歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

蚕糸の森公園前を行ったり来たり

2009年03月17日 | 東京の風景
昨日の続きです。

都会のなかの公園はいい! ありがたさ倍増です。下町の路地に並んだ鉢植えの緑も、それなりに味わいがありますが、やはり、広い公園には敵いません。


隣は、そのまま小学校の校庭になっています。試験場跡地を公園に整備した時、隣に小学校を併設したのです。公園に学校、そして、防災拠点としての役割、いろいろと考えて造られたようです。

池と云い、この小川の“せせらぎ”と云い、


この“滝?”云い、水が豊富に流れています。水は循環しているようです。景観を考えているだけではなく、防災用の水としての役割もあるようです。


青梅街道が見えてきました。


この建物は、試験場当時の守衛所だったようです。そうすると明治時代の建物?かも知れません。


今は、公園の管理事務所として使用されています。それにしても、自然環境を大切にする”べき”公園管理事務所の窓の貼り紙。

公園での禁止事項とか、公園の利用にかんする注意書きが貼ってあるのですが、もう少しどうにか?、と思うのです。別に掲示板を設置しましょう。

この建物はそれなりに貴重なのですし、公園を管理する側が公園の景観を大切にしている姿勢を先ず示すべきです。

歳をとると、どうも、小言が多くなっていけません。
 
こちらも、試験場当時の正門。


前は青梅街道。


わたくし、20代の頃に、この前を1ヶ月ほど、行ったり来たりしていたのです。その当時はまだ公園ではなく、現役の蚕糸試験場でした。


当時は煉瓦の塀に囲まれココだけ何か暗~い感じがしたような記憶があります。で、何で、ここらを行ったり来たりしていたのか?

それは、この高円寺陸橋の200メートルほど先、青梅街道沿いにある東京トヨペット高円寺営業所の建設工事で、自動車用のエレベーターの設置工事をしていたのです。


いろいろ思い出して来ました。そうです、現場で電線を盗まれ上司に怒られたのです。まさか、電線が盗まれる何て、世間の世知辛さを始めて味わいました。

また、下請けの機械鳶のお兄さん達が、腕に彫り物を入れていたのです。こうした方達と、親しく話しを交わすのも始めてでした。ふつうの人達でした。

それと、昼飯を食べに行ったラーメン屋さんは、おばさんが調理をしていました。不思議な思いで眺めていました。娘と二人で切り盛りしていました。麻婆定食が美味しかった。

このころから世間が少しずつ広くなっていったのです。毎日が、何もかもが、始めての経験、そんな、こんなの頃、蚕糸試験場の前を行ったり来たりしていたのです。もう、30数年前のことです。

それで、この日、いいお天気だし、風もないし、お昼は公園で青空の下、お弁当と云うことになり、高円寺陸橋に出て来ました。


この交差点の角にあるコンビニで、私は、“コロッケ・白身の魚フライ・ちくわの天ぷら・鶏の唐揚げ”が入った“デラックスのり弁”、配偶者は“高菜ご飯”、そして野菜ジュースを買い求めたのです。

一時を少し回りましたが、弁当をぶら下げ公園に戻ります。これからランチタイムです。


それでは、また明日。


コメント
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