昨日の続きです。
環七に出て来ました。この辺り環七の外側は、妙法寺から繋がる、お寺だらけ、お墓だらけの寺町となっています。
先ずは、環七に面した日蓮宗の宗延寺。こぢんまりした境内に観音様が目立ます。かなり新しそうです。後は、特に眼を引くものは無さそうでした。
こちら、お隣の真盛寺は、以前より車で通過する度に、気になっていたお寺です。両側の長い塀、長い石畳みの参道、環七に面しているとは思えない佇まい、期待できそうです。
教育委員会の案内板を読むと、現三越の創業者三井高利の菩提寺だとか、書院と本堂は江戸時代の建築だとか、客殿と庫裡は細川侯爵邸から移築しただとか、庭には謂われのある池があるだとか、数多くの文化財が所蔵されているだとか、これは、もう大変なお寺のようなのです。
立派な山門です。
ところが、足下を見ると、一般の参拝見学は受け入れていないのです。これだけの寺が、と云うか、ふつう、寺は参拝を拒絶することありません。はじめて見ました、こんな立て札。
やはり、三井家一門だけの、極々私的な寺のようです。まぁ、事前に連絡していれば、三井家でなくても参拝見学は可能だと思いますが、それにしても、守りの堅い真盛寺です。
なかなか、良さそうに見えます。
しかたなく、参道を引き返します。両側は桜、満開になると綺麗なことでしょう。
左側を歩く二人の女子、寺の中から出て来たのです。小学校3、4年と云った年格好、どことなく、それとなく、歩き方と云い、顔つきと云い、服装と云い、三井家の関係者のような、育ちの良さを漂わせていました。ちょっと考え過ぎ?
真盛寺を出て、寺の脇の路地を奥に入って行きます。密集した住宅の屋根越しに、宗延寺の屋根が覗きます。
コンクリート塀の間を分け入ります。塀から卒塔婆が覗く風景。
左側は、ずっと、ずっと住宅地。右側は、ずっと、ずっと墓地。寺と墓地の隙間に住宅が密集しているのです。
この辺り、お彼岸、お盆になると、お線香の煙と匂いが立ちこめるのです。
夏になると、どこからともなく、冷く妖しい風が吹いて来たり、妖しい光が飛んでたり、風も無いのに卒塔婆が揺れていたり・・・・・・。
マンションの窓から眺める墓地の風景、それなりに風流かもしれません。
まだ、もう少し、堀之内界隈を歩きます。
それでは、また来週。
環七に出て来ました。この辺り環七の外側は、妙法寺から繋がる、お寺だらけ、お墓だらけの寺町となっています。
先ずは、環七に面した日蓮宗の宗延寺。こぢんまりした境内に観音様が目立ます。かなり新しそうです。後は、特に眼を引くものは無さそうでした。
こちら、お隣の真盛寺は、以前より車で通過する度に、気になっていたお寺です。両側の長い塀、長い石畳みの参道、環七に面しているとは思えない佇まい、期待できそうです。
教育委員会の案内板を読むと、現三越の創業者三井高利の菩提寺だとか、書院と本堂は江戸時代の建築だとか、客殿と庫裡は細川侯爵邸から移築しただとか、庭には謂われのある池があるだとか、数多くの文化財が所蔵されているだとか、これは、もう大変なお寺のようなのです。
立派な山門です。
ところが、足下を見ると、一般の参拝見学は受け入れていないのです。これだけの寺が、と云うか、ふつう、寺は参拝を拒絶することありません。はじめて見ました、こんな立て札。
やはり、三井家一門だけの、極々私的な寺のようです。まぁ、事前に連絡していれば、三井家でなくても参拝見学は可能だと思いますが、それにしても、守りの堅い真盛寺です。
なかなか、良さそうに見えます。
しかたなく、参道を引き返します。両側は桜、満開になると綺麗なことでしょう。
左側を歩く二人の女子、寺の中から出て来たのです。小学校3、4年と云った年格好、どことなく、それとなく、歩き方と云い、顔つきと云い、服装と云い、三井家の関係者のような、育ちの良さを漂わせていました。ちょっと考え過ぎ?
真盛寺を出て、寺の脇の路地を奥に入って行きます。密集した住宅の屋根越しに、宗延寺の屋根が覗きます。
コンクリート塀の間を分け入ります。塀から卒塔婆が覗く風景。
左側は、ずっと、ずっと住宅地。右側は、ずっと、ずっと墓地。寺と墓地の隙間に住宅が密集しているのです。
この辺り、お彼岸、お盆になると、お線香の煙と匂いが立ちこめるのです。
夏になると、どこからともなく、冷く妖しい風が吹いて来たり、妖しい光が飛んでたり、風も無いのに卒塔婆が揺れていたり・・・・・・。
マンションの窓から眺める墓地の風景、それなりに風流かもしれません。
まだ、もう少し、堀之内界隈を歩きます。
それでは、また来週。