先週の続きです。
墓地と住宅の密集地帯を抜けて、堀之内の妙法寺に戻って来ました。
お昼の“デラックス海苔弁”だけでは、何となくもの足りず、又、以前より一度は味わって見たいと思っていた“揚げ饅”を食べることにしました。
“妙法寺名物”の「揚げ饅」は、二軒のお店が並んで商っているのです。左側は、見るからに“和菓子屋さん風”のお店。右側は見るからに“駄菓子屋さん風”のお店。
“和菓子屋さん風”には、お客さんがいっぱい居て、饅頭が揚がるのを待っています。
お隣、駄菓子屋さん風には、誰も待って居ません。こちらには“元祖揚げ万じゅう”と書かれています。“元祖”の文字に効き目はまったくない模様。
錆の浮いた看板にも、“揚げまんじゅう”と大きく表示されています。
こちらのお店では、“揚がったまんじゅう”が、客を待っているのです。隣は、客が饅頭の揚がるのを待っています。
こちらは120円、隣は130円です。価格が高い隣に客は来るのです。
我々も、迷わず、和菓子屋さん風に入ってしまいました。そして、「粒あん」を2個注文して待つ事にしました。揚げ饅は、つぶ餡、こし餡、カボチャ餡の3タイプがあります。
揚がるのを待ちながら考えてしまいました。小綺麗な店の外観に惹かれて、店を選択して良いのだろうか? 客の来ない隣が心配になってきたのです。
ここは、やはり、男として? 弱いものを助けなければ!と、堅い決意を抱き隣の店へ向かったのです。
店内は、まさに下町の駄菓子屋さん。丁度、小学校の1年生か2年生ぐらいの女の子がお菓子を買いに来ていました。
その子が、お財布から小さな指で10円玉、50円玉をつまみ出し、おばさんに渡していました。その仕草がとても可愛いのです。孫もそのうち、こんな風に、一人で買い物をするのでしょう。
女の子が買い終わって、わたしの番が来ました。「揚げ饅頭を一つ下さい」「そこにありますから、どうぞ」と、おばさんは、店先を指さしました。
そうでした、ここでは、“揚待ち”ではなく、饅頭が“客待ち”をしていたのです。客を待つ“揚げ饅”は、ポリ袋の中で“油汗”にまみれています。
“地井さん”も、きっと、店の繁盛ぶりの差を眼にして、義侠心からこちらの店を選択したのでしょう。でも、この貼り紙の効き目はまったくなさそうです。
それで、客待ちしていた揚げ饅ですが、これは、もう、汗にまみれ“べたべた・ふにゃふにゃ”でした。
隣の揚げ饅頭は、紙に包まれ、揚げたてで“からっと・さくさく”でした。
元祖揚げ饅の駄菓子屋さんは、元祖に胡座をかいたのか?、云うに云えない事情あって、店を改装できなかった? その結果として、揚げたてを売る体制がつくれなかったのか?
それとも、元々“揚げ置き販売方式”だった処に、後から小綺麗な店を出し、“揚げたて販売方式”で新規参入して来た隣に敗北したのか?
和菓子屋さんの“おばさん”は、明るくにこやかで客扱いが上手でした。駄菓子屋さんの“おばさん”は、あまり“あかるく”も“にこやか”でも、ありませんでした。
これは、商売状況の差の、結果なのか?、原因なのか?
兎に角、元祖の方も、“ちい散歩の貼り紙”をしているのですから、それなりに現状を打開したい気持ちはあるのでしょう。
先ずは、揚げ置き方式を止め、ポリ袋を止め、笑顔で応対すれば、良い勝負になると思うのです。
その結果、店の改装資金も信用金庫で融資してくれると思うのです。同じ外観で勝負すれば、互角の戦いとなる筈です。
でも、しかし、2軒の揚げ饅の合計売り上げは、たぶん、大して変化しないと思われます。大きさの決まったパイの切り方問題だと思います。
もしかして、もしかして、結果を見通して・・・・・・、“駄菓子屋さん風”は、のんびり、子供相手に商いを続けている・・・・・・・。
何か、余計な詮索をしてしまいました。
それで、揚げ饅ですが、食べつつ、見つめつつ、出生の理由など考えたのですが、まぁ、たぶん、売れ残って、冷たくなって、堅くなって、処分に困った饅頭を、衣を付け、油で揚げ、再生を図ったものと思われのです。
数年?の思いを叶え、頂いた揚げまん、まぁ、何とも、一応、食してみました、と云う、そんな、思いを抱きつつ、妙法寺の駐車場に向かい、トイレに入り、帰宅の途に着いたのです。
これで、妙法寺界隈シリーズを終わります。
それでは、また明日。