古代史研究部=以下略が収まる校舎の扉を開けると、麗夢はグラウンドの方に駈けて行く皐月の背中を追った。放課後のグラウンドには、あちこちに体操服やユニフォーム姿で部活に勤しむ生徒の姿で埋まっている。皐月は、細く二本にまとめた髪を元気よく揺らしながら、彼らの間を縫うように走って行く。麗夢は、逃がさないぞ! と気合も新たに駆け出した。膝丈のスカートが翻り、伊達メガネがずり落ちるのも構わずに、一直線にグラウンドを走り抜ける。他の3人の姿はないが、今は目指すは荒神谷弥生の妹と名乗ったツインテールただ一人!
「待ちなさーい!」
知り合いでもいれば、その子たちを止めて! とお願いすることもできたかもしれない。だが、潜入捜査で極短期間しか在籍していないこの学校では、あのアッパレ4人組以外に知己となり得た生徒はいなかった。麗夢は、以外に足の早い皐月に舌を巻きつつ、自分も思い切りスピードを上げた。
皐月が、野球部が練習するマウンド付近を駆け抜けた。あっけに取られたユニホーム姿の生徒たちに、ごめんなさい! と叫びながら、麗夢もその後を追っかける。皐月が体操服姿でランニングしていた生徒たちの列をかき乱すと、麗夢は彼らにぶつかりそうになりながら、なおも負けじと後を追う。サッカー部のテリトリーでは、突然横合いから飛んできたサッカーボールを危うく避けながら、びっくりする生徒達を縫って二人の追いかけっこが延々続く。トラック競技に勤しむ陸上部の生徒たちが、何事? とばかりに二人の疾走を見送り、向こうのテニスコートでも、何人か手を休めて、金網越しにこちらを見ている生徒がいるようだ。
麗夢は彼らの姿を見て、やっぱり、と思わずにはいられなかった。女子生徒に混じって、確かに男の子の姿が、それもかなり大勢の恰幅の良い生徒たちがいる。さっき横切った野球部なんて、マネージャーを除けば多分全員が男子生徒だ。
麗夢は、ついさっき行った荒神谷皐月とのやりとりを思い起こした。たしかに自分の中には、ここは女学校だった、と言う記憶がある。その一方で、何故かここは男女共学の学校だった、と言う記憶も『同時』に存在するのだ。それが何故なのか、今の麗夢にはまだ判らない。その秘密は、目の前のツインテールが握っていることだけは、間違いないはずだ。
「こっちこっち!」
息を弾ませながら、満面の笑みを浮かべて皐月が振り向いて手を回す。この! と麗夢もまた息を切らせつつ、陽気に飛び跳ねるツインテールを追い続けた。どうやら皐月の目的は、グラウンドの先にある通用門らしい。外に出られると厄介なことになる、と麗夢は必死に走り続けた。
やがて皐月が、通用門から出て行くのが見えた。舌打ちをこらえつつ麗夢も通用門をくぐり抜けた。だが、小道を挟んだ正面に、もう一つ通用門が有り、その向こうに、皐月が走っていくのがかいま見えた。麗夢は、ふと視線を門脇の表札に振って、そこに記された文字を読んだ。
「南麻布学園『初等部』?」
確かに有った。
振り返ると、今自分が通り抜けた通用門の脇には、「南麻布学園高等部」の表札が掲げられている。
しかし、こんな門や表札、果たしてここに有っただろうか?
麗夢は、潜入捜査に入った直後、まずは基礎情報を集めようと、学園内をくまなく歩き、およそどこに何があるか、念入りにチェックして回った。最後の最後になって知ることになった地下迷宮のようなものならいざ知らず、学園内とその周辺で、麗夢の記憶に無いものなどありえない。だが、今の麗夢には、それが有ったと言う記憶と、いや確かに無かった、と言う記憶が交錯し、一瞬目眩を覚えるほどに混乱していた。
自分の記憶が何かによって強制的にいじられている。
どちらかが現実で、どちらかが虚構なのは間違いなく、今の自分は、ここが南麻布「女」学園であり、初等部などというものは無い、と言う方が現実だと認識している。つまり、この目の前に広がる新たなキャンパスは、虚構そのものに違いない。しかし、執拗で強力な何かの力が、この現実を無視し、今目に入って来るものこそ現実として受け入れるように、猛烈な圧力をかけてきているのが自覚される。今は混乱しつつもその圧力に耐え、自分の意識を保っている麗夢だったが、果たしてその虚構そのものの中に足を踏み入れた時、自分の記憶と意識が保たれるかどうか、正直言って自信が無かった。だが、先を走っていく荒神谷弥生の妹を名乗る少女を捕まえない限り、その混乱に終止符を打つことは叶いそうにない。
麗夢は意を決して、「南麻布学園初等部」の門を潜った。途端に、ぐらり、と視界が揺れ、これまでに無く強烈な、吐き気をもよおす目眩が襲ってきた。麗夢は一旦立ち止まって目をつむると、冷静に自分の持つ力を信じ、格段に強まった心的圧力に対抗した。
まだ大丈夫。意識はしっかりしている。
麗夢は、目眩が消え、落ち着いた視線で辺りを見回した。だが、未知のキャンパスに足を踏み入れた事には変化は無く、南麻布学園初等部は、幻でもまやかしでもなく、実体として確かに麗夢を迎えていた。
「まるで夢のようだわ……」
その確かな現実感に麗夢は思わず独りごちながら、改めて追跡を再開した。少し時間をロスしてしまったが、皐月が消えた校舎をぐるりと回ると、中庭を走っていく少女のツインテールがはっきり捉えられた。
「待ちなさい!」
麗夢はもう一度叫ぶと、少女めがけて走っていった。
「待ちなさーい!」
知り合いでもいれば、その子たちを止めて! とお願いすることもできたかもしれない。だが、潜入捜査で極短期間しか在籍していないこの学校では、あのアッパレ4人組以外に知己となり得た生徒はいなかった。麗夢は、以外に足の早い皐月に舌を巻きつつ、自分も思い切りスピードを上げた。
皐月が、野球部が練習するマウンド付近を駆け抜けた。あっけに取られたユニホーム姿の生徒たちに、ごめんなさい! と叫びながら、麗夢もその後を追っかける。皐月が体操服姿でランニングしていた生徒たちの列をかき乱すと、麗夢は彼らにぶつかりそうになりながら、なおも負けじと後を追う。サッカー部のテリトリーでは、突然横合いから飛んできたサッカーボールを危うく避けながら、びっくりする生徒達を縫って二人の追いかけっこが延々続く。トラック競技に勤しむ陸上部の生徒たちが、何事? とばかりに二人の疾走を見送り、向こうのテニスコートでも、何人か手を休めて、金網越しにこちらを見ている生徒がいるようだ。
麗夢は彼らの姿を見て、やっぱり、と思わずにはいられなかった。女子生徒に混じって、確かに男の子の姿が、それもかなり大勢の恰幅の良い生徒たちがいる。さっき横切った野球部なんて、マネージャーを除けば多分全員が男子生徒だ。
麗夢は、ついさっき行った荒神谷皐月とのやりとりを思い起こした。たしかに自分の中には、ここは女学校だった、と言う記憶がある。その一方で、何故かここは男女共学の学校だった、と言う記憶も『同時』に存在するのだ。それが何故なのか、今の麗夢にはまだ判らない。その秘密は、目の前のツインテールが握っていることだけは、間違いないはずだ。
「こっちこっち!」
息を弾ませながら、満面の笑みを浮かべて皐月が振り向いて手を回す。この! と麗夢もまた息を切らせつつ、陽気に飛び跳ねるツインテールを追い続けた。どうやら皐月の目的は、グラウンドの先にある通用門らしい。外に出られると厄介なことになる、と麗夢は必死に走り続けた。
やがて皐月が、通用門から出て行くのが見えた。舌打ちをこらえつつ麗夢も通用門をくぐり抜けた。だが、小道を挟んだ正面に、もう一つ通用門が有り、その向こうに、皐月が走っていくのがかいま見えた。麗夢は、ふと視線を門脇の表札に振って、そこに記された文字を読んだ。
「南麻布学園『初等部』?」
確かに有った。
振り返ると、今自分が通り抜けた通用門の脇には、「南麻布学園高等部」の表札が掲げられている。
しかし、こんな門や表札、果たしてここに有っただろうか?
麗夢は、潜入捜査に入った直後、まずは基礎情報を集めようと、学園内をくまなく歩き、およそどこに何があるか、念入りにチェックして回った。最後の最後になって知ることになった地下迷宮のようなものならいざ知らず、学園内とその周辺で、麗夢の記憶に無いものなどありえない。だが、今の麗夢には、それが有ったと言う記憶と、いや確かに無かった、と言う記憶が交錯し、一瞬目眩を覚えるほどに混乱していた。
自分の記憶が何かによって強制的にいじられている。
どちらかが現実で、どちらかが虚構なのは間違いなく、今の自分は、ここが南麻布「女」学園であり、初等部などというものは無い、と言う方が現実だと認識している。つまり、この目の前に広がる新たなキャンパスは、虚構そのものに違いない。しかし、執拗で強力な何かの力が、この現実を無視し、今目に入って来るものこそ現実として受け入れるように、猛烈な圧力をかけてきているのが自覚される。今は混乱しつつもその圧力に耐え、自分の意識を保っている麗夢だったが、果たしてその虚構そのものの中に足を踏み入れた時、自分の記憶と意識が保たれるかどうか、正直言って自信が無かった。だが、先を走っていく荒神谷弥生の妹を名乗る少女を捕まえない限り、その混乱に終止符を打つことは叶いそうにない。
麗夢は意を決して、「南麻布学園初等部」の門を潜った。途端に、ぐらり、と視界が揺れ、これまでに無く強烈な、吐き気をもよおす目眩が襲ってきた。麗夢は一旦立ち止まって目をつむると、冷静に自分の持つ力を信じ、格段に強まった心的圧力に対抗した。
まだ大丈夫。意識はしっかりしている。
麗夢は、目眩が消え、落ち着いた視線で辺りを見回した。だが、未知のキャンパスに足を踏み入れた事には変化は無く、南麻布学園初等部は、幻でもまやかしでもなく、実体として確かに麗夢を迎えていた。
「まるで夢のようだわ……」
その確かな現実感に麗夢は思わず独りごちながら、改めて追跡を再開した。少し時間をロスしてしまったが、皐月が消えた校舎をぐるりと回ると、中庭を走っていく少女のツインテールがはっきり捉えられた。
「待ちなさい!」
麗夢はもう一度叫ぶと、少女めがけて走っていった。
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