学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

伝毛松筆「猿図」と天皇陛下

2013-11-09 | その他
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年11月 9日(土)23時43分34秒

今日、BBCのサイトを見ていたら、動画でヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の中国美術展を紹介していました。

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BBC News - A thousand years of Chinese art on show at V&A museum
http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-24866451

ここに出てくる猿の絵は東博所蔵のものかなと思ってV&A博物館のサイトを見たのですが、猿の詳しい説明は見当たりません。

http://www.vam.ac.uk/content/exhibitions/masterpieces-of-chinese-painting/
http://www.vam.ac.uk/content/exhibitions/masterpieces-of-chinese-painting/about-the-exhibition/

新聞記事も検索してみましたが、例えば次の記事など、猿図を大きく載せてる割には「13世紀、 Mao Song作」とあるのみです。

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The V&A’s Masterpieces of Chinese Paintings reveals treasures that have never left Asia
http://metro.co.uk/2013/10/24/the-vas-masterpieces-of-chinese-paintings-reveals-treasures-that-have-never-left-asia-4158545/

でもまあ、東博所蔵の「猿図」に間違いないですね。
「文化遺産オンライン」では次のように紹介されています。

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伝毛松筆
南宋/13世紀
絹本着色
縦47.0 横36.5
1幅
この猿図は単なる写実を越えたすぐれた表現をもっており,数ある宋画の中でも名品として知られている。中国の猿ではなく日本猿といわれ,水墨のみならず金泥を用いた毛描きはきわめて繊細で自然である。南宋の画院画家である毛松の作の伝称は狩野探幽にはじまるものと思われ,その根拠は乏しいものがある。武田信玄より曼殊院覚如に寄進された由緒をもつ。
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=36978

日本猿なのに南宋とはどーゆーこと、と思って検索してみたら秦恒平氏の「猿の遠景――伝毛松『猿図』のことから」というエッセイに驚愕の事実が出ていました。
この「猿図」に描かれている猿が中国の猿ではなく日本猿であることを指摘したのは若き日の明仁親王、即ち今上天皇なのだとか。

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 この繪をみて即座に「日本猿ですね」と言う人がいた。動物学者があっさり追認した。大陸に日本猿は棲んでいない。宋の毛松(もうしよう)には描けまい。繪の権威たちは困った。鳩首協議の結果、毛松の高名を伝え間き、日本猿を宋の国へはるばる送って描いてもらった繪だと「決め」た。依然、博物館では「重要文化財 猿図 伝毛松筆 十二世紀 南宋時代」の作品として陳列してあるが、その人は、納得したかどうか。
「日本猿ですね」と繪を見るなり言った人は、明仁親王、つまり昭和の皇太子さん(今上天皇)である。いわゆるご学友、徳川美術館の徳川義宣氏が雑誌『淡交』(昭和五十九年四月号)に「宋に渡った日本猿」の題で寄稿されている。「淡交」はわたしの少年以未の愛読雑誌で、見落とすどころか、一読その面白さに手を拍った。
受け売りの手前、いますこし徳川氏の文章に即して紹介しておこう。氏ははじめ、「私の友人にAと云ふ男がゐる。幼稚園から大学までずつと一緒で、今でも親しくつきあつてゐるから、もう四十余年来の旧友である」と皇太子を仮名であげ、Aが生物学に精励してきたことを巧みに読者に伝えている。「そのAが美術史学の某先生から中国繪画の個人講義を受けてゐたとき」に、件(くだん)の『猿図』を見せられ、即座に「日本猿」だと指摘した。「某先生は返答に窮し、宿題として持ち帰つて動物学者に意見を求められたが、答へは同じ、中国には棲息してゐない日本猿。美術史学の権威が寄つて相談」して、あげく、先に言ったような「解釈に統一して、某先生はAへの回答とされた」そうだ。
「……と云ふ説明を貰つたんだけどね。考へられるかね。徳川はどう思ふね」
「う-ん」
といった遣り取りが、あとへ続く。ことわっておくが、徳川氏の文章は、猿図の如何に主旨があるというより、いわば美術鑑賞と美術(史)研究とのズレのような所を指摘して、かるく専門家たちを揶揄し刺激する気味に書かれているのである。そして最後に、「因(ちな)みにAとは、(当時の)皇太子殿下である」と結んである。
http://umi-no-hon.officeblue.jp/e_umi_essay28.htm

この後、秦恒平氏のエッセイは少しずつ「猿図」から離れてしまうのですが、武田信玄の登場といい、気になるところが山ほどあります。
現在の研究はどの程度進展しているのですかね。
あるいは全く進展していないのか。

※追記(2020.7.15)
元々の出典である徳川義宣氏の「宋に渡った日本猿」は未読でしたが、徳川義宣氏のエッセイ集『迷惑仕り候 美術館長みてある記』(淡交社、1988)に収録されていました。
秦恒平氏のエッセイでは除かれている部分も上皇陛下の見識と人柄をうかがう上で興味深い内容なので、転載しました。

上皇陛下と伝毛松筆「猿図」(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7afa7f9e2c91857131c4591ae280dba5
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/fd2040e69b12a5a4b7a1126189d398b3
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