歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

映画 “ かあちゃん ” で想いめぐらず

2010年03月18日 | 映画の話し
“吉永小百合の母べえ”に続いて、“岸恵子のかあちゃん”を観ました。

原作があの「山本周五郎」で、監督があの「市川崑」で公開が2001年です。

いゃ~、もう、ホントに驚いた映画でした。善人しか出て来ないのです。



何か、とても、退屈なストーリーで、観るのをやめようかと何度も思いながら、結局は最後まで観てしまいました。

観ているうちに、何か、これには“裏”がある、絶対そのうち“どんでん返し”があるはずだと、そんな思いで見続けたのですが、ナニもありませんでした。


兎に角、貧乏しながら、一家そろって他人を助ける為に、お金を貯めてたり、家に入った泥棒まで家族として受け入れ更正させてしまうのです。


「子が親を殺し、親が子を殺す現代。こんな時代にこそ意味がある作品」と主演の岸惠子が語ったそうなのですが、ここまで、ストレートにいい人だらけで、ホントにイイの?と思ってしまいました。

“社会が信じられなくても、人を信じれば、人はきっと前向きに生きていける”ことを描いたようなのですが、観る人の“汚れ具合”で、印象が大きく変わる作品なのでしょう。

私のような、社会の垢にまみれた人間は、最後の最後まで、何か、きっと、裏があると思いつつ観ていたのです。

でも、ほんのすこしだけ“裏”がありました。やっぱり、かあちゃんは助ける相手を、それなりに選んでいたようなのです。

あまりにも親切過ぎる行為に疑問を抱く泥棒に、倅が、長男の友人にも、泥棒にも、“耳にホクロ”があり、実は、父ちゃんにも耳にホクロがあったと云うのです。

助ける相手は誰でもよかった訳ではなく、亡くなった亭主への想いが絡んでいたようなのです。これを聞いた泥棒も安心し、映画を観ていた私も、“そうか、やっぱりそうか”と、安心したのです。

これを観て、みんな人を信じるようになるかは、私には判りませんが、まぁ、そこそこ、こころ暖まる作品でした。


それでは、また明日。




コメント
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