歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

つくば市竜巻被災地の現場 その⑦ 忘れた頃に  

2012年05月16日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

北条の町をほぼ一回りし、被害の様子は自分の眼で、自分なりに確認できました。そろそろ、平沢遺跡の駐車場に戻る事にしました。

商店街の外れまで来ると、こんな看板を発見。“国登録有形文化財・旧矢中邸”とあります。


今回はじめて知りました。調べてみたら、筑波大生が中心になって2009年から整備を始めて、2010年にNPO法人を設立し文化財登録を申請して、2011年に登録されたそうです。


何か、関係者が取材を受けているようでした。漏れ聞こえて来た様子から、オレンジ色の作業服姿の小柄な女性が、たぶん“井上美菜子副理事長”のようです。


ガラスが割れた程度で特に大きな被害はなかったようです。落ち着いた頃にあらためて見学したいと思います。見学は毎週土曜日だそうです。

市街地を抜けると遠くに筑波の山並み、広い野原、何も無かったようです。


それでも、関電工の作業車が3台、町に向かって脇を通り過ぎて行きます。


平沢官衙(かんが)遺跡 。官衙とは官庁のことです。ここは中央政権の地方支所で、庁舎とか倉庫とかの建物群の跡なのです。ここに官衙が存在したのは、奈良から平安の時代と想定されているそうです。


奈良、平安と云えば千年以上も前の事です。その頃にも、自然災害はいろいろとあったことでしょう。

※建物は当然の事ですが復元されたものです。

静かに、何も無かったように、


佇んでいます。


まわりの風景も、


静かで、


何も無かったようです。


この日は10時頃に北条の町に到着し、町を2時間ほど歩き廻り、被害の状況をこの眼で見て来ました。

実際に現場に来て自分の眼で見るのと、テレビや新聞の報道をとおして見るのと、事実の受け止め方は、どのように違うのか?と、問われると・・・・・・、なかなか難しいのです。

テレビ画面に映し出される悲惨な情景を、居間でソファーに座り眺めていると、かなり現実感に乏しいのですが、しかし、現場で、この眼で、この脚で、歩きまり、見てまわっても、凄まじい破壊は、現実としては、すんなり理解し難いのです。

やはり、何と云っても、当事者ではないのです。人間、その立場にならないと、なかなか、理解し難いのです。

けれども、誰もが、いつか、どこかで、当事者に、被災者に、なることも、それなりに現実です。

けれども、怖いこと、苦しいこと、つらいこと、悲しいことばかり考えて居ては、生きていけないのです。

“災害は忘れた頃にやって来る”の喩えがあります。

嫌な事は、人は自然に、記憶から消し去る、その習性を言っているだけの事と思います。いつまでも、いつまでも、記憶に留めることは、不自然であり、苦しいことだと思います。


帰り道、車を降り、遙か彼方に見える北条の町並を見つめてしまいました。


忘れても、忘れなくとも、見えても、見えなくても、自然災害は繰り返し人間を襲って来ます。それが自然だと・・・・・。

人の世は、いつ、どこで、何が、起こるか解らないのです。だからと云って、今日を、最後の一日として、大切に生きるのは、フツウの人には、これは、これで、かなり大変で、ムズカシイことです。


あの、ママと瓦礫を片付けていた“軍手の少女”はどうしているのでしょう・・・・・・。


それでは。

コメント
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