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神戸北野異人館2024巡り
韓国がエライ騒ぎになっている。ユン政権の崩壊の危機だという。何とも粗忽で拙劣な騒ぎを起こして、墓穴を掘ったというもの。ハタ迷惑そのものではないか。韓国は半年以上の政治空白を抱える可能性が大きくなった。
どうせ戒厳やるなら、もっと慎重かつ大胆にして繊細、そして徹底した活動でなければならなかったが、6時間であっけなく撤退したという。どうしてこのような拙劣な事態となったのだろうか。
敵対する野党党首にも時間の余裕はなかった、ということのようだが、ユン政権側が痺れを切らして焦ったのが敗因ではないか。“慌てる乞食の貰いは少ない”或いは、“雉も鳴かずば撃たれまい”とはよく言ったものだ。
日本の政治家もそうだが、それにしても、韓国の政治家も劣化している。政治家の劣化は世界的な傾向なのか。プーチンは訳の分からん妄想で戦争始めたし、米国の大統領も取っ散らかった一貫しない下品なオッサンが選ばれたし、仏独も政権が不安定化してるようだ。そして密かに、強固と思われた中国の習近平政権も危うい状況ではないかという。
“政治の一寸先は闇” は厳然たる事実のようだ!世界はどう動くのか?ついでに兵庫県もどうなるのか?
さて、先週末には何だか年末恒例のようになってしまった、神戸北野異人館を巡ったので紹介したい。こうなったのは、12月に新神戸に審査先があり、終わったついでに行って見たくなっているためだ。特に、うろこの家の屋根のディスプレイが見て見たくなった、といったところなのだ。
アクセスは北野通りから、不動坂の急坂を上っての行程とした。その途中で、イタリア館 (プラトン装飾美術館)を巡った。オーナー個人の邸宅の由。確かに北側に居宅らしい一画があり、たまたまベンツでオーナー様の御帰宅の御様子で、その間受付は停止。そして何で“プラトン”と称するのかは謎のまま。
“大正の初期に建てられた歴史的伝統建造物です。 装飾性の高い18世紀から19世紀のヨーロピアンアンティーク・家具・調度品・絵画・彫刻の数々がぎっしり詰まった美邸は必見です。 また、館の南側にある洋式庭園には、プールがあり、プールサイドでは カフェやランチも楽しめます。”
その後、うろこの家を目指して歩く。うろこの家は実は前年も来ている。だから、中に入って観覧する気はもとよりない。オランダ坂の北の端に到って、うろこの家を覗こうとするが、館の尖塔の屋根のディスプレイがわずかに見える。それを何とか撮影して踵を返す。これで今回は満足!ン?
そこからはオランダ坂を一気に下って行く。突き当たって左に行けば、下に公園が見え、そこから石畳の道になる。
やがて、右手にラインの館、左手に神戸北野美術館(旧アメリカ領事館官舎)が出てくる。
先ずはラインの館から観覧した。
“大正初期の建築で、木造2階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドー、軒蛇腹、よろい戸など、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま受け継いでいる建物です。
庭には蘇鉄や楠の大樹があり、心地よい緑陰をつくっています。
「ラインの館」という名称は市民の愛称募集で入選した名前ですが、「この館の下見板の横線(ライン)が美しいから」という由来から名称が決定しました。”
次に、坂道を挟んで向かい側の神戸北野美術館(旧アメリカ領事館官舎)に入る。
“歴史が息づく、異文化の交差点
1898年に建設され、アメリカ領事館官舎やアールヌーボー美術の展示館としての歴史を持つ建物。その多彩な背景を活かし、東洋と西洋、過去と未来が交わる場所として位置づけます。
復興と新生、未来へ紡ぐ芸術の館
耐震工事を経て新たに生まれ変わる美術館として、復興と新生をテーマに掲げます。神戸の街とともに歩む美術館の姿を表現します。
神戸・北野山本地区と、パリ・モンマルトル地区
芸術が織りなす友情の物語
過去に行われたモンマルトル地区との友好交流展を発展させ、国際的な芸術交流の拠点としての役割を強調します。
持続可能な未来への架け橋
耐震工事を通じて得た安全性や環境への配慮をアピールし、サステナビリティをテーマに含めます。”
展示されている美術品を鑑賞して、北野通りへ下りる。
北野通りの向かい側(南側)を西進して英国館にいたる。
“イギリス人建築家の設計によるコロニアル様式の洋館で、館内はアーツ&クラフツ運動の提唱者で、モダンデザインの父と呼ばれるウィリアム・モリスのファブリックで装飾され、17世紀バロックから19世紀ビクトリア時代の家具調度品の美しさが目を引く。2階には世界で最も有名な英国人 「シャーロック・ホームズ」の部屋が再現されています。ホームズのトレードマークとも言える、インヴィネスケープやディアストーカーを着用したまま 館内をめぐることができ、記念撮影が楽しめます。”
イングリッシュガーデン、別棟に使用人の家があった。19世紀の英国では使用人とは同居しないのが普通だった、という説明表示があった。シャーロック・ホームズは借家人で、確か大家と同居していたのではないか。
次は、隣接する洋館長屋。
“下見板張りでオイルペンキ塗りの木造の二階建で、正面の玄関から左右対象に軒を連ねる珍しい異人館で、かつては外国人向けのフラットでした。現在の館内はアールヌーボーのガラス工芸家エミール・ガレ等、仏蘭西美術品や調度品を中心に展示しています。貴重な初期のルイ・ヴィトンのトランクは、はるか遠い外国からの海を渡って日本人にやってきた人々の船旅を思い起こさせるでしょう。”
この説明文にあるフラットとは“英国における集合住宅”の一区画(1戸分)のこと。実際は展示のためか2戸一となって中は貫通させている。最後に“色彩のない白と黒の部屋”があって、疲労が限界に達したのか何故か気分が悪くなって、写真撮影もせず立ち去った。
本来は、ここでベンの家を観覧する予定であったが、何だか同じような展示物に飽きてしまい、北野異人館(旧ムーア邸)に行って喫茶休憩することにした。
“北野異人館が持つ特徴をすべて兼ね備えたハーブと季節の花々が咲き誇る白亜の洋館「旧ムーア邸」。
異人館街の中心地、北野通りの中央に位置し、1898年(明治31年)、ラインの館の建築主 ドレウェル夫人が設計した希少な館で、現在は「北野・山本地区の伝統的建造物」№5として登録されています。
ムーア氏の一族が100年以上もの間代々住居として使用しており、これまで一度も一般に公開されることはありませんでした。
歴史的にも非常に価値が高く、木造2階建、寄構造、桟瓦葺、石造基礎外壁下見板張白オイルペンキ塗と、北野異人館の特徴が全て揃ったコロニアル様式の建造物です。
今も残るサンルームからは創建当時、神戸港が一望でき、入港する船を眺めながら祖国に思いを馳せる貿易商一家の息吹が感じられるような、温かみのある空間です。”
館内の観覧目的ではなく、カフェとしての機能のみ。中は、ほぼ満席であった。ここで苺のミルフィーユをコーヒーと共に飲食することとした。
これで、本来はお帰りとなるところだが、この日の夕刻は“ひょうご講座”の藻谷氏の講演の予定であり、北野通りを東進して、新神戸から地下鉄で県庁前に向かうこととした。
どうせ戒厳やるなら、もっと慎重かつ大胆にして繊細、そして徹底した活動でなければならなかったが、6時間であっけなく撤退したという。どうしてこのような拙劣な事態となったのだろうか。
敵対する野党党首にも時間の余裕はなかった、ということのようだが、ユン政権側が痺れを切らして焦ったのが敗因ではないか。“慌てる乞食の貰いは少ない”或いは、“雉も鳴かずば撃たれまい”とはよく言ったものだ。
日本の政治家もそうだが、それにしても、韓国の政治家も劣化している。政治家の劣化は世界的な傾向なのか。プーチンは訳の分からん妄想で戦争始めたし、米国の大統領も取っ散らかった一貫しない下品なオッサンが選ばれたし、仏独も政権が不安定化してるようだ。そして密かに、強固と思われた中国の習近平政権も危うい状況ではないかという。
“政治の一寸先は闇” は厳然たる事実のようだ!世界はどう動くのか?ついでに兵庫県もどうなるのか?
さて、先週末には何だか年末恒例のようになってしまった、神戸北野異人館を巡ったので紹介したい。こうなったのは、12月に新神戸に審査先があり、終わったついでに行って見たくなっているためだ。特に、うろこの家の屋根のディスプレイが見て見たくなった、といったところなのだ。
アクセスは北野通りから、不動坂の急坂を上っての行程とした。その途中で、イタリア館 (プラトン装飾美術館)を巡った。オーナー個人の邸宅の由。確かに北側に居宅らしい一画があり、たまたまベンツでオーナー様の御帰宅の御様子で、その間受付は停止。そして何で“プラトン”と称するのかは謎のまま。
“大正の初期に建てられた歴史的伝統建造物です。 装飾性の高い18世紀から19世紀のヨーロピアンアンティーク・家具・調度品・絵画・彫刻の数々がぎっしり詰まった美邸は必見です。 また、館の南側にある洋式庭園には、プールがあり、プールサイドでは カフェやランチも楽しめます。”
その後、うろこの家を目指して歩く。うろこの家は実は前年も来ている。だから、中に入って観覧する気はもとよりない。オランダ坂の北の端に到って、うろこの家を覗こうとするが、館の尖塔の屋根のディスプレイがわずかに見える。それを何とか撮影して踵を返す。これで今回は満足!ン?
そこからはオランダ坂を一気に下って行く。突き当たって左に行けば、下に公園が見え、そこから石畳の道になる。
やがて、右手にラインの館、左手に神戸北野美術館(旧アメリカ領事館官舎)が出てくる。
先ずはラインの館から観覧した。
“大正初期の建築で、木造2階建下見板張りオイルペンキ塗りで、開放されたベランダ、ベイ・ウィンドー、軒蛇腹、よろい戸など、明治時代のいわゆる異人館の様式をそのまま受け継いでいる建物です。
庭には蘇鉄や楠の大樹があり、心地よい緑陰をつくっています。
「ラインの館」という名称は市民の愛称募集で入選した名前ですが、「この館の下見板の横線(ライン)が美しいから」という由来から名称が決定しました。”
次に、坂道を挟んで向かい側の神戸北野美術館(旧アメリカ領事館官舎)に入る。
“歴史が息づく、異文化の交差点
1898年に建設され、アメリカ領事館官舎やアールヌーボー美術の展示館としての歴史を持つ建物。その多彩な背景を活かし、東洋と西洋、過去と未来が交わる場所として位置づけます。
復興と新生、未来へ紡ぐ芸術の館
耐震工事を経て新たに生まれ変わる美術館として、復興と新生をテーマに掲げます。神戸の街とともに歩む美術館の姿を表現します。
神戸・北野山本地区と、パリ・モンマルトル地区
芸術が織りなす友情の物語
過去に行われたモンマルトル地区との友好交流展を発展させ、国際的な芸術交流の拠点としての役割を強調します。
持続可能な未来への架け橋
耐震工事を通じて得た安全性や環境への配慮をアピールし、サステナビリティをテーマに含めます。”
展示されている美術品を鑑賞して、北野通りへ下りる。
北野通りの向かい側(南側)を西進して英国館にいたる。
“イギリス人建築家の設計によるコロニアル様式の洋館で、館内はアーツ&クラフツ運動の提唱者で、モダンデザインの父と呼ばれるウィリアム・モリスのファブリックで装飾され、17世紀バロックから19世紀ビクトリア時代の家具調度品の美しさが目を引く。2階には世界で最も有名な英国人 「シャーロック・ホームズ」の部屋が再現されています。ホームズのトレードマークとも言える、インヴィネスケープやディアストーカーを着用したまま 館内をめぐることができ、記念撮影が楽しめます。”
イングリッシュガーデン、別棟に使用人の家があった。19世紀の英国では使用人とは同居しないのが普通だった、という説明表示があった。シャーロック・ホームズは借家人で、確か大家と同居していたのではないか。
次は、隣接する洋館長屋。
“下見板張りでオイルペンキ塗りの木造の二階建で、正面の玄関から左右対象に軒を連ねる珍しい異人館で、かつては外国人向けのフラットでした。現在の館内はアールヌーボーのガラス工芸家エミール・ガレ等、仏蘭西美術品や調度品を中心に展示しています。貴重な初期のルイ・ヴィトンのトランクは、はるか遠い外国からの海を渡って日本人にやってきた人々の船旅を思い起こさせるでしょう。”
この説明文にあるフラットとは“英国における集合住宅”の一区画(1戸分)のこと。実際は展示のためか2戸一となって中は貫通させている。最後に“色彩のない白と黒の部屋”があって、疲労が限界に達したのか何故か気分が悪くなって、写真撮影もせず立ち去った。
本来は、ここでベンの家を観覧する予定であったが、何だか同じような展示物に飽きてしまい、北野異人館(旧ムーア邸)に行って喫茶休憩することにした。
“北野異人館が持つ特徴をすべて兼ね備えたハーブと季節の花々が咲き誇る白亜の洋館「旧ムーア邸」。
異人館街の中心地、北野通りの中央に位置し、1898年(明治31年)、ラインの館の建築主 ドレウェル夫人が設計した希少な館で、現在は「北野・山本地区の伝統的建造物」№5として登録されています。
ムーア氏の一族が100年以上もの間代々住居として使用しており、これまで一度も一般に公開されることはありませんでした。
歴史的にも非常に価値が高く、木造2階建、寄構造、桟瓦葺、石造基礎外壁下見板張白オイルペンキ塗と、北野異人館の特徴が全て揃ったコロニアル様式の建造物です。
今も残るサンルームからは創建当時、神戸港が一望でき、入港する船を眺めながら祖国に思いを馳せる貿易商一家の息吹が感じられるような、温かみのある空間です。”
館内の観覧目的ではなく、カフェとしての機能のみ。中は、ほぼ満席であった。ここで苺のミルフィーユをコーヒーと共に飲食することとした。
これで、本来はお帰りとなるところだが、この日の夕刻は“ひょうご講座”の藻谷氏の講演の予定であり、北野通りを東進して、新神戸から地下鉄で県庁前に向かうこととした。
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