さて、今日のブログは昨日の続きです。ホタルを見に山田源氏ぼたるの里に行ってみたところ、まだ暗くなるまで少し時間があったので、近所にあるという大日堂の鉄造仏頭を見に行くことにしました。
予想に反して周囲にはお寺などはなく、地元の方々が管理しているとのこと。現在はコンクリートの建物に収められており、普段はガラス窓越しに見学するようになっているものの、今回は運良く中に入って見せて頂くことが出来ました。
詳しい来歴などがほとんど何も残っていないとのことですが、恐らく鎌倉時代に作られた物であろうとのこと。現存するのはこの頭部だけであるものの、ここまで時代がある鋳鉄の仏像は非常に珍しいですね。造りも良く、姿も美しく、地元の皆さんが昔から大切に守ってきたのも分かる気がします。以前は小さな木造の御堂に収められており、顔の一部だけが見える状態だったそうで、当時の写真が載った旧い新聞の切り抜きが残されていました。
建物の外にあるこの鐘はもっとずっと後、寛政年間の作で、江戸期の鋳物師、 “西村和泉守” が入っていました。昔は村の半鐘として使われていたこともあるそうです。
この鐘、大戦中に一度は供出させられたものの、驚いたことに溶かされることなくそのまま帰ってきたとのこと!。凄く縁起が良い鐘ですね。
この鉄造仏頭、山田五区交差点にある無料駐車場から歩いて行ける距離にあります。もしホタルを見に行かれるのであれば、少し時間に余裕を持ってお出掛けになり、この仏頭も見学されることをお薦めします。
予想に反して周囲にはお寺などはなく、地元の方々が管理しているとのこと。現在はコンクリートの建物に収められており、普段はガラス窓越しに見学するようになっているものの、今回は運良く中に入って見せて頂くことが出来ました。
詳しい来歴などがほとんど何も残っていないとのことですが、恐らく鎌倉時代に作られた物であろうとのこと。現存するのはこの頭部だけであるものの、ここまで時代がある鋳鉄の仏像は非常に珍しいですね。造りも良く、姿も美しく、地元の皆さんが昔から大切に守ってきたのも分かる気がします。以前は小さな木造の御堂に収められており、顔の一部だけが見える状態だったそうで、当時の写真が載った旧い新聞の切り抜きが残されていました。
建物の外にあるこの鐘はもっとずっと後、寛政年間の作で、江戸期の鋳物師、 “西村和泉守” が入っていました。昔は村の半鐘として使われていたこともあるそうです。
この鐘、大戦中に一度は供出させられたものの、驚いたことに溶かされることなくそのまま帰ってきたとのこと!。凄く縁起が良い鐘ですね。
この鉄造仏頭、山田五区交差点にある無料駐車場から歩いて行ける距離にあります。もしホタルを見に行かれるのであれば、少し時間に余裕を持ってお出掛けになり、この仏頭も見学されることをお薦めします。