投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年11月 7日(木)23時38分14秒
>筆綾丸さん
>外来種セイタカアワダチソウ
これは実際その通りで、単なる事実の記録でしょうね。
片桐記者の記事、よくありがちなパターンですが、最後の反原発の主張を盛り上げるための脚色がくどい感じがして、私は良い印象を持ちませんでした。
牛脂を注入して霜降り肉に仕立てた加工肉をステーキとして出されたような心境です。
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<資産賠償なし>
小高区も甚大な津波被害を受けた。津波による死者は147人で、全壊家屋は319棟。
「戻りたくない。海は嫌だ」。海岸近くの小高区塚原に自宅があった無職小沢明子さん(52)は、南相馬市原町区のみなし仮設住宅の借り上げアパートに入る。自宅は土台も含め一切合切が津波に流された。
「流失した建物は賠償の対象外」とする東電からは、資産賠償を受けていない。「(建物の一部が残っていると)うそをついて賠償を受ける人もいるのに」と東電担当者に不思議がられた。
津波は東京電力が起こした訳ではないから「流失した建物は賠償の対象外」は仕方のないことですが、興味深いのはその後の記述です。
実際のやりとりがどのようなものだったのかは分かりませんが、おそらく東京電力の担当者は、詐欺の教唆にならないよう注意した上で、書類さえ整えてくれれば賠償請求ができますよと暗示している訳で、親切と言えば親切な話ですね。
片桐記者が志賀勝明氏と出会った請戸橋の近くには棚塩という地区がありますが、ここに浪江・小高原子力発電所の反対運動の中心となった舛倉隆という市民運動の世界では有名な人物がいたそうです。
浪江・小高原子力発電所
Hisato Nakajima氏のブログ<東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解く>
『原発に子孫の命は売れない―舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』
頑強な反対運動に苦しんだ東北電力が浪江・小高原子力発電所建設を正式に断念したのはつい最近で、福島第一原発の事故がとどめを刺した訳ですが、原発の危険性には鋭敏だった舛倉隆氏の自宅を含め、津波が棚塩地区の全てを流し去ってしまったのはずいぶん皮肉な感じもします。
写真は上から請戸橋、棚塩集会所遠景、棚塩集会所近景です。
2013年4月9日撮影。
※写真
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
Vo(皇) と rei(王) 2013/11/07(木) 20:01:20
小太郎さん
「宅地や田畑などの跡を外来種セイタカアワダチソウが覆う」
ここのところ、思わせぶりですが、黙示録的な光景を暗示したのかもしれないですね。
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-24838061
「Yasser Arafat may have been poisoned with radioactive polonium」とありますが、イスラエルは「more soap opera than science」と言っていて、結局、迷宮入りになるのでしょうね。
『戦国の地域国家』の「統合へ向かう西国国家」(岸田祐之氏)には、次のようにあります。
----------------------------------
大名は自らの領国を「国家」と称しているが、その実態は、独自の支配機構をもち、独自の軍事力を組織し、独自の法的秩序を整備して支配しているように、政治学の概念からしても問題はない。京都の朝廷や将軍は「天下」と称するが、まず天下の統制から政治的に自立した国家を統治する戦国大名の国家観と支配の実態を明らかにしなければならない。(69頁~)
----------------------------------
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3
『戦国の地域国家』の「群雄の台頭と戦国大名」(有光友學氏)の冒頭に「地方の時代」とあり、この書が出た2003年はまだそんなスローガンがもて囃されていた最後のときで、要するに、時代思潮の反映だったのかな、という気がしてきました。現在、「地方の時代」などと、本気になる人は少ないような気がします。地方が中央に勝てないのは、日本国憲法をみれば、自明のことなんですがね。
黒田基樹氏の『百姓から見た戦国大名』は、「第三章 地域国家の展開」とあるのですが、続く第四~六章では結局「領国」の話になっていて、何のために「地域国家」を論じたのか、よくわかりません。この本は2006年に出ているので、つまるところ、『戦国の地域国家』の影響なんでしょうね。「地域国家」という概念が長生きできるとは思えませんが。
松本和也氏『宣教師史料から見た日本王権論』(歴史評論2006年12月号no.680)には、次のようにあって、「地域国家論」とは全く別物ですね。
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本稿での結論を端的に述べると、宣教師の認識する日本の王権の特徴は、王権構造の重層性と日本王権(大王権)の二重性であろう。すなわち、前者は、大名領国を支配する大名王権(小王権)と、その小王権を統括する天皇と将軍・統一権力による大王権という重層的な王権構造である。後者は、大王権が二人の王からなり、朝廷と武家政権の双方が王権と認められていたことである。(76頁)
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ポルトガルの宣教師は、日本全体を一つの国家とみたときの rei と、大名領国を国家とみたときの rei とは違うものとして使い分けていた、という指摘は重要ですね。前者と後者では、rei=(国)王の位相は違うが、Vo(オー)は一貫して(天)皇と理解されていた、と。(69頁)
小太郎さん
「宅地や田畑などの跡を外来種セイタカアワダチソウが覆う」
ここのところ、思わせぶりですが、黙示録的な光景を暗示したのかもしれないですね。
http://www.bbc.co.uk/news/world-middle-east-24838061
「Yasser Arafat may have been poisoned with radioactive polonium」とありますが、イスラエルは「more soap opera than science」と言っていて、結局、迷宮入りになるのでしょうね。
『戦国の地域国家』の「統合へ向かう西国国家」(岸田祐之氏)には、次のようにあります。
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大名は自らの領国を「国家」と称しているが、その実態は、独自の支配機構をもち、独自の軍事力を組織し、独自の法的秩序を整備して支配しているように、政治学の概念からしても問題はない。京都の朝廷や将軍は「天下」と称するが、まず天下の統制から政治的に自立した国家を統治する戦国大名の国家観と支配の実態を明らかにしなければならない。(69頁~)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E6%96%B9%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3
『戦国の地域国家』の「群雄の台頭と戦国大名」(有光友學氏)の冒頭に「地方の時代」とあり、この書が出た2003年はまだそんなスローガンがもて囃されていた最後のときで、要するに、時代思潮の反映だったのかな、という気がしてきました。現在、「地方の時代」などと、本気になる人は少ないような気がします。地方が中央に勝てないのは、日本国憲法をみれば、自明のことなんですがね。
黒田基樹氏の『百姓から見た戦国大名』は、「第三章 地域国家の展開」とあるのですが、続く第四~六章では結局「領国」の話になっていて、何のために「地域国家」を論じたのか、よくわかりません。この本は2006年に出ているので、つまるところ、『戦国の地域国家』の影響なんでしょうね。「地域国家」という概念が長生きできるとは思えませんが。
松本和也氏『宣教師史料から見た日本王権論』(歴史評論2006年12月号no.680)には、次のようにあって、「地域国家論」とは全く別物ですね。
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本稿での結論を端的に述べると、宣教師の認識する日本の王権の特徴は、王権構造の重層性と日本王権(大王権)の二重性であろう。すなわち、前者は、大名領国を支配する大名王権(小王権)と、その小王権を統括する天皇と将軍・統一権力による大王権という重層的な王権構造である。後者は、大王権が二人の王からなり、朝廷と武家政権の双方が王権と認められていたことである。(76頁)
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ポルトガルの宣教師は、日本全体を一つの国家とみたときの rei と、大名領国を国家とみたときの rei とは違うものとして使い分けていた、という指摘は重要ですね。前者と後者では、rei=(国)王の位相は違うが、Vo(オー)は一貫して(天)皇と理解されていた、と。(69頁)
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