かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

12.麗夢 哀恋 その3

2008-04-13 20:00:42 | 麗夢小説『麗しき夢 屋島哀悼編』
 鵺の背後で揺らいでいた五匹の蛇が、五弁の巨大な死の花びらと化して、左右上下から麗夢に迫った。だが、まさに五匹がその可憐な姿を貪り尽くさんと迫った時である。白拍子の、内からほのかに点るかのように見えていた光が、突然雷の燭光となって部屋の中を真っ白に染め上げた。大蛇も鵺も、おそらくは鏡の中の崇徳院でさえ、そのまばゆい光には視力を暫し奪われた事だろう。やがてその光が失せた時、五匹の蛇達は、その姿が様変わりしているのを知って動きを止めた。処女雪のように白かった衣装が、紫を基調とした華麗な狩衣に替わっている。烏帽子が消えた頭には、複雑な意匠を凝らした冠が金色に輝いている。簡素にまとめられていた黒髪も、その美しさを誇示するかのように扇に開いて肩や腕に広がっていた。そして、笛を持っていたはずの可憐な紅葉の手には、一張りの弓が握られていた。かつて頼政が鵺退治に借り受け、今義経が智盛の猛攻の前に思わず海に落としたあの弓だ。これにはさすがに崇徳院も余裕の表情を消した。
「なるほどな。じゃが、弓はあっても肝心の矢が無くてはなんの役にも立つまい。その弓は、あの矢と一対になってこそ闇を封じる力を発揮するはず。それでは我が力を止めだてすることはかなわぬ」
「矢はあります」
「何?」
 麗夢は、無造作に右手を胸の前に持ってくると、それだけは変化の後も変わらず胸に突き立っていた矢を握りしめ、まるで矢筒から一本抜き出した、と言わぬばかりにあっさりと抜き取った。真っ赤な鮮血が抜けた矢の先を未練がましく追いかけ、紫の衣装がやや黒ずみながら濡れていった。だが、麗夢はそれには構わず、矢を弓につがえてみせた。
「そんなことをすれば、本当におことの命はないぞ。判っているのか?」
 やや慌て気味に言った崇徳院の言葉を、麗夢は無視してぐっと弓を引き絞った。狙いは真っ直ぐ鵺の持つ鏡につける。そのまま、麗夢は鏡に語りかけた。
「崇徳院様、この矢には鏃(やじり)が無いのです。ご存じでしたか?」
「鏃? ちゃんと付いているではないか」
 確かに崇徳院の見る通り、赤錆びた鏃が、その古ぼけた篦(の)の先に付いている。だが麗夢は、軽く頭を左右に振った。
「これは、遙けき古へに使われたものが、たまたま残っているに過ぎません。もし本来の鏃がこの先に付いていたとしたら、私もきっとこうして崇徳院様と対面遊ばすことは叶わなかったでしょう。よろしいか? この矢の鏃は、使われるたび新たに生まれ変わるのですよ。伊呂波、仁保平」
 はっ!と勢いよく返事した二人の姿が、たちまち光の粒子となってはじけ飛んだ。ちょうど頭上に輝く天の川のように細かな光る砂粒と化した二人は、細く長くたなびきながら、麗夢が構える矢の先端に吸い込まれていった。やがて、矢全体が光の粉を篩いかけたようにきらきらと輝きだし、ぼろぼろの矢羽が、乱れのない美しい純白の姿に変化した。そして、赤錆びた上に麗夢の血を吸った鏃が、見る見る白銀の光を跳ねる切っ先を取り戻していった。やがて、矢全体に、伊呂波の爪か、仁保平の牙のように、触れる闇全てを切り裂き葬る神々しい力の漲りが甦った。さしもの崇徳院も、その矢が発散する力の程に、冷や汗が湧くのを覚えたかも知れない。だが、崇徳院とて生きながら天狗となり、今は魔界を統べる大魔縁となった身である。自分を抱える鵺や後ろに控える蛇達ほどには、その矢の切っ先を恐れもしなかった。崇徳院は言った。
「あっぱれよの夢守。しかし矢は一本のみ。我ら全てを射倒すには少々足りぬぞ」
 崇徳院の鏡が三度さざ波を立てて黒雲を宿らせた。すると、当主の呼びかけに応えたのであろう。現世に開いたその暗い穴から、次々と異形の者共がわき出てきた。何千という目玉が床に転げ、ぎょろりとその視線を麗夢に向ける。あるいはいくつもの頭を持った鴉の様な鳥が、口々にぎゃあぎゃあと濁った鳴き声を上げて天井に舞った。妙に髭が長く、口の大きい鯉が、鰭(ひれ)の代わりに生えた蜥蜴(とかげ)の如き手足で床に立ち、鋭い牙の揃った口を大きく開けて麗夢に迫る。醜悪な人の顔を先端に付けた蛇が這い回り、鎌首をもたげて舌を出した。その後ろで幾つものしゃれこうべが転がり回り、疎らになった歯をかみ合わせてけたけたと不愉快な高笑いを上げる。亀、獣、鳥、魚、そして人の残骸。およそ人の怖気をどれだけ誘えるかを競うように現れる醜悪な混沌の軍団は、崇徳院のこみ上げる嗤いを背景に、舟の許す限りの空間へ充満した。
「どうじゃ夢守! 我が眷属はまだこんなものではないぞ。どんどん呼び出して、おことを押しつぶしてくれよう!」
 麗夢は静かに応えた。
「矢は一本あれば充分でございます。それよりも今一度おたずねします。黙ってお引き下さらぬか?」
 この大勢を見てもまるで動じようとしない麗夢の様子に、崇徳院の苛立ちは遂に臨界を越えた。崇徳院は初めてその余裕ある態度をかなぐり捨て、荒々しく言い放った。
「おこなる物言いはもうたくさんじゃ! 者共! この小癪なる小娘を挽き潰せ!」
 幾つかの、表情を刻みうる者共が、一応に一つの顔を作った。うら若き乙女を散々に陵辱し、引き裂く喜びに飢えた残忍な笑みである。わらわらと、まさに蠢くように動き出した混沌の軍団は、目の前でただ一本の矢を構えるばかりの無力な娘に、その明らかに過大と見える力を振る舞おうと迫り来たった。その津波のような勢いの前にただ一人立つ麗夢は、向かってくる牛に両手の鎌を振りかざす蟷螂ほどの抵抗も出来ないように誰の目にも映った。だがその瞬間、麗夢の右手が引き絞った弓弦を離した。
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12.麗夢 哀恋 その4

2008-04-13 19:59:16 | 麗夢小説『麗しき夢 屋島哀悼編』
 一本の矢が、他の者には目もくれず、ただ真っ直ぐ崇徳院の鏡に向けて走った。鏡を抱える鵺は、この事あるを予期して素早く身をひねって矢筋から鏡をはずす。勝った!と崇徳院は確信を持った。だが、結局崇徳院は夢守の力の程を理解していなかった。矢は、一本ではなかったのだ。
 突然、化け物達は前から降り注ぐ光の奔騰に身を晒された。矢からこぼれるように散った光の一粒一粒が、そのまま鋭い矢と変化して、一斉に混沌の軍団に襲いかかったのである。その一矢は伊呂波の爪であり、仁保平の牙であった。その鋭鋒の前では、彼らの固い皮膚や甲羅も何の防ぎにもならなかった。一体、また一体と無数の矢に貫かれた妖しの者達が、瞬く間にその異形の姿をはじけさせ、虚空に溶けるように消えていく。それでも矢の数は一向に減ったようには見えなかった。鵺を護ろうとその矢の前に立ちふさがった五匹の大蛇が、胴体のそこここをたちまちの内に食い破られ、ぼろぼろにちぎれた元の絹に身をやつしていく。やがて、鵺の体も矢に捉えられた。全ての光の矢が雨霰と鵺の体に降り注ぎ、撃ち貫いていく。やがて、一際大きな一閃の光が、思わず掲げられた鏡の表面に、垂直に吸い込まれていった。
「ぎゃあぁああああぁあっ!」
 内側から舟がはじけ飛ぶのではないかと危惧するほどな大音響が、鏡から吐き出された。と同時に、辺りを覆い尽くそうとしていた暗い思念の澱みが消滅した。静けさと暗さを取り戻した室内に、色葉と匂丸の小さな体が跪いていた。その前に、中央からまっぷたつに砕けた鏡が転がっている。鏡には、まだ僅かに闇の残滓が残っていたが、それも次第に日の当たった淡雪のように消えていった。
『見事じゃ夢守。此度は朕も負けを認めて進ぜよう。だがいつか必ず力を蓄え、今度こそこの世を破壊して我が世の春を迎えてくれる。愛しき夢守よ、その時まで息災でたもれ。そしてまた楽しもうぞ・・・』
 麗夢の耳に残ったそれは、ただの空耳だったのであろうか。だが、崇徳院の力は確かに人々の心へ強烈な印象を刻ましめたようだ。700年の後、維新を前にした明治天皇は、讃岐国に奉幣使を立て、崇徳院の霊を慰めている。来るべき幕府との一戦に、祟りをなさぬよう願い奉ったということである。それほどまでに恐れられた大魔縁であったが、この場だけは、確かに闇の気配が引き退き、深い暗黒へと帰っていった。
 しばらく身じろぎもせず全てが消滅するのを見つめていた麗夢は、耳の奥で木霊する崇徳院の甲高い笑い声が消えるのを待ちかねたように、愛しき男の傍らにひざまづいた。そのまま横たわる智盛のはだけた分厚い胸に、頭を乗せてそっと覆い被さるように自分も横になった。とくん、とくん、と律動的な力強い鼓動が、麗夢の耳に響く。閉じられた切れ長の目がむずむずと動き、目覚めの近さを物語っている。やがて、無意識の動作であろうか。智盛の右手が宙を伸び、そっと麗夢の頭へと舞い降りた。はっと驚いた麗夢は、やがて目をつむって二度と掴むことは叶わないその体にしがみついた。智盛は口元をほころばせ、両手を使ってその華奢な体を抱きしめる。かつての、仲睦まじき平安京の頃を夢見ているのであろうか。
「・・・れいむ・・・」
 寝言に名を呟かれ、少しずつ消えていく体で僅かなぬくもりでも逃すまいと、麗夢はその唇におのが桜貝のような唇を重ね合わせる。
「智盛様、たとえ我が身は滅ぼうとも、麗夢は夢の中にていつもお側におりまする。どうかそれを忘れずに。智盛様・・・」
 麗夢の閉じた目から深山の静謐な清水の如き涙があふれ出し、つ、とその頬を滑って智盛の頬に落ちた。と、同時に、智盛の目覚めにあわせ、その姿が薄く、儚く消えていく。色葉、匂丸も徐々に姿がおぼろになり、麗夢よりも僅かに早く宙に溶けた。麗夢は、最後の名残にもう一度しっかと抱きついた。
「智盛様、麗夢は智盛様と会えて本当に幸せでした。本当に、本当に・・・」
 智盛の目にもいつしか涙があふれ、流れ落ちた一滴が、麗夢の落とした涙と交じり合って白皙の美貌に一筋の川を刻んだ。
 ・・・。
 ばっ! と飛び上がるかのような勢いで、智盛は体を起こした。途端に下腹に鋭い痛みが走ったが、智盛の意識は、自身の不調などかまってはいなかった。
「れいむ……、麗夢!」
 鼻孔をくすぐる残り香は、確かに愛しき少女の存在を暗示していた。胸に残る暖かさが、ただ夢の中のことだけとは到底思えなかった。智盛は、暗い室内を何度も見回した。そして、自分のはだけた胸に、一筋の黒髪がまとわりついているのを見た。暗い中でも艶やかに光を跳ねるその細糸を見たとき、智盛の目は耐えることを忘れたように、大粒の涙を次々と溢れさせた。そっとその僅かな形見を手に取った智盛は、もはや二度と抱けなくなったその可憐なる姿を思い浮かべ、ただひたすら、返らぬ返事を求めてその名を呟き続けた。

 こうして長い夜が明けていく。限りない悔いと絶対に埋めることの出来ない喪失感とを抱え込んで。そして舟は、失ってはならぬものを失ってしまった悲しみを波間に漂わせながら、一路壇ノ浦へと向かうのであった。

 終

『麗しき、夢 完結編 智盛封印』へ飛ぶ。
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あとがきにかえて。

2008-04-13 19:58:30 | 麗夢小説『麗しき夢 屋島哀悼編』
 かっこう長編第6作は、麗夢ちゃんの前世とされる、夢御前麗夢(れいむ)様と智盛卿のお話のうち、夢御前様最期の日! を紡ぐことにしました。改めて読み返してみますと、当時の苦労がしのばれて、感慨深いものがあります。

 この作品は、私が初めて書きはじめてから1ヶ月で脱稿し、コミケ前修羅場進行を経験した、記念の作品でもあります。
 昔々、いわゆる流行作家といわれる方々が非常に短時間で作品を書き上げていくのを知って、奇跡を前にしたように信じられない思いでおりました。私は、作品一つ上げるのに最低でも半年以上かかり、しかも大抵初めに書き始めた数十枚程度のところで話が行き詰ってしまい、全部破棄して書き直す、というようなことをしてまして、それが長い作品を書くときは当然のやり方だ、と思い込んでいたのです。そんな非効率なことをしていたらどんどん時間ばかりかかってしまうわけで、1ヶ月足らずで作品を出して行ったり、雑誌や新聞に連載するようなスピードは到底望めなかったのです。
 もちろん、早ければいい、というわけではありません。中にはまさに粗製濫造、としか言いようのないひどいのもありますし、何年かに1本しか新作を出さないけれど、それが無類に面白かったりする作家もいます。でも、適度の早さ、というか、初期段階で全体像を見据え、大幅な書き直しをしなくてすむように効率的な執筆を心がけるというのは、小説に限らず、あらゆる文筆業に通じる、いえ、それ以上にあらゆる活動にさえ通じる基本原則だと思います。この作品は、そんな戦略論とでも言うべき考え方に私の目を向けてくれるのに役立った、という意味で、かけがえのない一里塚だったのです。
 まあそんなわけで、初稿はいろんなボロが目だって、短時間で強引にまとめる、というのがどれほど困難があるか、というのを体現する出来栄えだったのですが、ここでその経験を積んだおかげで、その後、加速度的に執筆速度が上がりました。また、仕事や生活にそういうものの見方、考え方が反映され、いろんな意味で役立ったように思います。
 考えてみますと、私は仕事を通じて以外に、麗夢の同人小説を書いてコミケに出展する、という経験を通じて、色々なことを学び、知らず知らずのうちに自分を鍛錬することができました。単に文章作法だけでなく、CG製作やDTPといったPC関連の技能、イベントや旅の準備といった、段取りのやりかた、スケジュール管理など、有形無形を含めて、得られたものは数え切れないくらいあります。そして一番良かったことは、「麗夢」という作品に一段とのめりこみ、自分の表現の場とできたこと、それを通じて、いろんな人たちと知り合えたことでしょう。これは、好きこそ物の上手なれ、という言葉の意味をかみしめることができる、そんなこれまでの歩みを思い出させてくれる作品なのです。

『麗しき、夢 完結編 智盛封印』へ飛ぶ。
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