昨日の続きです。
人影の無いメインストリートを進みます。
気付きました? 道には“電柱”が見あたらないのです。古い街並みに電柱が無い! これは景観を意識して“地下に埋設”したのでしょうか、ど~も、そう言う気配は感じられないのです。
だからと言って、電気の無い生活をしている訳でもなし、電気は何処を通って家々に送られているのか? 家の裏手辺りの壁伝いをひっそりと?
ヨーロッパの古い街並みを、目を凝らして“良~く見る”と、建物の壁伝いに電線が引かれているのです。石造りがそれを可能にしているのでしょう。
日本では、壁伝いに電力線や電話線を這わすことは、法律的に不可能な筈です。建物とは独立して敷設する事になっている筈です。
それは、それとして、この街では何処に電線を這わしているのか? 私としては、とても、とても、気になるのです。まぁ、そんなこと、ふつうは気にしないのでしょうね。
この壁の下の所に、鉄製と思われるパイプが2本、地面から立ち上がり壁の中に入っていますが、1本は水道管、もう一本は下水道管だと?思うのですが・・・・・・。
それは、それとして、先の方の木の棒に、何やら得体の知れないモノがぶら下がっています。
肉の塊のようです。
間違いない! 肉です!
この角度から見ると、骨とか、筋とか、血管とか、脂肪とか、皮とか、何か、とても生々しい“切断面”が露出しています。
これを見てしまうと、ちょっとこれを食べるのには、かなりの度胸と、根性と、決断と、食欲が必要のようです。
このお家の人が、肉の塊を干していたのです。説明では、豚の生肉を塩漬けにした後、天日干しにしているとのこと。いわゆる“生ハム”の類です。
一度食べたら“癖に”なる味だと、おじさんはにこやかに言っていました。そうです。たぶん、相当に“癖のある味と臭い”だと思います。
癖の強い食べ物ほど、一度ハマルと、二度と抜け出せないのです。
中国の食文化からすれば、この程度のものは、極々ふつうの食べ物だと思います。単に乾燥豚肉ですし、ヨーロッパでも似たような食材がありますからね。
わたしも一度、生ハムを、何かメロンに被せて食べたような、微かな記憶があります。味は、何か、塩辛くて“肉ぽっいハム”だったような気がします。
食べ物は、その国の文化ですから、他の文化圏の人間が、自分の文化に無いからと言って、野蛮だとか、残酷だと言って否定するのは、それこそ、“野蛮”で“残酷”なことだと思うのですよ。
食べ物は慣れなのです。慣れてしまえば何でもOKなのです。
話は少し変わりますが、以前、中国の四川で、辛い、辛い、とても辛い“麻婆豆腐”を、中国の幼い子が、平気な顔で、とても美味しそうに食べているのを、テレビで見たことがあります。
そう言えば、“麻婆豆腐”の“麻”ですが、麻酔の“麻”で、痺れる辛さですが、その痺れる辛さの“山椒”で大変な事があったのです。
以前に、わたくし、庭の山椒の“青い実”を、どんなモンかと? 前歯の先で、ほんの少し囓った事があるのです。
すると、実に接触した唇の処から、痺れが除々に拡大し始め、ヤバイ!これは、もしかして? 口全体に? そして、顔全体に? そして、全身麻痺に?
痺れる唇を鏡で見つめ、言葉がしゃべれる今のうちに、119番に連絡したほうが? と、真剣に思い詰めた事があるのです。
でも、痺れは、暫くして、上下の唇の片側部分でとまったのです。でも、その時は、ホントに真面目に、真剣に、ヤバイと思ったのでした。
あの、小さな、小さな、青い実は、とても、とても危険なのです。2~3粒を口の中に放り込み、ぐしゃぐしゃ噛んだら、これは、もう、間違いなく救急車のお世話になっていました。
話が逸れてしまいました。
宏村を歩いています。バイクは良く見かけます。
まだ、まだ、ホントに、宏村を漂います。
それでは、また来週。
人影の無いメインストリートを進みます。
気付きました? 道には“電柱”が見あたらないのです。古い街並みに電柱が無い! これは景観を意識して“地下に埋設”したのでしょうか、ど~も、そう言う気配は感じられないのです。
だからと言って、電気の無い生活をしている訳でもなし、電気は何処を通って家々に送られているのか? 家の裏手辺りの壁伝いをひっそりと?
ヨーロッパの古い街並みを、目を凝らして“良~く見る”と、建物の壁伝いに電線が引かれているのです。石造りがそれを可能にしているのでしょう。
日本では、壁伝いに電力線や電話線を這わすことは、法律的に不可能な筈です。建物とは独立して敷設する事になっている筈です。
それは、それとして、この街では何処に電線を這わしているのか? 私としては、とても、とても、気になるのです。まぁ、そんなこと、ふつうは気にしないのでしょうね。
この壁の下の所に、鉄製と思われるパイプが2本、地面から立ち上がり壁の中に入っていますが、1本は水道管、もう一本は下水道管だと?思うのですが・・・・・・。
それは、それとして、先の方の木の棒に、何やら得体の知れないモノがぶら下がっています。
肉の塊のようです。
間違いない! 肉です!
この角度から見ると、骨とか、筋とか、血管とか、脂肪とか、皮とか、何か、とても生々しい“切断面”が露出しています。
これを見てしまうと、ちょっとこれを食べるのには、かなりの度胸と、根性と、決断と、食欲が必要のようです。
このお家の人が、肉の塊を干していたのです。説明では、豚の生肉を塩漬けにした後、天日干しにしているとのこと。いわゆる“生ハム”の類です。
一度食べたら“癖に”なる味だと、おじさんはにこやかに言っていました。そうです。たぶん、相当に“癖のある味と臭い”だと思います。
癖の強い食べ物ほど、一度ハマルと、二度と抜け出せないのです。
中国の食文化からすれば、この程度のものは、極々ふつうの食べ物だと思います。単に乾燥豚肉ですし、ヨーロッパでも似たような食材がありますからね。
わたしも一度、生ハムを、何かメロンに被せて食べたような、微かな記憶があります。味は、何か、塩辛くて“肉ぽっいハム”だったような気がします。
食べ物は、その国の文化ですから、他の文化圏の人間が、自分の文化に無いからと言って、野蛮だとか、残酷だと言って否定するのは、それこそ、“野蛮”で“残酷”なことだと思うのですよ。
食べ物は慣れなのです。慣れてしまえば何でもOKなのです。
話は少し変わりますが、以前、中国の四川で、辛い、辛い、とても辛い“麻婆豆腐”を、中国の幼い子が、平気な顔で、とても美味しそうに食べているのを、テレビで見たことがあります。
そう言えば、“麻婆豆腐”の“麻”ですが、麻酔の“麻”で、痺れる辛さですが、その痺れる辛さの“山椒”で大変な事があったのです。
以前に、わたくし、庭の山椒の“青い実”を、どんなモンかと? 前歯の先で、ほんの少し囓った事があるのです。
すると、実に接触した唇の処から、痺れが除々に拡大し始め、ヤバイ!これは、もしかして? 口全体に? そして、顔全体に? そして、全身麻痺に?
痺れる唇を鏡で見つめ、言葉がしゃべれる今のうちに、119番に連絡したほうが? と、真剣に思い詰めた事があるのです。
でも、痺れは、暫くして、上下の唇の片側部分でとまったのです。でも、その時は、ホントに真面目に、真剣に、ヤバイと思ったのでした。
あの、小さな、小さな、青い実は、とても、とても危険なのです。2~3粒を口の中に放り込み、ぐしゃぐしゃ噛んだら、これは、もう、間違いなく救急車のお世話になっていました。
話が逸れてしまいました。
宏村を歩いています。バイクは良く見かけます。
まだ、まだ、ホントに、宏村を漂います。
それでは、また来週。