昨日の続きです。
北条の町をほぼ一回りし、被害の様子は自分の眼で、自分なりに確認できました。そろそろ、平沢遺跡の駐車場に戻る事にしました。
商店街の外れまで来ると、こんな看板を発見。“国登録有形文化財・旧矢中邸”とあります。

今回はじめて知りました。調べてみたら、筑波大生が中心になって2009年から整備を始めて、2010年にNPO法人を設立し文化財登録を申請して、2011年に登録されたそうです。

何か、関係者が取材を受けているようでした。漏れ聞こえて来た様子から、オレンジ色の作業服姿の小柄な女性が、たぶん“井上美菜子副理事長”のようです。

ガラスが割れた程度で特に大きな被害はなかったようです。落ち着いた頃にあらためて見学したいと思います。見学は毎週土曜日だそうです。
市街地を抜けると遠くに筑波の山並み、広い野原、何も無かったようです。

それでも、関電工の作業車が3台、町に向かって脇を通り過ぎて行きます。

平沢官衙(かんが)遺跡 。官衙とは官庁のことです。ここは中央政権の地方支所で、庁舎とか倉庫とかの建物群の跡なのです。ここに官衙が存在したのは、奈良から平安の時代と想定されているそうです。

奈良、平安と云えば千年以上も前の事です。その頃にも、自然災害はいろいろとあったことでしょう。

※建物は当然の事ですが復元されたものです。
静かに、何も無かったように、

佇んでいます。

まわりの風景も、

静かで、

何も無かったようです。
この日は10時頃に北条の町に到着し、町を2時間ほど歩き廻り、被害の状況をこの眼で見て来ました。
実際に現場に来て自分の眼で見るのと、テレビや新聞の報道をとおして見るのと、事実の受け止め方は、どのように違うのか?と、問われると・・・・・・、なかなか難しいのです。
テレビ画面に映し出される悲惨な情景を、居間でソファーに座り眺めていると、かなり現実感に乏しいのですが、しかし、現場で、この眼で、この脚で、歩きまり、見てまわっても、凄まじい破壊は、現実としては、すんなり理解し難いのです。
やはり、何と云っても、当事者ではないのです。人間、その立場にならないと、なかなか、理解し難いのです。
けれども、誰もが、いつか、どこかで、当事者に、被災者に、なることも、それなりに現実です。
けれども、怖いこと、苦しいこと、つらいこと、悲しいことばかり考えて居ては、生きていけないのです。
“災害は忘れた頃にやって来る”の喩えがあります。
嫌な事は、人は自然に、記憶から消し去る、その習性を言っているだけの事と思います。いつまでも、いつまでも、記憶に留めることは、不自然であり、苦しいことだと思います。
帰り道、車を降り、遙か彼方に見える北条の町並を見つめてしまいました。

忘れても、忘れなくとも、見えても、見えなくても、自然災害は繰り返し人間を襲って来ます。それが自然だと・・・・・。
人の世は、いつ、どこで、何が、起こるか解らないのです。だからと云って、今日を、最後の一日として、大切に生きるのは、フツウの人には、これは、これで、かなり大変で、ムズカシイことです。
あの、ママと瓦礫を片付けていた“軍手の少女”はどうしているのでしょう・・・・・・。
それでは。
北条の町をほぼ一回りし、被害の様子は自分の眼で、自分なりに確認できました。そろそろ、平沢遺跡の駐車場に戻る事にしました。
商店街の外れまで来ると、こんな看板を発見。“国登録有形文化財・旧矢中邸”とあります。

今回はじめて知りました。調べてみたら、筑波大生が中心になって2009年から整備を始めて、2010年にNPO法人を設立し文化財登録を申請して、2011年に登録されたそうです。

何か、関係者が取材を受けているようでした。漏れ聞こえて来た様子から、オレンジ色の作業服姿の小柄な女性が、たぶん“井上美菜子副理事長”のようです。

ガラスが割れた程度で特に大きな被害はなかったようです。落ち着いた頃にあらためて見学したいと思います。見学は毎週土曜日だそうです。
市街地を抜けると遠くに筑波の山並み、広い野原、何も無かったようです。

それでも、関電工の作業車が3台、町に向かって脇を通り過ぎて行きます。

平沢官衙(かんが)遺跡 。官衙とは官庁のことです。ここは中央政権の地方支所で、庁舎とか倉庫とかの建物群の跡なのです。ここに官衙が存在したのは、奈良から平安の時代と想定されているそうです。

奈良、平安と云えば千年以上も前の事です。その頃にも、自然災害はいろいろとあったことでしょう。

※建物は当然の事ですが復元されたものです。
静かに、何も無かったように、

佇んでいます。

まわりの風景も、

静かで、

何も無かったようです。
この日は10時頃に北条の町に到着し、町を2時間ほど歩き廻り、被害の状況をこの眼で見て来ました。
実際に現場に来て自分の眼で見るのと、テレビや新聞の報道をとおして見るのと、事実の受け止め方は、どのように違うのか?と、問われると・・・・・・、なかなか難しいのです。
テレビ画面に映し出される悲惨な情景を、居間でソファーに座り眺めていると、かなり現実感に乏しいのですが、しかし、現場で、この眼で、この脚で、歩きまり、見てまわっても、凄まじい破壊は、現実としては、すんなり理解し難いのです。
やはり、何と云っても、当事者ではないのです。人間、その立場にならないと、なかなか、理解し難いのです。
けれども、誰もが、いつか、どこかで、当事者に、被災者に、なることも、それなりに現実です。
けれども、怖いこと、苦しいこと、つらいこと、悲しいことばかり考えて居ては、生きていけないのです。
“災害は忘れた頃にやって来る”の喩えがあります。
嫌な事は、人は自然に、記憶から消し去る、その習性を言っているだけの事と思います。いつまでも、いつまでも、記憶に留めることは、不自然であり、苦しいことだと思います。
帰り道、車を降り、遙か彼方に見える北条の町並を見つめてしまいました。

忘れても、忘れなくとも、見えても、見えなくても、自然災害は繰り返し人間を襲って来ます。それが自然だと・・・・・。
人の世は、いつ、どこで、何が、起こるか解らないのです。だからと云って、今日を、最後の一日として、大切に生きるのは、フツウの人には、これは、これで、かなり大変で、ムズカシイことです。
あの、ママと瓦礫を片付けていた“軍手の少女”はどうしているのでしょう・・・・・・。
それでは。