The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
「超ISO」運動?への疑念
05.09.08.
“最近、「超ISO」ということがISO9001関係者の間で言われだしている。”(西沢総研)とのことです。規格協会から そのようなシリーズ本も出版され始めました。
私は、この「超ISO」なることが もうひとつ飲み込めていません。実は、この運動が ISO9001を捨ててTQMへ走る運動のように見えてならないのです。「超ISO」は実は「反ISO」になっているのではないか、という疑念です。
ある種の ドグマ的なテーゼに対して アンチ・テーゼを誇示するというのは 人間世界の普遍的な“動き”かもしれませんね。人間固有のある種のDNA的なものかも知れません。その誇示の仕方は、外側から攻撃する。あるいは その内部にあってテーゼ自体を攻撃する。その他、様々な勢力との複雑な連携などいろいろあるのでしょう。
この場合の「超ISO」運動は どう見ても ISOの内部に棲み付いてそれを攻撃するスタイルのような印象です。言葉は悪いがパラサイトいやキャンサー的存在。つまり“ISO”という言葉を使うことで、ISO派の仮面を被っているように見えます。
JRCAの審査員教育に そのような方が講師として登場されました。ISOをよくご存知ない方が 一見 専門家であるかのような顔をなさって講師をされました。その方は その 「超ISO」シリーズ で本も出版されておられます。
ザーァッと 見た限り、その本では ISOマネジメントから どのようにTQMにつながっていくのかの筋道が示されず、TQM(固有の?)手法というかツールや概念図が 羅列しているだけで 普遍性に欠ける印象です。
とてもISOの提案しているプロセス・アプローチなどへの理解があるとは思えず、今や古色蒼然たる 日本式大企業向けの 複雑なシステム構築を推奨するもののように思えました。大企業現役を引退された方のノスタルジー。それこそムダが多いシステムの印象です。あれで身軽な動きは可能なのでしょうか。屋上屋を重ねるような 良く言えば慎重なシステム。あれではIT時代の21世紀型の迅速なフラット組織の経営は無理との直感です。
今、崩れようとしている非効率な 巨大マンモス官僚組織の再構築を目指しているようにも見えます。日本の組織に“「効果のないISO」を捨ててTQMに走ること”を推進して、ますます世界に遅れをとることがあってはならないように思います。
しかしながら現実にはリストラで 既に担い手が居なくなっているというのが実態ではないか。大学の学者先生には ビジネスの機微は お解りにならないのでは・・・・。
この課題は 非常に大きなテーマであるように思いますので、今後「超ISO」運動そのものを見極めつつ 追々 私の考え方を整理して行きたいと思います。
“最近、「超ISO」ということがISO9001関係者の間で言われだしている。”(西沢総研)とのことです。規格協会から そのようなシリーズ本も出版され始めました。
私は、この「超ISO」なることが もうひとつ飲み込めていません。実は、この運動が ISO9001を捨ててTQMへ走る運動のように見えてならないのです。「超ISO」は実は「反ISO」になっているのではないか、という疑念です。
ある種の ドグマ的なテーゼに対して アンチ・テーゼを誇示するというのは 人間世界の普遍的な“動き”かもしれませんね。人間固有のある種のDNA的なものかも知れません。その誇示の仕方は、外側から攻撃する。あるいは その内部にあってテーゼ自体を攻撃する。その他、様々な勢力との複雑な連携などいろいろあるのでしょう。
この場合の「超ISO」運動は どう見ても ISOの内部に棲み付いてそれを攻撃するスタイルのような印象です。言葉は悪いがパラサイトいやキャンサー的存在。つまり“ISO”という言葉を使うことで、ISO派の仮面を被っているように見えます。
JRCAの審査員教育に そのような方が講師として登場されました。ISOをよくご存知ない方が 一見 専門家であるかのような顔をなさって講師をされました。その方は その 「超ISO」シリーズ で本も出版されておられます。
ザーァッと 見た限り、その本では ISOマネジメントから どのようにTQMにつながっていくのかの筋道が示されず、TQM(固有の?)手法というかツールや概念図が 羅列しているだけで 普遍性に欠ける印象です。
とてもISOの提案しているプロセス・アプローチなどへの理解があるとは思えず、今や古色蒼然たる 日本式大企業向けの 複雑なシステム構築を推奨するもののように思えました。大企業現役を引退された方のノスタルジー。それこそムダが多いシステムの印象です。あれで身軽な動きは可能なのでしょうか。屋上屋を重ねるような 良く言えば慎重なシステム。あれではIT時代の21世紀型の迅速なフラット組織の経営は無理との直感です。
今、崩れようとしている非効率な 巨大マンモス官僚組織の再構築を目指しているようにも見えます。日本の組織に“「効果のないISO」を捨ててTQMに走ること”を推進して、ますます世界に遅れをとることがあってはならないように思います。
しかしながら現実にはリストラで 既に担い手が居なくなっているというのが実態ではないか。大学の学者先生には ビジネスの機微は お解りにならないのでは・・・・。
この課題は 非常に大きなテーマであるように思いますので、今後「超ISO」運動そのものを見極めつつ 追々 私の考え方を整理して行きたいと思います。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )

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もう一丁 チョボット怪しいヤツ紹介シマッ!
ワテも過去に決別して捨てなアカン本一杯ですワ。
そやけど、中々ヨウ捨てられマヘン。
人生もうチョットしてからデッカなぁ・・・・・