昨日の続きです。
今日は、映画のストーリーに沿って、いろいろと思いを巡らしてみたい、と、考えています。でも・・・、たぶん、気分の赴くままに、あっちにいったり、こっちにいったりすると思います。
但し、映画のストーリーは、私の記憶ですから、シーン、地名、台詞など、かなり頼り無く、危うい事をご承知願います。
それで、老いた両親が新幹線で東京に出て来るところから始まるのです。「東京物語」とは異なり、郷里での出掛ける準備の“あれやこれや”のシーンはありません。
“東京物語”では上野駅に到着し、そこからタクシーで隅田川を渡り、東京の“東の外れ堀切”にある長男の診療所に向かいます。
“東京家族”では品川駅に到着し、そこからタクシーで多摩川を渡り、東京の“西の外れ多摩市”にある長男の診療所に向かうのです。
1953年の「東京物語」では、尾道から東京への場面転換で、東京は東京でも、西の外れの象徴“千住のお化け煙突”が映し出されました。地方の人からすると、“ここも東京?”と言う、設定なのです。
山田監督としても、長男の診療所は隅田川を渡った辺りに設定したかったと思うのです。“東京人”には分かるのですが、東京の西の外れと、東の外れでは、町の匂いが異なるのです。
1953年の「東京物語」は、上野であり、隅田川であり、京成線であり、千住であり、お化け煙突であり、堀切であり、そういう、東の外れの匂いが強く漂う中で、物語は成立しているのです。
「東京家族」は2012年の東京です。都市化により、西の外れは、隅田川を渡り、中川を渡り、江戸川を渡って千葉県にまで届いてしまったのです。
江戸川を渡っては「東京家族」ではなく、「千葉家族」ですし、江戸川の手前に設定すると、これでは「男はつらいよ」の葛飾柴又になってしまうのです。
そこで、東を諦めて、西の外れに舞台を移動したのでしょう。でも、これでは、“匂い”が違ってしまうのです。
多摩川で、京王線で、多摩市では、下町感、寂れ感、人間くささ、が漂わないのです。
東には“町”があり、“庶民”が暮らしがあり“町内会”なのです。が、西では“街”になり“市民”が暮らし“自治会”なのです。
と、ここまで綴って来ましたが、これはあくまでも私の解釈です。でも、もしかして、当たっていたりして・・・、それは無いか。
1953年の「東京物語」で舞台を東京の西側に設定したのは、現実に地方出身者が多く居住していたのでしょう。都心から距離の割には、土地も、物価も安く、それなりに暮らし易かったのです。
2012年の「東京家族」は舞台を西に変えたのです。確かに、東京23区外ですが、東京の“ベットタウン”は西に向かっています。それなりに、今の東京の姿なのです。新幹線も東京到着ではなく品川到着は、2012年の東京です。
1953年の「東京物語」では、尾道から東京への場面転換で映し出される“お化け煙突”がいろいろと象徴的でヨカッタのです。東京家族でも、何か、そんな象徴が映し出されて欲しかったのですが・・・・。
そんな、こんなで、「東京家族」は9割方「東京物語」ですから、やはり、ここは、舞台を西に設定した方が良かった、と、思ったりしてしまうのです。
そこで、ここは、広島シーンから始めて、東京への場面転換で“東京スカイツリー”を象徴的に映し出して欲しかったのですよ、西の設定ではスカイツリーは象徴として使えません。
でも、何か、そんな象徴が、別のかたちで映し出されるシーンが、もしかして、あつたりして、私の見落とし? でも、見落としてしまうようでは、象徴ではないし、まあ、“お化け煙突的”な象徴は無かったと思います。
次男の案内で両親が“はとバス”に乗って、東京見物するシーンでスカイツリーは出て来ましたが・・・。こういう使い方は、ちょっと物足りないのです、還暦を過ぎたオジサンとしては。
兎に角、観客の客層的にも、ストーリー的にも、あそこまで「東京物語」だったのですから、この際、長男は堀切駅の近くで、姉は、いまでも都電が走る町屋駅で、美容院を営んでいる・・・・・・。
でも、監督としては、そこまでやったら、“完全リメーク”で、ちょっと、ちょっと、ですかね?
タイトルが「東京物語」から「東京家族」、この微妙な変化の付け方が、“味噌醤油味の素?”ですか・・・・・・。かなり、かなり、オジサン的表現でした。
それにしても、です。東京の家族を描くことは、西でも、東でも、2012年の日本の家族を描くことに、なるの?
時代は、不況の真っ直中で、少子高齢化で、地方の過疎化で、限界集落で、お先真っ暗です。
そんな意味で、ある意味で、時代の先端は、大都市東京ではなく、地方の家族に、現代の、今の、2012年の、家族の姿が・・・・・・。
話しが、膨らみすぎました。
それで、兎に角、「東京家族」は、観て損のないイイ映画です、泣いて笑って、見終わって、それなりに明るい希望の持てる作品です。
今日は、こんなところで、お終いです。
それでは、また、来週。
今日は、映画のストーリーに沿って、いろいろと思いを巡らしてみたい、と、考えています。でも・・・、たぶん、気分の赴くままに、あっちにいったり、こっちにいったりすると思います。
但し、映画のストーリーは、私の記憶ですから、シーン、地名、台詞など、かなり頼り無く、危うい事をご承知願います。
それで、老いた両親が新幹線で東京に出て来るところから始まるのです。「東京物語」とは異なり、郷里での出掛ける準備の“あれやこれや”のシーンはありません。
“東京物語”では上野駅に到着し、そこからタクシーで隅田川を渡り、東京の“東の外れ堀切”にある長男の診療所に向かいます。
“東京家族”では品川駅に到着し、そこからタクシーで多摩川を渡り、東京の“西の外れ多摩市”にある長男の診療所に向かうのです。
1953年の「東京物語」では、尾道から東京への場面転換で、東京は東京でも、西の外れの象徴“千住のお化け煙突”が映し出されました。地方の人からすると、“ここも東京?”と言う、設定なのです。
山田監督としても、長男の診療所は隅田川を渡った辺りに設定したかったと思うのです。“東京人”には分かるのですが、東京の西の外れと、東の外れでは、町の匂いが異なるのです。
1953年の「東京物語」は、上野であり、隅田川であり、京成線であり、千住であり、お化け煙突であり、堀切であり、そういう、東の外れの匂いが強く漂う中で、物語は成立しているのです。
「東京家族」は2012年の東京です。都市化により、西の外れは、隅田川を渡り、中川を渡り、江戸川を渡って千葉県にまで届いてしまったのです。
江戸川を渡っては「東京家族」ではなく、「千葉家族」ですし、江戸川の手前に設定すると、これでは「男はつらいよ」の葛飾柴又になってしまうのです。
そこで、東を諦めて、西の外れに舞台を移動したのでしょう。でも、これでは、“匂い”が違ってしまうのです。
多摩川で、京王線で、多摩市では、下町感、寂れ感、人間くささ、が漂わないのです。
東には“町”があり、“庶民”が暮らしがあり“町内会”なのです。が、西では“街”になり“市民”が暮らし“自治会”なのです。
と、ここまで綴って来ましたが、これはあくまでも私の解釈です。でも、もしかして、当たっていたりして・・・、それは無いか。
1953年の「東京物語」で舞台を東京の西側に設定したのは、現実に地方出身者が多く居住していたのでしょう。都心から距離の割には、土地も、物価も安く、それなりに暮らし易かったのです。
2012年の「東京家族」は舞台を西に変えたのです。確かに、東京23区外ですが、東京の“ベットタウン”は西に向かっています。それなりに、今の東京の姿なのです。新幹線も東京到着ではなく品川到着は、2012年の東京です。
1953年の「東京物語」では、尾道から東京への場面転換で映し出される“お化け煙突”がいろいろと象徴的でヨカッタのです。東京家族でも、何か、そんな象徴が映し出されて欲しかったのですが・・・・。
そんな、こんなで、「東京家族」は9割方「東京物語」ですから、やはり、ここは、舞台を西に設定した方が良かった、と、思ったりしてしまうのです。
そこで、ここは、広島シーンから始めて、東京への場面転換で“東京スカイツリー”を象徴的に映し出して欲しかったのですよ、西の設定ではスカイツリーは象徴として使えません。
でも、何か、そんな象徴が、別のかたちで映し出されるシーンが、もしかして、あつたりして、私の見落とし? でも、見落としてしまうようでは、象徴ではないし、まあ、“お化け煙突的”な象徴は無かったと思います。
次男の案内で両親が“はとバス”に乗って、東京見物するシーンでスカイツリーは出て来ましたが・・・。こういう使い方は、ちょっと物足りないのです、還暦を過ぎたオジサンとしては。
兎に角、観客の客層的にも、ストーリー的にも、あそこまで「東京物語」だったのですから、この際、長男は堀切駅の近くで、姉は、いまでも都電が走る町屋駅で、美容院を営んでいる・・・・・・。
でも、監督としては、そこまでやったら、“完全リメーク”で、ちょっと、ちょっと、ですかね?
タイトルが「東京物語」から「東京家族」、この微妙な変化の付け方が、“味噌醤油味の素?”ですか・・・・・・。かなり、かなり、オジサン的表現でした。
それにしても、です。東京の家族を描くことは、西でも、東でも、2012年の日本の家族を描くことに、なるの?
時代は、不況の真っ直中で、少子高齢化で、地方の過疎化で、限界集落で、お先真っ暗です。
そんな意味で、ある意味で、時代の先端は、大都市東京ではなく、地方の家族に、現代の、今の、2012年の、家族の姿が・・・・・・。
話しが、膨らみすぎました。
それで、兎に角、「東京家族」は、観て損のないイイ映画です、泣いて笑って、見終わって、それなりに明るい希望の持てる作品です。
今日は、こんなところで、お終いです。
それでは、また、来週。