The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
堂本印象美術館
05.12.19.
先週末、京都リサーチパークに雑誌・品質工学の文献コピーをさせてもらいに行ったついでに 時間があったので かねて気になっていた 堂本印象美術館に行きました。
同画伯への興味は 何からだったか、ちょっと忘れていたのですが、このブログで プロ野球日本シリーズのブログ記事でトラックバックさせていただいた“いづつやの文化記号”の いづつやさんが“度肝を抜かれた”と表現されておられて、始めて堂本印象の名を知り、どのような画家か知りたくなったのです。凄い抽象画を描いている日本画家がいる とは 全く存じませんでした。不明を恥じていました。その後も、その京都リサーチパークに赴く度に、印象美術館のビラが置いてあったりして、さらに刺激を受けていたものです。
美術館の場所は 立命館大学衣笠キャンパスの北側にあります。
降りたバス停で 見上げるとそこに変わった建物の気配。その白い壁に いろいろなオブジェが 取り付けられているので、どうやら そこだ、と直ぐに分かりました。
ですが、期待していた 凄い 抽象画や襖絵は 展示されておらず少々落胆。その展示は11月で終了したようでした。
今回、メインの展示室で展示されていた絵は、どこかで見たような西洋のモチーフでありながら、和風を感じるものでした。しかし日本画家を あからさまに感じさせる絵は ありませんでした。驚いたのは キリストの宗教絵画の大作でした。
周囲のギャラリーには 戦後のヨーロッパ旅行でのスケッチを元にした絵が 多数ありました。金属のオブジェや、陶磁器も いくつか展示。
印象は 戦前既に 日本画家として大成。50歳半ばで終戦。ここから印象の画風が変化。そしてヨーロッパ旅行。それを契機に さらに画風が大きく変わって行ったようです。そして 最終的には 抽象画に行き着いたようです。
とにかく50代後半から 自分の生き方を大きく変えた、というエネルギーに驚嘆します。
美術館の東側のサロンの窓から 洛北の街並みの向こうに 折からの初雪を少し湛えた比叡山が見えました。傍に 見える風景の説明パネルがあり、よく見ると隣接民家が印象ご当人のご自宅とのこと。後で、買って帰った本を読んでいると この美術館は ご本人がデザインしたということ。芸術家が存命中に自分の美術館を作ったという稀有な 事業であった由。ならば、自分の家に隣接して建設するというのも肯ける次第。
とにかく、エネルギーに満ち溢れた巨人との“印象” でした。
これから 印象の襖絵などのある京都の寺院を ヒマをみては巡礼してみようか、と思っています。
先週末、京都リサーチパークに雑誌・品質工学の文献コピーをさせてもらいに行ったついでに 時間があったので かねて気になっていた 堂本印象美術館に行きました。
同画伯への興味は 何からだったか、ちょっと忘れていたのですが、このブログで プロ野球日本シリーズのブログ記事でトラックバックさせていただいた“いづつやの文化記号”の いづつやさんが“度肝を抜かれた”と表現されておられて、始めて堂本印象の名を知り、どのような画家か知りたくなったのです。凄い抽象画を描いている日本画家がいる とは 全く存じませんでした。不明を恥じていました。その後も、その京都リサーチパークに赴く度に、印象美術館のビラが置いてあったりして、さらに刺激を受けていたものです。
美術館の場所は 立命館大学衣笠キャンパスの北側にあります。
降りたバス停で 見上げるとそこに変わった建物の気配。その白い壁に いろいろなオブジェが 取り付けられているので、どうやら そこだ、と直ぐに分かりました。
ですが、期待していた 凄い 抽象画や襖絵は 展示されておらず少々落胆。その展示は11月で終了したようでした。
今回、メインの展示室で展示されていた絵は、どこかで見たような西洋のモチーフでありながら、和風を感じるものでした。しかし日本画家を あからさまに感じさせる絵は ありませんでした。驚いたのは キリストの宗教絵画の大作でした。
周囲のギャラリーには 戦後のヨーロッパ旅行でのスケッチを元にした絵が 多数ありました。金属のオブジェや、陶磁器も いくつか展示。
印象は 戦前既に 日本画家として大成。50歳半ばで終戦。ここから印象の画風が変化。そしてヨーロッパ旅行。それを契機に さらに画風が大きく変わって行ったようです。そして 最終的には 抽象画に行き着いたようです。
とにかく50代後半から 自分の生き方を大きく変えた、というエネルギーに驚嘆します。
美術館の東側のサロンの窓から 洛北の街並みの向こうに 折からの初雪を少し湛えた比叡山が見えました。傍に 見える風景の説明パネルがあり、よく見ると隣接民家が印象ご当人のご自宅とのこと。後で、買って帰った本を読んでいると この美術館は ご本人がデザインしたということ。芸術家が存命中に自分の美術館を作ったという稀有な 事業であった由。ならば、自分の家に隣接して建設するというのも肯ける次第。
とにかく、エネルギーに満ち溢れた巨人との“印象” でした。
これから 印象の襖絵などのある京都の寺院を ヒマをみては巡礼してみようか、と思っています。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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私も京都の寺院にある現代絵画風の襖絵の観覧を常々願ってまして、公開に関する情報をチェックしてます。堂本印象の後継者とみられている甥の尚郎の展覧会を見てきたのですが、最新作は印象の絵に似てきており、日本画に回帰してます。
日本に このような巨匠が 居たなどとは 全然 存じませんでした。お教え頂き ありがとうございました。