かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

10.大怪虫 その2

2008-04-27 20:38:00 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 突然! さっきにも増した強烈な震動が足元の地面をこんにゃくのように揺すった。幾人かが足を取られて転び、店の中で何か硝子が派手に割れる音が鳴り響いた。真昼のごとく輝いていた明かりが切れ、辺りが数年前の田舎びた暗さを取り戻す。急な暗がりに悲鳴が上がり、何人かの若者が、慌てて原付にまたがり、車に乗って、そこを脱出しようとした。だが、車のエンジンをスタートさせ、駐車場の出口に向かおうとした若者は、さっきのひび割れの場所が大きく盛り上がり、三〇センチ以上の段になっていることに気が付いた。軽く改造を施してあるだけに、よほどうまく進まないと車が傷物になるのは避けられない。悪態を付いてそろそろと車を進めた若者は、ようやく前輪を無事通過させ、半ばを渡りきったところで、足元から強烈な突き上げを喰らった。急に車の接地感が失せ、視界から道路が消える。ふと外を見ると、さっきまで一緒にたむろしていた名も知らぬ若者達が、こちらを見上げてこわばった表情をしているのが見えた。え?下に? 事態を飲み込めないままハンドルを握り直した若者は、一瞬ぐらりと車が徐々に前傾して、ヘッドライトが真下の道路を照らすのを見た。がくん、と大きく揺れて車が前に一〇センチばかりずれた。短い強烈なGが若者の恐怖を呼び覚ましたが、いくら運転技術が自慢の若者でも、十数メートルの高さで宙吊りになった車を安全に着地させる方法は知らなかった。若者はハンドルを握りしめたまま、絶望的な悲鳴を上げつつ迫り来る地面を見据えていた。
 突然ひび割れから生じた巨大な壁の向こうに車が墜落したとき、駐車場の中も阿鼻叫喚の絶望に満たされていた。唯一の出口を塞がれた車や原付が立ち往生するなか、ひび割れから持ち上がった巨大な柱が、まっすぐコンビニの建物に叩き付けられた。既に照明の消えていたガラス張りの建物が、折り紙を畳むように跡形もなく拉げて失せる。若者達はさっき上げた嬌声も忘れ、悲鳴すら押し殺してただ無事を願った。やがて、一台のオフロードバイクが、業を煮やして僅かな隙間に乗り出した。多少の悪路でもこのマシンなら乗り切れると踏んだのである。その試みは半ばまで成功し、車の若者達の羨望と憎悪を生んだ。だが、そのバイクも生き残るには決断が遅すぎた。いや、出るべき方角を間違えたと言うべきだろうか。彼は、山の方角にある道路ではなく、反対の崖の方へ走るべきだったのだ。もちろん青年の技量で崖下まで行き着ける可能性は少なかっただろうが、それでも絶望に足を突っ込むよりはましだったろう。
 バイクは後少しで道路に出られる、という瞬間、突然後輪がスリップして横倒しになった。投げ出された青年は、何がどうなったのか判らないまま尻餅をつき、今やなめらかにはほど遠い駐車場に半身を起こした。その身体に、地割れから湧き出たスリップの原因が、黒光りした背中をゆすりながら、左右等間隔に並んだ二三対の足を蠢かせて、服の上から次々と這い上がってきた。
「ぎゃっ!」
 青年は慌てて立ち上がり、分厚いグローブで足元をはたいた。が、ほどなくふくらはぎに、骨まで針を突き刺したような激痛が走った。足に力が入らなくなって手を突くと、その手にも長さ一五センチくらいの禍々しき生物兵器が次々とはい上がってくる。ひいっ! と息を飲んで手を振り払ったときには、先陣が既に首元まで這い上がり、フルフェイスのヘルメットの隙間から、顔の方に這い上がってきた。後続も服の隙間から内側へと滑り落ちる。
「た、助けてくれ!」
 バイクの青年は、体中を襲う激痛に半狂乱になりながらも、なおも立ち上がって車の若者達に助けを求めようとした。既に地面は立錐の余地のない程に百足のはい回る世界になっており、その百足達が次々と青年の身体に這い上がっては、思い思いの場所にその毒牙を突き立てる。二歩、三歩とよろめくように手近な車に歩み寄った青年は、そのままばったりとボンネットの上に倒れ込んだ。その拍子にヘルメットのフェイスガードが開き、中の様子が車のアベックに見せつけられた。
「ひひゃぁあぁっ!」
「キャーッ!」
 既にその顔は毒で膨れ上がり、頬の肉がそげ落ちて、白い骨が露出していた。白目を剥いた目の内側から、透明な漿液をまとってぬらぬらと濡れる百足が現れたのを見て、助手席にいた娘は気を失った。男は突然電気に当てられたようにびくっと震えると、思い切り今まで口にしていた炭酸飲料やスナック菓子の混じった胃液を、自分の膝の上にぶちまけた。そのまま必死でギアをバックに入れ、アクセルを思い切り踏み込む。だが、案に相違して車は後ろに下がらなかった。前輪が百足の身体でスリップし、空回りするばかりなのだ。それでもバイクの青年をボンネットから振り落とすくらいは出来た。一瞬だけ、男は心からほっと息をなで下ろす。その瞬間、コンビニエンスストアを全壊させた巨大な柱が天高く振り上げられ、凄まじい勢いで駐車場の車を払いのけた。背の高い四輪駆動車が、あっさりとつぶれ、駐車場の端まで吹っ飛ばされた。背の低い乗用車も、ついでに運転手の頭ごと、屋根の部分が引きちぎられる。運良く生き残った者達も、ほんの数秒永らえた命を、耐え難い恐怖と苦痛の中で、悲鳴を上げ続ける以外に為す術を知らなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10.大怪虫 その3

2008-04-27 20:37:53 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 午前二時。畝傍山山頂からじっと西を見つめていた加茂野美里と鬼童海丸は、今そこで繰り広げられている光景に我が目を疑った。良く晴れた満月の空が、東の方から急激に低くたれ込めるどす黒い雲に浸食され、漆黒の闇に閉ざされていく。同時に二上山が、葛城山が、そして金剛山が、この連なった山並みが激震と共に崩れていき、やがて、金色の燐光を放つ一匹の百足に変化していくのが見えるのだ。複雑に左右へ刻まれた谷と谷の間の稜線は、皆百足の足と変じ、二上山の雄岳、雌岳が崩れると、そこに巨大な二本の触角が蠢き出た。さらに百足は、全身の両脇に生えた千年杉よりも遙かに巨大な足をメカニカルに動かし、残りの山を突き崩していった。鬼童は、ヘリで感じた感想を嫌でも思い出した。自分の想像はある意味正しいところを突いていた。ただ間違ったのは、道路を足にしたアメンボなどと言うような優しい生き物ではなかったことだ。それは、うねりながら山を背負っていた。全長数キロの大百足だったのである。
「あ、あれほどのものだったなんて……」
 さすがの加茂野も初めて目にする相手の常識はずれな大きさに、只目を丸くしてそれ以上言葉を発することが出来なかった。鬼童とて状況はあまり変わらない。智盛の怨霊や南麻布の闇の皇帝など、巨大な化け物は何度も見ているが、もはやそれらが何の比較の対象にもならないものが、一〇キロ先に現れたのである。
「本当に、本当に藤原京のトラップで、あの怪物が止められるのか?」 
「わ、わからない……。でも止めないと、日本は終わりだわ……」
 大百足は、全身にまとわりつく土や岩を無造作に蹴散らした。百足の大きさのせいでほんのかけらにしか見えないが、あの一粒一粒は、優に大型トレーラー並みの大きさと重量を持っていることだろう。その大百足が一体どの方向に動くのか。少なくともまっすぐ東に来てもらわなければ、せっかくの切り札も不発に終わる。と、百足の頭がぐいと西に振れた。大阪から神戸に連なる人工の天の川に誘われたのであろう。
「そっちに行っちゃ駄目!」
 思わず加茂野が叫んだ時、破壊された南大和自動車道と大百足が接触する辺りに、小さな閃光が二つ瞬いた。
「来た!」
 加茂野が再び鋭く叫んだ。一旦は西に振った大百足の頭が、その閃光の瞬間、ぐるりと巡って南の方角を向いたのだ。同時に山々に乗る身体が全体に前に動いた。左側に並んだ足が西名阪道に突き刺さり、鉄筋コンクリートの橋脚を、濡れたティッシュペーパーよりもあっさりと引き裂いて倒壊させる。疾走していた車がその足に激突したのだろう。一瞬紅蓮の炎がその足元にちらつき、黒い煙がまとわりついているのが見える。更にぴかぴかと真っ白な光がはじけているのが見えるのは、道路と並行して走る近畿日本鉄道の架線が断線し、ショートしているのだろう。もちろん百足がその程度の衝撃で痛痒を感じるはずもない。無造作に鉄道の線路や枕木までも踏み砕くと、そのまま東南に向いて動き出した。そんな阿鼻叫喚の最中、半壊した南大和自動車道を、小さな光が二つ、こちらに向けて疾走してくるのが見える。大百足の注意を引くことに成功した麗夢が、愛車を飛ばして戻ってくるのだ。巨大な百足は、かつての二上山南麓を起点に大きく体を曲げ、少しずつ身体を大和盆地へと移し始めている。身体の後半部分は、まだ崩壊した葛城山脈の上を行進中であり、その一歩一歩が山を砕き、谷を埋め、大阪と奈良の境界を蹂躙していく。頭の部分は徐々にスピードを上げながら、麗夢の車目がけ、斜めに大和盆地を横切ろうとしているのだ。
「速く、もっと速く走って! 追いつかれたらそれまでだわ!」
 百足のコース次第では、この畝傍山も跡形もなく粉砕されるかも知れない。だが、鬼童も加茂野も、自分達の運命を考えようとはしなかった。それよりも、暗夜の無人道をひたすら疾駆する一人の少女に全てを託し、ただひたすらに祈り続けていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11.切り札、起動! その1

2008-04-27 20:37:31 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 たった一人、こうして誰もいない真夜中の高速道を走っていると、自分がここで何をしているのか、判らなくなってしまいそうになる。いつも一緒だった相棒達も、今は離れた天香具山に立っているはずだ。かけがえのない仲間達も、それぞれの役目を果たすため、ちりじりになって手の届くところには居ない。
 ハンドルを握りながら、麗夢は自分の使命を反芻する。この時に居合わせた夢守として、文字通り、命を懸けてあの怪物が醸し出す悪夢を撃ち破らねばならない。法隆寺夢殿で見た通り、「原日本人」という幻想の悪夢に取り憑かれた者の目を覚まさせねばならない。
 麗夢が夢殿で垣間見たのは、この奈良という土地を巡る争いの歴史であった。ここは、原日本人と自称する人達と、その人達が侵略者と呼ぶ人達とが本格的に相争った土地なのだ。時に凄惨に、時に陰湿に、ごくまれに譲り合い、ほとんどが奪い合い、多くの血と涙を呑み干してきた呪われた土地。次々と外から人が訪れては、その都度塗り変わる勢力図。離合集散を繰り返し、いつ果てるとも知れぬ主導権の争奪戦。結局、原日本人という言葉は、そう唱えた者が信じ込んでいる幻想に過ぎなかった。日本とは、南北より渡ってきた様々な人種が混じりあう、混沌のるつぼだったのだ。これでは誰が最初の日本人であり、この島国の正統継承者であるか、一体誰に決めることが出来るだろう。麗夢の先祖、夢守もまた、そうして渡ってきた人種の一つに過ぎない。人の基本的な遺伝情報と同じく、夢守にも夢の遺伝子とでも言うべき変わらない部分があるのかも知れない。しかし、何千年もの間混血を続けた我々現代人は、全員がほぼ同じ遺伝子を共有している。その中には、北方系から南方系の様々な遺伝子が交じり合い、我こそは原日本人、と主張した多くの人種のデータが、二重螺旋構造を構成する四つのアミノ酸によって織りなされている。夢守の遺伝子もきっとその中に混じっていることだろう。人は皆、夢を見ることが出来る。それは、そうして拡散した夢守の遺伝子によるのかも知れない。そして、その真の力に目覚め、人々の夢を闇の浸食から守る為に闘う、そんな気高き精神を共有した人々が、夢守という『原日本人』なのだろう。
(だからこそ松尾もどきさんの暴挙は止めなければならない。原日本人などというまやかしの悪夢を醒まさなくては)
 麗夢は、次第に迫る西の山並みをじっと見つめた。北の端、フタコブラクダの様に見える二上山がゆっくりと割れ砕け、葛城山から金剛山に至る山の連なりが、遠雷のごとき地響きを奏でながら、崩壊していくのが見える。山肌へ複雑に描かれた数多の谷筋が消し飛び、身動きできずに埋まっていた足が次々と蠢き出す。二上山から触覚が立ち上がり、独特の平べったい頭がその下から持ち上がってきた。麗夢は、既に未来記で見せられた光景だけに、今更その景色に驚く事はない。それでも、葛城山脈その物に封印されていた全長七キロというけた外れに巨大なものが、明確な悪意を抱いて生まれ出る様は、やはりまともな神経で眺めてなどいられそうにない。麗夢は思わず失笑したくなるのを堪え、生まれ出た大百足を、それこそ一挙手一投足まで見逃すまいと睨み付けた。どうやら百足は、二上山に頭、葛城山に胴体前半部、金剛山に尻尾の部分と三等分になっていた。これは、この葛城の地に伝わる古えの土蜘蛛の話を裏付ける形だ。だが、頭の大きさだけで優に数百mを超えるその姿はまさに山その物。もし伝説の通りだとしたら、古代人達は一体どうやってこれを三つに断ち割り、それぞれ別の山に埋めたのであろう。
 この巨大さの前では、人間の営みなどまさに巨象の足元でせわしなげにはい回る蟻よりも目立たないだろう。だが、と一方で麗夢は思う。そんな小さな一粒一粒の中にも、かけがえのない世界が息づいている。大きい者が、力のある者が、それを蹂躙し、破壊していいなどと言うことは絶対にない。それをあくまで押し付けるというなら、全身全霊を賭けてその試みを阻止するのみである。
 麗夢の意識が、目の前の終末模様から未来記の衝撃的ラストシーンへとふと飛んだ。あの予言が成就すれば、恐らく自分はもうアルファ、ベータや円光、榊、鬼童といったかけがえのない仲間達と再び会うことはかなわない可能性が高い。遠く背後の三つの山に分かれた仲間達に、はっきりさよなら、と告げずに来たことを、ほんの僅か後悔する。それでも、これはやり遂げなければならない。今この時を迎えた夢守として、使命を果たさねばならないのだ。麗夢は刹那背後の山々に意識を振り、その上で改めて決意した。ラストをどう迎えるかはこれからの行動次第。喩え万に一つの可能性すら見えなくても、微かな希望があるならそれに賭けるのみだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11.切り札、起動! その2

2008-04-27 20:37:23 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 麗夢の決意を待っていたかのように、山を崩して現れたまましばし休止していた大百足が、遂に動き出した。かつて金剛山と葛城山だった部分が、頭を求めて前に動き出す。凄まじい轟音と土煙が上がり、辛うじて残った山の稜線を、途方もない大きさのブルドーザーが押し分けていくように突き崩していく。そして、遂に身体の先端が二上山で待つ頭に届いた。その後ろから尻尾の部分が押し寄せ、間に挟まる山を絹漉豆腐のようにあっさりと圧潰させる。そして再び百足の動きが止まった。が、百足の全身からあふれ出す凄まじい瘴気が急速に広がる黒雲となり、この奈良盆地を蓋するように空を覆い尽くしていく。不穏な気が濃密に集まり、麗夢は、既にこの空間が現実世界と魔界とが混沌と入り乱れる境界に変化したのをその肌で感じた。百足が分断された肉体をつなぎ合わせ、かつての力を今まさに取り戻しつつあるのだ。その復活の儀式を祝うように、この世ならざるものがあちこちから湧き出てきた。競争に敗れ、表舞台から退場した数多の古き魂達が、その眠りを醒まして百足の頭の上で歓喜の輪舞を舞い始めた。
 その一部が、寸断された西名阪道を走る車達にちょっかいをかけているようだ。白く彗星のように尾を引く醜悪な鬼達に、突然正面から襲われた長距離トラックが、ハンドル操作を誤って防護壁に激突する。時間が時間だけにさほど多くの車が走るわけではないが、それでも東から西に向かう車が次々と犠牲になって、西名阪道に残骸を晒していく。いち早く異変に気づいたのだろうか、一台の車が急停車し、逆走して逃げようとしたたが、幾程も行かない内に東から来る車と衝突し、停車したところで仲良く鬼達にとどめを刺された。その様子を遠望しながら、今は何もできないでいるのが麗夢には何とももどかしい。恐らく百足の西側でも同じ様な事態が生じているに違いない。だが、この正面の本体をどうにかしない限り、今は手の打ちようがない。麗夢はしっかりとハンドルを握って、不運の災難に見舞われた人々のせめてもの無事を祈った。
 やがて、麗夢のプジョーは高田川の上まで辿り着いた。一旦車を止め、目の前に迫った巨体に目を凝らす。百足本体まではまだ二キロ以上ある。その足が確かに道を断ち割り、巨大な壁と化してふさがっている。さてどうやって注意を引いたものか、と麗夢が考える間もなく、百足の頭がぐいと西側に向いた。
(しまった! 大阪の灯に惹かれているんだわ!)
 山を挟んで奈良側と大阪側は、まさに夜と昼と言っていいほど明かりの数が違う。午前二時という時間帯はさすがに大阪も暗くはなるが、それでも真の闇に埋もれる奈良側と比べると、その灯は天にかかる天の川に匹敵する多くの光源を有している。あれが大阪の中心街に突っ込んだら……。麗夢はその戦慄する想像に怖気を振るった。あんな巨大なものに蹂躙されれば、現代文明を象徴する超高層ビルも高速道路網も、幼児が積み木を崩すよりも容易く跡形無く整地されてしまうだろう。大阪自慢の地下街も全て埋め尽くされ、沿海部の軟弱な地盤は海没して永遠に失われるかも知れない。まさに、数千年前の状態に強制的に修正されてしまうのだ。
(何とかしないと!)
 麗夢は再び車を発進させた。うまくいくかどうか判らないが、愛車の特殊装備をフルに活用し、自分がここにいる、と言うことを百足に教えてやらねばならなかった。そのためには危険を冒してでももう少し近づき、自分の射程内に百足の身体を引き込む必要があった。麗夢は更に二キロ車を百足に寄せた。もう目の前は百足の足と見上げるばかりな身体の一部しか見えない。麗夢は一旦車を方向転換すると、特殊兵装のスイッチを入れた。
がしゃん! とメカニカルな音と共に、車体後部から大きな円筒がせり出してきた。同時に今まで沈黙していた運転席のパネルに灯がともり、準備完了の表示が瞬いた。
「これで気づいて頂戴!」
 麗夢は全ての発射ボタンを押した。
 空気が噴出する音が七回麗夢の背後で唸り、白煙を残して七発のロケット弾が発射された。それぞれがやや不安定な軌道を描きながらも、確実に目標に向かっていく。霊波追尾式誘導弾が目指した先は、まだ色も新しい百足の接合部分。恐らくその表皮は鎧の如き硬い皮膚で覆われ、喩え貫通力の高いミサイルの直撃でさえ、百足は何ら痛痒を感じることはないだろう。だが、再生したばかりの接合部分は、まだ充分な強度を持っていないはずだ。ロケット弾は更に飛翔し、麗夢のもくろみ通り次々とその破壊エネルギーを百足の身体にぶちまけた。
 危険を感じた麗夢がプジョーを急発進させる。と、一瞬遅れて百足の巨大な身体が乱暴に蛇行し、次々と山や道を突き崩した。一端西に首を振っていた大百足の頭が、ゆっくりと反対側の足元に向けられた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11.切り札、起動! その3

2008-04-27 20:37:17 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
(見つけたぞ!)
 バックミラー越しに大百足と目を合わせた瞬間、麗夢の頭に強烈な意志が叩き込まれた。軽いめまいを覚えながら、麗夢はありったけの声を張り上げて百足に言った。
「ここよ! 貴方が必要とする者が、ここにいるわ!」
 大百足は、崩壊して高さが三分の一ほどに減じた葛城山脈を、頭からゆっくりと降り始めた。その足元で時折閃光が走り、黒煙の立ち上るのが遠望される。近くを走る近畿日本鉄道南大阪線の架線が寸断されたか、車などが破壊された為かも知れない。百足の頭が平地に降り立ったとき、身体はまだ葛城山脈をぞろぞろと北上している。蛇のように鎌首を上げて一挙に方向転換することが出来ないらしい。もしそんな真似をされたら一瞬で追いつかれて終わりだった、と麗夢は軽く冷や汗を浮かべる。百足は麗夢の進行速度を読んだのか、まっすぐ東南の方角に進み出した。ひたすら真東に逃げる麗夢を、途中でイの字型に押さえようと言うのであろう。宙を舞っていた鬼達も、麗夢の車に追いすがってきた。さすがにこちらは空中を飛ぶだけに追いつくのも速い。麗夢は全身の神経を研ぎ澄まし、左斜め後方を埋め尽くす百足の速さを計りながら、全自動迎撃システムを稼働した。フランスの闇の名工、ジェッペットがアレンジした対妖魔専用のイージスシステムである。足元の左右で機械が作動した低い唸りが響き、カシャン、とシャッターの開く音が響く。途端に少し空気抵抗が増し、震動が増えスピードが僅かに鈍る。外から眺めれば、ドアの下から両側に厳つい銃身が二丁、せり出しているのが見えているはずである。七・六二粍バルカン砲。魔の眷属に対しても威力が発揮できるよう、先端に十字の切れ込みを入れた特別製の銀弾を高初速で発射する事が出来る。念のため左の懐から愛用の銃も取り出して置く。愛車同様ジェッペットの手で強力にチューンアップされており、バルカン砲と同様の呪術を施した銀弾が、マンモスでも倒すという折り紙付きだ。そんな準備が終わったところに、さっそく一匹の鬼が舞い降りてきた。さっきまでいたぶっていた夜行トラック同様、正面に回り込んで超低空で衝突コースを飛んでくる。
 ダダダッ!
 それは、ごく短いほんの〇・一秒程度の事に過ぎない。だが、車体全体にかかる震動が止んだとき、正面から迫っていた鬼の姿が跡形もなく消し飛んでいた。続けて左右から一匹づつ、彗星の光芒を引きながら二匹の鬼が飛んでくる。運転席のモニターパネルに光点となってその動きが精密にトレースされ、間合いに入った瞬間、バルカン砲が瞬間的に左右へ開き、再び短時間の掃射を行った。狂ったバランスは、すぐに内蔵コンピューターの支援で自動的に補正される。鬼の未来予測位置に寸分の狂いもなく叩き込まれた数発の銀弾が、狙い過たず鬼の姿を引き裂いた。モニターパネルの光点が消え、新たな光点がその画面端に複数点灯する。麗夢の車が只の乗用車でないことにようやく気づいたのであろう。今度は八方向より包み込むように鬼が迫る。イージスシステムはその一匹一匹の動きを捉え、瞬時の判断で無造作に銃身を左右に振った。短い連射が左右あわせて八回。鬼の姿が空から一掃された、と思った瞬間、イージスシステムの脇に警告灯が点灯し、麗夢に注意を促した。こちらが左右に気を取られている隙に、同時に一匹が直上から突っ込んできたのである。麗夢は咄嗟に右手を上に上げた。もう鬼の顔が目の前に迫り、勝利を確信した醜悪な笑みでゆがんでいる。その鼻面に、麗夢は銃口を押し当てるようにして引き金を引いた。
 間一髪、頭を吹き飛ばされた鬼が、反動で車の後ろにはじき飛ばされる。さすがに鬼共もこの重装備振りに警戒したのか、残った数匹は遠く離れて様子をうかがっているようだ。少し安心した麗夢は、左斜め後ろに目をやった。
「きゃっ!」
 慌ててハンドル操作を誤まるところであった。さっきあれほど遠くにいた大百足の顔が、もうほんの際の所に迫っていたのだ。麗夢はうっかりしていた。大百足は後ろの身体をひたすら北に動かし、二上山を起点に大きく東南に方角を変えていた。その屈曲点がネックとなって、スピードが上がらなかったのである。だが、もともと百足という生き物は、直線では猛スピードで走ることが出来る。二三対四六本の足を器用に動かし、一本一本は僅かな力を無駄なく合わせて、その姿からは想像できない高速を発揮することが出来るのだ。
身体の後半まで屈曲点を通り過ぎてしまえば、後はひたすら東南に走るだけとなる。途中の民家や鉄道などは何ら障害にはならない。今や大百足は勝利を確信して、スピードに乗った身体を高田バイパスの高架にぶつけてきた。山その物の大百足に体当たりされた高架橋は、麗夢の目の前で全く抵抗できずに崩れ落ちた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11.切り札、起動! その4

2008-04-27 20:37:09 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 そのまま勢い余って百足の身体が走り過ぎる。数百メートルに渡って破壊された高架橋を目前にして、麗夢は一段とアクセルを踏み込んだ。緊急用ターボチャージャーが作動を開始し、瞬間的にエンジン出力を一五%程アップする。身体がシートにぐんと沈み込み、やもするとハンドルを持つのさえ一苦労である。それでも麗夢は、最後の兵装を起動させた。スピードに乗った車が見る見るうちに今も東南に進行を続ける百足の肉体に迫り寄る。もうぶつかるしかない、と言う瞬間、麗夢の車から接地感が失せ、あれほど響いていた震動が消えた。ホバリングシステムが地面の代わりに空気をつかみ、プジョーの車体を浮き上がらせたのである。プジョーはそのまま破損した高架橋からジャンプし、百足の身体を飛びすぎた。一瞬、百足の後ろの角に引っかかりそうになったが、危うく避けてまだ健全な向こう側の高架橋に着地した。二度三度とスリップするのをカウンターをあてて乗り切った麗夢は、最後の数百メートルを走りきり、そのまままっすぐ藤原京祉へと飛び込んだ。今度は右を注意しながら、車を降りて鏡と共にその場に置いた剣の柄を取り上げる。麗夢は右手にその柄をしっかりと握りしめ、百足の方を向いて、深く息を吸い、またゆっくりと吐いて呼吸を整えた。
「さあ、これで最後だわ。覚悟なさい!」
 一方、麗夢が車から離れたのを見て、様子を見ていた残りの鬼達が急降下して麗夢に迫った。それを無視して百足の頭だけを見つめた麗夢は、そのまま静かに目を閉じた。力と熱が身体の内より膨れ上がる。風もないのに腰まで届く豊かな碧の黒髪が揺らめき、やがて、まるで足元からのゆっくりとした空気の流れをつかみ取ったかのように、幾つかの束に別れながらふわりと広がり宙を舞った。それは、まさにメドゥーサの頭にも似る、蛇の鎌首その物の姿だった。劣情に支配された鬼達も、さすがにその変化は感じ取った。だが、相手は只の一人。他の奴らに一番うまい部分を取られてはなるまじ、と、鬼共は先にも増して急速にその乙女へと押し寄せる。すると麗夢はゆっくりと目を開け、剣の柄を逆手でしっかりと握りしめた。
「はあぁぁあぁっ!」
 徐々に高まりつつあったエネルギーが、麗夢を中心に急激に膨れ上がった。爆発的な広がりがまぶしき光となって、藤原京祉の草原を白く染め上げる。半球状に高まった強烈な力が、もう触れるばかりに近づいていた鬼達を呑み込み、あっという間に消滅させた。
 やがて、麗夢のトレードマーク、紫のマント、ピンクの上着、赤いミニスカートが次々に光の粒子となって弾け飛んだ。同時に赤いティアラが額に浮かび、その中央に聖なる光を宿す青い宝石が輝き出した。華奢な首を黒いガードが取り巻き、オレンジに縁取られた赤いアーマーが両肩に張り出した。同じオレンジの縁取りが、胸の中央で蝶の触覚のように上下左右に伸びる。ピンクの薄い布地がその間を埋め、ビキニプロテクターを形成した。腰にも同じ縁取りの、赤いビキニボトムが現れる。膝に赤いアーマーが伸び、ふくらはぎがピンクの布で柔らかに覆われる。赤と黒のツートンであしらわれたブーツがその足を包み込み、手首にティアラと同じ質の赤い幅広のブレスレットが現れ、四つの青い宝石が輝いた。肌も露わな妖艶なる夢の戦士、ドリームガーディアンの降臨である。同時に手にした剣の柄から、魔白き光を放つ刀身がすらりとのびた。八握剣(やつかのつるぎ)がその力を開放したのである。
「さあ、こっちにいらっしゃい!」
 麗夢は剣の柄を握りなおし、大百足の襲来を待った。タイミングを合わさなくてはならない。早すぎれば危険を察知した大百足が逃げ、遅すぎれば藤原京の力が発動する前に、自分はあの巨体に為す術もなく蹂躙されて終わるだろう。大百足が絶対回避不可能となり、しかも藤原京の力が最大限に発揮されるタイミングを取らなければ、全てが無に帰するのだ。迫り来る巨神、大百足の巨大な顔が、畝傍山と天香具山の間を走り抜けた。そのまままっすぐ恐るべき速さで走り寄った百足は、大きくその口を開けて猛烈な毒を持つその牙と顎で麗夢を一のみにしようとしたその瞬間!
「藤原京、起動!」
 麗夢の叫びが百足の轟音を貫いて、三山の仲間達の耳に届いた。いや、それは心に響いたのかも知れない。その瞬間、突然光の網が浮かび上がり、大百足の身体に絡みついた。天を覆っていた黒雲が、まるで栓を抜いた風呂の水のように、逆円錐の渦を巻きながら、麗夢の居た藤原京祉中心部に吸い込まれていく。地上で網にかかったのは大百足の頭と身体のほんの二、三節に過ぎなかったが、突如として開いた暗黒の穴に堕ちたまま、上がってこようとはしなかった。地上に残った身体は必死に地面にしがみつこうと残り四〇本あまりの足を総動員して踏ん張ったが、吸引する力は明らかに百足を上回った。山上の四人と二匹はほとんど信じがたい思いをしながら、抵抗できずに奈落の穴へと引きずり込まれて行く百足の身体を見送っていた。やがて、最後の足が地上を離れた。空中に辛うじて残っていた黒雲が同時に地上へと引きつけられ、回転しながらその穴に吸い込まれていった。百足の後ろの触手が苦しげに振り回されたのが、山上から見えた出来事の最後であった。やがてそれすら見えなくなった瞬間、全く唐突に藤原京祉は元の何もない草原に戻った。同時に、アルファ、ベータ、そして円光は、忘れる事なき麗夢の気配を見失った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12.夢守のきずな その1

2008-04-27 20:36:46 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 凄まじい衝撃は、瞬間的に全てのことを忘れさせてしまうらしい。麗夢はようやく浮上した意識の中で、自分が誰で、一体何をしているのか、全く思い出すことが出来なかった。耳をつんざく轟音が、全身を揺るがすほどに鳴り響くかと思えば、逆に音という存在がまるで消滅したかの様に静けさが増す。何かに身動きできぬよう縛り付けられた上、次々と肌にぶつかってくる痛みがあるかと思えば、何も支えるものもないまま、宙に浮いているような感覚にも囚われる。目は衝撃で麻痺したのか、何も見えない闇に染め上げられている。時折ぴかっと閃光が走るようにも思えるが、注意してみる間も無くそれは消えてしまい、はたしてさっき本当に光を見たのかどうかさえ怪しく感じられる。全体として、どうやら下へ下へと落ちているようだとは思ったが、さりとてそれもまた信じて良いかどうか迷う感覚だ。今、耳元で、実は上昇しているのだよ、と誰かに囁かれれば、ああそうか、と納得してしまうくらい、自分の感覚があやふやだった。それでもようやく自分を取り戻しつつあったのは、耳元で小さくつぶやくように聞こえるある声に気が付いたからだった。
『麗夢、麗夢』
(れむ? ……ああ、私の名前だ)
『麗夢、起きなさい、麗夢』
(誰? 私の名前を呼ぶのは……)
『麗夢起きて。麗夢、麗夢!」
 はっと麗夢は目を開いた。あの声! 遙か昔に耳にした、けして忘れないあの声! それは、母の呼び声だ。
「ママ、ママなの?」
「麗夢、ようやく目を覚ましてくれたのね、良かった」
 声は聞こえる。だが、目はやはり完全な闇の中だ。おまけに手足もしびれているのか、感覚がない。麗夢は焦りを覚え、母の声を求めた。
「ママ、ママ、私目が見えないの! ママ!」
「落ち着いて聞いて麗夢。貴女は今、死に向かって堕ちている途中なの」
「死に向かって堕ちる? どう言うことなの、ママ!」
「でも心配しないで。貴女を慕う大切な仲間がきっと貴女を生の世界に引き上げてくれる。麗しき夢を守る定めを背負った私たち夢守も、貴女が堕ちるのを止めるために力を貸しています。どれか一つでいい、その手に捕まって頂戴。いいわね麗夢。負けちゃ駄目よ!」
「ママ、待って! ママ!」
「生きて頂戴麗夢、貴女には、まだしなくちゃいけないことがあるんだから……」
「ママ! ママ!」
「麗夢、私の可愛い娘……。お願い、絶対諦めないで……」
 次第に声が小さくなり、遂にいくら耳を澄ませても聞こえなくなった。
「ママーっ!」
 麗夢は必死に手を伸ばそうとし、ようやく右手だけ感覚が戻ってきた事に気が付いた。その時である。
『夢守よ……、またもやしてやられたわ。我は今一度根の国に還る。だが今度はお前も共に来るがいい』
「誰!」
 深みのある低い男の声が頭に鳴り響いた。だが、男は麗夢の誰何などまるで気に留めることなく、更に言葉を続けた。 
『よいか夢守。我は再び力を蓄え、もう一度この黄泉比良坂を逆登り、葦原瑞穂国に災いを振りまこう。それまでお前は我と共に在れ。我と一つになり、再び立つその時まで、根の国で心ゆくまで睦むといたそうぞ』
 一瞬の閃光が瞬いた。その瞬間、麗夢の目は、確かにその姿を捉えた。まるで大きな湖を見ているのかと錯覚するほどの眼が、手の届きそうなところで麗夢を見下ろしている。途端に麗夢は全てを思いだした。そうだ! 自分はあの藤原京址で、天武天皇が仕掛けた秘法を開く鍵となり、あの、原日本人の悪夢の結晶、空前絶後の大百足と共に無間の迷宮に吸い込まれたのだった。改めて見ると、自分の身体は、ドリームガーディアンの戦闘衣装のまま大百足の口の端に粘性のある糊のような体液でからめ取られ、身動きできなくなっていたのである。
「は、離して!」
『いいや離さぬ。我が再度の復活を遂げるには、お前の夢守の力が必要なのだ。我と一つになれ夢守。そうすればこの世の全てが手に入るぞ』
「絶対いや! この世の全てなんか欲しくないわ!」
『この坂を下りきればそこは根の国。時が意味を失う死の世界だ。ゆるりと二人、永久の語らいを楽しもうではないか』
 その時、再び白く明るい光が麗夢の側で瞬いた。その光の中に、白い華奢な手が見え、麗夢の右手に届いた。
「捕まって!」
 手から発するエネルギーが、麗夢を束縛する粘液の一部を蒸発させる。だが、次の瞬間には手が見えなくなり、再び闇が麗夢の目を染める。
「捕まって!」
 また白い光が瞬いて、さっきと同じ様な手が麗夢の左肩に触れた。
肩の束縛が消滅し、左腕の感覚が戻ってきた。
三度目は足、四度目は頭の粘液を切り裂く。麗夢は母の言葉を思い出した。
(夢守が、私が堕ちるのを助けるために力を貸してくれている)
『ふむ、要らざる手出しをする者共が居るようだな。だが逃がしはせん。夢守、お前は永久に我と共に在るのだ』
 大百足の意志は、そのまま身体の動きとなって現れた。身をひねるように不断に頭の位置を変え、新たな夢守の手を空振りさせる。
それでも夢守達の手は必死に延ばされ、麗夢の身体は少しずつ自由を取り戻していた。
「さあ、私の手を取って!」
 辛うじて動いた手が、その白い光の中の手に伸びる。が、すんでの所で大百足が大きく頭を振りかぶり、麗夢の左手中指の爪が、相手の手を軽くひっかいただけで終わった。もう少しだ、と麗夢も必死に手を伸ばし、身体の束縛から抜け出ようともがく。どこまで堕ちるかは判らないが、堕ちきってしまえば万事休すである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12.夢守のきずな その2

2008-04-27 20:36:38 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
『諦めろ夢守、諦めるのだ』
「頑張って! 絶対諦めちゃ駄目よ!」
 触れ損なった手も触れることが出来た手も、皆同じ励ましの言葉を忘れなかった。そのたびに、麗夢はやもすればくじけそうになる自分を支え、誓いを新たに歯を食いしばった。そうだ。ママも負けたら駄目だと言ってたではないか、絶対諦めない。必ず生き返ってやる!
 どこまで続くか知れぬ無限の墜落の中、夢守達と原日本人の悪夢との闘いは、果てしなく続く。 
 
 そのころ……。
 その瞬間、鬼童は確かに麗夢の身体が四分五裂に引き裂かれたのを見た気がした。その様子が、超高速スローカメラで捉えた分解写真のように鬼童の脳裏に刻みつけられ、絶望と耐え難い喪失感に自分も絶叫したのを覚えている。だが、今その痕跡は何もない。そう、まるで夢のように……。
「何をしているの! 今こそ貴方が踏ん張らなくてどうするのよ!」
 突然鬼童は現実に立ち返った。麗夢喪失というあまりな衝撃の大きさに、神経が麻痺してしまっていたようだ。
「榊警部やあのおちびちゃん達、それに円光さんもまだ諦めずに踏ん張っているのよ! しっかりなさい!」
 加茂野の叱責は、取りあえず鬼童を理性的に考える事が出来る状態にまで引き戻した。鬼童は両肘を突いたままの姿勢で、加茂野の方に振り向いた。
「僕は……僕はどうしたらいいんだ?」
「祈るのよ! 彼女が無事帰ってくるように!必死に祈って!」
「しかし……」
 鬼童は眼下の暗い藤原京祉を見、また自分の手を見て、自信なげに言った。
「僕は見たんだ。麗夢さんが瞬く間に全身を引き裂かれるのを……」
 鬼童は、人並みはずれた自分の記憶力を、この時ほど疎ましく忌み嫌ったことはない。がっくりと腰を落として跪いた姿勢のまま、鬼童は自分の両手の平を見つめ、力無く呟いた。だが、加茂野美里は容赦なくそんな鬼童に罵声を叩き付けた。
「さっき貴方が言ったじゃない! 悪あがきだけは誰にも負けないって! 貴方が実験材料としてではなく、本気であの子を大切に思う心を持っているなら、その悪あがきで奇跡が起こるはずよ!」
「でも麗夢さんは……、こんな僕を、親友を見殺しにし、その成果を自分のものにしてのうのうと生きている僕を、許してくれるだろうか……」
「許さないわ! 私は!」
 一段と大声を張り上げた加茂野に、鬼童はびくっと肩を振るわせた。
「でも貴方は私が一番大事に思っていた人が、あの松尾亨が一番頼りにしていた人なのよ! 貴方には、彼の生きていた証を守り続ける義務がある! こんなところでくじけたりいじけたりするような男を彼が信頼していたなんて、彼に対する冒涜よ!」
「松尾への責任……」
「貴方には、松尾亨の後継者として、あの子を救い、夢の研究を完成させる義務があるの。それが彼への責任をとる唯一の方法なのよ! さあ、立って!」
「でも、麗夢さんが……」
「馬鹿っ! 大事なのは貴方があの子にどう思われているかじゃなくて、貴方があの子をどう想っているか、よ! 諦めたら駄目! 自分の本当の気持ちを信じて!」
 自分の本当の気持ち……。鬼童は夢隠村で円光と交わした言葉を思い出した。円光は言った。麗夢への想いは実験材料としてか、と。そして僕は答えた。これは、これは……。
 鬼童は一旦目をつむり、両膝に力を込めて立ち上がった。そうだ。恋は理屈ではない。得意の超心理学でも解明できない、永遠の謎だ。だが、これほどまでに自分の心をときめかせ、不安にもさせる心のデバイスは他にない。自分の思いを、あの人を大切に想うこの気持ちを、無くしていい何て事があるはずがない!
 鬼童は目を開いた。確かに自分は麗夢の肉体が砕け散るのを見た。だが、その最後を確かめたわけではない。奇跡が起きるというなら、松尾の未完成論文を完成に導く為の一つのパーツとして、その奇跡を観察し、データを集めなければ。
「祈ればいいんだな、ただひたすら麗夢さんの無事を」
「そうよ! 祈るの。失われた人のことを思い、ひたすら無事に帰って来てと祈ればいいの!」
「判った。賭けてみよう。奇跡に!」
 鬼童は改めて目をつむり、消えてしまった麗夢の帰還を心から願った。やがて、円光の、榊の、アルファ、ベータの、そして鬼童の、三人と二匹の本気の祈りがシンクロし始めた時、大和三山の頂上を結んで、巨大な光の三角形が藤原京祉の上空にかかった。三人と二匹の切なる想いを力の源として、黄泉比良坂への道、根の国に落ち行く麗夢を連れ戻すため、天璽瑞宝十種(あまつしるし みずたから とくさ)の最後の力、生玉(いくたま)、死返玉(まかるかえしのたま)、道返玉(みちがえしのたま)の秘められた力が動き出したのだ。もう鬼童は迷わない。加茂野が言うとおり、自分は永遠に許されることのないだろう。だが、それでいい。許してもらおうとも思わない。何故なら、自分は今も松尾という親友が唯一無二であることを、理屈ではなく理解しているから。松尾もまた、自分をそう思っていることに何の疑いを挟む余地もないことを、自分も知っているから。そして綾小路麗夢という不思議な少女に心から惹かれていることを感じているから。素直に、心の底から感じればいいのだ。本当に大切なもの、本当に愛おしいものが何なのかを。鬼童は今本気でその事を信じることが出来た。奇跡は、起きる、と。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12.夢守のきずな その3

2008-04-27 20:36:32 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 「麗夢(れいむ)、法隆寺に行きたいと申すから連れて参ったが、その後このような夜更けに更にこんな田舎まで出向くとは、一体何の興趣あってのことだ」
 狩衣姿に愛用の弓矢を下げ、平智盛は腕の中の黒髪の麗人に話しかけた。
「智盛様は寝ていらしたらよろしかったのに」
 憂いを含んだ艶やかなまつげが揺れ、深山の人知らず清水を湛える泉のような目が、智盛を見上げる。智盛は覚えず頬を赤く染めながら、わざと怒った風を装って照れ隠しをした。
「おこなることを申すな! こんなところまでそなた一人を行かせるわけにはいかぬ。だが、このような荒れ果てた古の都跡に、何の用があるのだ?」
「大切な務めがござりまする。今はどうか、それ以上はお聞き下さるな」
「ふうむ、まあよいが、雲が出てきたようだ。なるべく早々にな」
 にっこり笑ってこくりと頷くその様子に、智盛は思わず抱きしめたくなるのをじっと堪えた。名にしおう平氏の武者の中でも馬上手で知られる自分が、そんなことで落馬などするわけにはいかない。たずなを握り直した智盛は、気になる空模様を見上げた。さっきまできらめく星々に見事な満月がかかっていた空が、いつしか広がり始めた黒雲に覆われつつある。まるで嵐が来るかのようなどす黒い雲だ。戦人としての智盛の勘が、不吉な予感をかき立てて止まない。これは鎧甲を着用して来るべきだったか、と智盛は軽く悔やんだ。が、充分に鍛練を積んだ愛馬もいれば、手入れを欠かさぬ愛用の強弓も携えている。これだけ揃っていれば、たとえ十二〇の夜盗の輩に襲われようとも、麗夢を守りつつ窮地を脱することも容易いであろう。だがそれにしても、早く引き上げるにこしたことはない。
「どこまで参る、麗夢」
「此処でございます。智盛様」
「何? 着いたか?」
 智盛は辺りを見回した。著しく暗さを増した中で、漆黒の塊に見えるごく低い山が、前に一つ、後ろ左右に一つづつ、闇の中にうずくまっているのが見える。畝傍山、耳成山、天香具山の三つである。どうやら伝え聞く藤原京の真ん中に至ったらしいと智盛は気づいた。
「降ろして下さいまし」
「お、おう」
 智盛は麗夢を降ろし、自分もまた馬から下りて、麗夢と並んだ。
「で、此処で何を致す?」
「待ちます」
「何?」
「半時もせぬ内にその時が参ります。それまでしばし時を待ちます」
「そうか」
 つくづく不思議な娘だ、と智盛は思う。年は自分より下のはずだが、時折遙かに老成した様子を見せるような気がする。そんな時智盛は、一言も返せなくなるのだ。
(そんな不思議なところが、また他の娘と違って好ましいのだが)
 ちらりと月の光を跳ねる美しいつむじを見ていた智盛は、すっとこちらに振り向いた目に、大慌てに視線を逸らした。
「智盛様、お願いがございます」
「な、何だいきなり」
「智盛様、今宵私が待っておりますのは、身の毛もよだつ恐ろしき変化にございます」
「変化、だと?」
 智盛は、思いもよらぬ麗夢の言葉に、しばし頭が混乱した。
 「その変化は、未来の私を捉え、死の国に連れ去ろうとしております」
「麗夢、そなたの申すことが良く判らぬぞ」
 どうも今宵の麗夢の言うことは理解に苦しむ。智盛は困惑したまま麗夢を見下ろした。すると麗夢は、深々と頭を下げて、智盛に言った。
「お聞き下さい。もし智盛様が御助勢下されば、あるいは未来の私めを助けることが叶うやも知れませぬ。どうかお願いです。私に力をお貸し下さい」
 麗夢が何をしようというのか、智盛にはまだ判然と致しかねる所が多々あった。だが、愛しの女にこうして頭を下げられ、助力を請われては、もうそんなことは大したことではないように智盛には思われた。
「話がよく見えぬが、とにかくこれから現れる変化を討ち取ればよいのだな?」
「はい」
「判った。でどうすればいい?」
「その変化が現れましたなら、つばを付けた矢でその目を射抜いて下さい。さすればさしもの変化も弱りまする」
「ふうむ。まあいい。いずれ詳しい話はまた
後で聞こう。それでよいな」
「かたじけのうございます」
 再び頭を下げた麗夢が、きっと目も鋭く上空を見上げた。
「どうやら時が参りました。智盛様、御準備を!」
「おう!」
 状況が判らなくても、戦となれば智盛に迷いはない。馬から弓をはずした智盛は、遠く上空で渦を巻き始めた黒雲を見つめ、今や遅しとその時を待った。
 やがてその時が満ちた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

12.夢守のきずな その4

2008-04-27 20:36:27 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 おどろおどろしく渦を巻いていた黒雲は、次第にその中心部を地上に向けて垂れ下げてきた。もしや竜巻か? と疑った智盛は、今にも渦の中心から現れた黒い巨大な塊に、肝魂が消し飛びかねないほど動揺した。まさに山一つがそのまま堕ちてくると言っていい。しかもその山は、醜悪なる青光りした体節に黒い足を左右へ伸ばし、盛んに身をくねらせながら堕ちてくるのだ。
「智盛様、毒気に負けてはなりませぬ。お気を確かに。矢につばを付け、目を射抜くのです」
 麗夢の言葉に智盛ははっと気が付いた。相手のあまりな大きさに、智盛はすっかり気を呑まれていた。あれほど大きな的をはずすという、武家に生まれてこの方、味わったことのない屈辱に、あやうくまみれるところであったのだ。智盛は、一三束三伏せの長大な矢を手に取ると、その先端にぷっと唾を吹きかけた。そのまま弓にあてがうと、ぐっと思い切り弓を突き出し、目一杯引き絞った。だが、相手の威圧感は肝を据えた智盛にして、まだ耐え難いものがあった。思わず矢先が揺れて、狙いがあやふやなものになる。が、次の瞬間、智盛はその大百足の面先に、信じられぬ光景を見て我に返った。麗夢が、あんな所に縛り付けられている!
(おのれ妖怪!)
 智盛が意識する前に、全身の神経がただ一点に集中した。凄まじい速さで堕ちてくる大百足の目に、智盛の全ての意識が突き刺さった。
 びゅん!
 無意識に矢を押さえていた引き手の左から力が抜けた。たちまち限界まで引き絞られた弓の力を一身に受け、白はぎの矢が百足に飛んだ。同時に麗夢も百足に向かって飛び上がった。必死にその手を伸ばし、百足に囚われた自分の分身に呼びかけた。
「さあ、私の手を取って!」
 智盛の矢が狙い過たず百足の右目を射貫いた。そこへ、黒雲を突いて一筋の白い光線が遙か上空から百足を照らし上げた。百足に縛り上げられていた麗夢が叫んだ。
「アルファ、ベータ、円光さん、榊警部、それに鬼童さん!」
 麗夢を縛めていた百足の呪縛が弛んだ。さっと伸ばされた手が、八〇〇年前の自分の祖先の手をしっかと握りしめる。
「さあ、お帰りなさい、自分の場所へ。そしてその時代の夢守として、務めを果たして下さい」
「ええ。私、帰ります!」
 にっこりと笑みをかわしあった二人の夢守は、互いに自分の居場所に向けて、振り返った。
「おのれぇっ!またしても邪魔だてするか、夢守!」
 百足が大きく体を振った。すると、尾の方から幾本もの人の腕が現れ、夢御前麗夢の袖をつかんだ。
「貴様だけでも来い!」
 光に導かれ、天上へと帰る麗夢も、はっとなって固唾を呑む。だが、次の瞬間、その百足の願いは、一本の矢が鋭く断ち切った。
「ぎゃああぁっ!」
 麗夢の袖を取った腕に、一本の矢が突き立っていた。その矢は腕を貫通し、百足の身体に食い込んで縫いつけてしまうほどの勢いだった。
「穢れた手で麗夢に触るな!」
 眦決して激怒した智盛の傍らに、麗夢はふわりと舞い降りた。大百足は遂にその姿を、更に下層の地獄の底、根の国目がけて落としていった。ふと見上げると、自分と同じ顔立ちをした娘が、急速に天上へ向かっている。相手もこちらが見上げているのに気づいたのであろう。にっこり笑うと、右手を挙げて手を振った。麗夢も釣られて右手を挙げ、袖を押さえて軽く振る。智盛は瞬く間に薄く切れ切れに散っていく黒雲と、次第に小さくなっていく麗夢似の娘の姿とを見上げて言った。
「あの娘は何だったのだ? 麗夢」
「あれは未来の私。何百年も後に生まれ変わった私でございます」
「何百年も後? では、帰るのだな、何百年後の私の元へ」
「……ええ。きっと」
 麗夢は僅かに躊躇いがちに目を伏せた。あの娘に生まれ変わったとき、自分はまた智盛様と逢えるのであろうか。法隆寺夢殿の未来記は、夢御前麗夢にそこまでは教えてくれなかった。
「おう、確かにそなたの言うとおりだ。あれに見えるは私ではないか?」
 智盛の歓声に、麗夢はえ? と顔を上げた。確かに小さく男の姿が、娘の上空で手を広げている。既に麗夢にはそれが智盛とうり二つかどうか見分けるのは難しかったが、遠目の効く智盛が自分だというなら、ほぼ間違いないのだろうと思った。
「何百年も未来の我らか。一体どんなところなのであろうな」
 智盛が溜息混じりに麗夢に言った。余りに遠い話で想像の翼も届きにくいのだろう。麗夢は敢えてそれには答えず、智盛に言った。
「私は智盛様と一緒なら、どのような辺地、異郷でも構いませぬ」
 すると、智盛はにっこり引き込まれそうになる笑みを浮かべて、麗夢に答えた。
「ならば私と同じだ。そなたがおれば、それがどこであろうとさしたる事はない」
 智盛は満足げに頷くと、麗夢に手をさしのべた。
「では帰ろう」
「はい」
 智盛の懐に抱かれた麗夢は、ようやく緊張を解いた。その広い胸板には、心から安心して我が身を預ける事が出来る。麗夢はその幸せがいつまでも続くよう天に祈った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

13.大団円 その1

2008-04-27 20:36:00 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 加茂野の連絡を受けた榊は、大急ぎで天香具山から再び藤原京祉へと車を飛ばした。もちろん、アルファ、ベータも一緒である。ようやくその草原に到着した榊は、そこに開いたはずの地獄の穴が跡形もなく失せ、さっき麗夢達と別れたばかりの何もない草原になっているのを信じられぬ思いで見た。ただ変化しているのは、あれほど後で会おうと念を押した少女の姿もまた、消えて無くなっていることだ。少女が立っていた場所には、1枚の鏡と剣の柄が転がっているのみ。アルファ、ベータが見るからにしょげ返り、榊は掌に爪が食い込むほどに震える拳を握りしめた。
「こんなもののために、こんなもののために麗夢さんが!」
 榊の拳が唸りを上げて、青くさびの浮いた鏡に叩き付けられようとした。
「お待ち下され、榊殿」
 榊は、想像外の手応えにあっと声を呑んで顔を上げた。その拳が、研ぎ澄まされたサーベルの如き掌にしっかと抑え込まれている。
「円光さん……」
 榊は、麗夢さんが、と言おうとして、思わず熱くなった目頭に言葉を失った。しかし、円光は冷静に榊に言った。
「麗夢殿はまだ死んではいない」
「だがそれならどこに……」
「もう少し、もう少しで再び会うことが叶い申す。アルファ、ベータも、まだ諦めてはならぬ」
 円光が榊達を励ましている間に、一番遠い位置にいた加茂野と鬼童が到着した。二人は硬い表情のまま、黙って鏡の周りに立った。いつまでその鏡を見ていただろうか。榊は、月明かりの下、ほとんど青い塊にしか見えなかったその鏡が、僅かに燐光を放っているよことに気が付いた。何事か? と思う内に、その光が急速に強くなり、榊等の背後の草原に、月のものとは異なる影を投げかけた。まぶしさに榊は思わず手を上げて目をかばう。そのうちに、久々に聞くアルファ、ベータの喜びの声が、榊の耳に届いた。
「ニャオーン!」
「ワン、ワンワン!」
 一瞬遅れて円光が言った。
「よう戻られた、麗夢殿」
 鬼童、榊も喜びに顔色を染め変えて、まぶしさも構わず光を見つめた。白いだけの光の中に僅かに黒い影が見え、それが見慣れた美しい姿に変わっていくのが見えたのだ。
「れ、麗夢さん……」
 やがて光が薄れ、急速に人の形が輪郭をはっきりとさせ始めた。と同時に、鏡を取り巻く四人と二匹は、麗夢のシルエットと異なるものを発見した。その者と共に麗夢が光から現れたとき、鬼童と加茂野は、同時に驚きの声を上げた。
「貴方!」
「ま、松尾!」
「松尾さんに最後の一歩を助けてもらったの。おかげで生き返ることが出来たわ」
 麗夢は夢の戦士の姿のまま、膝を付いて驚喜するアルファ、ベータを抱き上げた。
「ただいま、アルファ、ベータ、心配かけてごめんね」
 素直に二匹が歓喜の涙を流して愛する人にすがりつく。その傍らで、松尾亨が口を開いた。
『美里、それに鬼童、ご無沙汰だな、元気にしてたか?』
「ほ、本当に、貴方なの? 亨なの?」
「松尾なのか? 本当に松尾なのか?」
 加茂野と鬼童は、人形師に同時に操られるマペットのように、わなわなと震える両手を光り輝く松尾に向けた。ついさっきまで松尾もどきと対していただけに、にわかに信じがたいのも無理はない。だが、目の前の松尾はおよそ轟然とした所はなく、柔らかい微笑みを浮かべて、二人の疑問を吸い上げていった。
『もう一度元気そうな顔が見られるとは思わなかったよ。君ら、十種神宝に俺のことも一緒に祈っただろう? ほんの一時的なものだが、こうして現世に戻ることが出来たのはそのせいだ』
「一時的?! い、生き返ったんじゃないの?」
 悲鳴寸前の加茂野の手を、光る松尾の手が握りしめた。
『残念だが俺はもう黄泉戸喫(よもつへぐい)してしまった。もう常世の国から戻ることは出来ない。十種神宝の力が消えれば、俺もまた消滅する。それが定めなんだよ」
 少し寂しげに松尾は語り、そのままぐいと腕を引いて加茂野の身体を抱きしめた。
『君にもう一度逢いたかった。そして、ちゃんとお別れを言わずに勝手に逝ってしまった事を謝りたかったんだ。それがようやく叶った。美里、ごめんよ』
 鏡の光が薄れてきた。強い力で抱きしめていたその抱擁感が次第にあやふやになっていく。
『鬼童、君にも謝らないとな。今回の件では随分迷惑をかけた。すまない』
「待って! まだ行かないで! 亨!」
「松尾! 僕こそ君に謝りたいんだ! お願いだ、もう少し話をさせてくれ!」
 二人は、頭では理解している事実を、受け容れることを拒否した。最愛の人。唯一無二の親友。その二つのベクトルが一つになって、松尾の後ろ髪をぐいと引いた。だが、一度動き始めた時間は、二度と元には戻せない。松尾は寂しげな笑みを少しずつ薄れさせながら、加茂野に話しかけた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

13.大団円 その2

2008-04-27 20:35:55 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
『美里、最後のお願いだ。鬼童を恨むのは止めてくれ。これは、俺が自分で選択した道なんだ。こんな結果になってしまったけど、俺は精一杯力の限り闘った。そして闘いには負けたが、勝負には勝った。鬼童という偉大な後継者が、俺の研究を完成させてくれる。これは俺にとって勝利したも同然なんだ』
「僕を、僕を許してくれるのか? 松尾」
『俺とお前の仲に許すも許さないも無いよ、鬼童』
 松尾は鬼童に、もう背後の風景が透けて見えるほどになっている顔を向けた。
『ただ願うのはさっきも言った通り、俺の研究を完成まで導いてくれ。頼む』
「判った。判ったよ松尾。絶対、誓って君の研究を完成させてみせる。そして君の名前を、永遠不滅に科学史の中へ刻みつけてやる!」
 鬼童は涙を拭って松尾に言った。涙で目が滲んでいては、せっかくの松尾の顔がよく見えない。鬼童は言うことを聞かない自分の目に腹を立て、何度も何度も袖で拭った。
『その一言を聞いて安心したよ。やっぱりお前は俺の唯一無二の親友だ。後はよろしく頼む』
「亨、もう行っちゃうの?」
 再び止めどなく涙を流す加茂野の方にふりかえり、優しい笑顔で松尾は言った。
『うん。残念だけどさよならだ、美里。いずれまた逢おう。でも、あんまり早くこっちに来たら駄目だよ』
「それじゃ私しわくちゃのお婆ちゃんになってしまうわ」
 加茂野も涙を拭って松尾に言った。どうして肝心なときに身体は言うことを聞いてくれないのか、とかんしゃくを起こしかけた加茂野は、すぐに目に頼ることを止めた。
「亨!」
 一声叫ぶと、加茂野は消えかかっていた松尾に飛びかかった。既にほとんど物理的な触感が失せた身体を抱きしめ、その顔を見上げて目をつむった。松尾は一瞬動きを止めたが、すぐににこやかに微笑むと、自分の唇を相手の唇に重ね合わせた。加茂野ははっきりした触感を唇に覚え、一瞬の夢見心地に酔った。だが、それは次の瞬間、ふっと消え失せた。
『ありがとう、さようなら』
「待って」
『大好きだ、美里。いつまでも元気で……』
「私も、私も貴方を愛しているわ! 絶対、絶対忘れないから!」
 すうっと溶けるように松尾の姿が宙に失せた。鏡の輝きもまた同時に薄れ、麗夢の姿が元の赤いミニスカート姿に戻る。全ての奇跡の力が終わり、現実世界がこの世界に還ってきた瞬間だった。代わって東の空が白々と明るみ、僅かに残っていた常世の国の残滓が拭われていった。
 全てが、終わった。

 ・・・一週間後。

 鬼童と麗夢は、再び南麻布女子学園に戻り、古代史研究部の部室を片づけていた。ほとんど燃えてしまった部室だが、僅かに残った松尾の遺品探しに、麗夢も付き合ったのだ。そして今日が最後の一日。鬼童の辞職願いがようやく受理され、教師という仮の姿も、後数時間で終焉を迎える。二人は南麻布女子学園の廊下を歩きながら、話を続けた。
「この後鬼童さんはどうするの?」
「そうですね、まずは松尾の未発表原稿を整理し直して、データも処理してしかるべき学会に報告する準備をすることになりますね。次の仕事はそれからです」
「しかるべき学会って、松尾さん、学会に愛想つかしてこの学校に赴任したんじゃなかったっけ?」
 大丈夫なの? と首を傾げる麗夢に、鬼童は胸を張って言った。
「それは保証しますよ。何故なら、僕が新しく立ち上げる学会だからです」
「え? 学会って、そんな勝手に出来るの?」
 驚く麗夢に鬼童は言った。
「学会なんて、突き詰めれば学者の親睦会みたいなものです。その存立には何の根拠も無い。ただ僕の考えに賛同する研究者達を集めれば、それで新しい学会が出来上がるんですよ。後は実績を積み重ね、旧分野の連中も取り込んで、権威ある学会として世の中に認めさせればそれでいいんです」
「そんなものなの? 学会って?」
「そんなもんです」
 済ました顔で答える鬼童に、麗夢は思わず吹き出した。
「な、何かおかしな事言いましたか? 麗夢さん!」
「何でもなーい!」
 朗らかに笑顔を見せる麗夢に、鬼童の心臓が二割り増しで高鳴った。あの笑顔が見られるのなら、何を犠牲にしてもいいような気がする。
「待ってください麗夢さん!」
 自分も思わず顔をほころばせながら古代史研究部の部室に辿り着いた鬼童は、先客にあっと顔をこわばらせた。
「ご機嫌ね、鬼童博士」
「加茂野美里……」
 加茂野は初めてあったときと同じ姿で、鬼童と麗夢を出迎えた。
「まだちゃんとお礼を言ってなかったから。今日までなんでしょ? 二人とも。だからわざわざ出てきたのよ」
「礼だなんて……。それより加茂野さんはこれからどうするの?」
 麗夢は幾分心配げに加茂野に聞いた。松尾との別れの後、涙に暮れた加茂野はその場で昏倒し、意識不明に陥ったのだ。大百足を迎えての激しい闘い、そして松尾との再度の別れ。その肉体的疲労と心の消耗がついに加茂野の限界を超えたのだった。事情は麗夢もそれほど変わらない。十種神宝の力で生き返ることが出来たものの、大百足との立ち回りや黄泉比良坂を堕ちながらの闘いで、実は立っているのもやっとの状態だったのである。仲良く一日だけ病院で隣同士点滴を受けた二人は、ようやく目を覚ました後、言葉少なに今回の事件を振り返った。その時、加茂野の虚ろで投げやりな態度が、麗夢には気にかかっていたのだ。だが、今久しぶりに見る加茂野の姿は、病院のベットで点滴を受けていたときよりも、遙かに生気みなぎる力強さを感じさせた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

13.大団円 その3

2008-04-27 20:35:48 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「どうするって、仕事を続けるのよ。まだまだこの国には守らなければならない御陵がいっぱいあるわ。実はそれで折り入って相談があるんだけど、鬼童博士」
「え、な、何だ?」
 鬼童にはまだ加茂野に少し負い目がある。松尾の死を面と向かって糾弾されたせいか、畝傍山の山頂で絶望にくじけかけた自分を必死になって支えてくれたからか。にわかに身構える鬼童に、加茂野はやれやれと苦笑した。
「もう貴方のことは何とも思ってないわよ、っていうのはちょっと嘘が混じるけど、彼が恨むなって言ったんだからもういいの。それより鬼童博士、貴方、彼の跡を継いで、宮内庁の陵墓調査の委託事業を受けて下さらない?」
「僕が?」
「そう。亨亡き後、その仕事を一番理解しているのは貴方だわ。貴方なら安心して仕事を任せられるんだけど、どう?」
 鬼童は右手を顎につけ、腕を組んで考えにふけった。松尾のやり残した仕事だというなら、無条件で受けても良い。だが、今はやりたいことが山ほどあった。松尾の遺稿を取りまとめるのは、何をさしおいても手を付けておきたい。鬼童はその二つを秤に掛けること数秒、おもむろに手を下ろして、加茂野に言った。
「せっかくのお話だけれど、僕は辞退させてもらうよ」
 少なくとも加茂野は、鬼童の返事に驚きは見せなかった。
「そう、差し支えなければ理由を教えて下さらない?」
「松尾の研究を完成させる事に全力を注ぎたい。彼の研究は僕の夢に関する試論に大きなブレイクスルーをもたらす可能性がある。僕は一日も早くそれを見てみたいんだ。それに……」
「それに?」
「この研究が完成すれば、また松尾と話が出きるかも知れない。十種神宝のエネルギーフィールドの謎を解明し、根の国とやらの扉を制御できるようになるかも知れないからね」
 ふっと加茂野が溜息をついた。その胸に去来したのははたしてなんだったろうか。
「それは楽しみだわ。むしろそっちに補助金を出したいくらい。でも、貴方以外にこの仕事をこなせる人材がいないのも事実だし……」
「それは僕が何とかしよう。僕の仲間に、精神エネルギーの時間的減衰を計測している研究者がいる。松尾の未公開論文とデータを見せれば、きっと興味を示すだろう」
「そう。じゃあ決まったら連絡して頂戴。待ってるわ」
 加茂野はもたれかかっていた机から身を起こすと、鬼童に言った。
「そうそう、ここから持ち出したもので一つだけ返し忘れていたものがあったの。これで完璧だわ」
 加茂野は手にしたものを机に置くと、出口のドアに歩いた。
「おい、それを置いていって、本当にいいのか?」
 鬼童は、加茂野が置いていったものを見て、仰天して呼び止めた。
「いいのよ。そんなものが無くたって、彼は私のここにいつまでも生きているわ」
 加茂野は胸に手を当てて見せ、そのまま麗夢の側まで歩み寄った。
「麗夢さん、貴女とはまた、プライベートでゆっくりお話ししたいわね」
「ええ、いつでもいらして。歓迎します」
 にっこり笑ってウインクした加茂野に、麗夢も愛想良く手を振って答えた。そのまま加茂野はドアを出ていき、廊下にヒールの音を高らかに奏でながら、堂々と去っていった。
「何の話をしていたんです? 彼女と」
 鬼童は妙に仲のいい二人が不思議に思えた。すると、麗夢がにこっと笑って鬼童に言った。「松尾さんって、智盛さんにそっくりだったのよ。ひょっとして生まれ変わりなのかしら?って、病院で話していたの」
「松尾が智盛と? そう言えば……」
 少し肌の色が違うが、すっと通った鼻筋や切れ長で涼しげな目元、細面で精悍なマスクは確かに似ている気がする。
「私は智盛さんの恋人の夢御前様の生まれ変わりらしいわ。だから、もし生前に出会っていたら、私も一目惚れしちゃったかも、って、ね」
「な、ま、松尾と?」
「だって格好良かったんだもん。松尾さんって」
 麗夢の瞳にきらきら星が輝くのが見える気がして、鬼童は大慌てに麗夢に言った。
「ま、待ってください麗夢さん! 相手は死んでるんですよ!」
「でも、鬼童さんの研究が完成したら、ひょっとして生き返るかもしれないじゃない」
「そんなことありません! 参ったな、強力なライバルが増えたぞ、これは円光さんと相談して何とかしないと……」
 鬼童が本気で心配し始めたのを見て、麗夢は堪えきれずにお腹を抱えて笑い出した。
「冗談よ、鬼童さん。じょ・う・だ・ん!」
「……勘弁して下さいよ、麗夢さん……」
 鬼童はがっくりイスに座り込んだ。その前の机の、加茂野が置いていった写真立ての中から、きらりと白い歯をこぼす在りし日の松尾が笑いかけてきた。
「君が恋のライバルにならなくて、本当に良かったよ、松尾……」
 鬼童はしみじみとそう呟くと、すっくと立って麗夢に言った。
「それじゃあさっさと片付けて帰りましょう、麗夢さん」
「そうね、長居は無用、だわ」
 二人は残り少なになった松尾の遺品を段ボール箱に詰め始めた。また明日からは新たな闘いが始まるかも知れない。だが今は二人とも、この貴重な平和の一時を堪能したいと望んでいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする