歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

“旧取手宿本陣 ”の曲がりくねった梁

2007年11月26日 | 建物の話し
一昨々日の続きです。

厠で「用足し」をして、裏庭を鑑賞し、土間の勝手口より母屋に戻ります。室内は薄暗く天井は真っ暗です。

火を使い煮炊きする土間の上には天井板は張ってありません。天井裏がモロ見えです。



眼が慣れたところで見上げると、煙に燻され、煤にまみれ、黒々とした太い梁でしっかりと支えられています。


築二百十二年(寛政7年・・・1795年)で、敷地面積は2393.65㎡(725.3坪)、建坪は312㎡(94.5坪)で、常磐線快速の始発駅より徒歩5分、都心まで約30分です。

今、この程度の家をここいらに建てたら「数億円」でしょうね。この施設は昭和62年に「染野さん」から、取手市に「寄贈」されたそうです。

染野さんは、旧家で、資産家で、大地主で、太っ腹なのでしょう。

土地については寄贈されていないようなので、土地についての「固定資産税」はどうなるのでしょうか? 多分、公共目的に使用されているので「免除」されているのでしょう。

ヤバイ! 話しが「下種の勘繰り」方向に・・・・・・・。

黒々と歴史の染み込んだ立派な梁です。


この曲がりくねった素材を組み合わせて、真っ直ぐな家に造り上げるのは、現場での「現物合わせ」で、切ったり、削ったり、穴を開けたりして、水平、垂直を出していくのでしょう。


真っ直ぐな材料だけの組み合わせよりも、曲がりくねった材料の組み合わせの方が「建てがい」ありそうですし、「鑑賞がい」があります。


それでは「座敷」にあがります。


槍を掛けるところです。かなり「質素」な造りです。


奥の一段高い座敷「上段の間」は、「御大名様」のお部屋になります。


この「取手宿本陣」は水戸藩の本陣なのですが、水戸藩は徳川御三家で「参勤交代制」ではなく、「定符制」で、藩主は常時江戸の藩邸にいたそうです。と云う事は、この「上段の間」はあまり使われたことは無いのです。

上段の間にある「板欄間」。なかなか「寂び」が効いています。


上段の間、二の間、三の間の西側にある縁側です。


見学者は3組ほど見かけました。中年の夫婦らしき見学者です。


上段、二の間、三の間、すべて八畳敷で、思っていたよりも狭く、全体に質素な造りでした。

もう少し「本陣」の見学は続きます。

それでは、また明日。 


※余談です
世の中の三連休に合わせた訳ではないのですが、プログも三日間お休みしました。

ところがです、昨日26日に「144」と最近にないアクセスがありました。それに加えて、その内の「56」が、今年の2月9日の“「奥谷禮子さん」知りませんでした!”だったのです。

今頃になってどうして? 「過去の人」の話しにアクセスが集中したのか不思議です。

奥谷さんに何かあったの? 誰か知っている人いませんか? 何か気持ちワルーイです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする