド)しますか。
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補) 能ある鷹は爪隠す
「事の善し悪しもわきまえず、、、」なんてを言うことがありますが、善し悪しといえば、あの水辺に生えている背の高くなる篠くらいの太さの水草(?)は、「よし」と言ったり「あし」と言ったり。
同じものが同時に二つ名前を持つ、というようなことは、草の名前とか魚の名前にはよくあること。この草は水草と言えるのかどうかわかりませんが、私的に即興的に名前を付ければ「水辺草」とでも言っておきましょうか。それで、この水辺草は二つ名前をもつには、それ相応の理由があったとか。
最初は「あし」だったのだが、「悪し(あし)」に通ずるので「よし」にしたんだそうです。しかし、漢字までは変えなかったんですね。「葦、芦、蘆、葭」と四つの漢字を使っているようです。漢字はもっとあるかも? 使われる頻度はそれぞれ違うでしょうけど。
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その芦ですが、「よしの髄から天井をのぞく」なんていう言い習わしがありますが(この「が」「が」などと何度も重ねて行くのは下手な文章らしいのですが、私はそういう批評は嫌いなので、いくらでも重ねますので悪しからず)、直径数ミリに空洞を通して世界を見て、世の中こんなもんだと判断してしまう、つまり狭い見識で広い世界を判断するなんていうようなことを言うときに使われますね。
私などは、その典型的な人物なのではないかと思うことがよくあります。いえ、これは決して謙遜して言っているわけではありませんよ。他人(ひと)からこうだと言われれば「なるほど」と思ってしまうし、また別な人から「いや、こうだ」と言われれば「なるほどそうでもあるな」と思ってしまうこのだらしなさ。諸葛孔明にはとうていなれませんね。
さっきの話しですが、同じ言葉とか音(おん)の繰り返しのおもしろさというのもあります。詩や歌(これも詩の一種)などではよくあります。
石走る垂水の上のさわらびの
萌え出づる春になりにけるかも
志貴皇子(しきのみこ)
石走る いわばしる
垂水 たるみ
の歌などは「の」が繰り返されるおもしろさの典型的なものなのではないかと思います。「お前の文章はこれとは比較にならぬ下手くそだ。」と言われれるのは当然ですけどね。
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朝からオロオロばかりしています。オロオロ鳥です。そういう名前の鳥が居たような居なかったような。ホロホロ鳥だ。オロロン鳥だ。
その前置きが長~~~~くなってしまい、言いたいことはごく短いのですが、その葦の随から天井を覗く的な言い方をすると、この頃はブログは衰退気味と思いませんか。なんだか、肌で感じているんですけど。
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一回目を蒔いてから、すこし間を離してしまって蒔いた、第二回目のほうれん草ですが、これくらいです。この寒さの中をまあ少しずつですが、よく育ってきていますよ。賞状を贈りたいくらいです。賞状ってのは、もらっても一つも嬉しくないから、ほうれん草もそう思うだろうと思って、賞状など贈ならないで「おいしい、おいしい」と言って食べることにします。それが何よりの賞賛。と、勝手に人間側の理論で思っているんですが、、、、。
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先月、山掃除中にスズメバチに刺されたのは図で示すあたりなのですが、今でもその辺りがムズムズとかゆいです。まだポチッと黒く跡もあります。
それにしても、その刺す威力というのはすごいなぁと思います。人を殺すほどの力があるのですから、それくらいは当たり前かも知れませんけどね。スズメバチなんて言う名前は合いませんね。黄色と黒の縞模様ですから、「トラ蜂」くらいな名前にしないと駄目です。
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ブログが下火になってきたことは、アクセス数と相手のブログの更新具合で大体わかります。アクセス数は、このごろはかなり減ってきていますね。私がよく訪れる相手のブログも更新回数が減ってきているし、閉鎖したと思われるブログもあります。
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仕事の都合やら、家庭環境が微妙に変わってきたりして、長く続けるのは難しいですね。それに、ブログを開設している人の心の揺らぎもあるでしょう。「なんか、いつも同じでマンネリ化してしまって、面白くないなぁ。」と思ったり、最初は書くぞと燃えていたのですが、しまいには書くことも無くなってしまって沈没なんてこともあるでしょうね。
こういうものは一つの流行なのかも知れませんね。ホームページもそうですね。今はあまり盛んではないようですが、それでもしっかりしたホームページがあって、いろいろと為になる知識をお分けしてくれるものが数多くあります。そういうホームページは、少ないとは言えども、入れ替わり立ち替わり訪問者があるでしょうから、単に訪問者の数だけで判断して、閉鎖してしまうのは残念です。続けて欲しいと思います。
信号は青から黄になります。柿は木になります。中性脂肪とか、コレステロールなんていう言葉は気になります。「おいしいね」なんて笑顔で食べていると高くなった数値にびっくり。太陽からもらった熱は放出しないと温暖化。私の体も食べた分だけ使わないと、エネルギーはたまる一方。
そこで、体を使おうと頑張っているのですが、そのせいかこの二日ほど腰が痛いです。腰が曲がってしまった人のような歩き方をしています。なかなか体のコントロールもうまく行きませんね。それほど過激なことをしているわけではないのに。
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ある霧の朝です。私の地域は霧がけっこう出ます。よく濃霧注意報が出されます。ここで発生した霧もあるし、昼間に東風に乗ってやってくる海からの霧もあります。
霧で有名なのは広島県の三次(みよし)だったかと思います。こっちは高い山がないので、霧が発生してもご来光は平地で拝むほかありません。雲海のような光景は見ることができません。
夜など、地べたに霧が這っていることがあります。車で通るとそれがふわふわと動いて舞い、目が回ります。それをキリキリ舞いと私は言っています。
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去年たくさん蒔いたので、食べきれなかったソラ豆を種にして取って置いたのを蒔いたら、芽が出てくれました。あとはどう育ってくれるか。どのような豆になるかソラぁ分かりませんです。
食べきれなかった量はけっこうあって、隣にもわけてあげ、自分のところでも蒔いた分くらいがまだ残っています。食べ頃は時期が限られていますから、そのうちにサヤの色が変わったりして残してしまったものです。
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もう、霜が降りて寒くなってしまったので、ナメタケはとっくに出るのをやめにして、ヤメタケになったのかと思っていたら、出ていました。大きくなりすぎです。
出たばかりの小さいのはコリコリした感じがありますが、大きくなるとそれはさすがにありません。しかし、量は何倍にもなって得をした感じがします。大きくと言うより古くなっていくと、ヌメリはだんだん無くなって行きます。したがって、こういうのはナメナシタケになります。
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竹から紅葉が出ているのではありませんよ。右の木がカエデの木です。竹から紅葉が出たら面白い。モミジタケ。きのこみたいですね。
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散った山茶花です。さんざん散ったサンザンカなんちゃって。写真より本物の方がずっときれいで見事でした。
補) 何と言っても東京
東京 = 都市 = 年
私は皆さんがブログを更新したかどうかを、RSSリーダーという機能を利用して見ている、もっと強い言い方をすると見張っているのですが、この機能が2~3日前にものすごく狂ってしまいました。
Aさんのブログのタイトルが5つ表記されるはずなのに、Bさんのブログのタイトルが表記されてあったり、まったく知らない人のタイトルが表記されていて、そこをクリックすると知らない人のブログにアクセスされてしまうのです。
ところが昨日は何もしないのに、きちんと自然に直っていました。プロバイダーに問い合わせたら、原因も理由もわからないというのです。変な現象。
寝だめ食いだめは出来ないと言われますが、そうかも知れませんね。昨日は雨になったので、たっぷり昼寝ができたのですが、夜になると眠くてしかたがなくなってしまいました。
「眠りの森の美女」が誘いにくるのです。美女と言っても姿が見えないので美女かどうかは分からないのですが、あまりにも強く眠りの世界に引き寄せるので、ただそう思っているだけですけど。
下仁田ネギを取ってみました。これくらいになっていれば良いでしょうか。初めてつくります。わからないので、普通のネギと同じ要領でやってみました。何とか生長してくれたので、育て方はハズレではないのかなと思っています。もっと上手なやり方があるのかも知れませんけど。
晩ご飯には、こんなものが出ましたよ。ネギは太いので、なんとなく荒っぽい感じがしますが、食べてはとても素直な柔らかさと甘みがあって、とてもおいしかったですね。
カメラを向けるとレンズが曇ってしまうので、一瞬の間にパッと撮りました。メガネも曇って、あっという間に急性の白内障です。拭けば直(治)るんですけどね。目はともかく、舌の方は正常でした。当たり前ですね。
我流ですけど、私はこんなふうにやっています。最初は堀を深く掘って、苗を入れ、生長に合わせて夏から初秋にかけて3度くらいに分けて肥料をやり土を埋めていきます。
けっこう育つので間違いではないのかなと思っています。肥料は自家製堆肥と野菜の肥料です。曲がりネギにはしません。寝せるので深堀しないから楽だそうですね。私の畑にはいませんね。ラクダ。
月の~ 畑を~ は~る~ばると~ だいこん ほうれんそう~ ・・・・ 止しましょう。
何かに利用できないかと思って、とっておいたのですが、何にも利用できませんね。下二本はスパイクタイヤです。上四本はスタッドレスタイヤなのですが、今の車にはサイズがあわないので使えません。このままボロボロになるまで置いておき、ゴムが切り易くなったら細かにして、燃えるゴミとして出そうと思っています。ホイールは資源ゴミです。何かのクッションにでもなればいいんですけどね。
夜更かしは体にいけません。なるべく早めに寝ることにしようとは思っています。夜更かしで思い出したのですが、今日はまた芋でもふかしてもらいましょう。それとも、エンジンふかしてどこかにでかけましょうか。秋深しの時期は過ぎましたが。あさからふかしっぱなしですね。
今日も良い日でありますように。
夜明けがおそい~ 日暮れがはやい~
私のまなこは 何故か眠い~
それもそのはず 遅寝早起き
若い力は 昼寝で得られる~~?
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と、冒頭から岸 洋子さんの「夜明けの歌」のパロディです。本当に夜明けが遅く、日暮れが早いのを感じます。
きのうは、氏神様であるお稲荷さんのお祭りをして、直会(なおらい:宴会)をしているうちに日が傾いてきてしまいました。
帰ってきて、薄暗がりになりかかるころ、コロを連れて三歩。いや、散歩です。5,000歩くらいは歩いたでしょう。コロは田んぼに出ると、放されるので大喜びです。コロコロ走り回っています。今の田んぼはどのように走り回ったって怒られませんからね。それに人もいない。
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「コロコロコミック」という雑誌が、私の子供が小さい頃ありました。「ドラえもん」が載っていましたっけ。あれは白い犬の尻尾(尾も白い)でした。当時は大人の私も楽しみました。
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このようにして、ヤーコンをハウスの中に伏せてあります。この上に藁を乗せました。土かけはどうするか。掘り出すときに、土で手が汚れないようにと、横着をもくろんでいます。
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アスパラガスは4年になりましたが、もう上の部分が枯れてしまっています。刈り取ってしまいました。その後は、幹の付け根の所を焼くと良いと言われていますが、そんなことをすると駄目になってしまうのではないかと思うと、その気にはなれません。
焼くのは簡単です。「草焼きくん」という灯油を燃料にする、草焼き用のバーナーがありますから。私が落ち込んでいるときにこれを使うと、スカッとします。くさっているときに、その「くさ」を焼いってしまうんですから。「草焼きくん」は草の種も焼きます。「くさ」った気持ちの元も焼いてくれるといいです。
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今年種を蒔いて、そして植え付けたアスパラです。こちらの方が午後は早く陰って寒くなるのに、まだ青々としています。なぜこう違いがあるのかは分かりません。若いエネルギーがあるからなのでしょうか。
二カ所作ってみると、違いがはっきり分かることもあり、こういうことがあるものだと感じておもしろいものです。
ところで、さっきの続きですが、寿司のたねは「ねた」なんて言いますが、「草のねた」とは言いませんね。稲が倒れたら「稲がねた」と言いますが、それは「寝た」違いですね。雑草に種を持たせない薬があると良いんですけどね。つまり種なし雑草。あるいは、種をつくり、次の年にその種から芽をだした草は白くて、光合成が行えないので枯れてしまうようにとか、、、。「お前が研究しろ。」なんて言われそうなので、もうその話はやめます。
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朝は一日のはじまりですから、大切です。現役の頃は、そんなことを考える余裕などありませんでしたけど。でも、一日いちにちは楽しくあるいは納得の行くように行きたい(生きたい)とは思っていました。
荒れたひどい朝もありますが、自分が荒れたってしかたないです。食事もそうですね。豪華な食事も時にはありますが、大半はちょこっとおかずがあれば、おいしく食べられるので幸せなもんですよ。
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もう一つのブログを更新しました。時間がありましたらコメントは特に要りませんから、どうぞごらんください。
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冬に入るととたんに畑の仕事はなくなりますね。雑草が出ないので、あまり草抜きもしなくて済みます。でも、少しはあります。冬でもがんばってしまっている雑草がありますからね。
今年は、私がうかつだったことが第一ですが、どうも暑さが尾を引いたし、その後も暖かかったので、何種類かの野菜の種まきの時期を逃してしまいました。また時期に種を蒔いたのですが、気温が下がらないので失敗したものもありました。
キャベツです。今食べているのは、もう終わりになります。これはもらった苗です。今は虫の被害はありませんが、これから寒くなってくると鳥が食べに来るので、ネットをかけてねっと。そのように苗をもらうときに言われました。まだかけていません。
ニンニクが大きくなってきました。まだ地上部だけしか分かりませんけど。のういう球根の野菜は比較的楽ですね。間引きなどはないし、球がありしっかりしているので、成功率は高いです。タマネギなども、ホームタマネギくらいに球がおおきくなったものを植えるのなら楽なんですけどね。
ホウレンソウは今が盛りです。お浸しにしたり鍋に入れたりと重宝しています。今の青菜はこれが主流かなと思っています。白菜がありますが、白菜は青さが足りないですからね。色の濃い野菜は良いそうで。いろいろなこをと想像する野菜です。
江戸から数理ほど西に行ったところに、お化け屋敷があったそうです。ところが、そのお化け屋敷ではお化けが増えすぎて、それぞれどの部屋に誰が住むかの調整をしなくてはならなくなり、、、、。「おいおい、急に何をいっているのかね。」「いえね、上の赤い実の名前を言おうとしているんでがすが。」「もうとっくに言っているではないか。」「え?」
今日は、これから忙しいのです。私たち同じ苗字を持つ家が十数件あつまって、お稲荷さんのお祭りをするのです。それで、朝の8時に神社に集まり、幟をたてることから始まります。それで、今日のブログは簡単ですけど、以上です。ああ、忙しい。
補)いろいろなことを想像する野菜
= 方々あちこち連想
= 方連想
= ほうれん草
江戸から数理 = 江戸カラスウリ
オソマツでした。