The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
認知的複雑性の重要性―“権威主義の正体”を読んで
05.12.27.
前回、最近“どうしようもない気分です。”と書きました。
今回 読んだ本 岡本浩一著“権威主義の正体”は、これに関係すること だと思うのです。
その表題からは 少々ずれているようですが、社会全体が“認知的複雑性”を失うと 大変なことになる、と警告しているのが この本だと思うのです。
戦前、ドイツ社会全体が“認知的複雑性”を失った結果、権威主義が力を持ち、ナチスが台頭、繁栄し、ホロコーストに到り 崩壊した、ということです。
この本実は “無責任の構造”と姉妹編になっているように思います。なので “無責任の構造” から本書へ引き続いて読んでいただくと 著者の主張が良く理解できるのではないかと思います。
“認知的複雑性” という言葉は “複雑なことを 複雑なまま認識できる能力のレベルまたは程度” のことで、複雑性認知能力と言った方が 分かり易いように思うのですが、社会心理学者は こういった言葉を使うもののようです。
つまり“認知的複雑性が低い”というのは下卑た表現を使うと“アホ”、または“思考停止・怠慢”のことのようです。“ようです”と言うのは この本では 一切 こういった俗な“認知的単純性”の表現を避けているからです。
また“教条主義”は 思考停止または思考怠慢の典型であると 指摘しています。思考停止 こそ 無責任風潮の原因であると この本の文脈で 言っているように思います。この思考停止が 東海村の事故の遠因(“無責任の構造”)であることも示しています。
“竹を割ったような性格”も要注意である、と。何故か 複雑な事象を 一刀両断している単純思考は 思考停止に近いからです。これは 認知的単純性を示しているのです。偏狭な原理主義も これと同じ。右翼、左翼は この理由で排撃すべきものとの指摘なのです。
戦前の ドイツ人全員が “痴呆症”になったということではないのでしょうが、集団的思考停止に陥ったのでしょうね。不思議な ことに ホロコーストに到る時間経過の事実関係は この本では 詳細に示してしるのですが その事実の 社会心理学的解説は、してくれていません。“文脈で 読み取れ”、“認知的複雑性を発揮しろ”、とでも言いたいのでしょうか。ここで読者に必要なのはむしろ“分析力”ですね。
集団的思考停止が 恐ろしい結果となることを 歴史的に示しており、これが社会心理学の誕生と発展を促したのだそうです。
どうも 最近の日本社会も 同じようになっているような気がします。
自分の社会的地位を脅かす政策を取る 政権を 熱狂的に支持している大衆は、戦前に戦争を熱狂的に歓迎したという一般庶民の“空気”と イメージがダブってしまいます。大衆の 認知的単純性が 顕著になっています。
どうして こうなったのか。下層階級の不利益を代弁する 啓蒙的批判者が 何故か 居なくなったためのような気がします。前回 書いたように 日本のエリートは 皆、自己利益の伸張と確保のみに 狂奔しているだけではないでしょうか。
言葉だけで 一見 味方のような顔をして 熱狂的な支持を得た後は 自己利益のために 平気で大衆を裏切る。そんな ことではないでしょうか。
他人の誰かに 啓蒙的批判を期待するのは 止めるべきでしょうね。それこそ自らの“認知的複雑性”を 放棄している。自らを高めること こそ 本筋ですね。
前回、最近“どうしようもない気分です。”と書きました。
今回 読んだ本 岡本浩一著“権威主義の正体”は、これに関係すること だと思うのです。
その表題からは 少々ずれているようですが、社会全体が“認知的複雑性”を失うと 大変なことになる、と警告しているのが この本だと思うのです。
戦前、ドイツ社会全体が“認知的複雑性”を失った結果、権威主義が力を持ち、ナチスが台頭、繁栄し、ホロコーストに到り 崩壊した、ということです。
この本実は “無責任の構造”と姉妹編になっているように思います。なので “無責任の構造” から本書へ引き続いて読んでいただくと 著者の主張が良く理解できるのではないかと思います。
“認知的複雑性” という言葉は “複雑なことを 複雑なまま認識できる能力のレベルまたは程度” のことで、複雑性認知能力と言った方が 分かり易いように思うのですが、社会心理学者は こういった言葉を使うもののようです。
つまり“認知的複雑性が低い”というのは下卑た表現を使うと“アホ”、または“思考停止・怠慢”のことのようです。“ようです”と言うのは この本では 一切 こういった俗な“認知的単純性”の表現を避けているからです。
また“教条主義”は 思考停止または思考怠慢の典型であると 指摘しています。思考停止 こそ 無責任風潮の原因であると この本の文脈で 言っているように思います。この思考停止が 東海村の事故の遠因(“無責任の構造”)であることも示しています。
“竹を割ったような性格”も要注意である、と。何故か 複雑な事象を 一刀両断している単純思考は 思考停止に近いからです。これは 認知的単純性を示しているのです。偏狭な原理主義も これと同じ。右翼、左翼は この理由で排撃すべきものとの指摘なのです。
戦前の ドイツ人全員が “痴呆症”になったということではないのでしょうが、集団的思考停止に陥ったのでしょうね。不思議な ことに ホロコーストに到る時間経過の事実関係は この本では 詳細に示してしるのですが その事実の 社会心理学的解説は、してくれていません。“文脈で 読み取れ”、“認知的複雑性を発揮しろ”、とでも言いたいのでしょうか。ここで読者に必要なのはむしろ“分析力”ですね。
集団的思考停止が 恐ろしい結果となることを 歴史的に示しており、これが社会心理学の誕生と発展を促したのだそうです。
どうも 最近の日本社会も 同じようになっているような気がします。
自分の社会的地位を脅かす政策を取る 政権を 熱狂的に支持している大衆は、戦前に戦争を熱狂的に歓迎したという一般庶民の“空気”と イメージがダブってしまいます。大衆の 認知的単純性が 顕著になっています。
どうして こうなったのか。下層階級の不利益を代弁する 啓蒙的批判者が 何故か 居なくなったためのような気がします。前回 書いたように 日本のエリートは 皆、自己利益の伸張と確保のみに 狂奔しているだけではないでしょうか。
言葉だけで 一見 味方のような顔をして 熱狂的な支持を得た後は 自己利益のために 平気で大衆を裏切る。そんな ことではないでしょうか。
他人の誰かに 啓蒙的批判を期待するのは 止めるべきでしょうね。それこそ自らの“認知的複雑性”を 放棄している。自らを高めること こそ 本筋ですね。
コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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おはようございます!
TB、ありがとうございました。
> 集団的思考停止が 恐ろしい結果となることを歴史的に示しており、・・・・・・・
> どうも最近の日本社会も同じようになっているような気がします。・・・・・・・
上記に抜粋した磯野及泉-san の力説については、私も“シンドラーのリスト”の記事を書いていて感じておりました。
また、My Weblog でお会いできたら幸いです!
これからも、よろしくお願いします。
一概に“認知的複雑性”と言っても やはりバランスが 大切ではないかと つくずく思うのです。
このバランスも難しい。世の中 自体がバランスを崩した時は 一見 極端に見えるかも知れませんし・・・。
でも、極端は やはり危険なのでしょうね。
本当に またよろしくお願いします。
確かに今の日本は、単純思考かが進み、2分法的発想が多くなっているように思います。
この本も「教条主義的」な読み方をしなければ、おもしろい本だと思います。
TBさせていただきます。
オルテガ、トクヴィル、エドマンド・バーク、ニーチェなどを読めば、この論理がいかにバカであったかがご理解頂けるかと存じます。