歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画 “ 母べえ ” で想いをめぐらす⑤ -公式的反戦映画-

2010年03月16日 | 映画の話し
前回が3月11日ですから、5日ぶりの再開です。

何か、もう・・・・・・・、ですが、中途半端に終わるのも何となく気持ち悪いので、今日でキッパリと締めます。

まぁ、それで、「母べえ」ですが、「父べえ」が獄中で肉体的、精神的な苦痛を強いられている間、教え子の「山チャン」が、時々一家を訪ねて来ては、男の居ない暮らしを、それなりに、いろいろ、助けられたり、助けたり。

そして、「山ちゃん」と「母べえ」の、ほのかな、ほのかな、愛とか、


家族と海水浴に行って、


山ちゃんが溺れ、母べえに助けられたり。


治安維持法で逮捕された「父べえ」の居ない生活、それでも、それなりの日常生活を時には楽しむ残された家族。でも、この海水浴シーンは、何かストーリーの全体からして、とても違和感がありました。

溺れた「山ちゃん」に向かって颯爽と泳ぐ「母べえ」の姿は、どう見ても“水泳好き”の「吉永小百合」がそのまんま出ていたように見えてしまう、不自然なシーンでした。

映画の観客に“泳げない山ちゃん”を記憶させ、後半、山ちゃんの乗った輸送船が敵に撃沈され、海中に没し死んで行く伏線として描いたとしても、何か、ねェ? でした。

そして、お正月に届く、


父べえ急死の電報。


死の知らせの後、父べえから届いた最後の手紙。


それにしても、原作では、獄死せず、「母べえ」よりも長生きした「父べえ」なのです。まぁ、戦前戦中の治安維持法の残虐性を強調する意図なのでしょう。原作はあくまでも“原作”であり、映画は映画ですから。


そして、敗戦、女手ひとつで、苦労して二人の子供を育てた母べえ。


それで、何ですが、戦後の“苦労した母べえ”を描いたシーンはこれだけです。思えば、父べえが獄中に居た時も、残された母べえの苦労を描いたシーンがあまりないのです。

山ちゃんとの淡い恋を描いたシーンは沢山あるのですが、何故か少ない苦労シーン。やはり、吉永小百合には苦労シーンは似合わない?

それと、「母べえ」と「父べえ」との“繋がり方”を、あまり描いていないのです。二人りが、どのように出会い、どこに惹かれ、どう結ばれたのか、ここらを描いたシーンがあった方が、と思ったのです。

「父べえの悲劇」に、“巻き込まれた”母べえと子供達の悲劇。父べえの悲劇の方が、映像的に強烈であった為、母べえの悲劇があまり感じないのです。

タイトルが「母ぺえ」ですから、母べえが主役なのでしょうが、どうも、何か、中途半端なのです。

治安維持法の残虐性、不当性を強調し過ぎて、母べえの描き方が薄っぺらに見えてしまうのです。

監督の反戦平和への意識が強すぎで、力み過ぎで、単純過ぎで、直接的過ぎて、山田洋次の作品としては、失敗作の気がします。

そして、ラストの、


このシーンは要りません。


最後に、父べえの最後の手紙が、父べえの声で流れるのですが、痩せた細った母べえを苦しめた“体制”に抗議する内容だけだったのです。

でも、しかし、人間として、夫として、父親として、家族を正しいと信じる思想の為に、苦しめた責任に対して、ほんの一言、償いの言葉があってしかるべきだと思うのです。

あまりにも、あまりにも、公式的過ぎる言葉でした。

あまりにも、あまりにも、公式的過ぎる映画でした。

コメント
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