投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年10月19日(水)00時20分9秒
>キラーカーンさん
>「若干」というからには、他にも入閣が取りざたされていた重臣がいたのでしょうか
ザゲィムプレィアさんが書かれているように、これは阿部信行ですね。
東條英機刊行会『東條英機』(上法快男編、芙蓉書房、1974)に「星野直樹の記録 東條内閣の崩壊」として上下二段組みで4頁分ほどの記述があって、おそらく「参考引用文献目録」に出ている星野直樹『時代と自分』(ダイヤモンド社、1968)からの引用と思われますが、これによると、
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七月の中ごろ、木戸内大臣は東條首相に対し、天皇の心持として、”国務、統帥の兼任をやめて、これを切り離す。さらに重臣を内閣に加えて、挙国一致の態勢を整える”よう伝えた。が、東條首相はそれが自分に対する不信任とはとらず、ひたすらこの主旨に従って、内閣の改造を行うことに努力した。
まず第一に、陸海両大臣の総長兼任はさっそくやめた。陸軍側は梅津関東軍司令官を参謀総長に選んだ。海軍のほうは嶋田大将をそのまま軍令部総長の専任とし、海軍大臣には横須賀鎮守府司令長官であった野村直邦大将を選んだ。つぎに、重臣から大臣として内閣に二名はいってもらう案を立て、さらにこれに関連して大臣の入換えを行い、内閣の強化を図った。そのため、東條首相自身の軍需大臣兼任をやめ、軍需大臣には藤原国務相を選んだ。また岸国務相と小泉厚生大臣の二人には勇退してもらい、重臣から阿部、米内両氏の入閣を要請することとした。なおこの時は、私のほか、石渡蔵相、大麻国務相もいっしょに東條氏の相談にあずかった。
そして、この時も私は、やめるほうの人々への交渉を引き受けた。また、藤原氏の軍需大臣就任ばなしも、私が引き受けた。
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とのことで(p414)、この後、深夜の小泉・藤原・岸邸への訪問の様子が記されます。
そして、
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一方、東條首相は、石渡、大麻両君を通じ、米内、阿部の重臣に協力を求めたが、いずれもはっきりした結果は得られない。米内氏は断わり続けている。阿部氏は米内氏といっしょでなければ意味がないといって、確答はしない。やがて岸君は、総理官邸に東條氏をたずね、話し合ったが、それもはっきりしない。結局、内閣改造は完全にゆきづまりの状態となった。
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と続きます。
このあたり、吉松安弘氏の『東條英機 暗殺の夏』では異常なほどの詳細さで時々刻々の情勢の変化が描かれていて、その中には阿部信行の動向も含まれているのですが、正直、私も少々疲れてきたので、その裏付け調査まではやっていません。
ま、星野直樹の記述には、野村直邦大将は「横須賀」鎮守府司令長官ではなく「呉」とかの細かい誤りはありますが、全体としては信用できる内容でしょうね。
なお、赤松貞雄の『東條秘書官秘密日誌』(文藝春秋、1985)には、前回投稿で紹介した長州閥への「仇討」の話のすぐ後に、
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それに星野氏と岸氏とは満洲時代から一緒で、岸氏は星野氏に対して常に目の上の瘤と思っていたようである。東条内閣の末期、内々星野氏を斥けて岸氏自身が星野氏のポストにつけるよう各方面に工作していたことは事実であった。その星野氏から逆に、やめろと頭からいい渡された岸氏の心境、必ずしも平らかではなかったのではあるまいか。
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とあります(p159)。
これはちょっとどうかな、という感じがしますが。
阿部信行(1875-1953)
野村直邦(1885-1973)
星野直樹(1892-1978)
>筆綾丸さん
>「天皇の生前退位を一代限りの特例法で認めた場合・・・憲法違反と指摘される可能性がある」
新聞報道を見る限り、内閣法制局は特例法で進める方針のようですね。
旧憲法下と異なり、現憲法では皇室典範は普通の法律と同じ扱いですから、特例法でも憲法違反の問題は生じないと考えるのが一般的なはずで、木村草太氏は変わり者、ないし目立ちたがり屋さんじゃないですかね。
「憲法違反と指摘される可能性がある」みたいなもってまわった言い方ではなく、自分は憲法違反だと考える、と言えばよいのに、鬱陶しい奴だなと思います。
※キラーカーンさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
駄レス(続々) 2016/10/17(月) 23:05:25(キラーカーンさん)
>>『岡田啓介回顧録』を読んでみましたが、
>>文章にあまり軍人らしくないとぼけた味わい
岡田啓介は「政治的ではない」と言われる海軍軍人では珍しく「狸」とも言われていましたので
(515事件以後、短命内閣が続きますが、斉藤・岡田内閣時代は比較的長期安定政権でした)
>>重臣の若干が入閣せずんば
このとき、入閣が取りざたされていた重臣は米内という説がもっぱらですが、
「若干」というからには、他にも入閣が取りざたされていた重臣がいたのでしょうか
※ 「重臣」とは総理大臣経験者と現任の枢密院議長のことです。
強い味方 2016/10/18(火) 20:07:16(筆綾丸さん)
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
いまごろ何を、と言われそうですが、旧憲法の行政に関する条文は、
「第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス・・・」
「第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」
くらいしかなく、旧憲法の論理上、当然とは言え、現憲法の「第五章 内閣」と比べると、呆れるほどの相違なんですね。任免権が天皇にある以上、大臣が一人言うことを聞かなければ、総理大臣はもうお手上げですね。
http://www.nikkei.com/article/DGKKASDG15H5G_X11C16A0EA2000/
木村草太氏が今日の日経で、「天皇の生前退位を一代限りの特例法で認めた場合・・・憲法違反と指摘される可能性がある」としていますが、特例法は皇室典範の一部なんだ、と詭弁を弄することは、法解釈上、可能でしょうか。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161018/k10010734201000.html
NHKが七時のニュースで、三浦九段の単独インタビューを報じていましたが、これは日本将棋連盟及び読売新聞に対する抗議で、来る10月23日の「NHK杯テレビ将棋トーナメント」が三浦九段対橋本八段の対局であるため、日本放送協会は事前に自らの方針を表明した、と理解すべきでしょうか。三浦九段には公共放送という強い味方ができましたね。
>>『岡田啓介回顧録』を読んでみましたが、
>>文章にあまり軍人らしくないとぼけた味わい
岡田啓介は「政治的ではない」と言われる海軍軍人では珍しく「狸」とも言われていましたので
(515事件以後、短命内閣が続きますが、斉藤・岡田内閣時代は比較的長期安定政権でした)
>>重臣の若干が入閣せずんば
このとき、入閣が取りざたされていた重臣は米内という説がもっぱらですが、
「若干」というからには、他にも入閣が取りざたされていた重臣がいたのでしょうか
※ 「重臣」とは総理大臣経験者と現任の枢密院議長のことです。
強い味方 2016/10/18(火) 20:07:16(筆綾丸さん)
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html
いまごろ何を、と言われそうですが、旧憲法の行政に関する条文は、
「第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス・・・」
「第55条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」
くらいしかなく、旧憲法の論理上、当然とは言え、現憲法の「第五章 内閣」と比べると、呆れるほどの相違なんですね。任免権が天皇にある以上、大臣が一人言うことを聞かなければ、総理大臣はもうお手上げですね。
http://www.nikkei.com/article/DGKKASDG15H5G_X11C16A0EA2000/
木村草太氏が今日の日経で、「天皇の生前退位を一代限りの特例法で認めた場合・・・憲法違反と指摘される可能性がある」としていますが、特例法は皇室典範の一部なんだ、と詭弁を弄することは、法解釈上、可能でしょうか。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161018/k10010734201000.html
NHKが七時のニュースで、三浦九段の単独インタビューを報じていましたが、これは日本将棋連盟及び読売新聞に対する抗議で、来る10月23日の「NHK杯テレビ将棋トーナメント」が三浦九段対橋本八段の対局であるため、日本放送協会は事前に自らの方針を表明した、と理解すべきでしょうか。三浦九段には公共放送という強い味方ができましたね。
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