学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

福島県北部海岸沿い駆け足南下紀行(その1)

2022-12-25 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

二日間、ブログの更新をしませんでしたが、福島県に行っていました。
先日から大雪による混乱のニュースが続いていたので、念のため、遥か昔に登山をしていた頃のシュラフ(寝袋)を車に積み込むなど万全の準備をして北関東自動車道・東北自動車道経由で向かったのですが、「中通り」を移動していただけとはいえ、雪は全然なく、ちょっと拍子抜けでした。
所用を済ませた後、宿泊先の新地町に向かいましたが、日没までに若干の余裕があったので、少し県境を跨いで宮城県最南部の山元町へ行き、立派に再建された八重垣神社に参詣しました。

八重垣神社(山元町公式サイト内)
https://www.town.yamamoto.miyagi.jp/site/kankou/5774.html

時間が遅かったので山元町震災遺構中浜小学校は外側から見るだけでしたが、すぐ近くの、西大寺叡尊塔を模して造られた「千年塔」に寄って、摩尼車を廻すなどしてみました。
「千年塔」は2012年7月に丸森町で開催された「日本石塔展覧会」の入賞作品ですね。

「千年塔」(「曹洞宗東北管区教化センター」サイト内)
http://soto-tohoku.net/inorinomitisirube/m50.html

日石展(日本石塔展覧会)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/75041668d02c512d46702c27532141c0
中浜墓地跡の「古代五輪塔」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2652589d8d423016ba7a650f3151cf46

ついで磯浜漁港にも寄ってから宿泊先に向かいました。
翌日は新地町の釣師浜防災緑地公園からなるべく海岸沿いに南下することとし、原釜尾浜で「伝承鎮魂祈念館」に寄ろうとしたら、開館一時間前だったので入れませんでした。
原釜尾浜は大震災の二ヶ月後に天皇・皇后両陛下が訪問された地で、おそらくその関係の展示もあるはずですが、海辺で一時間も風に吹かれているのはつらいので、入館はあきらめました。
ちなみに天気は少し雲があるものの良く晴れていて、牡鹿半島の先にある金華山までくっきり見えていました。

「被災状況ご視察(相馬港原釜・尾浜地区(相馬市))」(宮内庁サイト内)
https://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/photo/3593

ついで松川浦大橋を渡ってトンネルを抜けたところにある夕顔観音堂に参詣し、鵜ノ尾埼灯台にも行こうとしたら、今年3月16日の震度6の地震で途中の道が崩れたのか、灯台に行く道は通行禁止でした。

大洲海岸・夕顔観音堂(「相馬観光ガイド」サイト内)
https://soma-kanko.jp/trip/oosu-yuugao/

市道大洲松川線(大洲松川ライン)は大震災で崩壊しましたが、2018年4月に再開通した後、今年3月16日の地震でひび割れや落石があって再び通行止めとなり、10月に復旧したそうですね。
今は完全に本来の快適なドライブウェイに戻っています。

「大洲海岸」(その1)~(その6)
http://chingokokka.sblo.jp/article/64054581.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/64058332.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/64065424.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/64066160.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/64070201.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/64096223.html

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