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京都国立博物館の“特別展・法然と極楽浄土”展を見て

石破首相はトランプと会えない?やっぱりか?どうする!?公私両面でのアプローチ!?外務省は宛にならず!!
将を射んと欲すれば、先ずその馬を射よ!馬?何?なら、日本好きのイーロン・マスク?
内政は?表では国民民主との連携?裏では立憲との大連立の模索?予算委員会の委員長職を差し出した?
少数与党、いつまで持たせる?予算成立まで?参院選まで?

トランプ政権について北野一氏 がある経済番組で次のように言っていた。
ある人が“MAGAはいつの時代を目指しているか” とトランプ一派の幹部にきいたらしい。すると“1900年頃”と返ってきたという。
日露戦争は、1904年(明治37年)2月から1905年9月にかけて行われた戦争なので、それ以前か?ならば、米国は未だ覇権国ではなく、当時の覇権国は英国であった。西部開拓時代が終わりを告げた頃?そんな時代への回帰なのか?ならばアナクロそのもの!死んでモタ老人の夢?米国人はそれにすがるのか?モーアカンわ!
それとも神聖ローマ帝国にあこがれたナチスと同じか?“労働者の味方”だったナチスと同じか?同じ臭いがフンプン!

ところで、目下の兵庫県知事選挙、どないなるんか?私にも2方向から、前知事をマスコミにより陥れてる説が届いた。2方向やったカラ、私も騙されそうになっている!だが、ヨクヨク考えてみると同根の臭いがする!それホンマか?ほなら、本人が失職前に何でそれを言わんかってん?今でも本人がシッカリ言うてるか?何で怪しいN国のオッサンが代わって言わなあかんのや?本人の問題やろ?それこそ怪しい!
これもそれも、今のマスコミが信じられへんからヤ!マスコミがある勢力と結託しているのではないかといううさん臭さが漂う雰囲気やから、こんな混乱が起きるルンヤ。TVの異様な報道姿勢もあったしナァ!逆に公平な調査報道も無かった!!!
放送権を奪われるのを恐れて、あのアホアホを野放しにして来たツケやで。特に今行き場がなくなったキモイ・オバハン!御蔭で報道の自由は年々劣化、劣後する一方!今や報道はTVばっかりちゃうし!ミソもクソもやろうとしたらヤレルし!そやからTV落ちぶれてんネン!戦わんカイ!皆、見ぃヒンからCMの意義も薄れてんの分かれへんか?年寄りだけヤデ、ホンマ!今のマスコミは信じられへん!特にTV!世の中の混乱を助長するバッカーぁ!



さて、今回は先週末に京都国立博物館の“特別展・法然と極楽浄土” に赴いたので、報告したい。午後に審査員研修会があったので、午前に赴いた次第だ。これまで、日本の“仏教”についてお勉強してきて、ついには“鎌倉仏教”にまで至っている。その皮切りの“法然と浄土教”についての展覧会、何があるのか詳しくは知らないが、まっ兎に角行って見たいと思った訳だった。

場所は京博なので京阪・七條駅が最寄り駅。こんな時必ず思うのは、何で京阪が延伸を中之島でストップしたのか、理解できないことだ。もう少し西へ350mでJR野田、地下鉄・玉川に到達、さらに西へ350mでJR桜島線と阪神なんば線の交差点・西九条駅だというのに、中途半端な中之島駅で延伸ストップ、ドイコト!?たった700m!あわよくば、一つの乗り入れで、姫路から京都・出町柳まで行けたのに!京阪電車はよほど中途半端が“お好き”なんやね!中之島駅ができて喜んだのは、ロイヤル・ホテルくらい。金賭けて閑古鳥が鳴いている?!
てなわけで、JRを利用して神戸から大阪の京橋を目指した。ところが大阪駅へ着く直前に電車がストップ!“大阪駅入線待ちの列車複数重なっております。”の車内アナウンス。相変わらずのJR混乱。御蔭で15分予定より遅延した。ネットで原因を調べようとしたが、JR阪神地区“平常通り運行”との表示。いつぞやJR遅延が当たり前になって、“最近、チョットの遅れではJRも謝らんようになったネ”との噂を聞いたところだった!ナルホドそうなんだ!15分くらいヘッチャラ!
当日夜に“近畿エリア履歴一覧”を見たら、“7時53分頃、JR宝塚線:川西池田駅~中山寺駅間で踏切の非常ボタンが押されたため、JR東西線の列車に遅れや運転取り止めがでています。”とあって、“自分たちが原因ではない!”と言わんばかり!こんなんでエエンか?私鉄ではあんまり聞いたことない話や!ナンデヤ?!



ボヤキばかりで恐縮!とにかく何とか現地・京博へ行ってみると、室内の写真撮影禁止。イマドキ、何でヤねん!美術作品でも写真撮影可の時代やのに、古い因習を振り回す。逆に、昔はノンキに写真撮らせてたんとチャウカ?何でも一歩遅れの正にアホアホアホやないか?
ショウ・ケースの外から撮った素人の写真が売れる訳、ないやろ!それより寧ろ皆で下手な写真撮って貰うて、ブログやインスタでPRした方がトクとちゃうンか?
それに“法然と極楽浄土”という割には“法然”御本尊にまつわる展示はほんの一部しか無い。“法然”から遠く末代にわたる江戸期の家康、秀忠のモノが目立っていたような印象だった。
東京展では盛況だったようだが、これではさすがに京都ではウケへんようで、押すな押すなではなかった。ザンネン!またしてもボヤキに陥ってしまって、申し訳ない。

それでもまぁ我慢して、会場内へ。最初は源信の“往生要集”、古文書の展示。そやけど何で源信や。法然とちゃうんかヨ!
直接“法然”に関連する主なのは、幾つかの肖像画であり、『選択本願念仏集』と『七箇条制誡』の古文書であった。
『選択本願念仏集』(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)は、建久9年(1198年)、関白九条兼実の要請によって、法然が撰述した2巻16章の論文であり、称名一行の専修を主張し、浄土宗の立教開宗の書である。冒頭に「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為先」と念仏往生の宗義を標示し、称名念仏こそが、選択の行業である旨を述べている。法然が執筆したとされるが、先週紹介した、『鎌倉仏教のミカタ』では実際は弟子たちが手分けして著作したのではないかとされていた。
『七箇条制誡』は、法然の弟子たちが傍若無人に専修念仏を強制するような振る舞いに対し、元久元年(1204年)、比叡山の僧たちは座主に念仏の禁止を訴え出た。それに事の次第を聞かれた法然上人が提出した自戒の書のこと。
つまり、法然が門弟の行動を正す文書を作り、そして元久元年(1204年)11月7日から9日までの3日間にかけて弟子190名の署名をさせて座主に提出した。
ここで実際にこの文書を見ることができ、親鸞は僧綽空(しゃっくう)の名で二日目に87番目に署名しているのを目の当たりにできたのだった。これで先週紹介した、『鎌倉仏教のミカタ』で島田氏が指摘していた“親鸞は決して法然の高弟ではなかった”を確認できたのだった。



ここで、唯一撮影可能だった仏涅槃群像は、香川・法然寺にあり、法然寺は、高松藩祖松平賴重*が建永の法難で讃岐に流された法然上人の住したという生福寺(まんのう町)を城下約8.5km南の地に復興し、菩提寺としたもの。寛文8年(1668年)起工、同10年(1670年)正月25日に三十三門二十四宇の堂塔が完成、江戸小石川伝通院前住職真誉相閑を中興とし、仏生山来迎院法然寺と号した。
その三仏堂には内陣奥の須弥壇上に、本尊の三仏(香川県指定有形文化財)すなわち、中央に阿弥陀如来座像(現在)・左に釈迦如来座像(過去)・右に弥勒菩薩座像(未来)を安置し、その前に釈迦涅槃図を立体化したのが、仏涅槃群像であり、52類を超える像がリアル釈迦涅槃の様子を表わしている。(写真を見て分かるように本尊の三仏像は展示されていない。)

*高松藩祖松平賴重:水戸徳川頼房の長子で、二代光圀の兄に当たり、徳川一門が崇敬する浄土宗に帰依。



“法然と極楽浄土”にガッカリしかなり疲れてはいたが、気を取り直しシバ漬けで有名な漬物屋さんが10分くらいの所にあるというのでワザワザ出かけた。それに近くのバス停から四条烏丸へ出られるという。京博から京阪電車や阪急電車では四条烏丸へは行き辛いのでこれは助かる。普通のシバ漬けけと胡瓜のシバ漬け、茄の漬物を買った。帰って食べてみたが折角のものにもかかわらず、ザンネンなものだった!こうしてザンネンの連発となった。ザンネン!

帰りは、市バスの近くのバス停から四条烏丸へ出て、昼食を摂り、午後の審査員研修会に備えた。

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